【短編】カネノネ (原典)

 ひどく広大なゴミの山で、ボロボロの服を着た少女が大きなリュックを背負って何かを漁っている。

 その姿は何かにとりつかれたように必死で、どこか気味が悪い。

 少女の背中には、巨大な塔がそびえていた。

 その真っ白な塔は一点の曇りもなく、ただひたすらに天まで届くかのように高く、少女とゴミ山を見下ろしていた。

 塔の周りは大きな壁で囲まれており、それがゴミ山の壮大な景観と凄惨な悪臭から塔の中の住人を守る仕組みになっている。



 少女は一心不乱にゴミ山の中に潜り込んで、何かを探している。

 その悪臭も気にならないようだ。

 やがて、少女はゴミの中に光るものを見つけた。

 どうやら、金の指輪のようだ。

 少女は指輪をかざしてみる。そしてひとしきり眺めると、丈夫そうなリュックの中にそれを大事そうにしまった。




 ゴーン、ゴーン。


 そのとき、塔から鐘の音が響いた。



 少女ははっと塔の上を見上げる。



 その鐘は、「福音の鐘」と呼ばれていた。

 一週間に一度、塔の天辺にあるその鐘は鳴り響く。

 誰かが「救済」されたことを意味するのだと、少女は小さい頃教わった。

 鐘の音が鳴るたびに、少女は黙って天を見上げる。

 自分が「救済」される人間ではないことを分かっているかのように。




 不意に、少女の肌を痺れるような痛みが襲った。

 風が吹いてきたのだ。

 少女は風が吹いてきた方を向いた。

 その先には大きな黒雲があった。

 強烈な酸性雨がもうすぐやってくる。

 少女はリュックからビニールの合羽を取り出して羽織ると、リュックを頭にかぶって塔に向かって走り出した。




 壁の間の門を必死でくぐり抜け、少女は塔の外にある街へと急いだ。

 少女を含めた最下級民は塔の中に入ることができない。

 それ故に、塔の外には街ができていた。

 そこで、少女はゴミ山から拾った貴金属類をはじめとする様々なものを売って、生計を立てているのだ。

 雨が近いということもあってか、街のメインストリートは閑散としていた。

 少女が声をかけても、無視されるか冷たい目を向けるかで、誰も買おうとはしてくれなかった。






「ただいま」

 人を焼くほどの酸を溶かした雨が容赦なく降りしきる中、少女は両手を真っ赤にただれさせながら瓦礫の塊のような家に逃げ込むように帰ってきた。

 リュックを留める鉄のボタンがボロボロになっていたのに気づかず、少女は帰るなりリュックを放り投げた。

 そのせいでリュックの中のたくさんの携行食糧が飛びだし、割れた。

 少女はうんざりした顔をしながら、それを拾い上げて机の上に置いた。

「お帰り、マリお姉ちゃん」

 奥から、金色の髪をした、真っ白な肌の娘が現れた。

「こんなにたくさん……どうしたの?」

 妹はいつもよりたくさんの携行食糧を持ってきた姉、マリに驚いてそう訊いた。

「どうもしないわ、ユリ。この天気だもの、これくらいもらわなくちゃやってられないわよ。……ご飯を作るから、待っていなさい」

「うん」

 ユリは黙って食卓に座る。

 マリは割れた携行食糧をボロボロの自動調理器に押し込んで、ふたを閉めて加熱スイッチを押した。

「ごほんっ、ごほん」

 ユリは大きくせき込んだ。

 マリは思わずユリの方を向く。

 一瞬ユリを睨みつけてしまった自分に気づいたマリは、とても小さく舌打ちをした。

 ユリは肺を患っている。塔の外の汚れた空気に、彼女の弱い肺は耐えられなかったのだ。

 とても長い金色の髪、抜けるように白い肌。そしてあどけない瞳、くっきりとした顔立ち。ユリは姉から見ても相当の美人だった。


 対してマリは、動きやすいようにうなじのあたりでぶつりと乱暴に切りそろえた黒髪、はれぼったい一重瞼、きつめな印象を与える小さい瞳、ゴミ女と蔑まれ街のチンピラに殴られ続けたせいで歯のところどころが欠けてみすぼらしくなった口元。そして酸の雨と日の光に焼かれて赤黒くなってしまい、染みや傷跡だらけの肌。それは悲しいくらいに妹と対照的だった。


