第11話 バルダーとともにある日常(その4)
魔法陣へと飛び込んだ先はきらびやかな世界だった。空間がパステルカラーで鮮やかに彩られている。何度見ても眼を奪われるような美しさだが、当の伊澄はそれどころではなかった。
「ぐっ……! どこが多少だよっ!!」
機体が激しく揺さぶられる。シートベルトによってなんとか投げ出されずに済んでいるが、気を抜けば機体は制御を失い錐揉み状態で落下してしまいそうである。伊澄は操縦レバーを掴んで必死に機体姿勢を制御する。
『落ち着いてください。先程もお伝えしましたが強度上の問題はありません』
「そういう問題じゃないっての! どこに出るか分かんないってのに、僕は頭から地面に突っ込んで『犬神家』になりたくないのっ!!」
『なるほど、その視点は盲点でした。データベースに加えておきます』
AIらしい落ち着いた口調が憎らしい。伊澄は実態のないエルの代わりに音声のオシロ波形が映るモニターを睨んだ。
そうしている内に振動が収まってくる。パステルカラーが更に白っぽさを増し、やがて全てを塗りつぶすような鮮烈な光が黒い機体を真っ白に染め上げた。
そして機体は重力の世界へと再び縛られた。
「……っ、空ぁっ!?」
伊澄が眼にしたのは赤い空だった。だが決して夕焼けというわけではなく、まだ日が高いのは太陽の位置から明白。それは、一ヶ月前に過ごしたアルヴヘイムの特徴的な色合いだった。
世界を渡り、再びアルヴヘイムへ到着した。しかしながら今の伊澄に感慨など覚える余裕は無い。
伊澄が放り出されたのは地上を遥か彼方に望む上空だった。世界を繋ぐ空間の中で姿勢制御を怠らなかったおかげで頭から落下することは免れているが、スカイダイビング時にするように機体の両手足を大きく広げた姿勢でグングンと地上に近づいている。
それでも伊澄はすぐに落ち着きを取り戻した。初めは空中に投げ出されたことで面食らったが、自機の状況が分かると冷静に世界を観察する。地上はどこまでも白っぽい土色をしていて、所々に突き出したような大きな岩がある。植物の緑はゼロではないものの少なく、荒れた土地といった印象だ。
スフィーリアに乗った時の様に、機体に乗ったまま風を感じる事はさすがに無かった。エルがサポートしてくれるとはいえ、やはり妖精と繋がっている時とは違う。それを残念に思いながら重力に任せていると、先行していたマリアとクーゲルの横を瞬く間に通過してしまった。
『早すぎるわ、伊澄っ! 速度を落としなさいっ!!』
焦ったマリアの声に伊澄はハッとして、慌ててバーニアを吹かした。脚部を下に向け、速度を緩める。そこに遅れてマリア機が近づき、伊澄機と相対速度を合わせて並ぶ。
『伊澄、問題は? 何か異変があるなら正直に伝えなさい』
「いえ、問題ありません。最初は驚きましたが、機体と自分自身も正常です」
『そう……』モニターに胸をなでおろすマリアが映し出された。『ものすごいスピードで追い抜いてったから中でぶっ倒れてんのかと思ったわ』
「すみません。ちょっと景色に見とれてて」
『まったく……まあ、いいわ。初陣でそんだけのんびりできてるんなら上等。今回は大目に見てあげる。次からは気をつけて』
「了解です」
軽く肩を竦めるだけに留めると、マリアは伊澄機から離れて先行して降りていく。
伊澄も再び速度を上げ、クーゲルに続いて降下を進めていき、やがて地上に音も無く着地した。
『ひゅー、やるぅ』
「え?」
『着地の衝撃を完全に殺すってのはこの機体でも相当難しいからな。逆に言やぁそれで操縦技術が測れるってもんよ』
「それで、クーゲルさんのメガネには適いました?」
『立派立派。評判に嘘偽りなしってのは分かったよ。シミュレータだけのホラ吹きじゃねぇって、俺も安心して背中を任せられるぜ』
『無駄話はもうちょっと後でしなさい。
サキちゃん、聞こえる? こちらマリア。ノイエ・ヴェルト小隊は三機とも無事にアルヴヘイムに到着したわ。現在地情報と誘導よろしく』
