第21話 おかえりなさい(その4)




 班長と二人で乗り込んだエレベータが地下に潜っていく。時計の針が刻むように、階層を示すアナログメータがカチカチと一定の間隔で音を立てた。

 伊澄は壁にもたれかかり、親指を噛む。落ち着かない気持ちを痛みで紛らわしていたが、ふと思いついて班長への質問を口にした。


「すみません、班長」

「あ? なんだ?」

「……オルヴィウスって名前、聞いたことありますか?」

「テメェ……! 何処でその名を――」


 伊澄から放たれた名前に班長は眼を見開いて驚きを示す。だがすぐに伊澄が知っている理由に思い至り、ため息と共に天井を仰いだ。


「なるほどな……お姫様をさらったのは奴ってことか」

「教えてください。その人は何者ですか……?」


 班長は伊澄を一瞥し、逡巡を見せる。だが息を一度吐き出すとオルヴィウスについて語り始めた。


「……奴はアルヴヘイムに拠点を置く傭兵組織『フォーゼット』の幹部だ」

「フォーゼット?」

「そうだ。

 フォーゼットは元ははぐれ者のノイエ・ヴェルト乗りたちが集まってできた自助組織でな、できたばっかの時は国や領主の軍の手が回らねぇような辺境部に現れるモンスターを討伐していた連中だった。

 最初は当然ちっせぇ組織だったんだがな、モンスター討伐で稼ぐ内にモンスターのみならず人間相手にも戦う傭兵業がメインになっていって、今となっちゃ暴力、武器、情報を売り物にするなんでも屋だ。

 あまり表立っての活動はしねぇし、さすがに一般人に手を出すような真似をしちゃいねぇみてぇだからそこらの人間にゃ馴染みはねぇが、アルヴヘイムで戦闘に関わる人間なら一度は絶対に耳にしたことがある戦闘屋集団だよ。そして――十年以上前にゃ俺もそこの一員だった」

「っ……!」


 班長の告白に伊澄は言葉を失い、眼を大きくして班長を見つめた。


「俺がいた当時はまだモンスター退治が稼ぎの主でな、そこでも俺ぁノイエ・ヴェルトの駆け出し整備員として働いてたんだよ。

 テメェと一緒でノイエ・ヴェルトをいじるのが何より好きでな、俺が整備した機体で無事にモンスター倒して帰ってくる連中の姿を見るのが嬉しくて昼夜も忘れて腕を磨いたもんだ。

 しかし、さっきも言ったとおり十三年前から段々と組織の方向性が変わってきてな。それがどうにも性が合わなくて辞めたんだが――と俺の昔話なんざどうでもいいな。

 ンなフォーゼットなんだが、あそこは変わった組織でな。頭がいねぇんだ」

「頭が、いない……?」伊澄は首をひねった。「つまり、組織を治める人間がいないってことですか?」

「ちょいと違うな。フォーゼットってのは幾つかの中規模な組織が合わさったような組織構造になってんだよ。俺は末端も末端だったが、それぞれのトップ連中の話し合いで色々決まるって話をチラッと聞いたことがある。

 詳しい話は俺も知らねぇが、ともかくオルヴィウスはそんな中規模組織のうちの一つの上位幹部になってるってのを風のうわさで聞いた。

 そして……野郎は凄腕のノイエ・ヴェルト乗りだ」

「エース、ということですか……」

「ああ。俺がいた当時は、少なくとも肩を並べられるのは殆ど居なかったな。戦うのが三度の飯より大好きなバトル・ジャンキー。

 金稼ぎが組織の大方針になっても奴は強い奴と戦うのを何よりも好んで、そのためには仁義も金も犠牲にして構わねぇってタイプだ。

 ……ユカリの嬢ちゃんをさらってテメェに電話してきたのも、たぶんテメェと戦いたいからだろうよ。奴は昔っからその手の話にゃ耳が早かったし、勝手に機体に乗り込んで勝手にどこぞの誰かをぶっ倒して帰ってくることもあったな。