 チン、と携行食糧の加熱が終了した合図の音がした。



 携行食糧は、もちろん加熱しなくても十分に食べることは出来る。しかし、その味の質は茹でたジャガイモを凍結乾燥させたものに等しい。塔の外や塔の下層で得られる食糧など大抵がそんなものだ。それでも携行食糧を食べ続けるだけで生きていけるだけの栄養が含まれているだけ、マシなのである。

 しかし、最近の携行食糧は加熱をする事により柔らかくなり、味も良くなるようになった。それで、マリは携行食糧を加熱しているのである。自分はもちろん生でもいいのだが、妹のユリが携行食糧を食べやすいように、わざわざ自動調理器をジャンク屋で買ったのだった。


「いただきまーす」

 ユリはおいしそうに携行食糧を食べる。

 マリがそれを調達するのにどれほどのゴミ山を巡り、どれほどの冷たい街を歩き、どれほどの暴漢の殴打を受けたのかをユリは知らない。

 知らせたくない。マリはそう思った。

 ユリはここで療養しているだけでいいのだ。もちろん、ここにいることが療養になるとは限らないし、むしろ肺の病は悪化しているのかもしれないけれど、しかしそれでもマリは、妹の為に働いているのだった。

 外に下ろされたのがマリひとりであったならば、彼女はとっくに命を絶っていただろう。

 ユリの笑顔を見て、今日もマリは自分が生きていることを実感したのだった。


 この世は、絶望的なまでに理不尽だ。

 ユリの寝顔を見ながら、マリは思う。


 マリは幼い頃、塔の最上層にある「救済の扉」を学校で見学したことを思い出した。

「この扉をくぐることで、非民たちは救済され、我が塔を支える仲間となって迎え入れられるのです」

 教師がそんなことを言っていたのを思い出した。

 周りの生徒達の反応は様々だった。扉に興味を示す者、塔の上層に住んでいる者でさえ滅多に見ることのない最上層の美しい眺めを堪能する者、友人との語らいに夢中で扉のことなどは露ほども興味がない者……だが皆一様に、最上等な素材の高級な服を着ていた。


 そんな彼らが「非民」と呼び蔑むような人々にすら蔑まされるような、ゴミを拾い集めて売るという商売をしている自分のことを、マリは受け入れつつあることに些か衝撃を受けた。

 多分彼らは、自分達の誰かがこのように塔の外に追い出され、その中でなんとしても生き延びているということを知らない、あるいは実感しないまま一生を終えるのだろう。それはとても幸せなことだ。

 そもそも、自分も「そちら側」であった人間なのだ。こうして「非民」にすら殴られ侮蔑の目で見られるような人間になり、それでも命を絶つことなく生き続けている。それは上層で暮らしていた頃のマリからは考えられなかった。


 マリ達の父親は、優秀な政治家だった。


 彼は、塔の社会に疑問を抱いていた。どうして住んでいる階層でここまで差別された世界が生まれるのか。もっと塔の下の方に住む人々を重用し、優秀な人材を集めれば、さらなる塔の発展ができるのではないかと考えていた。

 しかし、その考えが塔の執権者たちの反発を招いた。

 ユリが生まれてすぐ、マリの両親は謀反の罪に問われた。謀反の罪は裁判などなしに執権者が直接判決を下すことが出来る。いわゆる、「粛清」のための罪で、彼らはその犠牲になったのだ。

 はじめ、一家もろとも「死刑」となったのであるが、父親と親しい政治家たちが必死に減刑を請願した結果、幼い姉妹だけは「塔下ろしの刑」に減刑された。


 塔の外へ下ろされた日のことを、マリは鮮明に覚えている。言葉を話すこともままならないユリを連れて、執行を代行する政務官と共に、塔の最上層からエレベータでひたすら下っていく、あの気持ち悪い感覚。政務官の若い女性がこれからのことについて説明してくれたときの、凛としている中にどこか優しさを秘めたような声。