『こちらエルズベリー一曹。ご無事でなによりです。指揮車でも三機の信号を確認しました。ノイエ・ヴェルト小隊の位置はこちらから五時の方向、距離およそ二〇〇〇。地図を送りますのでEDH起動後、速やかに合流願います』
スピーカーから、先に到着しているサポート班のサキの声が聞こえ、彼女の言葉通り伊澄のモニターに地図情報が送られてくる。地図内にはマーカーが全部で四つ表示されていて、左上の方にある赤いマーカーが目的地であるサキたちの居場所だろう。
『了解。すぐに合流するから踏み潰されないよう人払いよろしく。
オーケイ、二人とも。聞いてたと思うけどサポート班に合流するわ。EDHを起動して』
「EDH、ですか?」
ノイエ・ヴェルトオタクとして自他ともに認める伊澄だが、初めて耳にする単語に戸惑う。が、エルの方から淡々とした説明が入った。
『EDH、またはEDHCSとも呼ばれる迷彩システムです。正式名称はElectric Device Homographic Camouflage System。そこから略してEDHとバルダーでは呼ばれます。周囲に展開した電磁スクリーンに全方位カメラで撮影した画像を処理して投影し、光学的に周辺景色と同化することが可能。既存のOCS(Optimal Camouflage System)のように移動時でも不自然な歪みがなく、こうした広い場所でも自然に隠れることができる、とデータベースでは説明されています』
「……もう何が出てきても驚かないよ」
王国に連れて行かれて以来、この一ヶ月で常識を破壊されることに慣れたつもりだったが、まだ自分の常識を上回るシステムがあるのか。伊澄はシートにもたれてため息をついた。
『ただし使用時は発熱量が増大するため、赤外線の探知に関しては不利です。またエネルギー消費が激しいため戦闘機動には向かず、スクリーンを周囲に展開するためこちらから攻撃した場合は使用不可能となりますのでご注意を』
「了解。ありがと。エルは優秀だね」
『これが私の役割ですので。ですがお褒め頂き感謝します』
口調は淡々としているが、伊澄が礼を述べたところでエルが嬉しそうにしている感じを受けた。AIといえども、やはり褒められると嬉しいらしい。
「それで、EDHを起動するにはどうすれば?」
『シート左側のパネルにあるボタンを長押ししてください。或いは、私にご命令頂ければ起動させることもできます』
エルに言われた通りにボタンを押す。するとモニターの中に映る外の景色が、フィルターが掛かったようにやや不鮮明になる。どうやら問題なく起動したらしい。
「きちんと動いてますか?」
『問題なしよ。それじゃ出発するわ。目じゃ見えないから、近距離レーダーを参考に付いてきなさい』
拡大されたレーダー表示の中で、マリア機と思われる一機が移動し始める。伊澄はぶつからないようある程度距離をおきつつ、また足音を極力立てないように二人の後を追いかけていった。
しばらく進んでいくと、荒野の中に建物らしきものが見えるようになってきた。どうやら小さな集落らしく、まばらに数十軒の平屋の家が並んでいる。
そこから少し離れた手前に一台のバス型の車両が停まっていた。おそらくはそれがルシュカやサキが乗っている管制車両だろうと当たりをつけていると、マリア機がその傍で停止した。
『こちらノイエ・ヴェルト小隊。所定の位置に到着したわ』
『はいはぁい、こちらルシュカ。お疲れ様ぁ』
マリアに続いて、サキより先にルシュカの気の抜けた声が届いた。
『状況はどうなってます、ドクター?』
『別になぁーんにも。まだ会談どころか集まってもないからねぇ。
――と、噂をすればってやつかな?』
伊澄たちから見て正面、それから右側よりそれぞれ数台ずつ車がやってくる。土煙を巻き上げながら集落へ近づき、やがてほぼ同時に一軒の家の前で止まった。
