第16話 模擬戦(その3)




 二機のノイエ・ヴェルトが四〇メートル程の距離を置いて向き合っていた。どちらの手にも訓練用の短剣が握られ、機体の首元やコクピット付近など、実戦で攻撃を受ければ致命傷となりうる場所にはダメージが分かりやすい様に特殊塗料が塗布されていた。

 コクピット内から伊澄が格納庫の方を見れば、多くの人集りができていた。画面を拡大してみると、クライヴの部下らしいマントを羽織った騎士たちや整備スタッフ、それに白衣を着た者やラフな私服の者までいる。たぶん彼らが開発部門の人たちなのだろう。

 そんな彼らの中にエレクシアも混じっていた。

 手を前で重ね、如何にもお姫様といった様子で二つの機体を見上げている。そして自身の方を見つめている伊澄に気づいたらしい彼女はニコリと笑って彼に手を振った。

 どうやら機体頭部が勝手に彼女の方を向いていたらしい。伊澄は無意識に彼女の姿を探していたことに気づき、しかもそれがバレていた事が恥ずかしくてつい眼を逸した。しかしすぐにそれが失礼な態度だと気づき、機体頭部を動かさないよう横目でもう一度彼女を見た。

 彼女はすでに伊澄を見ていなかったが、どうやら気分を損ねたりはしていないようだ。今は傍にいる付き人らしいメイド姿の誰かと楽しげに話していた。それを見て伊澄は安堵とともに残念さが入り混じったため息を漏らしたのだった。

 そこにクライヴの声が外部スピーカーを通して届く。


「準備はいいか?」

「あ、はい。大丈夫です」


 それは伊澄だけでなく、見学の人々に向けても発せられたものだったらしい。エレクシアを始めとした面々が一斉に会話を止めて二つノイエ・ヴェルトを注視した。


「エレクシア様、開始の合図をお願い致します」


 工作畑の人間らしいガッチリとした作業服――彼がドワーフ族だろうか――の男性が拡声器を手渡す。油で持ち手部がくすんでいたが、彼女は気にする素振りもなく受け取り「ありがとう」と笑いかけると拡声器を伊澄たちへ向けた。


「それではこれよりノイエ・ヴェルト隊隊長クライヴと羽月・伊澄様の模擬戦闘を行います。現在の持ちうる力量を存分に発揮して素晴らしい戦いとなることを期待します。

 ただし――これはあくまでも模擬戦です。熱くなりすぎないよう、そこだけは注意をお願い致します。ワタクシとしては頑張りすぎても別に構いはしませんが、それでノイエ・ヴェルトを壊してしまうと、後で整備班長たちからきつーく絞られることが予想されますのでその点は覚えておいてくださいませ」


 後半をおどけたようにエレクシアが話すと、観客からはドッと笑いが起きた。伊澄もそれを聞きながらクスッと笑い、少しだけだが緊張が解けた気がした。


「隊長っ! お客人だからって手を抜かなくたっていいんですぜっ!」

「俺の機体なんですから大切にしてくださいよっ!!」

「姫様の言う通りやりすぎて壊さないでくださいねっ! 修理費用を申請するのは私なんですからっ!」


 クライヴの部下たちから次々に声援か罵声か分からない声が飛んでくる。他にも整備班からドスの利いた脅しやらがクライヴめがけて飛んでいき、また別の身なりの良いグループ――おそらくは城で働く官僚か、貴族たち――の間ではこっそりと紙幣のやり取りが行われていた。

 声は圧倒的に伊澄の心配、というよりは伊澄機の心配が多い。誰しもがクライヴの勝ちを疑っていないし、賭けのお札も片方だけ山になっている。あれで賭けが成立しているのだろうか、と伊澄は他人事のように疑問に思った。


「まあ確かにそうだよなぁ」


 ぼやきながら伊澄は頭を掻いた。クライヴの勝ちを疑う要素はないし、もしかすると賭けの対象は勝敗じゃなくて、いかにクライヴが機体を傷つけずに勝つかを対象としているのかもしれない。誰一人、伊澄が勝つ――それどころか善戦するとすら思っていないだろう。

 当然の話だ、と伊澄も思う。自慢の部隊長と何処の馬の骨かも分からない人間。しかも後者は若く、ノイエ・ヴェルトに乗るのも久しぶりなのだ。勝つと想像する方が無理である。伊澄であっても客観的に見れば伊澄が勝つなんて到底思えない。

 でも、だからこそ。


「――やっぱ一泡吹かせてみたいよな」


 笑って伊澄はレバーを強く握りしめたのだった。


「それでは双方構えてっ!」


 エレクシアが声を一際大きく張り上げる。それを受け、両者ともに構えを取った。


「はじめっ!!」


 響く開始の合図。外部スピーカーを通して届くその声を聞いた瞬間、伊澄は機体を加速させ――なかった。

 妖精に頭の中で話しかけながら後方に向かって跳躍。バーニアを噴かせ、軽やかにステップを踏む。


(まずは相手の動きを把握しないと――)