 彼女がマリを下ろしたあとエレベータに乗り、マリに別れを告げた後、ドアが閉まる刹那に見せたいたたまれない表情。

 それらを思い出して、マリは不思議な懐かしさを覚えた。

 あれからもうどれほど経ったのだろう。少なくともユリの成長から考えると、ずいぶん長く経っているはずだ。

 ユリはともかく、私もきっと、ここの生活の方が長いわね。

 マリはぽつんとそう呟いた。


「じゃあ、行ってくるから」

 朝、日の出と共に、マリは出かける。

「うん、いってらっしゃい」

 ユリの寝ぼけた微笑みが、マリを元気づけた。

 そうしてマリは今日もゴミの山へと出かけていく。


 昨日の酸性雨のせいか、朝日に照らされたゴミ山は強烈な腐卵臭と危険な刺激臭が立ちこめていた。マリは噎せながら、こういうときの為にジャンク屋で手に入れた簡易ガスマスクをかぶった。これで喉をやられることはなくなる。

 マリ以外にも同業者はたくさんおり、彼らと見つけたものを取引したりする事もあった。当然ながらそういった者達のなかで彼女は最年少であったので、いろいろと他の同業者とは違う取引がなされていた。

 マリは同業者の特徴を把握し、自分が最もよく稼げるように取引を工夫していった。

 坊主のお兄さんは強面だがアクセサリーを出すと多めに機械の部品のようなものをくれる、服がボロいおじいさんは気分屋で気分がいいとおまけしてくれるが機嫌が悪いと取引さえしてくれない、片目がふさがっている痩せたおじさんは金属に目がない、というように、マリは他の同業者の取引の特徴を正確にとらえ、同業者と一人前に取引をしている。

 それのおかげか、マリの収入は比較的安定してきていた。昨日は貴金属類が少し多かったので、たくさん携行食糧をもらえたが、いつもはもっと少ない。

 しかし、昨日は突然嵐がやってきたので金の指輪をすぐに売ってしまったが、実は同業者と取引をして機械の部品に換え、それをジャンク屋に売った方が多くの収入が得られたのだった。当然マリはそれをわかっている。

 だが、金の指輪をすぐに売らなければいけないほど、マリ達の食糧の在庫は逼迫していたのだ。それもこれも、最近変な同業者が増えてきて、マリの取り分が徐々に減ってきたせいだ。彼らは一様に黒い服を着て、価値や種類関係なく様々なものを拾っていく。同業者と取引する様子はない。取引を持ちかけた同業者が殺されたという噂もある。マリは不気味でならなかった。しかし、ここで暮らしていくためには、ゴミを漁る以外にマリたちにとっては方法がなかった。


 マリはゴミ山に潜り込んだ。

 昨日の雨の残りの酸が身体をじりじりと刺激する。

 だが、それでも構わなかった。強烈な酸の雨が降ろうと、送り出されるゴミの量と種類はほとんど変わらない。古いゴミはもう溶けてしまっているので、新しいゴミをいち早く獲得する必要がある。お互いの暮らしを知っている同業者ならばほんの少しだけ分け前をくれるだろうが、黒い収集者に大事な食糧のもとを奪われてしまえば、マリたち姉妹は満足に食べていくことさえできなくなる。それだけは絶対に避けたいことであった。ただでさえ妹の薬が底をつきそうなのに、ここで食糧に困るようなことがあってはならない。マリはそう思って懸命にゴミ山を漁り続けた。


 数時間ののち、マリは小さなダイヤのピアスと、何かの部品、大きなネジ、不思議な形の金属片を手に入れた。

 それを帰り際に出会った同業者と取引して、すべて機械の部品に交換してもらった。それをもう顔なじみになっているジャンク屋で貨幣に交換してもらった。


「お前、最近働きすぎなんじゃないのか?」

 ジャンク屋の青年はマリの少しやつれたような顔を見てそう言った。

「仕方ないじゃない。変な奴らがゴミを取っていくし、ユリはどんどん成長するんだもの。すこしくらい無理をしないとやっていけないわ」

「んなこと言ったって、お前がいなくなったら誰がユリの面倒を見るんだ? 稼ぐのに必死になるのは勝手だが、ほどほどにしとけ。それにユリがもう少し大きくなれば身体くらい売れ……」

