【短編】In New Heaven (from 空アンソロジー am )

 夜の間は少しだけ、身体が軽くなる。

 子供の頃はそれが嘘だと思っていたけれど、理屈を知っている今となっては何も疑問に思わない。意識の底、知識の檻にそういった類のものは押し込められているのだ。冷たい雲に覆われた地上は、僕が生まれてからもずっと灰色に包まれたままだ。

 濁った地上を再び見通せるようになるまで、僕らは空の中にぼっかりとに浮いた島で生き続けるしかない。星が砕け星屑と塵に分かれてこの地球に降り注いだとしても、僕らが地上に降りられるようになるかどうかはわからない。

 この島のことを僕らは「新天ニュー・ヘヴン」と呼ぶ。誰かがそう名付けてから、どれくらいの時が経ったのか知るものはそれほど多くないだろう。僕だって知らない。

 ごおん、ごおん、と柱時計が定時を告げた。祖父が造った、僕の身長を遥かに越えるほどの柱時計は、すべてが機械式でありながら、閏時や閏日にも対応した旧歴式――地上の暦をもとに、四新天日をひとまとめにする方式――の古めかしい時計で、これを修理できるのは新天では父だけだろう。

 僕は部屋の外に出ると、少し大きめの鞄に大きな石を詰めて、いつもと同じようにベッドで天井を見つめ続ける父に外出する旨を伝えた。父は短く、

「ああ」

 とだけ返事をしている。もう、この状態になってからどれくらい経っただろうか。それすらも忘れてしまった。

 表に出ると、雨が降っていた。今は第三期の一時だから、この雨は地上から降り注いでいることになる。新天が持つ重力と地球が持つ重力が干渉しあうために、新天より低い高度にある雲が引き寄せられ雨となるのだ。

 地上の雨は汚れているという。僕は外套の襟を立てて傘をさした。汚れた雨粒がばらばらと透明なビニル傘にあたり、濁った灰色の滴が糸のように伸びて落ちていく。ほんの少し場所が違えば、この雨粒は地球に向かって落ちていたのだろうと考えるとどこか不思議な気分になる。

「ハクア」

 不意に後ろから名前を呼ばれて、僕は戸惑いながら振り向いた。

 セイジは華奢な身体を思い切り伸ばして、僕に手を振っている。

「どこ行くの?」

「ちょっとそこまで」

「じゃあ、私も一緒にいくね」

 彼女は薄い青色の髪をふわり、と跳ねさせながら、僕に駆け寄る。その傘は、薄桃色の半透明の布で出来ていて日傘も兼ねている。

「セイジはどこかに出かけるの?」

「まあね」

 僕より少しだけ背の高い彼女の毛先がちらちらと揺れるのが少し気になった。雨が降っているせいだろう、まとまりが悪いのは。

 地雨――地球からの雨は、少しだけ不思議な匂いがする。土のような匂いに混じって、鉄が錆びたような匂いが少しだけ上乗せされるのだ。それだけ、地上には金属がたくさんあったのだろう。

 僕らは住宅区画の路地を抜けて、商業区画へと進む。区画を隔てるトンネルを通るのは少し怖い。視覚が文字で埋め尽くされて、認証完了の文字が視界の端に写る、この一連の感覚が、わけのわからないものに監視されているような気がするのだ。

 一度それをセイジに言ったら、彼女は監視ではなくて見守りなのだと返した。僕たちが安全に暮らすことが出来るようにしているシステムのひとつだと思っているし、おそらく、ほとんどの人がそう考えているのかもしれなかった。

「考えすぎだよ、お役人さんがいちいち、私たちを監視している暇なんてないよ」

 セイジは屈託なく笑った。そよ風に揺れる薄い青色は、昔の言葉では「空色」、スカイブルーと呼ばれていたらしい。今となっては空石(スカイストーン)の中にしかその色は残っていないけれど、僕は彼女の髪の色が好きだった。空石のようだとは、決して思っていない。

 認証トンネルをくぐり抜けると、大きなドームに囲われた、雨も吹き込まない区画に、僕らは迎え入れられる。けれど、僕はそこに用があるわけではなかった。確かに商業区画に用があるからトンネルをくぐったのだけれど、管理の行き届いた場所だけで生活できるほど、新天の規模は小さくなんかない。