 伊澄、テメェは王国から逃げる時にあの部隊長と戦ったんだろ? どっからかその情報を聞きつけて我慢できなくなったってトコだろうよ」

「そんな理由で……!」


 伊澄は拳を握り震わせた。そんなくだらない理由でユカリをさらったというのか。多くの人を傷つけたというのか。たまらずエレベータの壁に強く握り拳を叩きつけた。


(……いや、きっとその人にとってはくだらなくないんだろうな)


 どんなに常識から外れていようが、誰にも理解されなかろうが、オルヴィウスにとっては戦うということが何よりも上に置くべき事由なのだろう。伊澄がノイエ・ヴェルトに携わることを第一に思うように、彼には戦う以外が些細なことに過ぎないのかもしれない。

 伊澄はオルヴィウスの身勝手な行動に怒りを覚えると同時に、自分のしたいことを貫き続ける彼に羨望のような感情を覚えた。しかし彼はユカリに手を出した。それは到底認められることではない。怒りと妬みのようなものがうずまき、伊澄は胸の辺りをギュッと握って感情の混迷を抑え込んだ。


「ユカリは……無事だと思いますか?」

「嬢ちゃんが暴れなきゃな。昔のまま性格が変わってなきゃ、野郎は強ぇ奴をぶっ倒すのは大好きだが弱者をいたぶるような腐った人間じゃねぇ。少なくとも伊澄、テメェが嬢ちゃんを見捨てない限りは悪くねぇ扱いをしてるだろうよ」

「それを聞いて少し安心しました。

 ……いや、逆に少し不安になりましたかね」

「なんでだよ?」

「だってあの子、手出すのが早いんですもん」


 伊澄が肩を竦めながら「やれやれ」といった仕草をしてみせると班長は一瞬キョトンとし、それが伊澄が振り絞った軽口だと理解するとガッハッハと大声で笑い始めた。


「笑い事じゃないですよ。知ってます? 前に助けようとした時、いきなりケリお見舞いされたんですから」

「くっくっく……悪ぃ悪ぃ。だがそんな性格ならなおさら大丈夫だ。オルヴィウスも昔っからそんな跳ねっ返りが好みだからな」

「オルヴィウス『も』ってなんですか、『も』っていうのは」


 甚だ不満だ、とばかりに伊澄は口を尖らせた。そこでちょうど目的の階へ到着し、チンとベルがエレベータに響いた。


「班長は分かってないですよ。だいたいユカリって――」


 不安がやや解消されたせいか、伊澄からユカリに対する悪態がどんどん出てくる。今度は班長が「やれやれ」と肩を竦めてそれを聞き流しながら、開いたエレベータから降りようとした。


「動くな」


 だがそれも――目の前で展開された銃口の数々によって押し止められた。


「っ……!」

「ちっ……!」


 エレベータホールには何人もの武装した兵士が居並び、伊澄と班長に小銃を向けている。引き金には指が掛かっていて、いつでも発砲できる状態だ。


「こちらEブロック13-4。侵入者を発見。整備班長と一緒です」

『了解。速やかに確保せよ。抵抗するようなら発砲による無力化も許可する』


 漏れ聞こえる無線を聞きながら伊澄は臍を噛んだ。

 班長に会えたことで完全に油断していた。もっと警戒するべきだったのに、と思うもすでに後の祭りだ。


(どうする、どうする……?)


