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 この頃のぼくは本当にいろいろなことが同時に起きて自分でも収拾がついていないと思った。このあと、秋には前述したテキレボで「みんなのごうがふかいな展」というミニ企画をさせていただいた。これもなかなか難しい企画であった。おそらくわかりにくさでは歴代のイベント全部を出してきてもなおトップに君臨する自信があるほどルールが難しいものであったが、それでも複数のサークルに応募いただき、またいろいろトラブルはあったものの、おおむね成功したといえた。個人的には続きも行いたいところであるが、それはまた難しいことをしなければならないということでもあるので、これはこれでひとつの経験とだけしたいと考えている。以降ぼくは自分の思うように、できれば自分と深い縁がある街、浦安で自分が主催する同人イベントをやりたいと思うようになる。同人イベントに参加するというものは魔力を持つ。別にそこまでの行程は何ひとつ楽しくないのに、どころか当日だってふたを開ければそこまで楽しいことが多いわけでもないし、しかも思うような頒布を得られたかどうかだけを成功の指標としてみるならむしろ失敗したイベントばかりであるのに、それでもイベントに出てみたいし、より多くの書き手に出会いたいという思いがぼくの中でふつふつと、自然にわいてきた。この自然にわいてきたというのが重要なのである。ぼくは承前のように、自らを売り込むためにより多くの書き手と出会おうとしていた。それは自発的なものではなかった。けれど、こうしてイベントを出続けていくにつれ、ぼくは自発的に、より多くの書き手に出会い、より多くのイベントに出たいと思うようになってきたのである。そこにこそ、あらゆるものの答えが内包されているように思うが、それはまだ、今のぼくは言語化することができていない。そして、おそらく言語化したときに、書き手としてのぼく、ひざのうらはやおはさらなる発展が見込めるのだろう。そう思いたい。

 そして、そういった考えのもと、ひざのうらはやおをより多くの書き手に知らしめるために何が必要なのかを無意識下でぼくはずっと考え続けてきたのだし、実のところこれは今もずっと考え続けてきている。ここまでの文章でも勘のいい方はお気づきになられるであろうが、ぼくは自意識上でも「タテマエ」を信じて行動していて、無意識下で動いている「ホンネ」の部分は自分でも全く気がついていないことが多い。こうして自分の行動を振り返って分析して考察することで、「ホンネ」はようやく表出してくる。多くのみなさんにとってもそうであるのだろうとぼくは認識しているが、だからこそ誠実に自らの行動を振り返るというのはとても難しいのだろうと感じる。ぼく自身、それができているとは残念ながら言い難いが、それでも可能な限りそうであるように努めたい。そうであることが、より誠実にこれらをつづっていくために必要なことであると信じているからだ。

 話をもどすと、「幻石」の後に続くのはそうしてぼくがひざのうらはやおという書き手それ自体のひととなりを示すために行動していった形跡ばかりであるのだ。ここから「かれ」が消滅していくまで、ぼくはひたすらひざのうらはやおとは何者なのかを考え続けていて、それがプライベートでも大きく影を落として、あげくの果てには「かれ」の崩壊まで招く結果となってしまったのは、これを読んでいるみなさんの知るところとなっているであろう。

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