 ドームの壁を見ながら、慎重に歩みを進めていく。白ちゃけた灰色の軽金属で出来た隔壁は僕らを拒絶するように、住宅区画と商業区画とを隔て、右手を塞ぎ続けている。視界のかなり向こうに、小さく、けれど確実に壁の色が明るく変わっている部分がある。

「そう言えば、ハクアは空葬屋さんだったね」

 セイジが思い出したようにそんなことを言ったのは、僕がこの稼業を始めて、まだそれほどの時間が経っていないことを示していた。なろうと思ってなったわけではない、なるしかなかった職業だ。思い入れはないけれど、技術なら金を稼げる程度にはあるだろう。

 空石はきちんとした商業区画で仕入れようとすると非常に高い。管理された区域でしか生産できないことになっているからだ。けれど、そんな石を使って空葬ができるのはごく一部の限られた人間だけだった。

 だから僕は、商業区画と住宅区画に挟まれた、誰のものでもない場所で、自然の空石を拾っている。ここは、工場で生産されているものほど高品質ではないけれど、僕が仕事をするには十分なだけの空石が、いくらでもあるのだ。

「ここって、来て大丈夫なの?」

「厳密には、来てはいけない場所じゃないかな」

「じゃあ、見つかったら危ないんじゃない?」

「セイジ、見つからないことの方がずっと危ないんだよ」

 誰にも見つからなくなってしまったら、本当に危機に瀕したときに助けを求められなくなってしまう。僕は何度か経験していた。

 けれどセイジはきょとんとした顔をしている。とても幸せなことに、そういった場面に遭遇したことがないのだろう。出来ることなら、そのままの人生を歩んでくれればいいのだけれど。

 かつん、と覚えのある感触が靴に当たった。足下には、セイジの髪よりほんの少し薄い蒼を秘めた、きらきらとした石が落ちている。ここで採れるもののうちでは、質がいい方だ。

「こんなふうに、地面から空石が湧いてくるんだ」

「それ、勝手に採っていいの?」

 セイジの怪訝そうな目は、僕たちの世界の間に引かれている見えない線を見ているかのようだった。

「僕が採らなければ同業者の誰かが採るし、誰も採らなきゃこいつは空に放り出されて消えてしまうよ。だったら、僕が使った方がいいだろう?」

 僕の言葉も、うまく通じていないみたい。僕とセイジは日本語で話しているはずなのに、こうしてたまに、お互いがわからなくなることがある。もう、仕方がないのかもしれない。公用語で話していた頃には戻れないのだから。

「空葬屋って、結構危ない職業なんだね」

「僕に限らず、ここで暮らす人たちは、お役人でない限りはだいたい危ない仕事だよ」

「そうかなあ」

 セイジはいつものように首を傾げた。彼女の両親は区役所で働いているし、祖父に至っては区長を務めていたこともあるそうだ。つまり、彼女は安全と安心に囲まれて育った。祖父から受け継いだ時計屋を父の代で廃業せざるを得なくなり、父が副業で仕方なく始めた空葬屋一本で生き延びなくてはならなくなった僕とはそこが大きく異なるし、その違いはお互いわかっているつもりだ。

 新天では、そもそも資源が限られている。出来る限り、空や地球に奪われないように、新天の中で資源を上手く回せるように、ゴミのひとつに至るまで有効活用される取り組みがなされている。だから、資源は政府を中心に厳しく管理されている。それこそ、本当は空石を拾ったことがばれてしまえば懲役すらあり得るくらいのそこそこ重い罪だ。けれど、管理市場の空石だけを使うには、最近あまりにも死人が多すぎるし、商売もできない。

 ここ数週間、風邪のような流行り病が、この小さな空間を駆けめぐっているのだ。

 だから。

「お、ハクア」

 後ろから聞き覚えのある訛りの公用語が聞こえてきた。

「プミポン」

 隣接した区画の同業者も、当然僕と同じような空石不足になっているわけで。

 身体を向けた先には、剃り上げた頭がきれいな楕円形を描いた、ぎらつく目が印象的な強面の男が立っている。とは言っても、ひょろりとした長身で、そんなに強そうには見えない。

「お前も知っていたのか、この不思議な区画を」

 プミポンはニヤニヤしながら湧いてきた空石を見もせずに袋に詰めていく。既に袋には重りが入れられていて、不用意に浮かばないようにしていることから、ふらりとここに立ち寄ったわけではなさそうだ。

