第10話 バルダーとともにある日常(その3)





「……」


 伊澄はポカンと口を開けて眼前の物体を見上げた。

 そこに直立していたのはノイエ・ヴェルトだ。それは間違いない。作戦行動のために伊澄が乗るように指示された機体だ。だがその姿は、伊澄が想像していたものと全く違った。

 先進各国で主力となっているのはアイギスやアーサーといった機体だ。それらは第二世代と呼ばれるものであり、世代の中でもそれら最新機種はまだ本当に一部の国にしか実戦配備されていない。だからいかにバルダーが東京のど真ん中の地下に巨大な基地を持つほどの組織であっても、ノイエ・ヴェルトはそういった第二世代最新機、ひょっとするともう少し型落ちした機体だろうと思っていた。

 しかし伊澄の前にあるのは、どの角度から見ても全く違う機体だ。第二世代よりも遥かにスマートな機影。黒を基調とした目立たないカラーリングだが、それこそゲームで人気のある機体と遜色ないほどに洗練されたデザインである。


「スフィーリア……いや、エアリエル、か?」


 伊澄はシルヴェリア王国で見た、ニヴィールよりもずっと高性能な機体を思い浮かべた。デザインのスマートさでいえば同程度だろう。だがそれらともまた違っているように思える。

 何より、こんな機体がニヴィールに存在していることがまだ信じられない。しかもそれが当たり前のように何機も並んでいるのだ。


「やぁっぱりね」

「ルシュカさん」


 立ち尽くしたままの伊澄のところへ、ポケットに手を突っ込んだルシュカが近づいてくる。


「いやいやぁ、伊澄くんの事だからね。きっと驚いてくれると信じてたよ」

「あの、この機体は……?」

「知りたいかぁい?」


 ルシュカはニヤッといたずらが成功した子供の笑い方をし、何度もうなずく伊澄の隣に並んで、もったいつけるようにタバコに火を点けた。そして大仰な身振りを交えて説明していく。


「いいじゃない、いいじゃぁなぁい。君のその純粋な目は嫌いじゃぁないよ。ならばその期待に応えてぜひとも教えてあげようじゃあないか!

 ――開発識別番号RX-3、通称・テュール。ウチで開発した主力ノイエ・ヴェルトさ。ニヴィールでいうところの、いわゆる第三世代機にあたるんじゃぁないかな?」

「第三世代機……!」


 伊澄は絶句して見上げた。新生重工ではまだようやく開発が軌道に乗り始めたくらいであるし、当然米国や欧州でもまだロールアウトはしていない。

 ノイエ・ヴェルトの開発には莫大な資金と途方もない技術の積み重ねが必要だ。新生重工もボーイングもロッキードも、そしてエアバスを中心とした欧州企業体も世界で知らないものはいないほどの国際企業である。それらをもってしても未だ開発途中だ。にもかかわらずバルダーはもう開発を終えて実戦運用を行っている。

 都心の地下に建設された広大な基地。そして世界よりも圧倒的に未来を進むノイエ・ヴェルト。いったいバルダーという組織はどれだけの資金力と開発力を保持しているのか。伊澄は空恐ろしくなった。


「ふっふっふーん、十分驚いてるみたいだけどね、乗ってみればもっと驚くと思うよ。ささ、乗って実感してみるといい。ほら、マリアもクーゲルも君を待ってるよ?」


 そんな伊澄の心情に気づいてか気づかないでか、ルシュカは楽しそうに伊澄を促す。

 備え付けのリフトに乗り込み、伊澄はコクピットまで登っていく。コクピットは開放され、伊澄の搭乗を待ち受けている。伊澄は期待と不安が入り混じった顔をしてゆっくりとシートに座った。薄暗かった中、正面のモニターが灯った。


「システム・スタート」


 女性を模した合成音声が響く。モニターがまたたく間に文字で埋め尽くされていき、最後に「ALL GREEN」の文字。そして全ての外部カメラがオンになり、格納庫の様子が全面・・に映し出された。

 上を見上げれば格納庫の照明が目に入り、振り向けば背に繋がれた電源ケーブルが見える。足元を見下ろせば、まるでシート自体が宙に浮いているのではないかと思わせる程にクリアにノイエ・ヴェルトの脚がある。