 ジャンク屋の言葉が終わる前にマリは彼の頬をおもいっきり打った。

「最っ低!」

「ってーな! そんな怒ることねえだろ! だいいちそうでもしなきゃお前ら暮らしていけるわけがねえじゃねえか! ちったあ自分の身分考えやがれ!」

「ユリは……私が面倒を見るから!」

「はいはいわかった勝手にしろ。ただ……いいか? 俺はお前らの事情を知っていたとこで何か親身になったり、お前の持ってきたガラクタを高く買ったりとか、そういうことは一切しねえ。ここはそういう場所なんだ。わかったらとっとと出てけ」

 ジャンク屋は話はこれで終わりだというようにマリを手でおっぱらう。

「そんなこと、わかりきってるじゃない」

 マリは踵を返してジャンク屋を後にしようとする。

 と、そのとき、マリの背中に何かが投げつけられた。

「痛っ!」

 マリは振り返ってジャンク屋を睨みつけた。

「忘れもんだよ。そいつを拾ってとっとと帰んな」

 ジャンク屋はマリの近くに転がった自分の投げつけたものを指さしてそう言った。

「何よ! そういうのいらないって言ってるでしょ!」

「お前の忘れもんだよそいつは。わかったらとっとと帰れ」

 ジャンク屋の青年はそういうなりマリに背を向けて奥へと入ってしまった。

 マリは、彼が投げつけた銀貨を拾い上げる。

 それは、マリが売った機械の部品の総額のだいたい半分くらいの価値を持っていた。

「なんなのよあいつ……」

 マリは銀貨を自分のポケットにしまってジャンク屋を出た。


 マリが家に帰ってくると、見慣れない高級な封筒を持ったまま佇んでいるユリがいた。

 間違いない、塔からのものだ。

「それ、どうしたのよ!?」

「ん……なんか、真っ黒な服を着た人からもらった」

 真っ黒な服。

 マリはゴミ拾いの集団を想像した。しかし、彼らがこんな手紙をよこすとは思えない。おそらく全く別の人だろう。

「私、字が読めないし、おそらくこれ、お姉ちゃん宛てだよね? はい、どうぞ」

 ユリはマリに手紙を渡した。

 マリはおそるおそるその手紙を受け取る。

「とりあえず、ご飯にするわ。待ってて」

「はーい」

 といっても、携行食糧を自動調理器に入れるだけの非常に簡単な食事なのであるが。


 食事中も、マリはずっと手紙のことを考えていた。

 塔の上層から手紙が来るわけは、それほど多くない。確かにマリは元は塔に住んでいたのであるから、ほかのいわゆる「非民」よりはずっと塔の上層との接点はあるのであるが、それにしたって彼女たちは塔から下ろされた身なのである。連絡をとろうとする者など、いるとは思えない。

 いったい、誰が私にこんな手紙を。

 ユリが寝てしまった後、マリは恐る恐る手紙を開けた。

 ナイフ代わりに使っている尖った鉄片を封筒の端に押し当て、器用に封を開けると、中の便箋を取り出して、開いた。

 便箋には鮮やかな黒インクの活字が整然と並んでいた。

 それは、マリが思ったとおりの書状だった。


 「貴世帯を、『救済』の候補とします。代表者一名を『救済』の対象といたします。以下の日時に以下の場所にて代表者をお待ちしております」


 そこには、このように書かれており、その下には日付と場所が書いてあった。マリの家には暦がなく、マリは今日がどういう日付なのかわからなかったが、おそらくあと一週間ほど先だろうと予想した。明日あたり誰かに日付を聞けばいいとも思った。商人や労働者は日付を知らなければ仕事ができないので、彼らならば知っているはずであった。

 運命のいたずらか、まさか自分たちには来るはずのないと思っていた「救済」の書状が、ここに転がり込んできたのであった。

 しかし、たったひとつ、大きな問題があった。

 「救済」されるのは、マリたち姉妹のうちどちらかひとりだけである。これも教えてもらった通りだった。ふたりを同時に「救済」することはできないし、同じ家に2回以上「救済状」が来ることはあり得ない。