伊澄はカメラを操作して車を拡大する。見るからに高級そうな車のドアが開き、武装した護衛兵たちに囲まれて降りてきたのは老年に差し掛かろうかという男性だ。ゆったりとした白い貫頭衣を着ていて、首や腕などにいくつものアクセサリーを着けている。こちらが皇国側の司教なのだろう。だが腹はでっぷりと突き出し、頭は禿げ上がっている。深いシワの刻まれた顔もなんともクセがありそうでとても聖職者には見えない。
「なんかありがたみがなさそうな人だなぁ……」
『私のデータベースによりますと、元々は共和国とつながりのある有名な商会のトップだった人間ですね。そのためか、共和国との国境付近の教区を任されているとのこと。真偽のほどは不明ですが色々と噂のある人物と記載されてます』
「まあそうだろうねぇ」
聖職者とはいえ、清廉潔白な人物が政治的な組織で出世できるとは到底思えない。胡散臭そうに見えるのもさもありなん、といったところだろうか。
少しカメラを動かしてもう一方を見てみる。そこに映った獣人側の姿に伊澄は驚いた。
こちらは対照的に年季の入ったジープやトラックで乗り付けていて、降りて司教の前に進み出た人物は伊澄の予想と大きく違っていた。
ルシュカも獣人族とのことだったが、彼女はいわゆる「人」の姿に近い。獣人族は姿を「人型」に変える術を持っているとルシュカから聞いたことがあったが、その術を解除してもルシュカの姿は殆ど変わらなかった。せいぜいが髪から突き出す獣耳があったり尻尾が生えたりするくらいだ。だから他の獣人族も「人」としての姿をベースにしたものだとばかり想像していた。
だが司教と握手する代表らしい人物の姿は完全に獣としての姿だった。全身が白い体毛に覆われ、顔も狼そのもの。シルエットは人間に近く、鎧をまとい腰には剣や銃を携えているが、この姿で獣人族と他の種族を間違える事はまずないだろう。そして彼の護衛についている人物もまた、毛色や長さにこそ違いはあれどやはり完全に獣としての姿をしていた。
獣らしい鋭い目つきの獣人族と胡散臭い笑みを浮かべる司教。二人は短い握手を終えると建物の中に入っていき、その後ろに互いの護衛兵、そして最後尾に黒いスーツを着た人ら――おそらくは彼らがバルダーの人間だろう――が消えていった。
『どうなるかと思ったけど、ともかくは話は進んでいきそうだねぇ』
「……なんか一触即発な空気に見えましたけど?」
『そりゃあねぇ。これまでの関係が関係だからぁさぁ。特に獣人族側からしてみれば面白くないだろうけど、まぁ彼らもこれを機に他の種族との付き合い方ってのをいい加減学べばいいんじゃなぁい?』
ルシュカの言い方に伊澄は違和感を覚えた。はっきりとは言えないのだが、どことなく突き放したような言い方に聞こえる。
ここまで付いてきた以上興味がないはずはないのだが、妙な感じだった。
『てなわけでぇ。それじゃあしばらくは待機ってことで。でもいつでも動けるようにはしといてちょーだいねぇ』
『ノイエ・ヴェルト小隊はEDHを作動させたまま待機して下さい』ルシュカの指示をサキが明確な解釈に変えた。『それぞれ交代で休憩をとっていただいても構いませんが、機体から遠く離れないようお願いします』
『こちらマリア。了解したわ。
二人共、機体をスタンバイモードに変更。搭乗したままで待機。機体から一時的に降りる時は私に報告のこと。いいわね?』
「分かりました」
『へいへい、りょうかーいっと。しっかし、この狭っ苦しい中で待機ってのはダリィ時間だよなぁ』
「そうですか? 僕は全然平気ですけどね」
『お前みたいな変人と一緒にすんなっての。しくったなぁ、エロ本の一つでも持ってくりゃよかった』
クーゲルのボヤキに伊澄も苦笑する。伊澄にとってはこの狭い空間も天国のようなものだが、普通の人にしてみれば息苦しい退屈な時間なのだろう。
伊澄は聞こえてくるクーゲルの気怠さの漂う声を聞き流しながら、この機体の勉強をもうちょっとしておこうとシート脇からマニュアル本を取り出して読みふけっていくのだった。
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