第36話 踊るマイ・ウェイ(その5)
深々と頭を下げたエレクシアに、後ろからは近衛兵たちの息を飲む音が聞こえた。彼らの困惑を感じながら、彼女の頭を伊澄は唇を噛んだまま見下ろす。
彼もまた戸惑っていた。瞳が揺れる。だが、それでも銃口は下ろさない。
「……それは、今回のことがエレクシアさんが目論んだ。そう受け取って良いんですね?」
「……否定したところで、素直に受け取ってくれるのかの?」
「僕は技術者です。いたずらに否定するよりも、事実を知りたい」
「……であるならば、伊澄の問いには否、と答えよう。
じゃが……最終的にオルヴィウスを焚き付けてしまったのはワタクシじゃ。ワタクシがあの男に、不用意に伊澄とユカリのことを漏らしてしまったが故にこのような事態を招いてしもうた。だから……誠に申し訳ない」
「……」
「確かにワタクシはお主とユカリを、もう一度この地に招きたいと思っておった。そしてできることならば、二人の協力を得たいと願っておる。それも偏に、
ワタクシは……対話を望んでおった。伊澄とユカリ……二人と言葉を交わし、行き違い――いや、違うの、ワタクシの傲慢さによって生じた誤解を解きほぐし、友好な関係を結んだうえで二人には協力してもらいたかったのじゃ。それももう叶わぬ願いかもしれぬがの……」
「……そうですか」
「ともかくも、じゃ。今はあの男からユカリを助け出さねばならぬ。我々は伊澄の敵ではない。その証拠に伊澄には手を出さぬよう兵士たちにも厳命しておるし、実際に邪魔はされんかったじゃろう? じゃから……どうかこの場はワタクシを信じてはもらえぬか?」
一気に話し終え、エレクシアはもう一度深々と頭を垂れた。
構えた銃口が揺れる。心が揺れる。
エレクシアは伊澄と違って弁に長けている。人の心を掌握するのに優れている。だから、彼女の言葉をそのまま信じて良いのか迷う。
だが事実、ここまでの道中に兵士たちから襲われたことはないし、結果として失敗に終わったものの、オルヴィウスを捕らえようという動きは見せていた。
果たして――伊澄はゆっくりと銃口を下ろした。言いたい言葉を喉の奥へと押し留め、黙って彼女の横を通り過ぎていく。
そして、背を向けたまま言った。
「エレクシアさん……貴女の言葉を全てそのまま信じることは難しいです」
「……そうか」
「ですけど……ユカリを助けたいという言葉は、今は信じてみたいと思います」
無念に染まっていたエレクシアの顔が上がり、伊澄の背を見た。
「お願いします……ユカリを助けるために協力してください」
「……っ、もちろんじゃ!」
「ならば僕を地上へ。オルヴィウスたちに追いつくために、その道案内を」
「承った!」
エレクシアの顔がほころび、ニヤッと楽しそうに笑顔を見せると彼女は伊澄の手を引いた。
「では――こっちじゃ!」
「エレクシア様っ!? お待ちを!」
その力強い腕に引かれ、伊澄もまた走り出す。近衛が制止を呼びかけるもエレクシアは振り返るだけだ。
「貴方達はそのまま手当を! ワタクシなら大丈夫です!」
そう腕に力こぶをつくって子供のようにはしゃぎ、近衛たちに一方的に言い残しながら二人は角を曲がっていく。
「ここから一番近い出口はどこですかっ!?」
「ここからなら格納庫じゃ! 距離は遠回りかもしれんが上にまっすぐ昇るよりはたぶん早いの!」
「ならそちらへ! ってか、エレクシアさんってそんな喋り方でしたっけ!?」
「出が田舎者なんでの! お主と対面した時のは余所行きじゃ! がっかりしたかの!?」
「いいえ! こっちの方が話しやすくて好きですよ!」
「それは良い事を聞いたのぅ! ならこれからは世間知らずな田舎娘で籠絡するとするかの!」
「そういうところが腹黒いって言われるんですよっ!!」
「可愛いだけの
走りながらもエレクシアは隣でカラカラと愉快そうに笑った。
そうしてしばらく二人は通路を走り続けた。エレクシアは運動とは無縁そうなイメージを持っていたがどうか。伊澄と並走しても呼吸が乱れる様子はない。
「はぁ、はぁ……! 王女のくせに体力ありますね!」
「今どき深窓の令嬢など物語でも流行らんからの! 体力なくて国を治めることなどできぬわ!
