第12話 人生はかくも容易に変わりうる(その6)
世界を救って頂きます。
その言葉を音として認識はしたが、その意味にまで理解が追いつかなかった。
彼女はいったい、何を言い出しているのだろうか? 辛うじて口には出さなかったが、「おかしなことを言い出したぞ?」というのが伊澄の正直な感想だった。
「突然何を、と思われているでしょうがワタクシは至って本気で申し上げております」
彼女が鋭いのか伊澄が分かりやすいのか。エレクシアはやや眉間に皺を寄せて言葉を重ねた。少なくとも気を抜けば心が見抜かれてしまいそうだ。伊澄は無言で首筋を掻くと彼女の気分を損なわないよう肯定しつつ話を続けた。
「それは分かりますが……随分と大仰な話ですね」
「大げさに聞こえるかもしれません。ですがワタクシたちこの世界に住む者にとっては現実的な危機なのです」
「先程の話ですと世界は救われた、と言ってましたけど……まだ何か問題でも?」
エレクシアは首肯した。
「十三年前の事件……実はそれは単なる時間稼ぎでしか無かったのです」
「……どういうことです?」
伊澄の質問に、エレクシアは説明を重ねた。
彼女の説明はこうだ。
この世界、アルヴヘイムでは大気中に漂う魔素により数十年から百数十年に一度の割合で「災厄級」のモンスターが出現するらしかった。
歴史上何度も人々に災厄を撒き散らし、多大な被害――それこそ国が滅ぶ程の――をもたらしてきたらしい。
魔素を餌として出現するため、ある程度災厄をもたらし魔素を消費してしまえば存在を維持することはできず自然と消滅し、また長い眠りにつくのだという。
「しかしながら、前回はニヴィールと孔が繋がりそちらへ魔素が流れていきました。魔素は確かに消費されましたが、十三年前の事件では暴れていたのはまだ本命ではありませんでしたので、本来の消費量に比べれば遥かに少ない量しか使われなかったのです」
「本命じゃ、ない?」
「はい。
災厄級の前に、まるで露払いのように数匹のモンスターが現れるのです。そちらでさえ十分に強大ではあるのですが、前回はその段階で孔が生じ、魔素が吐き出されてしまったために本命のモンスターが現れずにすみました。そのために被害が押さえられたのは事実。ですが……そういった要因によって魔素がある程度溜まったままの状態になってしまっていることがその後の研究で判明したのです」
結果、本来ならば百年近いサイクルで現れるはずのモンスターが僅か十数年で再び出現する見通しであることが分かった。
もうこれ以上、災厄による被害を繰り返してはならない。そのためにエレクシアはここ数年に渡って様々な対策を打ってきた。しかしそれでもまだ足りないのだという。
この世界が、国が、人々が生き残るための欠けたピース。
「それこそが伊澄様なのだとワタクシは確信しております」
彼女はそう断言した。
だが伊澄は、いや、だからこそ伊澄は理解できない。
「どうして僕が? 自慢じゃないですけど、僕にそんな世界を救うような大仰な力はありませんよ?」
羽月・伊澄は徹底して凡人である。少なくとも彼自身はそう評している。
世界を変えるほどの天才でもないし、人々を導くほどのカリスマもない。勉強はそこそこできるが秀才の域は出ず、運動も苦手ではないが図抜けた才能はない。まして、話を聞く限りではモンスターをどうにかしてほしいというものだ。この世界で生まれ育ったわけではないから魔法の素養があるはずも――
「もしかして、僕に魔法の才能があったり?」
「残念ながら……」
「デスヨネー」
ちょっと期待したのだが、現実は無情である。
ともかくも、剣も魔法も使えないからモンスターをどうこうできるはずもない。ただのしがないサラリーマン。組織の歯車になるしか能がない男である。いや、それすらできているかも怪しい平凡以下な人間だ。
いったい彼女は僕に何を期待してるのだろうか。戸惑いを多分に含んだ視線を伊澄はエレクシアに向けた。
「……伊澄様」
「はい?」
「ちょっとだけ、お散歩しませんか?」
