第三話「計画」

 ミズチが本を閉じた。


「殺されない可能性があるとでも思ってた? それにこれだけ聞き出しておいて」


 彼女の語気は自然に強まっていた。

 立て続けに木徳直人へと告げられる。


「知られた不始末にはカタをつけさせてもらう」


 言い放ったミズチの眼光は眼鏡のレンズ越しでも充分鋭かった。

 その様子は冗談とは思えない。

 方の意味は彼にも簡単に察せた。


 ――ヤバい。なんでもいいから機嫌を直せる話題を……。


 直人が思った矢先、ふと彼女の顔から気が抜けた。

 半ば呆れた雰囲気になったミズチが聞いてくる。


「……そもそも、なんでアンタはあんな事をしてたの?」


 瞬間、ここが最後のチャンスだと彼は悟った。

 この隙に賭けるしかないのだと腹を括る。

 直人は思い出して興奮を感じながら動機を述べていった。


「見たんだ……あの時、机を……。だってあんなの、あの現象、ありえないでしょ!? 念力みたいなあんなの――見たんだよ! だから僕は――!」


 彼女はほんのわずかに目を見開いた。

 事情は大方分かった、という風な表情になる。


「木徳直人、まさかアンタみたいな奴に見られるなんてね」


 彼の様な下等な存在に目撃されたのは想定外、とでも言いたげな口ぶり。

 フフッと声にだしてミズチが笑う。


「なんなんだよ、あの鉛筆は? ミズチ、あんたは一体何者なんだよ!」


 問い詰め方がドラマの事件記者だなと、直人は自分で感じていた。


「あれは……単なる気紛れ。お遊び。暇潰し。息抜き。気分転換?」


 本をバッグへと入れながら、彼女が饒舌じょうぜつに語り出す。


「趣味。ギャンブル。ゲーム感覚? そう、たまにああいう遊びがないと、学校でのあたしは息苦しい――」


 言っている事は理には適っているが、根本的な原理はまだ決定的に不明なままだった。


「――苦しくて、窒息しそうだから。ああいうのは……たまにしてる。深呼吸の代わり」


 ありえない現象への解答にはなっていない。


「さて、お喋りはここまで」


 唐突に告知された、持ち時間の終焉。

 ナイフを持ったミズチがスッと立ち上がる。

 驚いた彼の心臓もドクンと跳ねた。


「――そろそろ終わりよ。木徳直人」


 処刑人に似た女の、死刑宣告に近い言葉だった。


「ちょっと待ってくれ!」


 直人は必死に制止した。

 最後の時が近いなら、もうここで出すしかないと覚悟した。


 ――チャンスは今しかない。もう見栄も外聞も気にしてられない。

 背に腹は変えられないから羞恥心も捨てろ。


「僕は……ミズチが本を選ぶ姿をずっと見てた」


 自分で言っておいてやはりストーカーみたいだと彼は自戒した。


「だから何よ。アンタ、あたしのストーカーか何かのつもり?」


 怪訝そうに眉をひそめている。

 綺麗な眉が曲がって神経質にも見えた。


 ――やっぱりそうくるか。けどあんたみたいなタイプには言われたくない。


 身動きが取り辛い身体で苦々しい気持ちを抱えながら、直人は話の続きを口にした。


「……ミズチは、小説とか好きなんじゃない?」

「嫌いではないけど、それが何?」


 ――ここまでの性質や嗜好から考えて、単に好きだから読んでいるというタイプの人物ではないはず。


 彼は少し分かってきていた。

 読書家としてはかなり特殊なタイプ。それでもここは押し切るしか他に手がなかった。


「僕も小説とか本は好きなんだよ。実は……自分で小説を書いたりもしてる」


 執筆時の記憶が頭によぎる。

 ミズチの表情が微妙に変化した。

 直人はその表情を見逃さなかった。


 ――いけそうだ。このまま勢いで突っ切れ。なりふり構うんじゃない。


「今までは小説を書いてる事を他人に話した経験はなかったけど、こんな状況になったら後悔する。死ぬ前に、一度くらいは誰かに読んでほしいんだ」