「ここは空葬屋にとっては天国と同じだからね」

 僕は日本語訛りの公用語で、それらしい軽口を言ってみる。

「はは、ジョークが上手くなったな、ハクア」

 プミポンはジョークが好きなのだ。多分、僕がセイジを連れてきたことにあまりいい感情を抱いていないだろうから、その代わり彼に好きに空石を採らせておこうと思った。

 セイジは黙り込んでいる。関係ないとでも思っているのだろう。まあ、違う区に住んでいるし確かに関係ないのだろうけれど。

「しかし、こうたくさん死なれると参っちまうな。ついに石が尽きたよ」

「それだけ仕事をしているのなら、ちゃんとした石を買えばいいでしょ」

「馬鹿野郎、満足な葬式代なんざ誰も出さねえんだぞ、そんなことできるか」

 彼は確かに仕事に必死になっているように見えた。彼は元々僧侶の家で、それがもとで空葬屋を営んでいる。だから代金も業界の中では安いし、葬式代を出せない人間を放ってはおけないのだろう。

「じゃあ、好きなだけ採っていきなよ。僕は後から採るからさ」

「おう、お前、急いでないみたいだし、そうさせて貰うぜ」

 そそくさと空色の石を拾い上げて、彼は大きくなって浮かびそうになった袋をさげて立ち上がった。

「お前も早いところ出た方がいいぜ。取り締まりだってきつくなってんだろうし」

「大丈夫、僕のところはそんなに依頼が来ないから」

「まだ流行り病が来てないんだな。気楽でいいや」

 そんな捨てぜりふを残してプミポンは立ち去った。

「怖い人」

 セイジは小さくそうつぶやいた。

 僕は黙って、少しくすんだ質の悪い空石を拾い集めた。石を入れて重くしていた鞄が徐々に軽くなっていく。しかし、浮かせてはいけない。そんなことをすれば空石を運んでいると大声で知らせ回っているようなものだ。たちまち何者かに見つかってしまう。それではまずいのだ。

「じゃ、行こうか」

 いつの間にか地雨が止んでいたことに、僕は今初めて気づいた。

 セイジは居住区画に帰るまで、ずっと黙ったままだった。僕も言葉を発さなかった。その沈黙に気まずさはないけれど、かといって僕らはまったく緊張していないわけではなかった。

「じゃ、またね」

「うん」

「あんまり危ないこと、しないでね」

 セイジは「危ないこと」を強調してそんなことを言う。彼女にとって生きることは「危ないこと」ではないのだ。僕はそれをよく知っている。だって彼女は、生まれたときから安全と安心に守られているのだから。僕は、そんなセイジをとても綺麗だと思っている。

 セイジが僕をどう思っているのかは、聞いたことがないのでわからない。

 言葉を発さなくなってしまった父の横を通り過ぎ、僕は倉庫として使っている狭い部屋に入った。ここはもともと祖父の部屋だった。死んでからしばらくして、父が倉庫に使い始めたのだ。元々機械の部品や空石がいろいろなところに納められていたから、都合がよかったのだろう。父が使い始めなければ、やがて僕が倉庫として使っていたかもしれなかったし、どちらにしても今となっては同じことだ。

 鞄を開くと、くすんだ蒼をたたえた空石が、ゆらゆらと飛び出して、天井にぷかりと浮かんだ。プミポンに譲ったぶん、質はだいぶ悪いが、今週の依頼にはなんとか対応できそうだった。少なくとも、明日の葬儀には間に合うはずだ。

 僕は倉庫のあちこちから、木片や金属片を拾い集めて、ようやくこども一人が入れるほどの大きさの、箱を作った。重心を計算しながら、空石を採石機で量り、ゆっくりと、バランスをとって浮かんでいくように箱の中に埋め込んだ。そのままだと天井に浮いたままなので、鉄板で重くした台車にくくりつける。

 あとは、明日やればいいだろう。

 そう思って、父の様子も見ないで僕は部屋に帰った。


 弔われるのは、ある貧しい家のこどもだった。だから僕は最低限の報酬で、彼を空に葬らなくてはならなかった。

 箱の中に遺体をいれ、わずかなみすぼらしい紙束が投げ入れられる。彼は天に召されるから、本当は白鳥の羽を入れる必要があるのだけれど、仕入れるすべもお金も、僕以外は誰も持っていなかった。だから僕は、せめてもの救いとして、紙で羽を作った。

