第4話 仄暗い水の底で(その4)




 南シナ海の南方、いわゆる南沙諸島周辺は昔から主権を巡って国家間の争いが絶えない地域だ。東にフィリピン、西にベトナム、そして北からは遠く中国が牽制しあい、時には軍事衝突にも発展していた。

 だが「瑠璃色の黄昏」以降の国内の混乱によって国同士の争いは鳴りを潜め、代わってそこを支配したのは海賊たちであった。

 当初は銃を片手に付近を通る貨物船を襲撃していたのだが、やがてノイエ・ヴェルトが戦場の主役に躍り出ると彼らもまたどこからかそれを手に入れ、圧倒的な攻撃力と機動力で荷を奪うようになっていった。

 そしてそんな連中が今、伊澄たちの乗る船の直ぐ側でじっと息を潜めて機をうかがっていた。


『海賊だと……!』

「うん。今ノイエ・ヴェルトのカメラで確認した。

 ソフィア。確認するけど、富士光化工機の酸素透過膜の不適合は解消できている。そういうことでいいんだよな?」

『え? ああ、それは間違いない、と思う。今日の最終試験での確認次第ではあるが――

 待て、伊澄。ノイエ・ヴェルトで確認したと言ったな? もしかして船員たちが騒いでるのは――』

「ああ、うん。まあそういうこと。海賊たちは僕の方で何とかしてみるからソフィアは船長にこの海域から離れるよう伝えといてくれ。終わったらこっちから通信するから」

『待て! 伊澄! お前――』


 電話口の向こうでソフィアが何かを話そうとしていたが、伊澄は構わず電話を切った。

 胸が緊張で痛い。だがそれもすぐに消えてなくなる。なぜなら、すでに覚悟は終わっているのだから。


「どうなっても――」


 たぶん、後悔はしないと思う。伊澄はペダルを踏み込んで、水陸型ノイエ・ヴェルト――オルカを海へダイヴさせた。

 ドボン、という音と着水の衝撃が機体を揺らす。船上の灯りが遮られていき、真っ暗な闇に周囲が包まれる。ソナーを起動し――ノイエ・ヴェルトはアンチ・ソナーを積んでるからあまり意味はないだろうが――機体が沈んでいく中で伊澄は武装を確認する。

 本来であれば輸送中は弾薬の類は装填しないのであるが、陸上での試験トラブルのせいで出荷が遅れたこともあって納品後にすぐに使えるよう、客先からのリクエストに応じて最低限のものは積んであった。何とか戦闘にはなるだろう。

 次いで、陸戦用にはない酸素残量モニターも確認。試験後に補充していなかったために満タンの七割ほどに減っていたが、残量の減り方は既存機に比べれば遥かにゆっくりだ。どうやらソフィアが仕上げた酸素透過膜はキチンと作動しているらしい。

 カメラを旋回させて周囲の様子を伺う。特殊水中カメラの情報から判断するに、ノイエ・ヴェルトは船上から伊澄が見つけた連中のみで他の部隊はいなさそうだ。

 それでも頭数で言えばこちらの一機に対し、敵は三機。不利ではある一方で、機体性能はこちらの方が勝っているだろう。実際、着水の音で気づいたらしい敵機は伊澄の方の様子を伺っているが、水中音波カメラで捉えた映像を見る限りではどうやら相手の機体は第二世代最初の水中型、通称『シーウォーリアー』のようだった。

 機体世代によらず水中・水陸型はどの機体もアンチ・ソナーシステムを備えている。ならば結局は有視界戦闘にならざるを得ず、であれば視界の解像度が高い伊澄機がタイマンでは有利だ。


「不安要素を挙げるなら――」


 この機体を伊澄が操縦するのは初めてだと言うこと。一応操縦システム系統は既存機にならっているし、伊澄の頭にもそれらはちゃんと入っている。だからそちらに関してはあまり不安視はしていない。

