第11話 人生はかくも容易に変わりうる(その5)
伊澄とエレクシアの間に沈黙が流れる。
エレクシアから聞かされた話に言葉が出ない。口を開け、唖然としたまま伊澄の頭では当時の様子が思い出されていた。
十三年前のあの日、何が起きたのか。正確な事は未だに解明されていない。少なくとも、伊澄の知る限りでは。
当時の現場がいったいどういう状況だったのか。様々な憶測が現実的に思えるものからオカルトじみたものまでネット上では飛び交っていて、その議論の活発さは留まるところを知らない。
事実として明らかなことは、何かが孔から湧き出して伊澄たちから夜空を奪ったこと。それだけだ。
けれども伊澄は知っている。
――あの日あの時、真っ白な何かが人々を喰らったことを。
「――あの時以来」再びエレクシアが話し始める。「二つの世界を隔てる壁はそれまでよりもずっと脆いものへと変わりました。一朝一夕に行き来できる程簡単ではありませんが、少なくとも以前より遥かに簡単に世界を渡ることは可能になり、研究の結果、そのための方法も確立されました。
伊澄様をこの世界へお連れした時のように」
アパートから落下した時のことを伊澄は思い出した。アスファルトの上に描き出された複雑怪奇な模様のことを。回転しながら淡い光を放っていたあれは、世界を繋ぐ
「……あの時くぐったのも、魔法だったんですね?」
「はい。伊澄様の世界で言うなれば、『魔法陣』という言葉になろうかと思います。
あの時はろくに説明もせずに無理やり連れ出して誠に申し訳ありませんでした。もう少し遅ければ門を繋ぐための魔素が切れてしまい、こちらへ戻ってくるのが難しくなっていましたので……」
「いえ、それは良いんですけど……」
遅くなったのは幸せそうな顔で寝てたからですよね、と突っ込みたかったが、エレクシアの申し訳そうな顔を見ると追求しづらい。
彼女も王女。国を預かる者の一人として伊澄のような俗人には想像もつかないくらいに大変なのだろう。ならば責めるのも酷というもの。貴重な体験をさせてもらったくらいに思っておこうとした伊澄だったが、不意にある考えが頭を過り、恐る恐る質問をした。
「あの、もしかして……僕、戻れなかったりしますか?」
「いいえ、その点は大丈夫です」
断言したエレクシアの声に、伊澄は胸を撫で下ろした。昔から異世界へ召喚される勇者の話は枚挙に暇がないが、定番なのが召喚されたは最後、元の世界に戻ることができない、或いはその手段を求めて世界を旅するというものだ。
元の世界を見限って新しい世界で生きる話も多いが、伊澄はそこまで元の世界に絶望しているかといえばそうでもない。だから戻れると聞きホッとしていた。もっとも――あの世界が好きか、と問われれば首を縦に振る自信はないが。
「ただ、その……非常に申し上げづらいのですが、すぐに往復ができるわけではないのです」
「何か問題が?」
「はい……世界を渡る方法は確立されはしたものの、相応にエネルギーと魔素を消費します。そのために少々準備が必要になるのです」
「えっと、もしもの話ですけれど、僕が戻るとしたら最短でどれくらいかかりますか?」
「そう、ですね――」エレクシアは少し考え込み、回答した。「あと二日程度お時間を頂ければ、一度ご帰還頂けるかと」
彼女の返答に伊澄は頷いた。二日であれば、週明けは何とか出社できるな、と思った。今週末が連休で良かった。
別に有給をとってもいいのだが、まさかこちらから会社へ電話やメールができるはずもあるまい。無断欠勤で会社をクビになるのはまっぴら御免であるし、下手すれば行方不明事件として大騒ぎにもなりかねない。せめて大問題とならないよう何らかしらの一報は入れておかねばまずいだろう。
「重ね重ね、本当に申し訳ありません。伊澄様のご都合もあるのは重々承知しておりますが、どうぞご容赦ください」
「あ、い、いえ。別にそんなつもりで聞いたわけじゃないですし……」
咎めるつもりは無かったのだが、元々負い目があるためか伊澄の質問を遠回しな批難と受け取ったらしいエレクシアが改めて謝罪をして頭を下げた。伊澄は慌てて手を振り、「ええっとですね」と話題を変えた。
「この世界――アルヴヘイムと僕らの住むニヴィールの事は分かりました。分かり易いご説明ありがとうございました」
「いえ、かなり端折ったものとなってしまいましたが……」
「いえいえ、とりあえずの理解としては十分すぎる程です。それで、なんですけれど……単刀直入にお聞きしますね?
えっと――エレクシア様が僕を連れてきた理由……それをお聞かせ頂けませんか?」
問いを発した途端、伊澄は奇妙な緊張を感じた。それは、この問いこそが本質的であり、答えを聞いたら引き返せないと直感的に悟ったからかもしれなかった。
聞かない方が、まだ引き返せたかもしれない。そう思ったが口にしてしまったものは無かったことにできない。果たして、振り返って自分の顔を見つめる王女を、伊澄もまた見つめ返した。
やがて、エレクシアは窓際からベッドの方へ戻り、元の椅子に腰掛けため息をついた。
「意外でした。伊澄様の性格からすると、お尋ねになるのはもっと後か、或いは切り出すことさえしないかと思っていました」
「僕も意外です。もしかすると、思っている以上にこの世界に対する好奇心が強いのかもしれないです」
「それは良いことを聞きましたね」エレクシアは表情を緩め、茶目っ気をたっぷり含んだ笑顔を作った。「でしたら伊澄様の気が変わらない内に、こちらも率直に申し上げます」
そして彼女は、とんでもない願いを口にしたのだった。
「伊澄様には――この世界を救って頂きたく存じます」
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