章末話「月下の果て」
三秒の宣言通り。
黒川ミズチが打って出た。
殺意。
意思が攻撃へ転化される。
巻き起こる砂の
無数の砂と風の刃が躬冠司郎の身体を巻き込む。
静かで小刻み。
だが猛烈に傷つける。
――死んだ。
木徳直人の率直な感想。
しかし五秒後も躬冠は生存、立っていた。
彼女が魔眼で捉える。
「やはり膜を!」
躬冠が弓矢を構えた。
夜の空間に青白い光。
(隠し球……!)
二人は同時に思い、彼の方は身体を硬直させた。
ミズチは即時判断、身体を反応させる。
的はどちらか――
彼女の横を青の閃光が通りすぎる。
ダンプカー並みの風圧。
先には標的にされた人物。
けれどミズチは振り返らない。
無事だと確信していた。
凄まじい力を帯びた矢が直人の眼前で止まる。
眼球の一寸先で矢はギチギチと身を軋ませた。
不意に消失する青い光。
矢は力なく地面に落ちる。
――強い力を矢に乗せられるのか。
彼は戦慄した。
「ミズチが僕に使い魔……知らなかった」
膜がなければ命もなかった。
彼女は倒すべき敵を見据えた。
躬冠が直人を見て一瞬驚いた隙も見逃さない。
続け様に殺意の第二波を放つ。
躬冠は走る体勢、同時に二射目の構え。
だが関係ない。
「止める――」
闇夜で音のない爆発が数回。
更に衝撃波が襲う。
空気振動。
けれど二射目は止まらなかった。
どころか次々と矢が飛来する。
連続射撃。命中精度は低い。
ミズチは身体でかわす。
異常な目が矢を捉えた。
だがかわしきれない。
ナイフの鞘が飛んだ。
右手でアサメイを振る。
矢を斬り落とす。
常人には無謀、彼女には可能だ。
破片が肌をかすめる。
膜がない状況に
彼女が銀の刃先を敵に向ける。
発する殺意。
躬冠も青白い光を見せる。
放たれる青。
アサメイもろとも右腕を破壊――
するかに見えた。
飛行中に溶解する矢。
本体が失われ光も消えた。
目標が標的の前後にズレて命中する現象、
無意識で的の存在が拮抗し、前方転位で矢に反応する迎撃機構と化した。
ミズチが敵能力を認識、憎悪したのも一助している。
だが俊足の躬冠は既に姿を消していた。
*
司郎は走りながら検討した。
初手で一人仕留められると想定していた彼は驚いていた。
最大出力の青の矢が止められたからだ。
魔術防壁だとしか考えられない。
黒川の魔術の威力は司郎の予想を超えたが、
想定外の精神的影響もあった。乱射で最後の矢も見ていない。
青の矢には時間のロスがある。三秒以内のロスだが連射速度は低下する。
実戦を経た理解。敵の動きを止めるには牽制がいる。
司郎は立ち止まり振り返った。
すぐの追撃はない。
息を整え和弓を置いた地点に向かう。
――なぜ男が防壁を? 黒川も身体でかわしていた。
防壁を移せる能力が? 現に俺も防壁を付与された。
男自体はやはり大した事はない。武器も携行してない覚悟のなさ。
狙うべきは防御が希薄な方。武器と威力を持つ女――
次は要撃と定めて戦術が決まる。
「さあ、第二ラウンドの始まりだ」
*
戦々恐々の直人がミズチに駆け寄る。
「大丈夫?」
「ミズチは大丈夫」
「知らなかった。僕に膜を移してた事」
「木徳くんが狙われたらすぐやられちゃうから」
「とてもじゃない……。僕は入っていけそうにない」
超常の戦いを目にして、自分は足手まといだと彼は感じていた。
「僕は……」
「いいよ」
すんなり肯定されショックを受ける。
「木徳くんに戦いの強さは求めてない。助力も期待してない。黙って見てればいい。あたしが捉えてミズチが殺す。いつもと同じ」
彼女が笑う。中身のない微笑。
――僕を
今度は直人が縛っている。
なのにミズチとの距離を感じた。
彼は男として女に守ってもらうのも悔しかった。
*
暗闘の第二回戦はあっけなく始まる。
和弓から青い矢を放つ司郎。
覚えた手で矢を壊すミズチ。
司郎が通常の矢を数射する。
ミズチは避けて魔術を放つ。
直人は見守るしかない。
死の魔術も防壁の前では有効打に欠けた。互角な様で旗色が悪い。
彼は無力だった。それでもつけ入る点はないかと観察する。
ふと躬冠の輪郭がぼんやりしている印象を受けた。
目を凝らす。
「あれは、膜――?」
理由は分からないが驚倒した。
「けど見えるなら……」
――相手は彼女で手一杯。僕を狙う余裕はない。
近づいて様子を窺った。
司郎は大胆にも青の矢を牽制とした。
即座に本命の矢を放つ。
矢はミズチの左肩を射抜いた。
反射的にナイフで肩の矢を斬る。
左腕はもう使えない。
司郎の矢も尽きていた。
だが動じていない。
司郎は和弓を投げ捨てた。
直ぐ様、黒い弓矢が発現する。
驚くミズチ。
司郎が黒の矢を放つ。
ミズチはかわす。
次々と矢が放たれる。
かわす――かわしきれない。
ナイフで斬り落とす――
刃が矢を通り抜けた。
脇腹へ刺さる。
瞬間、黒い矢が消えた。
同時に肋骨が数本折れる音。
次が飛んでくる。
ギリギリで避ける。
ミズチは校舎の壁を盾にした。
更に放たれる矢。
黒い牙がコンクリートを透過する。
牙がミズチの右太股に刺さった。
消える――同時に脚の骨が折れる。
ミズチから痛みを抑えた声がした。
直人は黒い弓矢の存在感に圧倒されたが観察は止めない。
彼女は防戦一方。魔術は途切れ動きも鈍い。
「どうにかして……」
歯を噛みしめる。
瞬間気づいた。
躬冠の膜の印象が一部薄い。
「……削られた?」
――ならあと少し。
「ミズチ! もう一度!」
叫んでいた。
まるで暗号の様な一言。
声を聞いた躬冠がミズチに向け更に太い黒の矢を放つ。
彼は必死だった。
助けたかったのだ。
――届け!