 つまり、マリかユリのどちらかは、取り残される。


 常々マリは考えていたことではあったが、いざこのように問題が眼前に迫っているとなると、やはり考え込んでしまう。

 妹のユリは十分に教育を受けないままここに下ろされてしまったので、文字も全く読めない。仮にユリがこれを見つけたとして、内容を知ることはないだろう。

 つまり、マリがこのまま黙って「救済」されてしまえば、ユリのことを忘れ、塔の中でのうのうと新しい暮らしができる。

 それは考えれば考えるほど、幸福だった。ユリという重い荷物を背負わずに生きていければ、どれほどまでに幸福な人生だろう。マリはそう思った。

 しかし、マリは考える。残されたユリはどうなるのだろうか、と。おそらく、残されたユリはなんとかして生きようと、マリですら始めなかった危険な商売に手を出してしまうかもしれない。身体の弱い彼女は、何者かに騙され、そういったことを強要させられるかもしれない。少なくとも、彼女が生きていくのにはこの世界は厳しすぎることは確かである。

 さらにマリは考える。自分は一体何の為に生きてきたのだろうかと。それはユリの為であった。マリ自身にとっては、命を絶つことなど造作もないことであった。しかし、幼いユリにそれを強要してはならない。そういう理由でマリは塔の外でもなんとかふたりで生きていこうとしたのである。マリがユリを見捨てるということは、それまで生きてきた自分をすべて否定することにつながる。まだ少女であるマリだが、今までの自分を否定しきれるほど柵を無視できる人間ではなかった。


 そんなことを考えていたら、空は明るくなっていた。

 マリは書状を封筒に入れ、その封筒を服入れの中に隠した。


 そして、次の朝はやってきた。

「お姉ちゃん、大丈夫? 寝てないみたいだけど?」

「大丈夫よ、少し、考えごとをしていたの」

「そうなの?」

 何も知らないユリの無垢な瞳が眩しく映った。

「そうよ。とにかく、今日も私は仕事だから、家でおとなしくしていなさいね」

「うん、わかった! いってらっしゃい!」

 こうしてマリはユリと調理した食糧を残してゴミ山に向かった。


 夕方、ゴミ山からありったけのものを拾ってきたマリは、帰り際に出会った同業者に部品と交換してもらい、ジャンク屋に向かった。

 ジャンク屋の青年は昨日と同じように無表情でマリを見下ろした。

「ねえ、今日って日付はいつ?」

「今日は丙の月、十五日だ。それがどうかしたか?」

 マリは少し焦った。書状に書いてあった日付は今日の真夜中だったのである。

「いや、気になっただけ」

 ジャンク屋に真意を悟られないように、マリは努めて平静を装った。

「ほう……」

 ジャンク屋は怪訝そうな顔をしながら、部品に値段を付けていく。

「なんか今日、稼ぎが少ないな」

 ジャンク屋は銅貨を数えながら言った。

「仕方ないじゃない、最近ゴミの質がよくないのよ」

「あとお前、なんかいつもよりせかせかしているな。いったいどうした?」

「うるさいわね、ほっといてよ」

 マリはジャンク屋を睨みつけた。

「ああ、わかったほっておくさ」

 ジャンク屋は対価の貨幣をぶっきらぼうに置いた。


「ひとつだけ言っておくが、部品の組立がしたくなったらいつでも俺のところに来い。みっちり仕込んでやるから」

「あんたの助けなんていらないわよ。私はゴミを拾って生きていくって決めたんだから」

「はいはい……」

 ジャンク屋の目が冷ややかにマリを見つめた。

 マリは黙ってジャンク屋を後にした。



 夜、ユリが寝てしまったのを確認すると、マリは服入れから書状の入った封筒を取り出した。

 ユリさえいなければ、私はもっと楽に暮らしていける。

 ユリさえいなければ、私は新しい生活を始められる。

 ユリさえいなければ、私は朝から晩まで働かなくて済む。

 ユリさえいなければ。

 ユリさえいなければ。

 ユリさえ。

 ユリさえ。

 いなければ。


 マリはゆっくりと目を閉じた。


 ユリを捨ててしまえば、自分は塔の中で新しい生活を始められるのだ。

 確かに、ユリを手放すことは、今までの自分を完全に否定するものである。しかし、どのみちこの書状が送られてきた時点で、ふたりは残念ながら離ればなれになるのである。

 この際、私がユリから「解放」されることで、私が「救済」されればいいのではないだろうか。

 きっと幼いユリのことだ、私がいなくても、きっと周りの人たちになんとかしてもらって生きていけるだろう。あれだけ可憐で、何もできないのだから、きっと私からは考えられない恵みを受けられるに違いない。

