第17話 ガン・ポイント(その5)





 一台の黒い小型車が高速道路を走り抜けていく。

 明らかに速度を超過し、次々と他の車を追い抜いていく。タイヤをキャリキャリと鳴らしながら車線を右へ左へと移動し、その度に遠心力によって体も右へ左へと押し付けられた。


「っ……! もっとスピード出ないんですかっ!!」

「無茶言わないでくださいよぉっ!! もうずっとアクセルベタ踏みなんですっ!!」


 涙目ながら必死でステアリングを切る鈴宮。その横顔から顔を逸らすと伊澄は再び携帯を取り出した。

 画面に表示されるのは電話の発信履歴だ。幾つも並ぶそれらは全てユカリの電話番号。

 ボタンを押す。だが返ってくるのは電源が切られている時の無機質な応答音声だけだった。


「くそっ、出ない……!」

「ともかく今は急ぐしかないですっ!! そのユカリちゃんって子の学校は北神学園で間違いないですねっ!?」

「そうですっ!」

「なら……ここで高速を降ります! 捕まってくださいっ!!」


 そう叫ぶと鈴宮はハンドルを左に切った。速度を落とさずにランプを下り即座に交差点を右へ。信号を無視した車体を左に大きく傾かせ、他の車両のクラクションを置き去りにして北神学園高校へと車を走らせ続けた。

 路地に入り順調に進んでいく二人。だが学校の近くまでたどり着いたところで急停止した。


「もうすぐのハズですけど……ああもう! これじゃ進めないですぅっ!!」


 北神学園の前には大きな人だかりができていた。何台ものパトカーや消防車が止まり、救急車が正門から出ていっている。学校前の路地にも救急車が止まっていて、そこにストレッチャーに乗せられた教師たちが運び出されていた。

 伊澄と鈴宮は離れたところに車を止め、飛び出していった。何事かと集まった野次馬たちを無理やりに押しのけて前へと進んでいくが、最前列まで到達したところで警察によって張り巡らされたテープによって遮られてしまい、それを悔しそうに掴みながら伊澄は身を乗り出した。


「何があったんですかっ!?」

「ああ? ああ、テロだとよ。ったく、こんな学校まで標的にするなんてテロリストってのは理解できねぇなぁ。こんなことしたって何も変わんねぇだろうに」


 野次馬の男性がぼやくようにつぶやくのを聞きながら、たまらず伊澄は張られたロープをくぐって入ろうとする。が、やはり警官に止められた。


「ほらほら! 離れて離れて! 君も! ここは立入禁止だよ!」

「離してくださいっ! 中に知り合いがいるんですっ!!」

「ダメだって。警察関係者以外は入れないの。ほら!」

「くっそぉ……! なら――」

「あ、こら! ダメだって言ってるだろっ!!」

「ちょ、ちょっと羽月さん! さすがにそれはまずいですって!!」


 強引に押し入ろうとする伊澄だったが、鈴宮が腰にしがみついて何とか止める。伊澄は苛立ちを顕わにし、歯をギリギリときしませながらもこみ上げる暴力的な衝動を堪え、ぶつけようのない怒りを乗せて学校の方を睨みつけた。

 ひとまずも伊澄の暴挙を押し止めることができ、鈴宮はホッと胸をなでおろす。そんな彼女の眼に、ストレッチャーに乗せられた一人の男性の姿が留まった。

 くたびれた長袖のシャツを着て、腹部に乗せられた彼の右腕にはボロボロの茶色いハンチング帽が握られている。


「っ……」

「……ひょっとしてあの人、知り合い?」


 様子の変わった彼女に気づき、多少だが冷静さを取り戻した伊澄が尋ねる。彼女は運ばれていく男性をしばらく見つめていたが、やがて首を横に振った。


「いえ……知り合いかと思いましたけど違う人みたいです」

「そう……」

「ともかく」鈴宮は伊澄を引っ張って人集りから抜け出した。「ユカリちゃんはたぶん、もうここにはいないと思います」

「そんなことっ!」

「落ち着いてください」冷静な口調と眼差しで鈴宮は諭した。「電話を掛けてきた人はどこかへユカリちゃんを連れて行くって言ったんですよね? いくら飛ばしたからってもう十五分以上経ってます。どこかは分かりませんけどいつまでもこの近くに留まってるとは思えません」

「っ……! 分かってますよ、そんなことっ……!」


 溢れ出す感情を押し殺して吐き捨て、行き場のない怒りを乗せた拳を民家の塀に叩きつける。拳の皮膚が破け、血が滲む。しかしそれでも気持ちはどうにも収まらない。


「クソッタレ……!」

「……ともかく、連れ去られた場所を落ち着いて考えてみましょう。ユカリちゃんを連れ去った人は羽月さんを知ってたんですよね? 具体的にどこに来いとかって言ってませんでしたか?」


 伊澄は頭を掻きむしって口ごもった。場所は指定されている。そしてその場所も伊澄は知っている。だがそれを口にすることはできない。

 世界は一つではない。そう言ったところで誰が信用してくれるだろうか。伊澄たちの住むニヴィールとは違う、似て非なる世界が存在してそこに連れて行かれたと主張したところで一笑に付されるのがオチだ。


「……いや、分からないよ」

「そう、ですか……」


 真実を伝えたところで伝わらなければ分からないのと同じだ。今の伊澄にはそれを信じさせるだけの論も証拠もなければ弁舌の腕もない。そもそもあのオルヴィウスとかいう男も男だ。シルヴェリア王国に来いと言われたところでどうしろというのか。魔法も使えない伊澄に世界を渡るなどという芸当ができるはずも――


(――いや、方法はあるんだ……)


 伊澄が知る、アルヴヘイムへ渡る術を持つ唯一の場所。そこにさえ行けばアルヴヘイムへ行くことは可能かもしれない。

 だがそこは、伊澄が逃げ出した場所。協力してくれる理由なんてどこにもない。それに果たして、どんな面を下げて戻ればよいというのか。


(伊澄さんがどうしたかったかってことを大切にしたら良いんじゃねぇかな)


 ユカリの言葉が過る。伊澄の眉間に深いシワが寄り、眼を強く閉じた。

 今、自分がすべきことは何か。決まっている。ユカリを、救い出すことだ。

 ならば。伊澄は顔を上げ、眼を開けた。


「――くだらないプライドなんか犬に喰わせろ、だな」

「えっ?」

「鈴宮さん、すみません。またドライバーを頼んでいいですか?」

「え? あ、はい、構いませんけどぉ……ひょっとして心当たりがありました?」

「心当たりというよりは、助けるのに協力してくれる可能性があるところ、ですね」

「分かりましたっ! なら悩んで立ち止まってるより行動あるのみ、です!」鈴宮はよしっと胸の前で両拳を握り尋ねた。「それじゃあ早速行きましょう! その協力してくれる人のところってどこですかぁ?」


 鈴宮に問われて伊澄は振り返り、一つ息を吸ってからその場所を口にした。


「――秋葉原へ」




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