第17話 模擬戦(その4)



「勝者! 羽月・伊澄様ですっ!!」


 止まった時間を動かしたのは、エレクシアの声だった。拡声器を手に叫び、だが観戦者たちは目の前の状況がまだ飲み込めないのか、唖然とした様子で重なり合う機体の方を見ているだけだった。


 ――パチ、パチ、パチ


 そんな彼らを促すように手を叩く音が鳴る。音の発生源はやはりエレクシアだ。彼女だけは伊澄の勝利を確信していたように平然と、しかし誇らしげに拍手を続けた。

 更に彼女の隣にいたメイドも手を鳴らし始め、次いで副隊長らしいメガネの男性が。更には整備班長と続き、やがて拍手は盛大なものへと変わっていった。


「っ、ぁ、はぁ、はぁっ……!」


 その音を伊澄はコクピット内でぼんやりと聞いていた。興奮が治まらず、息は荒い。額から止めどなく流れ落ちる汗をそのままに、ただ正面モニターに映るクライヴ機を見下ろしていた。


「……見事だ、羽月・伊澄」


 スピーカーからの声で伊澄はハッと我に返った。声の主は自身が組み敷いたままのクライヴだ。モニターに彼の姿が映し出され、親指を立てて伊澄の戦いを讃えてくれた。それを眼にし、伊澄はようやく自分が成し遂げた実感を感じ始めていた。

 勝った。本当に勝てた。エレクシアの声が聞こえたからそれはきっと本当なのだろうが、伊澄はそれも幻聴ではないかとまだ半信半疑だった。

 だがクライヴの声が届いたことでそれが本当なのだと信じられた。レバーを握った手が震え、けれどもそれが恐怖なんかじゃないことは伊澄自身が良く分かっている。


「……ったぁ……!」


 喜びに震え、小さく喉を震わせる。眼を閉じ、天井を仰ぎため息が漏れた。体はひどく疲れていた。疲労で自分の思考が鈍っているのも分かる。けれども、喜びだけはハッキリと理解できた。

 本気で何かを成し遂げたいと願って、そしてそれが成し遂げられた時はこんな感覚なのか。伊澄は初めて知った。今まで何もかもが上手くいかなくて、けれどもそれを失敗だとは口にできなくて。ずっとモヤモヤとしたものを感じてそれに蓋をして生きていた。

 でもこれで、この一回でそんなものが全てどうでもいいことのように、本気で思えた。

 伊澄は湧き上がる歓喜をなんとか押し殺しながら機体を退かせた。クライヴ機の腕を引っ張って起こし、向き合う形になってそこで気づく。クライヴになんて声を掛ければよいのだろうか。

 だが、先にクライヴからの声がかかった。


「怪我はないか?」

「えっ、あ、はいっ。あの、クライヴさんは……」

「私も特に傷めたところはない。この程度でどうにかなるほどヤワな鍛え方はしていないさ」


 クライヴの返事に伊澄は胸を撫で下ろした。同時に、相手の安否をすぐに確認できる彼をすごいと素直に思った。きっと逆の立場だったら、伊澄なら悔しくて上手く取り繕えない。

 勝負には勝ったけれど人としては到底敵いそうにないなぁ。伊澄は自分の余裕の無さに頭を掻いたのだった。


「お二人ともお疲れ様でした」

「エレクシアさん、じゃないや、えっと、エレクシア様」

「ふふ、伊澄様は気にしなくて良いのですよ」いつの間にか彼女は伊澄機の足元にやってきていて、口元を押さえて笑った。「素晴らしい戦いでした。伊澄様の才能に疑いは無かったですが、まさかもうここまで『スフィーリア』使いこなすとは流石に予想できませんでした。これで反対していた大臣たちにワタクシも胸を張れますわ。

 けれども――」


 言葉が途切れた。モニターに映る彼女の顔は変わらずお淑やかに笑っている。

 だが気づく。彼女の眼は笑っていなかった。


「ワタクシは申し上げました。ええ、申し上げたはずです。聞いてないとは言わせませんわ。

 ノイエ・ヴェルトを壊さない・・・・ように、と申し上げたことを」

「あ、あははははは……」


 伊澄機の全身には細かいキズがアチコチにつき、背面のバックパックは地面に強かに擦りつけたことで相当にガタがきていそうだ。

 だが伊澄機はまだ良い。問題はクライヴ機だ。

 最後に伊澄機と激突したせいで膝や肘の関節部からはオイル漏れが発生しているし、バックパックは完全に潰れてしまって全換装が必要なレベルだ。実戦ならばこの程度で済んで良かった、と笑うところだろうが、訓練で出してよい損害レベルではない。伊澄はエレクシアの背後に噴火直前の火山を幻視した。