 むしろ、「救済」されるべきは私自身なのだ。

 そして、ユリの為に働いてきた今までの自分は、否定されて当然の存在なのである。なぜ、私が様々なものを犠牲にしてここまで働いているというのに、ユリはそれを享受するのが当たり前のような表情をしているのだろうか。


 ここで、私が「救済」されなくて、どうする。

 マリは、目をあけた。


 そして、書状を握りしめて立ち上がると、書いてある場所へ走り出した。


 塔の外の大通りは、薄暗い灯りで満ちていた。とても少女が出歩いていいようなところではない。

 その中を、マリは必死に駆けていく。

 ボロボロの靴がこれまでにない彼女の駆け足に驚いているかのように、ギリギリといやな音を立てた。

 目の前に大きな人影が現れ、マリはそれを避けきれずにぶつかってしまった。

「痛っ!」

 マリはぶつかった反動でしりもちをついてしまった。

 そして、彼女にぶつかった大きな人影を見上げた。

「お前、ゴミ拾いの!」

 ジャンク屋の青年はマリを見て目を見開いた。

「こんな夜に何してるんだよ。もしかして、夜も商売をするようになっちまったのか?」

「違うわよ!」

 マリは思わず叫んだ。

「とにかく、私急いでるの! ごめんね!」

 マリはジャンク屋にお詫びも言わず走り抜けようとした。

「おいちょっと待て! どこに行くんだ!」

 ジャンク屋は声を張り上げた。

「わかったよ! お前がどこへ行こうが勝手だ!」

 ジャンク屋の声が近くから聞こえた。

 思わずマリは振り返った。

「ちょっと! 何よ!」

 なんと、ジャンク屋の青年はマリについて走っていた。

「だがな! いいか! お前が居なければユリは生きていけないんだ! お前は! 人を! 背負っているんだ!」

 そのジャンク屋の言葉に、マリははっとして足を止めた。

「ユリはな、お前が思っている以上に、弱い。お前はもっと、そこを考えた方がいい」

「あんたに何がわかんのよ!」

 マリはジャンク屋に向かって怒鳴った。

「俺は何も知らないさ。ただ、最近のお前はなんか、余計なことを考え過ぎていて、大事なことが見えなくなっている気がするんだよ、俺には」

 ジャンク屋はどこか悲しげに言った。

 ふとマリの脳裏にユリの笑顔が浮かんだ。

 そうだ、この笑顔の為に、私は生きていたのだった。

 ユリの笑顔をたやさないように、私は生きなくてはならない。

 そうするためには、やるべきことはただひとつだ。

「大事なものはちゃんと見ろ。目の前のことにとらわれるな。そしてもう遅いから早く寝ろ。じゃあな」

 ジャンク屋はそう言い捨ててその場を去った。

「ねえ」

 マリは彼の大きな背中に声をかけた。

「なんだ、まだあるのか」

 ジャンク屋は気だるげに振り返った。

「ありがとう」

 マリはジャンク屋を見上げてそう言った。

「おう、気をつけて帰れよ」

「うん」


 マリは走り出した。


 約束の時間までは、あまり長くはない。

 できる限り全力で家まで戻った。

 家に戻ったマリは、ユリを起こした。

「お姉ちゃん、どうしたの?」

 寝ぼけまなこのユリを連れて、マリは再び走った。

 約束の場所へ、マリは何もわからぬユリを連れて急いだ。

 そして約束の時間に、約束の場所へとマリたちはやってきた。

 それは、マリたちが塔の外に下ろされる時に使われたエレベータの前だった。

「お待ちしておりました。少し遅かったですね」

 真っ黒なスーツを来た男が、そこに立っていた。

「申し訳ありません、少し、手間がかかってしまいました」

「そのようですね、あなた様はずいぶん悩んでおられましたから」

 非人間的なまでに整っている男の顔が、マリに向けられる。その柔らかな物腰を彷彿とさせる口調とは裏腹に、彼の表情はぴくりとも動かない。