 棺にかろうじて目を向けている彼の両親は――最初にメッセージを送ってきた時から、ほとんどすべてを区役所の自動手続きサービスに任せてしまっていたので、実際に顔を合わせたのは今日が初めてだったけれど――悲しんでいることも、それどころか自分たちのこどもが天に召されることもわかっていないようなまったくの無表情で、生きているという印象がない。急に家に残してきた父を思い出した。そういえば、このふたりは父と同じように虚ろな表情をしている。もしかすると、このふたりも、父と同じなのかもしれない。

 僕はお悔やみの言葉と、彼を天に送る言葉を述べた。それは古くは呪文と呼ばれる類のものであったそうで、今でもこのような形で残されていた。人間の生活が空へと移った後でも、その営みの中で葬式がまだまだ大事なところにあるのだ。だから僕はこうして今日まで生活できている。誰かが常に死んでくれるおかげで、僕はどうにか生きることができるのだ。彼らに感謝するしかない。

 僕は最後に身体を折るように屈めて、祈りの言葉を述べた。それと同時に、台車から拘束が解き放たれ、棺が灰色の空へと浮かび上がる。ゆっくり、ゆっくりと、けれど確実に速度を上げて遠ざかっていく棺を見守りながら、区民斎場は静寂に包まれる。誰かのすすり泣く声すらも聞こえない、少し変わった葬儀だった。


 片づけがすべて終わり、取引が終了すると、両親は深々と頭を下げた。僕はずっと公用語を使っていたけれど、日本語で話しかけたら、もう少しだけ彼らのことを理解できたのかもしれない。

 もっとも、彼らが日本語を話せるかどうかは結局わからずじまいだったのだけれど。

 灰色の空が徐々に黒みを帯び始めたのがわかった。もうすぐ、本物の雨が降るだろう。

 そう思って、持ってきていた傘を差そうとしたときだった。

 警備巡回車が慌ただしく横を抜けていった。真っ赤な車体は、それが火急の用件であることを示している。おそらく事件か重大な事故のどちらかだ。死者が出るくらいのおおごとでなければ、赤い車は出てこない。


「家に泥棒が入ったの」

 セイジは、悲しそうな顔をしてそう言った。葬儀が終わった後、二回目の夜になって、彼女が僕の家を訪ねてきたのだ。

「とても怖かった」

「それは、そうだろうね」

 区役所の犯罪管理が強化されたからといって、犯罪がなくなるわけではないし、むしろ、流行り病が増えてから、空き巣や忍び込みは増えたような気がする。だが、セイジに話を聞くと、どうやら強盗のようだ。

「お父さんが、泥棒を取り押さえて、警察を呼んで……そしたら」

 彼女は今にも泣き出しそうだったが、僕としてはいまひとつ、なぜそれを僕に話そうとしたのかがわからず、ただ話を聞くことしかできない。

「泥棒が、舌を噛んで……自殺したの」

 セイジはそれを目の前で見ていたという。

 僕はなぜかその情景が目に浮かんだ。覆面をした泥棒の口から大量の血が溢れ、彼はそのまま倒れ込む。拘束され、血を流して倒れる泥棒、そしてそれを黙ってみているセイジと、取り押さえた父親、というひどくシンプルな画。

 かわいそうだな、と思った。

「どちらにせよ、強盗犯は地球落としの刑だから、自殺を選んだんだろうね」

 どっちがいいか、僕にはよくわからなかった。

「ハクアに、葬ってほしいなって」

 セイジは、泣きながらそう言った。

 刑罰対象者葬儀料は、僕が申請すれば受け取れることになっているそうだ。さすがは役人の娘で、そういう仕事は早いし正確だった。

 僕は、彼女の家まで出向き、泥棒の遺体を引き取り、即席で作った棺に入れた。

 夜が明けないうちに。

 重たい台車を引きずりながら、僕は区民斎場の黒い扉を開け、棺を射出機に入れる。火薬料や賃料も全額補助されているので問題がない。あとは、射出ボタンを押して、泥棒だった彼を地球に撃ち込むだけだ。