「……はぁ、予算繰りに頭が痛いですわ」

「すみません……」

「なーんて」イタズラした子どもみたいに、エレクシアは舌をペロッと出した。「けしかけたのはワタクシですもの。大規模な整備が必要になることは想定済みですわ」

「え?」

「それに、伊澄様の本気が見れたのでしたらこの程度、必要経費と言えますわ。だから気になさらないでくださいませ」


 それではワタクシは公務に戻りますので。そう言い残してエレクシアは格納庫の方へと戻っていく。その後ろ姿を見送りながら伊澄はホッとしていたが、そこにクライヴからの通信が入り接続する。


「……ああは言っているが、王女様は相当ショックを受けてらっしゃるぞ」

「え?」

「予算繰りもそうだろうが……整備班長には頭が上がらないからな」

「王女様なのに、ですか?」

「班長は王女様と長い付き合いの上、立場など気になさらないお方だからな。その上、日頃から整備班にはかなりの無茶を聞いてもらっている。ある意味では仲が良すぎるというべきなのだろうが……」


 話を聞きながらなんとなく整備班長の人となりに想像がついた。気のいい人なのだろうが、こうと決めたら相手が誰であろうと一歩も引かない頑固な職人といったところか。重工の現場班長にもそうした気質の人は多い。幸いにして伊澄はそういった人種の人たちと相性が良いみたいなのだが、設計の人たちの中には彼らとのやり取りに苦労している人もいるから大変さはよく分かる。


「後で二人で謝罪に行くか……」

「……そうですね」


 一も二もなく伊澄はクライヴの提案に頷いたのだった。




 関節部を損傷したクライヴ機を支えながら伊澄たちは格納庫へと向かう。観衆たちの興奮と熱狂も冷め、それぞれの持場へと戻り始めていた。再び元の日常へと戻ろうとしていた。

 だが突如として鳴り響いた警報がその緩んだ空気を一気に引き裂いた。

 聞いた瞬間肌があわ立ち、不安をこれでもかとばかりに駆り立てるサイレン音。赤色灯が格納庫の中で回り始め、白いノイエ・ヴェルトを夕日とは違う真っ赤な色にノイエ・ヴェルトに染めていく。

 そのサイレンが意味するところ。それを伊澄もよく知っていた。


「何事だっ! 管制所っ!」


 クライヴの鋭い声が伊澄の耳を貫く。それから一拍の間の後、機内モニターにウインドウが開き、マイクを付けたオペレータの女性の姿が強制的に開かれた。


「こちら管制所! 戦闘員は至急第二級戦闘態勢に移行してくださいっ!」

「クライヴだ! 何があったか、状況報告を頼むっ!」

「クライヴ隊長に報告っ! 王城南部の警備砦より緊急入電あり! モンスターらしき反応を発見とのことです! 現在詳細確認中! 念の為ノイエ・ヴェルト隊の方々は搭乗し、待機してくださいっ!」

「了解した! こちらは至急準備に取り掛かる! モンスターの情報が分かったらすぐに連絡を頼むっ!」


 キビキビとした二人の軍人らしいやり取り。それを聞いて、不謹慎だと理解しながらも伊澄はワクワクしていた。

 だが非常事態なのだと流石に理解できる。ならば早く機体を返してしまわなければ。伊澄は格納庫へと急いだ。

 しかしオペレータからの続報が耳に届いた瞬間、伊澄の中にあった他人事な気分も全て吹き飛んだ。


「っ! 索敵部隊から連絡っ! 敵モンスターは災害級一匹! 場所は……えっ?」

「どうしたっ! 情報は的確に伝えろっ!」

「し、失礼しました! 災害級敵モンスター一匹! 場所は王城南方、距離――三〇〇〇メートル――王城まで到達予想時間は約三分二〇秒ですっ!」


 それを聞いた瞬間、伊澄はまだ自分の役割が終わっていないのだと直感で悟ったのだった。






「たった三分だとっ!!」


 オペレータからの報告に場の空気全てが一変した。

 モンスターの襲撃が珍しくないためであろう。それまでも張り詰めた緊張感があったが、まだ余裕のようなものがあった。

 しかし猶予時間の報告を境に、程よい緊張感が一瞬で焦燥へと変わった。

 なぜならば。


「っ……、それでは迎撃が間に合わんではないか……!」


 一報が入ってから通常出撃まで十分。緊急出撃スクランブルでも五分は掛かる。それもただ出撃するだけで、だ。戦闘用の武装や魔法陣など、装備を追加するとなれば七、八分は必要だ。