「やはり、私たちは『観られて』いましたか」

 マリはうつむいた。

「ええ。『救済』の対象候補者はそのようにするのが決まりですので。てっきり、あなた様おひとりで来られるかと思ったのですが」

「はい、思い直しました。私よりも、ユリを『救済』してほしいと思いましたので」

「『救済』?」

 ユリは首を傾げた。

「ユリ、あなたは『救済』されるのよ。塔の中で新しい生活ができるの?」

「お姉ちゃんと一緒?」

「ううん、けれど、もうあなたは薬やお金に困ることはないわ。……そうですよね?」

 マリはスーツの男に訊ねた。

「ええ、ユリさんが『救済』されれば、そのようになりますが」

 スーツの男はそう答えた。

「では、彼女を『救済』して下さい」

 マリは、しっかりとスーツの男を見つめ、そう言った。

「いやだ、私お姉ちゃんと一緒がいい!」

 ユリは目に涙を浮かべた。

「でも、ユリ。あなたは幸せになるの。私、ユリが幸せでいてくれるなら……ここでも頑張っていけるから……」

 マリもつられて涙を流した。

「よろしいですか?」

 スーツの男は慇懃に、しかし冷淡に言った。

「はい、ユリを、お願いします」

「しかし、もうあなた様は今後一切『救済』されないですが、それでよろしいのですね?」

「はい」

「かしこまりました、ユリ様、こちらへどうぞ」

 スーツの男は、マリに向かって丁寧にお辞儀をすると、ユリを自分のもとへ来るように促した。

 ユリは、時々マリの方を振り返りながら、ゆっくりと塔のエレベータの方へ近づいた。

 エレベータの扉が開く。

 その白い光は、マリが昔目にしたものと同じだった。

 このエレベータは、塔の最上層に直接つながっていることを知っているのは、おそらくこの塔の外ではマリしかいないだろう。

 ユリはスーツの男に連れられて、エレベータに乗った。

 その両目からは、幾筋もの涙がつたっている。

 そうして間もなく、扉は閉ざされた。



 それが、マリの見た最後のユリの姿だった。


 そうしてユリは、「救済」されることになった。



 翌日、塔の最上層では、「救済の儀」が行われた。位の高そうな僧侶が、不思議な形の首飾りを掲げ、「救済の門」を開いた。

 ユリは、舟の形をした乗り物に乗せられていた。

 「救済の門」は、真っ白に光り輝いている。

 僧侶がまず門に祈りを捧げ、そしてユリと舟に祈りを捧げた。

 そして舟がゆっくりと動き始める。

 舟が門に飲み込まれると、僧侶はゆっくりと首飾りを掲げ、その門を閉じた。

 その瞬間、塔の天辺が震え始めた。やがて天辺の玉のような飾りが紅く光り輝き、煙を放った。

 何かが焼けたような匂いが、辺りに立ちこめた。

 それを全て見届けて、僧侶は言った。

「少女は『救済』され、我らを支える源となった。感謝の鐘を鳴らしなさい」

 僧侶に言われ、その弟子が近くの鐘楼に走った。



「いらっしゃ……なんだてめえか」

 それと同じ頃、ジャンク屋の青年は、黒いスーツを着たどこか人間味を失っている男を見てあからさまに厭な顔をした。

「塔の最上層の人間に向かって最下層民以下の人間が『なんだ』とは、とんだご挨拶だな、テリー」

「うるせえな。仕事なんだから仕方ねえだろ。で、今日はなんの用事ですかね、政府高官のアルフレッド先生?」

 ジャンク屋のテリーは、政府の高官アルフレッドを見下ろしながらそう言った。

「まあそう皮肉を言うな。例の『救済』された少女の姉……たしか……」

「ああ、マリのことか。あいつは元気だよ。今もゴミ山で仕事に精を出している」

 テリーはアルフレッドに快活に答えた。

「そうか。ならばよかった」

「ちっともそう思ってねえくせに」

「いや、そうでもない。どんな人間であれ、私は元気に生きていて欲しいと願っているからな」

「ほう、『塔』の『管理者』が博愛主義者気取りとは、笑えねえな」