彼女はなぜか理解できた。言葉の意味を。
痛む身体を奮い起こす。
だが飛行する害意が牙を剥く――
矢は皮膚に触れる前に掻き消えた。
――防壁。
反射的に頭を働かせる。
――力を右脚へ。
立ち上がって殺意を振り絞る。
「くたばれ!」
躬冠は四方から伸びた電撃の触手に包まれた。
決め手にならないのはミズチも自覚している。少しの時間稼ぎ。
「走れ!」
直人の声が聞こえた。
無理やり接骨した脚。痛みを無視して駆け出す。
敵に向かって突っ込んでいく。
「見ろ!」
彼に言われるまま見る。
彼女は理解した。
冷静さで殺意も失せる。
現象の消失で敵も姿を現す。
一笑する躬冠。
標的が変わる。
その能力は戦場で更なる進化を見せつけた。
三本の黒光りする矢が直人に狙いを定める。
――奴はあたしと同じく膜で防御できると考えてるんだ。
けど――
「大間違い」
言い捨ててナイフを握り直したミズチは一気に走り込んだ。
誰の想定よりも速い。
左足を支えに踏み込んだ
銀色の刃が躬冠の胴体を斬る。
魔術で最も損なわれた部分を。
「脇がガラ空きなんだよ弓矢野郎」
アサメイが膜を破りながら腹部をえぐり裂いた。
斬った彼女は勢い余って転がる。
躬冠は矢を放てなかった。
腹部から大量の血と臓物を吐き出す。
黒い弓矢も消える。
そのまま吐血して、折れる様に崩れた。
*
人は死ぬ時、過去が走馬灯の様に浮かぶという。
司郎も例外ではなかった。
但し後悔にまみれている。
――なぜだ。
なぜ俺が負けた。
正義の味方は負けない。
ヒーローは負けるはずない。
どこかで間違えた。
一体どこで。
俺は正義のヒーローに。
なれなかったのか。
歪んだのか。
どう歪んだ。
どれぐらい。
分からない。
完璧と言われてたのに。
答えが出ない。
だから死ぬのか。
俺はあの画像を信じた。
作り物だったかもしれない。
考えもしなかった。
信じたかったから信じた。
嘘か真実かはどうでもよかった。
やはり正義のヒーローはいない。
誰も相応しくない。
それとも。
相手を見誤ったか。
俺が抹殺すべき悪は黒川美月。
本当にそうか。
仕留めるべきもう一人の男。
そうだ。
あいつを先に。
死にたくない。
殺すべきだった。
俺は。
あいつが。
死ぬのは嫌だ。
アイツ。
まだ死にたくない――
愚かな彼の脆弱な死を、暗黒が飲み込んだ。
*
直人は駆け寄ってミズチに肩を貸した。
「大丈夫か」
彼女がよろよろと立ち上がる。
安心しつつも胸が痛んだ。
ミズチに対してだけではない。
血溜まりに浮かぶ躬冠を眺める。
人を殺した罪悪感。
「大丈夫だよ」
彼女がスッと離れる。
なぜか突き放された気分になった。
「ごめん、僕が不甲斐ないからこんな……」
彼の言葉は届いていない。
ミズチは躬冠の身体を探っていた。
携帯電話を見つける。
程なく直人が死体の異変に気づいた。
「燃えてる……!?」
躬冠の死体が端から燃えている。
けれど焼ける匂いはしない。
「あたしは何もしてない」
「じゃこれは一体……なんだ」
普通の燃焼ではなかった。
熱もない。蠢く闇の光。
彼は思った。
紙屑が炎で消えていく――
「きっとこれが魔術に関わった者の末路」
彼女はそう言うと興味がないという風に背を向ける。
躬冠は服と共に尽きて夜の中で消滅した。
地面の血痕も消えている。
直人は唖然としながらミズチの背を見る。
彼女は手を広げ天を仰いでいた。
静かな笑い声が鼓膜を突く。
「あたしはやった。遂にやったんだ。この手で人間を殺した! ハハハハ」
――狂ってる。この子はどこまでも狂ってる。
笑えるぐらい異常な殺人鬼なんだ。
彼は改めて痛感していた。
「これであたし達、共犯者だね」
ミズチが直人へと向き直る。
月下で美しい容貌が照らされた。
「ねぇ直人。キスして」
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