(5/9) 幻影のかなたに ~Precious Memories~ 第1話
「へえ、玲奈ちゃんって言うんだぁ。私は
実家からのお土産にと玲奈が持ってきたバウムクーヘンをもふもふと頬張りながら、不器用そうに荷ほどきを続ける彼女を心配そうに見ているのは、玲奈とルームメイトになった綾瀬有希だ。
玲奈が部屋の中に入って荷物を探している時に、ちょうど彼女が部屋に入ってきて、たった今自己紹介をしあったところであった。
有希は深い緑色の長い髪を側頭部で結ぶ、ツイン・テールという、髪を伸ばしたことがほとんどない玲奈にとってはあまりなじみのない髪形で、またそれが丸っこい童顔によく似合っている。玲奈より少し背が低く、玲奈よりもずっと痩せていた。しかし玲奈がその身体に羨望の念をまったくといっていいほど抱かなかったのは、単にそういう感情を持たないからでも、とにかく痩せた身体になりたいという女性特有の願望が薄いわけでもなく、その男のように平たい胸のせいなのかもしれない。
部屋は思ったよりも広く、有希と二人で使うとはいえ、実家にある玲奈の勉強部屋よりさらに大きかった。それだけでも玲奈は大満足だったが、この気の利く楽しい友達と運良く同室になれたことまで考えると、それこそ神様に感謝したいところであった。
「あれっ、このメダル、何?」
自分の身の回りの物を、有希の手も借りてあらかた落ち着かせたところで、玲奈は有希の勉強机の上に置いてある銅メダルに気づいた。
それは親指と人差し指で丸を作ればすっぽり入ってしまうほどの小さなものだったが、デザインにけっこうな趣向が施されており、防錆加工でもしてあるのかキラキラと濡れたように輝いていた。
「ああ、それねぇ、去年の最後の中学部実力試験で、学年三位だったの。だから銅メダル。あの時はメダルが欲しくて、結構頑張っちゃったなぁ……」
「へえ、じゃあ綾瀬さんってすっごい勉強できるんだ!」
「いやあ、そんなことないよぉ。それ、すごく頑張ったんだからぁ」
有希はそう言うと少しはにかんで、左手で口を隠しながら、
「あ、あと私のことは有希ちゃんって呼んでいいよ、玲奈ちゃん」
と続けた。どうやらそれは彼女の癖のようだ。
「うん、わかったよ、有希ちゃん!」
玲奈の言葉に、有希の顔はぱあっと明るくなった。
玲奈は、有希のそういった子供っぽい仕草や間延びしたところのある独特な口調を、純粋にかわいいと思った。
「それにしてもさぁ」
有希は自前のローテーブルに置いたバウムクーヘンを果物ナイフで丁寧に切り出しながら、
「このバウムクーヘンおいしいねぇ」
と、口いっぱいに頬張りながら言った。
それを見て玲奈はにっこりと笑う。
「ふふふっ、それね、私のお気に入りのバウムクーヘンなんだ」
玲奈は昔からお菓子にはうるさい女の子であるのだが、とりわけバウムクーヘンが大好物で、一度食べたものならどこのお店のバウムクーヘンかを当てることまでできてしまうのだった。
「へぇ、そうなの? 玲奈ちゃんってそんなにバウムクーヘン好きなんだぁ」
そう言いながら、有希はさっき手に取ったバウムクーヘンをもう平らげていた。それは非常に文にしにくい様子であったが、あえて文章で表現するならば、ぺろり、だとかひょい、に相当するだろう。
その小柄でほっそりした体型に似合わず、食欲は旺盛らしい。
「あっそうだぁ、私もお気に入りのお菓子があってねぇ……」
有希は何かを思い出したといわんばかりに、ぽんっ、と手を叩くと、自分の荷物の中から綺麗な包装に包まれた小物箱ほどの大きさの紙箱を取り出して中を開けた。
「じゃぁん!」
有希がその箱から取り出したのは、個包装されたマロングラッセであった。大粒の栗が、一粒ずつ真空パックされているそれを、有希は大事そうに箱にしまった。
「秘密のマロングラッセだよぉ! いつもは誰にもあげないで一人で楽しむんだけど、今回は特別に玲奈ちゃんにも進呈しよう!」
そう言って彼女は玲奈に一粒だけあげると、
「もっと欲しかったらいつでも言ってねぇ」
と満面の笑みをもって玲奈の方を向いた。
「ありがとっ、大事に食べるよ!」
玲奈もなんだか嬉しくなった。
有希はしばらくそんな玲奈の様子を見ていたが、突然、
「あ、そうだ忘れてたぁ!」
とまた両手をぽんっ、と叩いて、
「玲奈ちゃんさぁ、私の部活覗いてみない? 編入生とルームメイトになるって言ったら、うちの部長張り切っちゃってさぁ、たぶん連れて行かないと怒られるんだよねぇ」
と有希は玲奈の両手をとって少し早口でまくし立てた。
それでも彼女の口調は依然として間延びしているのだから習慣というものは恐ろしい。
いきなりの猛攻に玲奈も少したじろぐ。
「へえ、どっ、どんな部活なの?」
玲奈がたじろぎながらも当たり前の質問をした。
「やっぱり知りたいよねぇ? 玲奈ちゃん?」
有希は玲奈の両手をつかんだまま顔を近づけてくる。
その白くて張りのありそうな肌と、くりくりとした大きな眼が玲奈をしっかりと見つめていた。
どうしてかよくわからないけど、今とてつもなく恥ずかしい。
玲奈は、自分の体がなぜか熱をもっていることに気づいた。
「わ、ちょ、ちょっと近いよ有希ちゃん」
「知りたいでしょ? 私の部活知りたいでしょ? ねえ? どお?」
「わ、わかったからちょっと離れてー! 近いよぉ!」
玲奈が悲痛ともとれる声で叫ぶと、有希はにやにやしながら、
「もお、玲奈ちゃんったら、これくらいで恥ずかしがっちゃダメだよ。ここは、じょ・し・こ・う、だぞぅ?」
と、その童顔に似合わない妙に蠱惑的な声で、さらに迫ってくる。
「そ、そ、そ、そうだけどっ! だから、な、なんなのさっ!」
その時、玲奈は自分でも何かおかしいことに気づいた。
あれ、何でこんなに恥ずかしがっているんだろう、あたし。
「まったく、何中二の男の子みたいな反応してんのさぁ。……まあ、そんな玲奈ちゃんもいいんだけどね。ってそんなことより部活よ部活! ほぉら、行くわよ玲奈ちゃん!」
有希はかなりテンションが上がっているらしく、玲奈の手をつかんだまま、勢いよく部屋を飛び出した。
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