 テリーは渋い顔をした。

「何とでも言え。好きこのんでこの場所に下りるお前の気持ちが私にわからないのと同じように、私の気持ちなんてお前にはわからないだろうからな」

 アルフレッドは肩をすくめた。

「ああ、全くもってその通りだな。そんでもって、」

『わかりたくもない』

 ふたりの言葉が重なった。

 そして彼らは同じように皮肉げに微笑を浮かべた。

「なあ、テリー、マリはここに下ろされる前、どんな教育を受けていたんだ?」

「なんでそれを聞くんだ?」

 テリーは怪訝そうな顔をする。

「後学の為だ」

「後学、ねえ。えっと……おお、最高レベルの教育だな、これは。階層的にも進度的にも。そりゃあんなに小さいのにしっかりしてるはずだわ」

 テリーはマリの個人データを見て驚嘆した。

「なるほど、そういうことか」

「なんか納得したのか。そりゃよかったな。まあでも、こんなに高級な教育を受けていても、『救済』をちゃんと文字通りに信じちまうあたり、やっぱりなんというか、かわいいよな」

 テリーはマリの個人データを元の場所に戻しながらそう言った。

「ほう、お前の好みって変わってるな。あんな醜女ぶす、俺は金輪際ごめんだ」

「なんとでも言えよ。人の好みくらい好きにさせろ」

「まさか、あの夜彼女にぶつかってもっともな講釈をたれたのは……お前……」

 アルフレッドは信じられないといった面持ちでテリーを見た。

「いいから黙れ! その話はするな!」

 テリーはつっけんどんにそう言った。

 場に気まずい静寂が流れる。

「しかし、彼女が『救済』の真実を知ったら、どうなるだろうな。あれだけ気が強い女だ、狂気にとらわれたあげく首をくくってしまうだろうか……」

「いや、あいつは多分、真実を知ったところで、この塔の下で真面目に働くだろうよ」

 テリーはジャンク屋の外をぼんやりと見ながら言った。

「ほう、なぜそんなことが言える?」

「いや、根拠はねえよ。ただの勘だ」

「ふむ。まあ、なんでもいいがとりあえず、私はこれで帰るよ」

 アルフレッドはたるんだスーツのジャケットをびしっと伸ばして、ジャンク屋を去ろうとした。

「あ、そうそう」

 そして思い出したように振り返ると、

「まあお前のことだからやらないだろうが、『救済』の真実を漏らすんじゃないぞ。その途端に、俺もお前も首が飛ぶ。比喩じゃなしにな」

 と言った。

「わかってるよ」

「ならいい」

 アルフレッドはそのまま去っていった。



「言えるわけねえだろ、あいつに。『塔を動かすエネルギー源に選ばれる』ことが『救済』の本当の意味だなんて……」

 アルフレッドが見えなくなってから、テリーは悲しそうにそうつぶやいた。



 そして、ユリの「救済」を知らせる鐘が鳴った。

「やっぱり、俺はあんな、人の命を食って生きているような塔には住みたくねえな……ここの方が数倍マシだ」

 テリーは誰もいない空間に、そうぼやいた。




 鐘の音は、塔全体に鳴り響く。


 そして、塔の外にも鳴り響いた。



 それは、ゴミ山にいるマリにも届いた。

「ああ……ユリ。『救済』されたのね……」

 マリは塔の天辺へ祈りを捧げた。

 ユリの笑顔が、マリの脳裏によみがえった。

 それだけで、マリは生き続けようという強い意志が沸き上がった。

 たとえ、もう二度とユリに会えないとしても、ユリがそう願うのならば。

 マリは、そうしてこの世界で生きていくことを決めたのだった。その胸には後悔など、微塵もない。


「私も、頑張らないと」


 マリはそう言って、ゴミ山に潜りこんだ。

 その姿を見届けるようにして、鐘の音は鳴りやみ、辺りは再び日常の音に包まれた。

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