 クライヴがどの程度機体を操れるのか。それを知ることが先決だと伊澄は判断した。

 これまでの練習から、伊澄がどの程度機体を操れるのか向こうは理解しているはず。仮にも部隊長であるから相当な技量を持っているのは間違いなく、まして経験も半端ではないだろう。闇雲に突っ込んで勝てる相手ではない。

 しかし。


「……っ!」

「あいにくだが、逃しはせんよ」


 すぐ目の前にクライヴ機がいた。

 伊澄の行動を予測していたクライヴは開始と同時に全速で加速させていた。降りかかる慣性力を物ともせず最速で加速。そして最短で減速。機体性能を知り尽くしているクライヴだからこそできる芸当だ。


「くっ!」

「ほう、やるな」


 捻られた腰が引き戻され、ナイフを持つクライヴ機の右手が伊澄機めがけて突き出される。伊澄は殆ど反射のみでレバーを後ろに引いて上半身を反らした。

 ナイフが左肩の付け根あたりをかすめていく。しかしそれだけでも衝撃は中の伊澄に十分に伝わっていった。

 左半身が弾き飛ばされ、機体が大きく揺らぐ。ベルトでシートに縛り付けられている伊澄だったが、それが無かったら簡単に振り落とされている。食い込むベルトの痛みとクライヴの操縦技術に伊澄は舌を巻いた。


「いきなり本気かよっ!?」


 素人相手にしているのだから手を抜いてくれるだろうという期待はあっけなく散った。そもそも、乗る前には「軽い手合わせ」と言っていたはずなのに、どう見ても今の動きは「軽い」などと言うレベルではない。

 

「けどっ!」


 流れる冷や汗を無視し、伊澄はペダルを踏み込むと同時にレバーを引いた。そして親指でボタンを叩く。バランスを取るために浮いた左脚部をそのまま大きく後ろへ流し、そのまま反転。クライヴ機の死角と思われる背部からナイフを叩きつけていく。


「甘い」


 だがそれすら見抜かれていたようで、クライヴは自機を屈ませた。バックパックの上を伊澄機のナイフが虚しく通過していく。

 しくった。けど、まだ大丈夫。額に掻いた汗が揺れる前髪で弾き飛ばされモニターを濡らしていく。伊澄は遠心力に引かれて流れていく機体の勢いをそのままに、慣性に任せて跳躍しようとした。そうすることで距離を取ると同時に体勢を立て直そうという意図だ。

 いつものゲームのように。


「っ、しまっ……」


 しかし実際の機体はゲームのように無茶ができる仕様になっていない。たとえそれがアルヴヘイムの進んだ技術であってもだ。伊澄はそのことを失念し、いつもどおり体に染み付いた動きをしようとしてしまっていた。

 意に反して動かない機体。左に偏った重心では十分に地面を蹴ることができず、中途半端に機体を浮かしてしまったのだった。

 当然、それをクライヴが見逃すはずもない。


「そらっ!」


 マニピュレータによる打撃が機体の左胸の辺りを襲った。クライヴの機の拳が強かに伊澄機を捉え、勢いのついたパンチが伊澄機を大きく殴り飛ばした。


「くぁぁっ……!」


 激しい揺れが襲い、機体が地面を抉っていく。胃の中がひっくり返りそうな衝撃だったが、ここで吐けば酸っぱい胃酸で大ダメージだ。自身のゲロまみれになるなどゴメンだ、と伊澄は喉を無理やり締めて逆流を根性で防いだ。

 並行して行われるダメージコントロール。一度叩きつけられた後、すぐさまペダルを全力で踏み込んでバーニアを炸裂させる。それにより地面に並行ですれすれを飛んでいた機体の上半身が直角へと戻っていく。一方でバーニアの威力と妖精による補助の合わせ技は凄まじく、伊澄の予想を超え体勢を整えるどころかバランスを崩して手足をバタつかせながら再び上空へと舞い上がってしまった。


「しまっ……!」


 機体が無防備にさらされる。それを見逃さずクライヴ機が跳躍し、瞬く間に迫って正面モニターを機体が埋めていった。

 無駄もなく、ただコクピットだけをめがけた訓練用ナイフが迫ってくる。


「……っ、こんのぉぉっ!!」


 バーニア噴射を咄嗟に切り、脚を振り上げた。機体が縦に回転し、天地が入れ替わる。突き出されたナイフが空を裂き、偶然ではあるが蹴り上げた脚がクライヴ機の持つナイフを弾き飛ばした。