「ボタンは、君が押したら?」

 なんとなく、自分で押したくなくてセイジにそう言った。

「君の家に来た泥棒だし」

「それでいいのかな?」

「この部屋には僕と君と彼しかいないから、いいんじゃないかな」

「うん、じゃあ、やってみる」

 薄い青の髪が縦に小さく揺れた。

 射出ボタンが押されると、ものすごい火薬の臭いと爆発音がして、彼は新天から旅立っていった。普通の死者と異なるのは、今が絶対に葬儀をしない時間帯で、彼は地球に向かっているということだけだろう。

「よかった」

 セイジが膝から崩れ落ちそうになったので、僕はあわてて彼女の身体を支えた。

「ありがとう」

 礼を言われるようなことはしていない。彼女の身に小さな傷ひとつでもついたら、僕は文字通り、生き続けることが出来なくなってしまうからだ。

「とにかく、今日はもう遅いから、家まで送るよ」

「うん、ありがとう」

 セイジは優しく微笑んだ。僕はなぜかその微笑みに暖かさを感じなかった。


 セイジを家まで送り届け、自宅に戻ると、雨が降ってきた。時間的に地雨だろう。僕は急いで窓を閉めようと、家の広間まで向かって驚いた。

 父が、大時計の文字盤にある穴に両手を差し込んでいた。

「ハクア、仕事か」

「うん、犯罪人の葬儀」

「そうか。そうだな」

 父との会話らしい会話を、僕は何か月かぶりにしたような気がする。

「何してるの?」

「時計が壊れた。これを直さないと、地球に戻れなくなる」

 父はおぼつかない手で、文字盤の奥の歯車をのぞき込みながら、何かを探している。

「部品が壊れちゃったのかな」

 祖父はいくつか換えの部品を残していた。部品が壊れただけだったら、すぐに直せるかもしれなかった。

「わからん。ただ、これがないと地球には戻れないんだ」

 父は熱に浮かされたように、同じことを繰り返した。

「地球に帰りたいの?」

 僕が訊くと、

「当たり前だろ! こんな偽物の、機械仕掛けの街なんざ、所詮張りぼてにしかすぎないんだから」

 と、少し興奮してまくし立てるように怒り始めた。

「お前はここで生まれたんだったな。だから知らんだろうが、この街はもともと犯罪者の集まりで作られたところなんだ。新天ニュー・ヘヴンだなんて、笑わせる」

「じゃあ、おじいちゃんも……」

「ああ、親父は麻薬の製造の疑いをかけられて新天送り――って昔は言ってたんだ――になった。家族諸共な。だから俺も無理矢理連れて行かれた」

「でも、そんなことひと言も」

 祖父はとても、犯罪をおかすような人間に思えない。父の言葉の方が間違っているのだろう。

「ああ、親父はそんなもん作ってねえ。それは間違いねえよ。きっと虫の居所の悪い役人に妙な喧嘩でもふっかけたんだ。だから濡れ衣とこじつけで、俺たちは新天送りになった」

 これ以上父の言葉を聞きたくなくて、僕は倉庫に潜り込んだ。

 残った歯車はそれほど多くなかった。両手に収まるくらいの小さな箱に、大小さまざまな歯車やバネが詰め込まれている。箱ごと持って行くと、父は部品だらけの箱の中からひょい、とひとつの歯車を出して、笑みを浮かべた。

「こいつだ。これをこうして……」

 父は、ふらふらと頼りない手で歯車を時計の中にはめ込んだ。途端に、がちゃり、という音がして、時計はゆっくりと動き出した。

 短針と長針がそれぞれ、反対方向に動き始め、ほんの少し目を離した隙に時計は元の正しい時刻を刻んでいた。

「直った」

 父はひとこと、それだけをつぶやくと、ふらりと倒れ込んで、そのまま動かなくなった。

 それ以降父は意識を取り戻すことなく、数日間眠り続け、そのまま静かに息を引き取った。


 僕は父の作った棺を抱えて、まだ暗い朝に、区民斎場の無人の扉を開いた。黒い扉を開いて、誰もいない部屋に、棺を担ぎこんだ。葬儀の申請をしていないから職員は誰もいない。その方が都合がいい。

 この前くすねておいた火薬を、射出機にセットして、棺を置いた。

「やっと還れるよ」

 僕はそう言って射出ボタンを押す。点火された火薬が、父を、棺を新天から引き離していく。向かう先は、彼が恋いこがれていた母なる地球だ。

 せめてもの、親孝行だった。

 空に消えていく父を見送りながら、僕はゆっくりと手を振った。

 ぱらぱらと、灰色の雨が降り始めていた。

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