第38話 思いは各々、戦いは続く(その1)
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
肩で息をしながら伊澄は泥まみれの脚を止めた。
立ち止まったのは森の奥にある少し拓けた場所だ。雨で濡れた邪魔な前髪をかき上げ、悲しげな空模様を睨む。灰に混じって白い光とともに多くのノイエ・ヴェルトが飛び交っていた。
その視界に一機のノイエ・ヴェルトが入ってくる。左右や上下に何度もふらつきながら低空を飛行し、時折木の先端に脚をぶつけていく。それでもエーテリアは、地響きを上げながら倒れるようにしてその黒い体を伊澄の目の前に横たえた。
「クーゲルさんっ!」
顔に跳ねた泥を拭い、伊澄はすぐに機体に駆け寄った。左脚の内側にある開閉スイッチを押すとコクピットの入り口部が上下に開く。中から震えた腕が伸び、何とか縁を掴むと乱れた長い金髪が覗いた。
「いず、み……」
「っ……! クーゲルさん……っ! 大丈夫ですかっ!?」
クーゲルは血に濡れた顔を伊澄に向けると安心して力が抜けたか、その体が崩れ落ちた。伊澄は慌てて彼を受け止め、支えながら雨の当たらない木陰へ連れていく。
「わりぃな……」
「いいんですよ。それより大丈夫ですか? 何処か怪我は――」
「怪我らしい怪我はねぇからそんなに心配すんなって。まあ……こんなナリで言っても信憑性ねぇけどな」
「なら良かったですけど……でもどうしてこんな?」
「へへ、ちょっと……まあ、なんだ、新しいシステムと反りが合わなくってな」
「もしかして思考リンクシステムのことですか? あれだけのデータが勝手に送られてくるのは確かに脳にとってキツイかもしれないですもんね」
人間の体に得体のしれないものを差し込んで無理やり頭にデータを流し込むのだ。伊澄は
伊澄は何気なく感想を口にしたのだが、クーゲルは汚れた顔をしかめ、頭に浮かんだものを振り払うように首を横に振った。
「それより……すまねぇな」
「何がです?」
「何回か攻撃喰らっちまった。これからが本番だってのによ……
へっ……あんだけ大口叩いといてこのザマだ。情けねぇったらありゃしねぇ」
「そんな……見てましたよ。あれだけの混戦の中で一機撃墜したじゃないですか」
「たった一機じゃあ威張れねぇよ……お前なら
ホント、情けねぇよなぁ。ポツリとそう漏らすと、クーゲルは顔を逸らして体を震わせた。
自身の首に回した彼の腕からその悔しさが伝わってくる。伊澄は口を開きかけるが、口下手な彼がかけられる言葉を見つけられず、黙っているしか無かった。
敢えて彼の顔を見ないようにしながら少し歩き、近くの手頃な広葉樹の幹に座らせる。今のクーゲルをこの雨の中に一人置いていくのは気が引けるが、それでも伊澄にはやらなければならないことがある。
「……ここで待っててください。すぐに終わらせてきます」
「あいよ……俺のことは気にすんなって。ちぃっとばかしいたぶられちまったけどよ、ちょっと休んどきゃ元気になるしこんくれぇの雨で風邪引くほどやわな体してしねぇからな。だからさっさと行ってきやがれこんちきしょう」
シッシと、追い払うようにクーゲルは伊澄を促す。それでもなお伊澄は、グッタリと木にもたれたままのクーゲルに心配そうな視線を落としていたが、やがて息を吐きだして一度目を閉じると彼に背を向けてエーテリアへと走っていった。
コクピットのシートに座り、ハッチが完全に閉じると眠っていた機体が再び目覚め、体を起こしていく。滑らかな動作で立ち上がったエーテリアは、ノイエ・ヴェルトがひしめく戦場から遠ざかる真紅の機体を視界に捉えると、バーニアを噴射して一気に飛翔していった。
「……はぁぁぁぁ」
それを見届けるとクーゲルはバシャリと地面に倒れた。防水性の戦闘用スーツのおかげで雨水が中に侵入してくることはないが、全身を巡る血潮の熱がジワリと奪われていく。
左腕を顔に乗せて目元を覆い、右腕を振り上げると地面に叩きつける。虚しく水たまりが跳ね、しかしそれ以上何の変化ももたらさなかった。
「結局俺ぁ……」
またヒーローになれなかった。雨に紛れて熱いものが腕の下で滲んだ。
囚われの姫を助け出すこともできず、敵の中に突っ込んでいって格好良く倒しまくることもできない。先輩面して調子いいことを散々ほざいて、勢い込んで戦場に飛び出して、結局最後は後輩にケツを拭わせる有様だ。昔に軍に居た時と全く変わっていない。歳を重ねて、多少はマシになったと思っていたがそれどころか悪化してるようにさえ思えた。
「くそっ……どの面下げてまたアイツと顔合わせろってんだよ……」
腕を少しどけて雨空を見る。エーテリアはすでに見えない程遠くなってしまった。それが自分と伊澄の間にできた距離に思える。
伊澄ならばきっと、いや、間違いなくオルヴィウスを倒してユカリを助け出すだろう。カッコよく、或いは泥臭く。しかし過程がどうあれ、ヒーローになれる。
ヒーロー。自分が遠く憧れ、憧れのままで終わってしまった偶像。伊澄が戻ってきた時に果たして、自分は笑って伊澄の傍に立っていられるだろうか。いつもみたいにバカをやってアイツをからかってやれるだろうか。
「……やめだ」
これではまるで、味方から転換する悪役のような思考ではないか。仲間の脚を引っ張るような真似だけはしたくはない。ヒーローになれなくたって、悪に染まるような存在にはクーゲルはなりたくなかった。
「とりあえず邪魔にならねぇトコに移動したらもうちっと休ませてもらうかね……」
思考がらしくもなくマイナスに振れているのは疲れているからだ。クーゲルは息をついて金髪をかきむしると、ふらつきながらも立ち上がった。
しかしその時、何かしらの気配を感じて動きを止めた。
「……ったくよ」
木に体を預けながら、クーゲルはゆっくりと腰のホルダーから拳銃を取り出した。目を閉じて大きく息を吐き出し、気配の方へ視線を向ける。
「……そこにいるのは分かってんだよ。隠れてねぇで出てこいって」
森の中に声が響いていく。しばしの静寂の後、やがて木陰から人影がヌッと姿を現した。
一つ、二つ、三つ。否、次から次へと軽鎧を装備した兵士たちがクーゲルの視界に現れていく。
「ちっ……」
舌打ちしながら銃を構える。見える限りでは敵の武器は剣のみ。しかしここはアルヴヘイム。魔法も当然使えるだろう。武装の有利さは期待できない。
兵士たちはジワリジワリとクーゲルとの距離を詰めていく。だがクーゲルに逃げ場はない。
拳銃越しに睨みつける。そのこめかみから、雨に混じって汗が流れ落ちていったのだった。
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