 目まぐるしく変わる景色。前後も左右も上下さえ定かでない。そんな中でも伊澄の感覚は正確にクライヴ機を捉え続けていた。


「……っ!」


 五感をフルに活用し、全ての情報が伊澄の頭の中で統合されていく。何をどうすれば勝てるか、乏しい経験の中から戦術をなんとか組み上げていく。

 落下する伊澄機めがけてクライヴ機が手を伸ばしてくる。それを受けて伊澄は一秒に満たない時の中で判断を下した。

 伊澄の瞳の中に照準器が映し出される。それは伊澄自身が映し出した想像だ。だがその照準器がクライヴ機のコクピットを瞬間的に捕捉すると迷うことなく伊澄は手のナイフを投げつけた。

 クライヴ機が制動を掛け、腕でナイフを弾き飛ばす。ダメージはない。だがそれで距離を、時間を稼げた。

 伊澄機は地面ギリギリを這うようにして滑空し、そのまま機体は地面をえぐりながら速度を落とした。粉塵が巻き起こり、伊澄機を覆い隠していく。衝撃で頭の中がシェイクされ、肺の中の空気が押し出されて呼吸が止まる。けれども伊澄はすぐに機体を立て直し、木々の中へと機体を滑り込ませていった。


「……いったいってのっ!」


 衝撃で体の節々に痛みが走る。伊澄は叫ぶことで痛みをごまかし、涙目のまま機体を走らせた。木々の隙間は機体が走るには狭く、枝葉を弾き飛ばしながら進んでいく。

 クライヴ機は追ってきてはいない。だが振り向かずとも感覚で伊澄はそう察し、西へと周りこんでいく。

 当たり前だがクライヴの実力は伊澄の遥か彼方だ。真正面からやりあって勝てる相手ではない。そして伊澄も真正面から戦おうなどと端から考えていなかった。

 ならば勝つためにはどうするか。不意を突くしかない。そしてその可能性のある手段は――


「不意を突けるか、なんて賭けでしかないけど……!」


 それもかなり分が悪い賭けである。今からしようとしているのはたぶんクライヴの弱点なのだろうと思っているが、本当にそうなのかも怪しい。けれども。


「やってみるさ……」


 伊澄は賭けることにした。賭け事は嫌いじゃない。腹をくくった。

 機体を最速で駆動していく。チラリと横を見れば、木々の隙間からクライヴ機が見えた。どうやら森林エリアとの境目を沿うようにして追いかけてきているようだった。それは伊澄の狙い通りだ。

 伊澄機が西へ差し掛かる。背後からの光に照らされ、伊澄は機体を急停止させた。


「ごめん、妖精さん……!」


 妖精への謝罪を口にしながら伊澄は機体に木を掴ませた。この機体の出力ならば木の一本を引き抜くくらいどうってことないはず。果たして、やや細めの木を根から強引に引っこ抜いた。

 そうして先程ナイフを投げた時のように、伊澄の瞳に仮想的な照準器が現れる。それが木々の隙間から覗くクライヴ機の腰の辺りを捉え、伊澄はためらわずナイフ投げと同じように木を投げつけた。

 狭い隙間を縫って地面と並行に飛んでいく。伸びた枝葉が土を巻き上げていき、速度を落としながらクライヴ機へと迫る。

 木々の合間から飛び出したそれは、クライヴ機に衝突する寸前で阻まれる。だがそれで構わない。

 伊澄は残り少ないバーニアを一気に噴出させた。生い茂る枝葉を全てなぎ飛ばし、高く飛翔し、空へと躍り出る。


「おおおおおおぉぉぉぉっっ!」


 背には傾いた太陽。クライヴ機と太陽が同一直線状に並ぶ角度に飛翔。

 クライヴ機の動きが一瞬止まった。それを見て伊澄は確信する。


 ――この人は、三次元的な機動に慣れてない。


 空中に跳んだ時も単純な刺突しかしてこなかった。その後も追撃は遅く、伊澄に立て直す時間を与えている。もちろんそれは勘でしか無かったが、これでハッキリした。

 伊澄は一気にペダルを踏み込んだ。推進力を全開にし、重力を味方につけて加速していく。


「いっけぇぇぇぇぇっっっ!!」


 伊澄機の影に覆われたクライヴ機が視界の中で大きくなる。回避しようと動き始めるが、もう遅い。

 二つの機体の間に魔法陣が展開され、直後に激しい衝突音が響き渡った。激突と共に土煙の壁が作り上げられ、耳をつんざく轟音が辺り一帯を染めていった。

 そして訪れる静寂。音が消え、土煙のカーテンが風に流されていきその濃度を薄めていく。やがて折り重なった二つの影が映し出され、徐々に実像が顕わになっていった。

 クライヴ機の上に乗り上げている伊澄の機体。その右腕はクライヴ機のコクピット上で止まっていて、その気になればいつでも叩き潰せる状態だ。

 ――勝敗は、決した。



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