 それが、残り三分。


「索敵部隊や警戒砦は何をしてたんだよっ!?」

「そ、それが、急に現れたとかで……」


 別ウインドウに現れた別の部隊員らしい男性がオペレータを怒鳴りつける。彼女はしどろもどろに応答するも、その眼はあちこちに動きキーボードを叩く手も止まらない。彼女も必死に対応しようとしているのが伊澄にも分かった。


「原因究明は後だ。今はできる限りの準備を進めろ。

 それと……王城にいる非戦闘員は至急退避するよう申し出ろ。私の名前を出して構わない。もちろん王女様もだ」

「了解しました。クライヴ隊長は――」

「私はこのまま先行して出撃、敵モンスターを足止めする」


 非常事態に頭が追いつかず、何処か違う世界のような心地で話を聞き流していた伊澄だったが、クライヴの覚悟を決めた声色にハッと我に返った。そして彼の機体を見た。

 関節部の損傷にバックパックの破損。メインカメラもよく見ればヒビが入っている。そんな機体の状態でとても戦えるとは伊澄は思えなかった。


「無茶ですよっ! 油圧系がダメになってる上にバックパックも壊れてるんじゃないですかっ!? そんな状態で戦えるはずが――」

「だがやらねばならん。私が出なければ王城の方々だけでなく城下町の民たちにも被害が出る。たとえこの身に何が起ころうと守らねばならない。

 ――十三年前のような事は、何としても避けなければならないのだ……!」


 モニター越しに伊澄を見つめるクライヴの視線には固い決意が滲んでいた。無意識だろうか、頬にある古傷を指先で撫でるとフッと口元を緩め、安心させるように笑いかけた。


「心配するな。たかが災害級一匹程度、この機体でも足止め程度は造作ない」


 そう言って伊澄機に支えられていた自機を自立させ、木々の生い茂る森の方へとクライヴは向き直った。油を垂れ流しながら歩きはじめ、乾いた地面に点々と跡がついていく。染み込んで黒く変色したそれは血の跡のように見えた。

 伊澄は自身の胸元を押さえていた。心臓が早鐘を打ち、手のひらからもその鼓動が伝わってくる。呼吸は早く、びっしりと掻いた汗で前髪が張り付き気持ち悪い。左手の親指を強く噛み、しかし今はその痛みを感じる余裕さえ無かった。


(落ち着け……)


 僕がするべきことはなんだ? 僕ができることはなんだ?

 所詮自分は本職の兵士ではない。戦う人間ではないんだ。たまたま武器も攻撃手段も限られた単なる模擬戦でクライヴに勝ったからといって実戦で戦えるはずがない。調子に乗るな。お前は……守られる側の人間だ。伊澄の奥にいる自分自身がそう主張する。


(でも、でも……)


 僕は戦える・・・。伊澄は戦闘後に走らせたチェックプログラムの結果を思い出す。推進剤の残量は少なく、機体の到るところに細かな損傷は幾つもある。だがクライヴ機よりもずっとマシな状態だ。

 レバーを握った手が震えていた。正直、怖い。きちんとした戦闘なんてしたことはない。これはゲームじゃないんだ。それは分かっている。

 けれど、けれども。

 エレクシアに案内してもらった城内で働く人たちの姿が頭を過る。みんな優しかった。たった数分話しただけだし、言葉を交わさないままだった人もいる。


(だからって見捨てていいって話じゃない……!)


 あの人たちには戦う力はなく、伊澄にはある。とてつもない力の結晶に乗っているのだ。

 改めて伊澄は自身に問いかけた。

 僕は――何がしたい?


「……っ」


 クライヴは機体にかかった抵抗感に足を止めた。振り返れば伊澄機が腕をしっかりと掴んでいた。


「離してくれ。戯れてる時間もない」

「いいえ、離しません」

「伊澄、邪魔するのであれば――」

「クライヴさんは他の機体に乗り換えて、部下の人たちと一緒に後から来てください」

「……伊澄、君は何を言ってるんだ?」

「簡単なことです」


 伊澄はコクピット内でレバーを強く、震える手で握りしめる。そして顔を上げて、しかしハッキリとクライヴに告げたのだった。


「僕が――クライヴさんの代わりにモンスターを足止めしますっ……!」



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