希望の花
@acquiesce
慰め
――――――
現実か、幻想か。
時の流れるまま、逃れる術はない。
私は失敗した。今更気づいても遅すぎるけれど、認めないよりはマシ、そう思いたい。何度繰り返したとしても私が私である限り、あるいは私でなくとも、私達の程度では同じ結果になるだろう。結合しては破綻し変質することしかできない私達では。
野望といえるほど大きくはなかった。ただなんとなく。他にすべき事は見当たらなかった。なにより、私にとっては簡単だったから。それが私の役割なのだと信じたかったのだろう。ただ、なんとなく。
思い返せばずいぶん整った道だった。その時にあっては苦労を感じていたけれど、当事者から外れた今となっては馬鹿々々しいものばかり。あぁ、あまりに…… 設置された藪を切り開いては歓喜していたのだ、曲がりくねっただけの一本道の上で。
役割という感覚はあながち的外れではなかったのだ。もう少しばかりの自信があれば違ったのかもしれない。もてはやされるまま、褒められるまま。どうかしている。
とはいえ、だ。最高の仕事を成した、できる限りのことが実行され思考も十全、今は昔、そう感じ、そう考えた。こうして後悔を以て反省を述べるに至った今も、それは変わらない。ショックが足りないわけではないだろう、もう十分、これ以上はさしもの私でも狂気に陥るよりない。ただ私は客観視することもあるというだけのことで。外から眺めれば未だ輝く、成功だ。ついに巨人の夢を叶えたのだから。なんにせよ。
肩の上で肩に溶ける、そんな飛躍と停滞の繰り返しに終止符を打ったことに違いはなく、それまでのありとあらゆる知はこの為にあったのだと確信できる程だった。いや、程などと、ごまかすのはよそう。確信だった。刹那、他の全てが見えなくなる程度には。たとえ驕りだと思われようと、それが事実だった、事実は見つめられなければならない。現に、一切が過去へと否定されたのだから。
思い出すと、人間である事を言い訳にしてしまいたくなる。もう一年でも喜びが冷めるのを待つべきだったのだろう。けれど、誰だって好いものは知らしめたくもなる、そうだろう? だから私もそうした。
それが持つ価値は誰の頭にも明らかだった。理屈や倫理、主義を越えた正しさのようなものだったのだ。反響が全てを物語っていた。産み落とされた強烈な光は瞬く間に世界中へ広がり、私達は称賛を得た。名のあるものから寄生的なものまであらゆる賞が贈られた。早すぎたのだ。価値は感じられても理解はできなかった世界は私達に夢中になった。
誰もが解放感に酔っている。
私はアルコールに酔っている。
反発が無かったわけではない。わずかに、少数派にもなれない程度の警告じみた論文や発言はあった。ほとんど苦情のようなもので、大いなる清流にあって油が薄まるように、消えた。望外にも、飛躍にありがちな感情的反発は起こらなかった。
今更思い返せば、受け入れの準備が前々から進んでいたことになる。後から知ったことだけれど、似たモノ達がそれなりの成果を上げ始めていたらしい。竜宮城にいながら地上の畑の様子を気にする者がどこにいようか。粗悪で有限でも、目慣らしにはなったのだろう。なるほど急激な進歩というわけではなかったのだ。それがどこから来たものなのか、もう考えたくはない。
誰の中にも、私の内側にも、巣食っていたのかもしれない。
失敗を若さのせいにするつもりはない。先に述べたとおり、結果は同じ事になるだろうし、そもそも若くなければ仕事を成すこともなかった。老いは熟成ではない、ただ自らの繰り返しに気づけなくなるだけだ。とはいえ、物事には原因がある。どうにもならない要因は忘れるとして、少しばかり建設的な思考をしてみようと思う。似合わないとて、必要なときもある。
単純に語るなら、何も知らなかったのだ、私は。恥ずかしいほどに無知で、それでいて中途半端に聡かった。
無菌室で育ったようなものだった。なんの免疫も無いまま生きていて、それに気づけない程どうしようもなく安全で、どこまでも守られていた。私自身が無意識ながらそうあるよう願い、環境を整理していたのだ、誰のせいでもない。そのままでいられるのならそれで良かったのだろうが、しかし、閉じ籠もっている事を世界は良しとしてくれなかった。
純で清いものは邪に見出された瞬間、堕ち朽ちる。だから適度な罪と理不尽が必要だ。憎み、苦しみ、少しづつ慣れながら諦め、発散されなければならない。やがてくる致命的瞬間に、不快と怒りと呆れで見捨ててしまわないように。
敵がいなければ味方は生まれない。正確には、認識できない。真摯に学業に取り組むわけでもなく、真面目に遊び耽るわけでもなく、どっちつかずであり、共感は持ち難かった。情熱には引いてしまい、互いが互いを立てる危うさには困惑し、そのくせ一人にはなりきれず独りだった。良くしてくれる教師、話しかけてくれるクラスメイト、共に考えてくれる同僚、好ましい人々はいたけれど、どこか遠くの黄金でしかなかった。手を伸ばせば届きそうだけれど、一歩踏み出した途端穴が空き真っ逆さまに落ちていく、そんな気がして。もちろん彼らに非はない。私という受容体が壊れていただけなのだから。
こんな私がここにいるのだから、世界もまた、皮肉で壊れている。
友情も愛情も受け取るばかりで信じられず、学問という夢の中へ逃げ込んだ。取り憑かれていた。学びまた問い、そうしている間は満たされている気分で、自分が有意義に感じられたものだった。
自分がなにをしているのかなんて、わかるはずがなかった。未来で観測され初めて、過去は現在として決まるのだから。
そして今もまた、私は仕事に取り組んでいる。これは偽善、余計なお世話、老婆心。まだ私にできることが、意味のあることが残されているとすれば良いのだけれど。今度は過去からすら拒絶されると思うと気が滅入る、そうなれば私はただ悲しい。けれど、過去が背負うべきは責任ではなく希望、それくらいは私にも認識できている。私は私に期待して精々励もうではないか。
個人の戯れに収まるとしても、それはそれでおあつらえ向きといえる。目的と遊びが私には欠けていたのだから、夢に彩られた世界で仕方なく続いていく人生に於いて、せめてもの慰めにはなるのだろう。
もうじき冬が覆う。訪れに気づくことすらできない冬。
私もそろそろ眠くなってきた。知っての通り、そういう質。
酔いも回ってきた。
最早用済み。見向きされる事もないだろうし、まあ、ゆっくり、今更ゆっくり、できることをやるしかなかろう。誰も私の話を聞きはしないのだから。
もう眠ろう。長々と言い訳をしてみたところで忘れられるわけでもない。
私はひとりで成功し、ひとりで失敗した。ただそれだけ。
電気を消して真っ暗な中、布団に包まり目を閉じる。
どんな気分であれ、欠伸は出る。それが生体というものだ。
グラスの氷が最後の音を鳴らした。
――君はどうするのだろう?
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