 誰にも話した事がない、という発言に嘘はなかった。

 彼は小説を書いている事実を周りの人間には知らせていない。

 代わりにインターネットの小説サイトへ時々投稿をしていた。

 不特定多数の目につく場所だ。きっと誰かしらは読んでいるだろうと考えていた。


 彼女が「ふうん」と反応する。

 興味を持ったかの様に腕組みもした。話を聞いている姿勢には見える。

 直人はできるだけ媚びる形で願いでた。


「良ければだけど……ミズチが読者になってくれないか? どうこうするのはその後でもまだ遅くないはず」

「……面白い考え。そう、もしもお話が面白かったら、始末の件はまた考え直してみてもいいかも」


 ――やった。この悪女を……まんまと誘導してやった。

 生き残る確率が上がるんだ。後は結果を御覧ごろうじろ。


「こんな状況だから、まずは僕が口で話してみせるよ。ストーリーは頭の中に入ってるんだ」

「そう」


 感心したという意識が少しは見える相槌だった。

 状況のせいにしてやや不自然な口伝えの理由だったが、立っていたミズチが再び椅子に座った。

 よし、と心の中でガッツポーズをとる。


「もし気に入ってくれたら、後から文面でも読んでもらいたい。それでもいいかな?」

「いいよ」


 彼女がにこっと笑う。

 今更そんな笑顔を見せられても、不気味な毒婦の笑みにしか見えなかった。


 ――ここで作り笑顔なんておかしい事だと思わないのか。やっぱり感覚が相当ズレてる。


 彼は気づかれない程度に苦笑した。


 その話は一度小説として書き上げてはいた。

 完成したとは思っていなかったから、直人に言わせればまだ八割という程度だった。

 彼は推敲するのが好きなタイプだった。不完全さの殆どはその分が入っている。


 直人は頭の中にあるストーリーを再び思い出そうとした。

 記憶の内側から小説を引きずり出す作業。

 そうして脳から引っこ抜く。

 言葉にできる様に形作る。

 何せ自分の命運がかかっているのだから、これ以上はないほど必死に。

 かくして、彼は物語を語り始めた。


 タイトルは『エルの終末』――


 後ろ手と膝立ちで祈るかの如く直人が物語る。

 普段は音痴な彼だが、まるで歌う様に言葉を紡いでいく。

 それは小説というには体裁が整っていない。

 朗読と呼ぶには不格好であった。

 しかし死を目前で見ている人間の底力は驚異的だ。

 彼のストーリーと命を賭けた歌声は、ミズチなる怪人の耳を充分に傾けさせた――


 語り終えた直人は、張りつめた気持ちから開放された。

 どれだけ上手くやれたかは分からない。

 けれど現状ではこれ以上ない程のベストを尽くせたと確信していた。

 既に聞き終えている彼女の顔色を窺う。

 無表情に近かったが、殺気めいた雰囲気は感じられない。

 ミズチは首を傾げて不思議そうな顔をした。


「感想、述べてもいい?」

「あ、ああ……」


 唐突な申し出だった。

 彼はやや困惑した。

 何か言うならこちらの意向なんて構わず強引に言い放つだろう、そう推測していたからだ。


「よくはわからない。SFってやつかな? だけど主人公の女の子、気持ちは感じるかも。ミズチに似てる気もする」


 直人は、まさかそんなと思っていた。

 これまでにヒロインが、ミズチみたいな人物に似ているとはつゆほども気づかなかったからだ。

 けれどもしも自分が考えたキャラクターと似ているのならば、彼女の事も少しは理解できそうな気はした。

 そんな気がすれども、今は到底理解できない。似ているとかはどうでもいい事だと彼は雑念を振り払った。


 湯田黄一が褒めていたミズチの唇。

 その魅惑的な唇が言葉を発する。


「――けど

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