第22話 おかえりなさい(その5)





「目標発見!」

「追えっ! 逃がすなっ!!」


 背後からの叫び声を振り切りながら伊澄は全力で走った。銃口を向けられるも一本路ではないのが幸いして頻繁に角を曲がり追手を突き放す。曲がった直後に銃弾の嵐が降り注ぎ、その度に伊澄には運動によるものに加えて冷や汗が大量に混じるのだが、何とか蜂の巣にされることだけは免れていた。


「とは言っても……」


 闇雲に逃げ回っていても意味がない。アンリかルシュカか、或いはマリアやクーゲルでもよい。ともかくも末端の警備兵ではなく、自分の話を聞いてくれそうな誰かに会う必要がある。そのためにはもう少し下の階層へと降りなければならなかった。


「階段かシューターでもあれば……!」


 だが現状ではそこにたどり着けていない。一度階段を見つけたのだが、扉を開けた瞬間に兵士たちと鉢合わせ。慌てて扉を閉じたおかげで助かったのだが、危うく額でタバコを吸うコツを教えられそうだった。


「……っ!」

「こちらC班。目標を視認。捕獲行動を開始する」


 左右に眼を配りながら走っていた伊澄の目の前に別部隊が現れる。慌てて立ち止まると迷わず右に飛び退いて銃弾を避け、転がりながら跳弾の音に肝を冷やした。


「クソぉっ、このままじゃ……」


 すぐに追い詰められてしまう。せっかく班長が足止めしてくれたのに、捕まってしまえばそれも無になってしまう。それだけは何としても避けねばならない。

 逃げ回り続ける伊澄だったが、そこに丁字路が現れる。

 ――どちらに行けば。伊澄は逡巡し、その時、声が聞こえた。


(――……に)

「っ……!」


 頭の中で何かが囁いたような気がした。迷わず伊澄は左に体を倒す。速度を落とさず跳躍。壁を足場にして一蹴りし、再び加速する。


「今のは……」


 確か、シルヴェリア王国から逃げる時にも聞いたような気がする。伊澄は数ヶ月前のことを思い出した。声、として明確に認識はできないが、そうすべきだというような、直感じみたもの。あの時はそれに従っている間は敵に遭遇することはなかった。

 ならば今回もそれに従ってみるしかない。他に頼るものがない伊澄は、己の中で囁くそれにすがるしかなかった。

 そしてそれは間違いではなかった。伊澄を探す物音は傍で聞こえど遭遇することはない。無事にやり過ごしながら、しかし包囲は徐々に狭められていく。階段やエレベータは全て抑えられ、まるで詰将棋のように伊澄の逃げる場所はなくなっていく。囁き声も次第に働かなくなり、もう逃げ場はないと思われた。


「開いてくれ、開いてくれ……! 開いたっ!!」


 そうして伊澄が逃げ込んだのはとある部屋だった。伊澄の静脈認証で入れないか、とダメ元で手当たり次第に試し、その数が十に達しようとした扉が電子音を立てて開く。伊澄は転がるようにして駆け込み、内側からロックをかけてようやく落ち着いた。

 ズルズルと座り込みながら中を見回すと、そこは誰かの個室のようだった。廊下と同じ材質でできた内装はひどく無機質で、ベッドやシャワールームこそあるが物は最低限のものしかない。それでもそこが誰かの部屋だと分かったのは閉じたノートパソコンが机に置かれているのと、びっしりと棚に本が敷き詰められているから。そしてベッドの上にはくしゃくしゃになったシーツと白衣、それと脱ぎ散らかされた女性物の下着があった。


「女の人の部屋か……それにしても」


 下着から意識して目を逸らしつつ見回す。なんとも殺風景な部屋で、棚の本に眼を遣れば全て専門書のようだった。ここで働く研究・開発部門の職員の部屋なのだろう。


「……ちょっとだけ、休ませてもらお」


 ずっと走りっぱなしだったせいで伊澄の脚はガタガタだ。逃げるのに必死だった時は感じなかったが、こうして立ち止まると一気に重くなったように感じる。

 ともかくも休める場所があって良かった。伊澄は机の前にある椅子に向かって脚を引きずるようにして歩いていく。

 そうしてあと一歩で腰を下ろせるとなったところで――伊澄の立っていた床がパカっと消えた。


「は……?」


 それは見事に綺麗さっぱりと。


「はあああああああああああああああっっっっっっ!?」


 慣性力で静止した後、重力に引かれて伊澄はまっすぐに落下。部屋にドップラー効果付の声を残していく。何が起きたのかさっぱり解らないまま伊澄は「終わった」とだけ思ったが、彼の予想とは違った形で自由落下はすぐに終わりを告げる。


