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 読んでいただければおわかりであるが、前掲した「群青」はストーリーがあるようにみせかけてないという、ぼくのある種の悪癖がよくでている。当時聞いていた椿屋四重奏の同名曲からイメージを得たこの小説は、「銃砲×少女」アンソロジーに寄稿した。この小説のメインテーマであり作中でも繰り返されている「時すでに遅し」というフレーズは当該楽曲のパンチラインとしてやはり印象的に繰り返されている。

 非現実的な分野でも「群青」や「In new Heaven」に見られるように、ストーリーよりも風景だとか、世界観をより多く語る傾向にあるが、これが現実を舞台にするとさらに強化される。前章の「ルビーの指環」はその極致であるともいえるだろう。つまり、もともとの手癖として、ストーリーを書きたがらない癖というのが確かに存在しているし、それは変えようと思って変えられるようなたぐいのものでもないのである。

 とはいっても、ストーリーを主軸にしたものが全く書けない、というわけでもない。実際、学生時代はストーリーに凝っていたような時期もあったし、しっかりとプロットを組み立てればそれが可能であることは自分でも理解している。事実、「V ~requiem~」はそうしてしっかりとプロットを書き出して場面ごとの概要からミッドポイントの作成など、「ハリウッド式脚本術」を参考にした初めての完成作品である。

 ここでは、当時知り合った漫画研究部の同期が学祭の朝方、徹夜したハイな状態でぼくに話しかけてきたときのプロットをもとにした、当時のひざのうらはやお代表作にして、何度もリライトしているSF作品「カネノネ」を、あえて原典で掲載したい。なお、原典は既に紙による頒布作品にはなく、「まんまるくろにくる」に当該作品の当時の最新版が掲載されているのみである。

 原典からもう十年になるので、非常に稚拙な部分が多々あるのだが、これがぼく以外の人間のそれなりに組まれたプロットを軸にしているのはここまでの作品をお読みになったみなさんにはおわかりになることであろう。すなわち、ぼくにはしっかりとしたプロットを練る力と、プロットどおりに書く力の両方が不足しているし、これを補完するだけののびしろを恐らく持ち合わせていない。けれど、それを書きたいとは、もう思わなくなってしまった。それがこの後の章につながっていくぼくの心境変化である。

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