 最大の不安は――水中戦自体が伊澄にとって初体験だということだった。


「っ……! 来た……!」


 ぼんやりした白黒の視界の中で敵機たちが伊澄目掛けて迫ってくる。三機の水中機は伊澄を中心として三方向に広がっていく。どうやら一斉に襲いかかって、あわよくば生け捕りにしようとしているのだろう。型遅れの機体からすれば、この最新機はさぞかし魅力的に違いない。


「考えても仕方がない……!」


 囲まれる前に伊澄は動いた。ペダルを踏むと大型バックパックからウォータージェットが噴出し、加速する。だが伊澄の感覚からすればそれはすごく「もっさり」とした動きであり、普段の感覚とのズレが大きい。

 それでも移動速度は敵機に比べれば速い。伊澄は包囲されるよりも速く移動して敵の「網」を破ろうとする。だが敵は海賊であり、水中戦を生業としている相手でだ。伊澄がどう動こうとしているのかを予測できているようで、包囲を脱するよりも早く的確に動き、三機が連携してトライアングルの中から出そうとしない。

 そうしてしばらく牽制し合っていたが、伊澄を完全に攻撃範疇に捉えたと判断したか、ついに三機が攻勢を開始した。

 一機が頭を伊澄に向け、泳ぐようにして接近する。手のひらを伊澄機に向け、その手のひらからパイルドライバーを射出した。

 鋭く尖った杭が伊澄機に迫る。伊澄はいつもの感覚で機体を背中側に逸らすような形で避けようとした。しかし海水の抵抗で思ったように動かない。


「くそっ!」


 このままでは当たる。そう判断してウォータージェットを一気に噴出。半身だけでなく機体ごと移動させることで回避をとると、杭が腕部をかすめていって微かに擦過音が耳に届いた。


「思った以上に早めに回避行動しないと……!」


 伊澄の中では十分に余裕をもって回避したつもりだった。だが実際には本当にギリギリ。こんなにも水中が戦いにくいだなんて。染み付いた陸上のイメージと噛み合わない。頭では分かっていても現実との違いに、伊澄は歯噛みした。


「それでも……!」


 泣き言をほざいている余裕はない。伊澄はレバーを前に押し倒した。

 機体が海水をかき分け、敵機に突進していく。先程敵がそうしたように伊澄もまた手のひらを前に押し出しパイルドライバーを射出。敵よりも高威力であり、弾速も速い。しかしながら敵もさる者で、伊澄の攻撃を容易にかわしていく。

 通常のスクリューによる移動に加えて、機体の遊泳による移動速度を加味。その動きからやはり相当な手練であると伊澄は確信した。


「感心してる場合じゃないけどっ……!?」


 だがそれだけに留まらない。伊澄が攻撃している間に残りの二機が背面側から迫ってくる。伊澄はそれを感覚で悟り、ジェットを噴射して移動しようとした。

 しかし、それよりも先に伊澄は衝撃を感じた。ガクン、と何かに引っ張られる感覚。まだ自機で移動しようとしていないのに、照明に照らされた周囲の気泡が流れていく。


「なんで……!?」


 一瞬浮かぶ疑問。だがそれもすぐに理解した。

 先程射出したパイル。その端部には回収用のチェーンが接続されているのだが、敵機は伊澄機のそれが巻き戻される前に掴み、逆に伊澄を引き寄せていた。

 伊澄機を取り巻くトライアングルが急速に狭まる。このままだと捕まる。それは明白。どうする。


「っ……ならっ!」


 伊澄は腰からナイフを取り出すと、迷わずチェーンを切った。機体が水の抵抗によって急減速。海底に肩からぶつかり激しい振動が襲う。


「ぐぅ……」


 衝撃で胃の裏表がひっくり返りそうだ。夕飯はすでに消化されて残っていないが胃液が食道を逆流し、酸っぱさが口の中に広がる中、伊澄は今度こそウォータージェットを噴出した。