「へぶっ!?」


 柔らかいウレタンブロックが敷き詰められた床に落下し、頭の先まで完全に埋まる。パニックのまま何とか垂直平泳ぎで地上へ這い出すと、バクバクと激しくドラムを打ち付ける心臓を押さえてキョロキョロ見回していく。


「はぁ、はぁ、死ぬかと思った……!」


 そう叫びながら目に入るのは白を貴重とした壁に、ガラステーブルと二人がけソファが二つ置かれているだけ。シンプルなデザインだ。


「ここはいったい……?」

「私の部屋だよ。いーずーみくぅん」


 背後から聞こえる、やたらと耳に残る特徴的な口調。最後に聞いてから一ヶ月以上経とうとも、その声の持ち主が誰であるか振り向かずとも伊澄にはすぐに理解できた。

 そして振り向いてみれば、予想したとおりの人物。


「やあやぁ、いらっしゃい伊澄くん。それとも君にはお帰りなさぁいと言った方が良いのかなぁ?」


 ここバルダーにおける最高幹部の一人。

 ルシュカ・ワイズマンが、いつもどおりのニヤケ顔をして伊澄を見下ろしていたのだった。






「――うん、そうそう。伊澄くんはこぉっちの方で確保したから。ん? だいじょぶじょぶ。ふっふーん、心配性だねぇ、君も。伊澄くんにそぉんな根性は無いって。んじゃねー」


 携帯端末の切断ボタンを押し、何処かへ掛けていた電話を切るとルシュカは椅子の肘掛けを使って頬杖をついた。そしてウレタンの池から這い出した不愉快そうな伊澄を見上げて愉快そうに笑う。


「どうしたんだぁい? ずいぶんと不景気な顔をしちゃってぇん?」

「いえ、電話でひどく馬鹿にされた気がしまして」

「そぉんなことないよぉ。君がいかに人畜無害な存在かってのを懇切丁寧に警備部に伝えたあげただけさぁ」


 絶対ウソだ。クヒヒ、と喉を鳴らす彼女の様子に悪意を確信するも、今更それをどうこう言うつもりはない。代わりに疲れたため息を吐き出した。


「まぁまぁ、それはそれとしてだ。待ってたよぉ、伊澄くん。やはりここはぜひともお帰りなさいと言わせてもらおうかなぁ?」

「あまり帰ってきたいとは思ってませんでしたけど……」ルシュカが差し出した握手に、伊澄は気づかないふりをした。「それより、あの穴はなんですか?」


 そう言って伊澄は頭上に未だぽっかり開いたままの穴を指差した。


「ああ、あれかい? いやぁ、こう見えても私は朝には弱くってねぇ。つーいつい寝坊しちゃうことも多いのさ。

 やばい、遅刻する! でもエレベータを使うのは面倒くさい! そーんな時にこんなのがあったら便利ぃだと思ってねぇ」

「……まさかそのためにわざわざこんなギミックつけたんですか?」

「中々にスリルがあるだろぉう? 目も一瞬で覚めるし、完璧な装置だと思わないかぁい?」

「思いません。まさか室内で紐なしバンジーするハメになるとは思ってもみませんでしたよ。さすが天才は考えることが違いますね」

「だろぅだろぅ?」


 伊澄としては皮肉を言ったつもりだったが、ルシュカは嬉しそうにうなずく。打てども明後日の方向に響いていってしまう彼女に、処置なしと伊澄はそれ以上ツッコむのを諦めた。


「それよりもぉだ。ウチを辞めてった君がこうして帰ってきたんだ。しかも不法侵入までして。何か用があるんじゃないのかぁい?」

「……そうですね」水を向けられ、伊澄は背を伸ばして彼女を見つめた。「ぜひお願いしたいことがあります」

「ふっふふーん。君からのお願いなんてありそうで無いことだよねぇ。いいよぉ、かつての同僚の頼みだしぃ? 不法侵入の件は水に流して聞くだけ聞いてあげようじゃぁないか」


 頬杖を外し、背もたれに体を預けるとルシュカは胸の前で腕を組み直した。

 ルシュカに会うことを目的にここまでやってきたのだが、いざ彼女を前にすると伊澄の中に疑念が湧き起こってくる。

 果たして、彼女を頼って本当に良いのだろうか。伊澄に向けてくる眼は軽く弧を描いて楽しげだが、その奥の瞳はまるで彼を見透かしていそうだった。願いを口にしたが最後、足元を見られてしゃぶり尽くされそうな気持ち悪さがあった。


(でも……)


 ユカリを助けるためには彼女に頼るしか無い。なんとなくでしか無いが、少なくともアンリよりは聞く耳は持っていそうだと伊澄は思った。

 生唾を飲み込み喉を鳴らす。息を軽く吸って緊張を解しながら覚悟を決めルシュカに事情を話した。


「実は――」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る