さて、もう少し急ぐとするかの」
言いながらエレクシアは伊澄の頭の上を見た。
「ちと魔法を使うが、伊澄を傷つけるものではないからの。邪魔をせんでもらってもよいかの?」
妖精がうなずくのを確認すると、エレクシアが軽く眼を閉じ細腕を胸の前に掲げた。
「『風よ、精霊よ。その力をしばし我に貸し給え――!』
伊澄よ!」
「なんですか!?」
「ちょいと失礼するぞっ!!」
失礼とはなんぞ? と伊澄が首を傾げ、返事を待たずしてエレクシアが彼の肩を掴んだ。そうして次に走る伊澄の尻に手を当て――体を軽々と持ち上げたのだった。
「うわわわっ!?」
「よっと――ふむ、やはり男としては少々軽いの」
背中と膝裏にエレクシアの腕。下から見上げるのは彼女の整った、だが少しいたずらっぽく笑った顔。
つまるところ、伊澄はいわゆる「お姫様抱っこ」されていた。
「走りにくいから暴れるでないぞ?」
「しくしく……おムコさんに行けない」
「まったく、泣くでない。
それではしっかり捕まっておれよっ!!」
伊澄を抱えたままエレクシアは更に加速した。
風の精霊の力を受け、景色が流れる速度が上がっていく。まるで鷹が風を斬って飛ぶように彼女もまた浮かび翔ぶ。曲がり角を靴底が蹴っていき、その度に加速。あたかもジェットコースターに乗っているような心地で、振り落とされないようしがみつくのが伊澄は精一杯だ。
そうして見えてくるのは両開きの扉。通路の突き当りにあって、彼方にあった小さかったそれがグングンと大きくなってくる。
だが――エレクシアは減速する素振りをまったく見せなかった。
「ち、ちょっ!? ぶつかりますよっ! 下ろしてくださいっ!」
「止まるのも面倒じゃ! このままぶち破るぞ!」
「王女様でしょうが!? もうちょっとおしとやかに――」
「ひゃっひゃっひゃっ! もう遅いわ!」
「ひぎゃああああああああぁぁぁぁぁっっっ!?」
伊澄の抗議も虚しく、エレクシアは伊澄を抱えたまま魔法を詠唱。風の刃が鉄製の扉を切り刻み、彼女はそのままドロップキックをかました。
どごぉん! と王女が立てるにはあるまじき轟音を立てて扉をぶち破ると、勢いそのままに手すりに着地。運動には明らかに不向きなヒールで手すりを蹴って空中で一回転。住宅ならば三階に相当する高さから、彼女は軽やかに着地し、格納庫の床を蹴ってまた走り出した。
「ユカリがエレクシアさんが嫌いな理由が分かりましたよ! 絶対同族嫌悪だっ!」
まったく誰だ。彼女をおしとやかな王女様だなどと評したのは。ユカリにも負けない運動能力と思い切りの良さに伊澄は舌を巻き、叫んだ。
「良いことを聞いた。であれば彼女とも仲良くなれるだろうのっ!」
エレクシアは伊澄のそんな非難じみた叫びを受け流しながら格納庫の様子を観察した。
いつもは立ち並んで壮観な光景を作り上げていたノイエ・ヴェルトが少なくなっており、ヒール姿で疾走るエレクシアの姿を、休憩中の整備員たちが眼を丸くして見送っていく。
「ノイエ・ヴェルトが出撃しておる……?」
伊澄が一人でここまでやってきたとは考えづらい。なので彼に仲間がいるであろうことは想像に難くない。伊澄たちのノイエ・ヴェルトに対応するために出撃してしまったのだろうか。
しかしエレクシアからはすでにクライヴを通じて伊澄の邪魔をしないよう通達を出している。連絡が間に合わずに出撃してしまったとしても、それにしては格納庫にいるノイエ・ヴェルトの数が少なすぎるように思えた。
(なぜじゃ……?)
