トレントは勇者になりたい。

ごんのすけ

プロローグ:トレントは、勇者になりたい!

『この世界は、平和に満ちている』――僕はそれを確かめるために、毎日毎日グゥーっと伸びをしては、この青い空を見上げるんだ。


 *****


 世界は今日も、とってもとってもと-っても平和!

 空を見上げれば薄暗い紫色の瘴気の隙間に飛竜が見えるし、大地では元気な毒草が空に向かって手を伸ばしている。その茂みの向こうにある毒沼からはブクブクと毒の泡が立ち上っている。

 世界は――僕の周りの小さな世界、今日も今日とて平和だ。


 だから僕は――


「だから僕は!」


 魔の森に、翼が空気を漕ぐ音と、ぎゃあぎゃあぎゃあと驚いたような鳴き声が響き渡る。どうしたの、と飛びゆく怪鳥さんたちに尋ねたら、たぶんきっと、みんな僕を指差すんだろう。

 だけど、僕は自重することなく、次なる叫びを上げるために大きく大きく口を開く。


「勇者になりたぁい!」


 僕の叫びを木霊妖精エコーが運んでいって、薄紫の空に『なりたぁい、たぁい、たぁい……』と余韻を残して消えていく。

 僕は思いのたけを叫びきって、それでも収まらないこの胸の高鳴りを周囲――というより、目の前の友人に知らせるべくと両腕を振り上げワサワサする。と、下の方から長いため息が聞こえてきた。


「待って。前後で話が繋がってない」


 メキメキ、と音をさせながら首を傾げて下を見れば、そこにいるのは僕の友人。彼女は、細い両腕を胸の前でしっかり組んで、呆れたような顔で僕を見上げていた。


「ん?」

「ん? じゃないのよ。アンタね、何が『だから』よ。話と話の内容が繋がってないの、わかる?」


 んー? と僕が更に首――と言うか、全身? ――を軋ませて顔を斜めにして見せると、彼女は僕の見ている前で、きっちりとまとめてお団子にしている頭を掻いて、毒々しい色の花が咲き乱れる腰元に手を当てて見せた。


「はぁぁぁ。……もう一回。もう一回、最初から。言ってみなさいよ。平和が云々から」

「えーっと、世界は今日も平和!」

「ええそうね、アンタ、確かにそう言ったわね。はい、続きを」

「だから僕は勇者になりたい!」


 そこよ、と彼女はビシリと僕を指差した。僕は彼女の言いたいことがわからなくて、うーん、と唸ってしまった。唸りながら考えて考えて、僕はポム、とひとつ手を打つ。

 もしかして、世界が平和だと勇者になれないのかな?

 思いついた通りを口に出してみよう、と思って、僕は体をまっすぐに戻し、それから少し猫背になって彼女に顔を寄せる。彼女は大きな赤の目でジッと僕を見つめている。


「世界が平和だと、勇者、なれない?」


 声が弱々しくなってしまうのは許してほしい。だって、僕の夢なんだもの。勇者になるの。僕の背よりもずっとずーっと、大きな大きな夢なんだもの。それを否定されてしまっては、僕は今後一切花を咲かせることができなくなってしまうかもしれない。

 祈るような気持ちで真っ赤な瞳を見つめていると、彼女は「あのね」と優しいような呆れたような声を出した。


「この際、話が繋がってないことはおいておくわ。いつものことだし。――いいこと、トレント。今からあたしが言うこと、良く聞きなさい」

「はい! 僕、アルラウネさんが今から言うこと、よく聞くよ!」

「お返事がよろしくてけっこう。そのお返事の通り、あたしの話を、良く――よぉぉっくお聞きなさい。いいわね」

「うん!」


 目の前で友人――アルラウネの友人が、細いツタが束になった人差し指をピッと立てて澄ました表情で口を開く。


「いい? 平和だと勇者になれない云々の前に、アンタ、魔物よ? 魔物は勇者になれないわよ」


 魔物は勇者になれないわよ。わよ。わよ。わよ……。


 僕は、頭の中でリフレインするアルラウネさんの声を噛み砕いて反芻してなんとか理解しようとして――


「……そんなのやだァァァァァァァァァァ!」


 ――『勇者になれない』だけ理解して、魔の森を揺らすくらい大きな声で、絶望を叫ぶしかなかった。

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