「マジですか……」


 伊澄はそれだけをなんとか絞り出した。

 それは全天周囲モニターシステムだ。シルヴェリア王国にあったスフィーリアでも採用されていたため初見ではないが、それでもここニヴィールでこのシステムをまさかお目にかかれるとは思ってもいなかった。いったい、どこまでこの組織は自分を驚かせてくれるのか。


『へっへっへ! スゲェだろ!』モニターに嬉しそうなクーゲルが映し出された。『分かるぜ、そのビビる気持ち! でもビビんのはこれからだぜ!』

「それはどういう――」

『ちゃんと搭乗したわね』


 表示されたクーゲルを押しのけるように、同じくノイエ・ヴェルトに乗ったマリアが映った。


『ヘッドギアを着けて。それからコンソールにこれを入力しなさい』


 言われるがままに、シートの横にぶら下がっていたヘッドギアを被り、送られてきたテキストメッセージを備え付けのキーボードで打ち込む。

 入力が終わりエンターキーを叩くと再びモニターに文字列が溢れ、「ようこそ」とポップな字体で表示された。

 するとコクピット内に低い男性の声が響いた。


『ようこそ、羽月・伊澄様。これからどうぞよろしくお願い致します』

「え、ええっと、はじめまして? そ、その、どなた様でしょう?」


 戸惑った伊澄がどもりながら、つい畏まった返事をする。と、スピーカーからクーゲルの爆笑とマリアの押し殺したような笑い声が響いた。


『ごめんごめん。黙ってて悪かったわ。

 あのね、その声はシステムのAIよ』

「えーあい……AIですかっ!?」

『そうよ。戦闘時のサポートから待機中の雑談相手までなんでもしてくれるスグレモノ。伊澄用に初期化してあるから、好きに相手してあげて』

『はい、私は伊澄様が登場されたRX-3-M9に搭載されたAIです。伊澄様が過酷な戦場で生き残れるよう、精一杯サポートさせて頂きます』


 堅苦しい口調で告げてくるAIの声に、ついに伊澄は感嘆のため息しかでなかった。

 人工知能自体は珍しいものではない。日本ではすでに街中のいたる所に高度なAIを積んだアンドロイドが闊歩しているし、敢えて人工的な感じを付与しなければならないほど人間と間違ってしまいかねないくらいその受け答えも流暢だ。

 だがそれをまさかノイエ・ヴェルトに搭載するとは伊澄も思いもしていなかった。


『それでは伊澄様。まずは私に名を授けて頂けますでしょうか?』

「名前?」

『さっきも言ったとおり初期化してあるから。伊澄の好きな名をつけてくれて構わないわ』

『一応忠告しとくと、変な名前つけるとコイツらたまに拗ねるからな』

『アンタも最初にふざけた名前つけて痛い目にあったもんね』


 マリアがからかうとクーゲルは「ま、まあ経験者は語るってことで!」と眼を泳がせながらモニターをオフにして消えた。いったい彼が最初にどんな名前をつけたのかは伊澄も気になるところであったが、ともかくも今はこの機体のAIの名である。

 さて、何にしようか。こういうところでは伊澄は結構拘る。なので相応に時間を掛けて考えるところだ

 が、実はすでに伊澄の中では腹案があったのだった。


「……エルで」

『エル――それが私の名前でよろしいでしょうか?』

「うん、エル。これからよろしく」

『承知しました。こちらこそよろしくお願いします、伊澄様』

「『様』はいらないよ」

『では、なんとお呼びすれば良いでしょうか?』

「好きに呼んでいいよ。羽月でも伊澄でも」

『では……伊澄准尉と。うん、私にはそれが一番しっくりきます』


 階級名で呼ばれ、伊澄は少しむず痒さを覚えた。仮とはいえ確かに准尉の階級はもらっているので間違いではないのだが、所詮腰掛け職員であるし普段自分からそう名乗ることはないため聞き慣れていなかった。

 それでもやはり伊澄も男である。軍隊のそういった呼称には多少なりとも憧れがあるので、嬉しさ半分恥ずかしさ半分といったところか。


『ところで准尉。最初にお尋ねしますが――』

「なに?」

『――ボイスはやはり女性の設定が宜しいでしょうか?』


 最初の質問がそれか。ゴン、と伊澄はコンソールに頭をぶつけた。


「……なんでそうなる?」

『古今東西、古くから男性は女性に声を掛けられた方がやる気が出ると相場が決まっていますので。データベースを参照したところ、男性パイロットの殆どは女性を選んでおりますし、まして、准尉の経歴によるとしばらく女性との交流が途絶えておられるとのこと。なので、ここはやはり准尉の好みである勝ち気系、或いは俗に言うお姉さ――』