果たして、微笑んだエレクシアから返ってきたのはそんな提案であった。
「うわ、すごい庭園ですね!」
「でしょう? ワタクシもここが一番のお気に入りなんです」
エレクシアからの突然の提案を、伊澄は素直に受け入れた。
彼女に連れられて城の中を順々に巡っていく。豪華なシャンデリアが吊るされた広間から貴賓をもてなすための応接間。かと思えばメイドたちの休憩室に連れて行って伊澄を紹介したり、料理を作ってくれた厨房のスタッフたちと顔を合わせさせたりと表も裏も彼女は見せていった。
そして今二人が居るのは中庭に面したテラスだ。そこから見下ろす花壇には色とりどりの花が咲き乱れていて、伊澄も思わず嘆息した。そこでは庭師らしい男たちが作業をしていたが、エレクシアが見ていることに気づくと頭を下げ、笑顔で彼女に手を振っていた。
「皆さんに慕われているんですね」
「ワタクシが小娘だからでしょう。王城に務めるのは何かと息が詰まりますから、まだ若輩のワタクシだと気を遣わなくて気が楽なんだと思います」
そう言ってエレクシアは謙遜したが、ここで働く人々はきっと心から彼女を慕っているのだろうと伊澄は思った。でなければ恐縮もせずあそこまで柔らかく笑うことはできまい。
そしてそれは兵士たちも同じなのだろうと思う。伊澄たちが城内を巡る間に何度か兵士や騎士たちともすれ違ったが、平伏しながらも彼女を見る瞳には熱があった。
(……僕は結構睨まれてたけど)
羨望を向ける彼女が通り過ぎ、楽しげな彼女のすぐ後ろを歩く伊澄に向かって何人かは厳しい視線を向けていた。だがそれも仕方あるまいと伊澄は思う。大好きなアイドルがどこの誰かも分からぬ男と歩いていればガンの一つもつけたくなるだろう。
「さて、名残惜しいですが次の場所に向かいましょう。と言っても、次で最後になりますが」
「次はどこに?」
「ふふ、どこでしょう? でもきっと伊澄様が一番お喜びになるところだと保証しますわ」
振り返ってスカートを翻し、笑う彼女に伊澄は少しドキッとした。容姿の美醜にはあまり重きを置かない伊澄だが、やはり美人がこうもあどけない表情を覗かせるとドキッとする。ましてそれが自分ひとりに向けられたのであれば尚更だ。おそらくきっと、城の人たちも彼女のこうした表情にやられたに違いない。
伊澄は眼をさっと逸し、エレクシアはそんな伊澄に不思議そうに首を傾げたのだった。
伊澄はエレクシアに先導されて城内を進んだ。階段を幾つも降りていき地下へと潜っていく。階段は徐々に狭くなり、狭苦しい螺旋階段に変わる。クルクルと何度も何度も回転。景色は変わらず、まるで同じ場所を回り続けているようだった。
「……随分と深くまで潜るんですね?」
「はい。伊澄様にはご不便をお掛けしますが。あ、でも上りはエレベーターがあるので楽ですよ」
エレベーターがあるのか、と伊澄は驚いた。中世的な城に騎士や魔法といった話から勝手にファンタジックな世界を想像していたが、想像以上に機械化が進んでいるようだった。
「なら下りもエレベーターで行けばいいのでは?」
「階段の方がもったいぶれるでしょう?」
そう言ってエレクシアは楽しそうな笑顔を向けた。
日の差さない薄暗い階段をどれくらい降りただろうか。やがて階段を降りきり、上層階と違う無機質で近代的、むしろ近未来的な装いの通路を歩いていく。そして二人は扉の前へと辿り着く。
それは鉄でできているらしい、なんとも無機質な印象の扉だった。
「ここは……?」
「ふふっ、それじゃ扉を開けますね」
エレクシアはいたずらっぽく笑うと扉に手を掛けた。少しずつ開いていく。その隙間から光が差し込み、伊澄はまばゆさに眼を細めた。
「うっ……」
「ここがワタクシたち自慢の場所。そして――」勢いよく扉が開け放たれた。「伊澄様に見て頂きたかった場所です」
差し込んだ光が伊澄の視界を一気に白く染め上げた。
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