「エレクシアさんっ! 外をっ!」
彼女の腕の中で伊澄が叫び、エレクシアは開いた格納庫の大扉のところで足を止めて見上げた。視線の先は曇天の空。ポツリポツリと灰色の空から雨が降り始めている。
「これは……!」
雨に打たれながら飛び交う魔法とビーム弾。陽も落ちかけたところに雨模様が加わりだいぶ空は暗くなっているが、そこを炎やビームが鮮やかに彩っていた。
地上や空を行き来している機体は三種。うち二種には伊澄も見覚えがあるも、残り一種の機体の意匠は初めて見るものだった。
「オルヴィウスの子飼いどもか……!」
「あれがフォーゼットの……」
濃い青、或いは濃紺といえるカラーリングはバルダーの機体に近いかもしれない。一方で機体のシルエット等はよりシルヴェリア王国のスフィーリアに近いように思えた。
数の上ではシルヴェリア王国の機体の方が同等かフォーゼット側よりもやや多い。しかし戦況は五分五分、もしくはフォーゼット側の方が優勢に伊澄には見える。明確にどちらかに傾いているという訳ではないが、動きを見る限りでは操縦技術は、対人戦がおそらく多いからだろうか、フォーゼットの方が優れているようだった。
だがどちらも巧みに機体を操作し、まだ一機たりとも脱落はしていない。そんな中で一機だけ明らかに動きがおかしい機体があった。
「クーゲルさん……!」
途中から伊澄の視線がクーゲル機を捉えて離さない。動きそのものは他の機体より遥かに速いのだが、攻撃を避けた後の機体がバランスを崩していたり、移動しすぎて危うく他の機体に向けられた攻撃を受けそうになったりしている。姿勢も横を向いたり下を向いたりと、明らかに機体の制御がうまくできていなかった。
ジッと戦況を見つめるエレクシアの腕から降り、伊澄は心臓をつかまれたような緊張を覚えながら見守る。
そうした中で、森の方で木々が大きく揺れた。格納庫から右手の方に広がっている森の中から新たに一機が空へと飛び上がっていく。
白を貴重としたシルヴェリア王国軍、濃紺のフォーゼット、そしてクーゲルの黒。それらとは一線を画した血のような真紅の機体が新たに空を彩り、戦闘が行われている区域から離れていく。
それを認めて伊澄は両拳を強く握りしめると、雨の中へ向かって走り出した。
「伊澄っ!?」
「エレクシアさんはユカリをお願いします! コクピット内に連れて行ったら戦いの邪魔になる……だから彼女は何処か森の中にでも残されてるはずですっ!」
オルヴィウスが伊澄との戦闘を第一に考えているのであれば、それを妨げる要素は持ち込まないはずだ。ユカリがコクピットに連れて行かれてジッとしているはずはない。
「分かったっ! 伊澄はどうするつもりじゃ!?」
「あの人が望んでいるのであれば――僕は決着をつけに行きますっ!」
「承知した! 絶対に負けるでないぞっ!!」
自らも雨の中に飛び出したエレクシアは立ち止まり、走っていく伊澄に発破をかける。それに伊澄も手を挙げて応えると、オルヴィウスが乗っているであろう真紅の機体の方へと消えていった。
「……ワタクシに任せる、ということは多少の信頼は取り戻せたということかの」
強くなってきた雨脚に濡れ、着ていたドレスもたっぷりと水を含んでいる。足元は泥に塗れて、しかし伊澄を見送った彼女の心は少し晴れやかであった。
ならばその信頼に応えねば女が廃るというもの。エレクシアは濡れた前髪をかきあげると、泥濘んだ足元を気にすることなく城の方へと走って戻っていったのだった。
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