「ストップ、ストーップぅぅっ!! 男、男でいい! 今のままの声で大丈夫だからっ!」

『承知しました。ではこのままで』


 シートから身を乗り出して伊澄は大慌てでスピーカーに向かって叫んだ。AI故に融通が効かないのかもしれないが、危うく伊澄の趣味が辺りにバラまかれてしまうところだった。というよりも、自分のデータベースにそんな情報まで載せたのは誰だ、とフツフツと怒りが湧き上がり、だがすぐに容易に想像がついた。というよりも、一人しか思いつかない。まぶたの裏に、ニヤケ顔をした白衣メガネが浮かんだ。

 とにかく、なんとか性癖がバラまかれるのは阻止できて――


『伊澄がその気なら……今度ウチが経営してるお店を紹介してあげるわよ?』

「結構ですっ!!」


 ――いなかった。

 マリアに即座に断りを入れると、伊澄は出撃前だというのにひどく疲れた顔をしてコンソールに突っ伏したのだった。





 格納庫を出た三機のノイエ・ヴェルトは、専用の通路を渡って基地内を進んでいく。ショックアブソーバーが優秀なのか、歩行の度に伝わる振動は思った以上に小さく、王国で操縦したスフィーリアにも劣らないほどだ。

 操縦して分かる一々に伊澄は感嘆を覚えつつ前を進むマリア機とクーゲル機に続いていたが、やがて広いスペースへとたどり着いた。

 格納庫にも劣らないくらいに広大な空間だが、壁際には大きな機械がびっちりと並べられており、部屋の半分程度を占めている。


『こちらノイエ・ヴェルト小隊副長、マリア・ファインマン少尉。クーゲル・フェルミ曹長および伊澄・羽月技術准尉共に所定位置にて待機』

『こちら管制室のリン・カタリナです。了解しました、ファインマン少尉。

 転移システム稼働します』


 耳慣れない単語に、伊澄はいったい何が始まるのだろうかと喉を鳴らした。

 その時、伊澄たちを取り巻いていた機械たちが一斉に稼働した。ガタガタと振動し、回転数が共振点を超えると振動音に代わって甲高い音を奏で始める。機械同士の接続部が赤熱していく。パチパチと火花が弾けるような音が混じり、焦げ臭い匂いが充満していった。

 そして、床が輝きを放ち始める。

 巨大な模様が浮かび上がり、淡い桃色に光っていく。それが何であるか、伊澄はすぐに察した。

 一ヶ月前に、一日に二度もくぐった門――転移魔法陣だ。


『準備は良いわね?』

『あったりまえだろ! さっさと行こうぜ!』

『上等。

 伊澄も良い? 私から飛び込むから、伊澄はクーゲルに続いて魔法陣に飛び込みなさい。安全性は確認されてるシステムだから心配はいらないわ。ただしコストはバカ高。十秒遅れると伊澄の年収が吹っ飛ぶからそのつもりで』

「りょ、了解です!」


 魔法陣をくぐった事はあれども、二回とも自分の意思とは関係なしだった。伊澄は魔法陣を作り出すのに必要な金額に慄きながら初めてじっくりと魔法陣を見つめ、緊張に喉を鳴らした。


『カウントダウン開始します! 五、四、三、二、一……システム、臨界突破! どうぞ、お気をつけて!』

『そんじゃ行くわよ――ダイブッ!!』


 先陣を切ってマリアが飛び込み、一歩遅れてクーゲルが魔法陣の中に消えていく。まるで水中に潜るかのように、静かに機体が光の中に沈んでいくのを伊澄は見届けた。


『私たちも参りましょう、准尉。中では多少揺れるとのデータがありますが、機体の強度上全く問題がありませんのでご安心を』


 航空機の機長が話すような内容をエルが伝え、促す。不安で心臓が強く鼓動を奏でるが、伊澄は大きく息を吸い込むと自分を鼓舞するように叫んだ。


「羽月・伊澄准尉! 行きますっ!!」


 果たして伊澄は勢いよく機体を光の中へ躍らせ、またたく間に伊澄たちの姿は部屋から消えた。そして程なく魔法陣の光も消え去り、ただ機械が回転する音だけが単調に響いたのだった。



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