 彼らを説得する。無理だ。こちらの事情を話したところで酌んでくれるとは到底思えない。それは彼らの向けた銃口が物語っている。

 ならば強引に突破するか。それこそ難しいだろう。あれだけの銃だ。背を向けた時点で撃たれて死ぬのが目に見えている。彼らは日本人とは違う。班長はいざしらず、侵入者に容赦はしない。

 銃を持った兵士たちがジリジリと近づいてくる。ギリギリと伊澄の口の中からは歯ぎしり音が聞こえてくるだけで良い案は全く浮かんでこない。ここに来て絶望感が再び伊澄に取り付こうとしていた。


「……右だ。いいな?」


 そこに降り注ぐ小さな声。伊澄はハッと見上げた。隣に立っていた班長が横目で伊澄を見下ろしながら、ニヤリと笑った。

 だがそれも一瞬だけ。班長は再び兵士たちの方を睨みつけると、その巨大な体を一歩踏み出した。


「動くな」

「まーテメェらも落ち着けよ。そこまでガチガチにビビんなくたって俺ぁ逃げも隠れもしねぇ」


 両手を上げながら班長は兵士たちへ歩み寄っていく。その大柄な肉体で小柄な伊澄を隠すようにしてずいと大きく一歩を踏み出すと、威圧するように睨みつけながらエレベータの右側から左にかけて斜めに出ていった。兵士たちは半歩左側にズレるも、銃口は班長に向けられたまま変わらない。


「もう一度警告する。それ以上動くな。一歩でも動いたら発砲する。たとえ、整備班長である貴方でもだ」

「ほう? おもしれぇ事言うじゃねぇか」


 更に一歩近づく。すると班長の足元に弾丸一発打ち込まれた。


「班長!」

「……まぁったくよぉ。職務に忠実なのは立派だが、ちょっとは俺らの話を聞いてくれたっていいんじゃねぇのか? あん?」

「残念ながらそれは我々の仕事ではない。言いたいことがあるなら尋問官に直接伝えるんだな」

「けっ、つまんねぇ連中だな。ま、アンタらが居てくれるから俺らも安心して仕事に打ち込めるって認めんのはやぶさかじゃねぇけど――なっ!」


 ダンっと班長が大きく一歩を踏み出した。兵士たちの銃口が一斉に動き、だがそれよりも早く班長は何かを叩きつけた。

 カンっとそれが足元で弾み、兵士たちの足元を滑っていく。それは整備用のスパナだ。しかし大仰な班長の動作に、一瞬兵士たちの脳裏には手榴弾のようなものが過ってしまい、意識がそちらへと向かってしまった。


「伊澄っ!!」

「っ、はい!!」


 その機を伊澄も見逃さなかった。班長の意図を理解した伊澄はエレベータから飛び出し、班長の背後に上手く隠れるようにして彼らとは反対側へ走り抜けていく。


(無事でいてくださいよ、班長……!)


 伊澄は振り向かない。胸中で感謝をし、無事を祈りながらも今はユカリの事だけを考える。それが、班長の心意気に応える唯一の答えだ。


「くそっ……逃がすな――」

「おおっと、そうはいかねぇんだな」


 兵士たちは銃口を逃げる伊澄に向けた。だが班長が両腕を広げ、それをさせない。


「どけっ! いくらアンタでも本当に撃つぞっ!」

「おお、やれるもんならやってみろよ。

 だがな、俺を撃ったらノイエ・ヴェルトはまともに動かなくなるぜ? 班の連中も一斉にボイコットするだろうしな。そうなりゃ大損害だ。テメェにその責任がとれんのか?」

「脅すつもりか……!」

「人聞き悪ぃこと言うなよ。俺は単に、杓子定規に動くんじゃなくって上の人間に判断任せようってだけさ。武器も持ってねぇあのひよっこだ。滅多なことは起こんねぇよ。俺が保証してやらぁ。

 アンリの坊っちゃんやルシュカのクソババァと話して、そんでも協力しねぇってんならそれまでだ。そん時ゃ大人しく捕まってやるし、仕事だって部下の連中にキチッとさせる。

 だからな――」


 言いながら班長は腰に吊り下げたポーチに両手を突っ込む。そして引き抜かれた時、その指には多くの工具が挟まれていた。

 レンチにメガネスパナにドライバーにニッパー。油で黒ずんだそれを手に、班長は兵士たちの前で立ちはだかり続けた。


「――もうちっとだけ、俺とここでケンカしてようぜ?」



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