 加速でシートに押し付けられ、前面の視界には自機に手を伸ばす敵機の姿が大きくなる。伊澄はナイフでその手をさばく。基本的に重装甲である水中型を相手にナイフは十分なダメージを与えられないが、それでも捕まることだけは避けることができた。

 海面に向かって伊澄は上昇を続けた。振り返り、下を見れば三機とも伊澄を追いかけてきている。だが彼我の距離は十分ある。気は抜かないまでも、伊澄は一度息をついて緊張を解した。


「危なかったけど――」


 今のを回避できたのは僥倖。捕まっていれば、幾らこちらの方が高性能とはいえ三機の重量を振り払えるほどのパワーはない。

 首周りの汗を伊澄は拭った。さっきまでは気にならなかったのに、緊張を解いた瞬間にどっと汗が吹き出したのか張り付いたシャツの感触が気持ち悪い。だがまだそう思えるだけマシだろう。

 敵を倒すためには何が必要か。落ち着きを取り戻した思考に伊澄は没頭していく。

 水中での操縦技術は、現時点では向こうが上。性能はこちらが上。数は向こうが有利。伊澄の脳は画面の情報を処理しながらも並行して思考を進めていく。

 両者で対等な部分など無い。総合的に敵が有利。けれど、唯一対等なものがある。

 それは敵機も同じ海中にいるということだ。

 不利なのは数と操縦技術。数を今から増やすことは不能。数の差を覆す程の性能向上も不可能。ならば答えは簡単だ――今すぐ・・・自分の技術を向上させてしまえばいい。


「……」


 ニィ、と伊澄の口端だけが吊り上がる。そうして伊澄の意識がより戦闘へと埋没した。

 集中により広がる感覚。振り返らずとも機体の首を微かに後方に向けただけで敵機とのおおよその距離を理解。あまり距離を取りすぎて敵に諦めさせてはだめだ。そうすれば連中はまた船へと向かうだろう。エサのフリをしなければならないのだ。伊澄は速度を落とした。

 モニターに自機の情報を一気に表示させた。画面が一瞬で埋まる。残存燃料、水圧、武装、残酸素量。戦闘開始時のそれとを即座に頭の中で照合。


「――よし」


 まだしばらくは戦えるイケる。伊澄は機体を振り返らせると、背後から迫ってきていた敵機と向き合った。

 逃走を止めて急に振り返った伊澄機を前に、敵機三機は戸惑ったような動きを見せる。しかしそれも伊澄が観念したためと受け取ったか、再度一斉攻勢に出た。

 両手に装備されたパイルガンを射出し、伊澄機――オルカ目掛けて水を貫いていく。そのままでは、先程伊澄がそうされたようにパイルガンの止まり際を狙ってチェーンを掴まれてしまう。

 それは敵も分かっているようで、一機がパイルガンを射出すると同時に腰部から魚雷を発射。更にもう一機が加速して伊澄に近接戦を挑もうとした。

 初撃の反省を活かし、伊澄は動きの鈍さも考慮して十分な余裕を持った上で回避。ついで到達する魚雷にしても冷静に胸部のマシンガンで撃ち落とした。

 炸裂する魚雷。爆発によって海中が激しく濁る。近接戦をしかけた機体が伊澄機を切り裂こうと鉤爪を振り上げ割って現れる。だがすでに伊澄機はそこにはいない。

 伊澄はすでに海面の方へ逃げ出していた。そうして十分な距離を保つとまた静止して敵機の様子を伺う。決して攻撃に出ようとはせず、じっと相手の出方を待つばかりだった。

 そんな伊澄機を見て敵が再び動き出すと、伊澄もまた動き出す。しかしそれでもまた攻撃に出ることはなく、敵機が近づけば離れ、攻撃を受ければ回避するだけだ。

 そうした鬼ごっこが二十分近く続いた頃だ。


「――そろそろ行こうか」


 伊澄は静かにつぶやいた。




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