第九話 呪いは続く

   

 アリカム・ラテスの屋敷からの帰り道。

「だいたい、私たちの想像通りでしたね」

 ピペタ・ピペトに対して、隣を歩くラヴィが話しかけた。

 昼間ピペタ小隊の四人で噂話として盛り上がっていた内容と、ラテス夫妻から聞いた話とを、頭の中で比べているのだろう。

「ああ、そうだな」

 軽く彼女に視線を向けながら、ピペタは頷いてみせる。

 屋敷へ向かう時とは違って、今のラヴィは、ピペタに腕を絡めてはいない。だが、かなり寄り添って歩いている。ピペタ小隊として市内の見回りで並んで歩く場合には、考えられない距離感だ。

 これでは、まるで男女のデートのようではないか。知り合いに見られたら誤解されるだろう。そうピペタは思うのだが、わざわざ自分から離れて距離を取ることはしない。別にラヴィを嫌っているわけではないし、そんな誤解を彼女に与えてはならないからだ。

「……しかし、間違っている部分もあったし、私たちが知らない話もあった。やはり、いい加減な噂話は、あまり良くないのだろう」

 ラヴィのことを考えていたなんておくびにも出さずに、ピペタは、ラヴィの持ち出した話題を続けることにした。


 騎士学院の秋キャンプで、野菜売りレグ・ミナの息子ファバが、崖から落ちて怪我をした。それはアリカムの息子フィリウスが突き飛ばしたせいだ、と思われていた。

 この辺りまでは、ピペタたちも考えていた通りの出来事だったが……。

「だが、思いもよらぬ話も、出てきたではないか」

 息子を加害者扱いされたアリカムと妻メレタが、騎士学院に怒鳴り込んだ、というエピソードだ。彼らは穏やかな口調で語っていたが、表情や仕草から察するに、実際には凄い剣幕だったようだ。おそらく「うちの息子が、意味もなく他人を怪我させるような真似をするはずがない。犯人扱いはやめろ」という感じだったのではないだろうか。

「そうですね。ちょっと意外でした」

 ピペタの指摘に、ラヴィは「うん、うん」と頷きながら、そんな意見を述べる。

 ピペタもラヴィも、当然、知るよしもないが……。

 昼間の南中央広場で、もしもピペタたちがレグの話を最初の方から聞いていれば、これは、あの場で聞けたはずの内容だった。しかし彼らは、残念ながら、ほとんど話の終わる頃に首を突っ込んだだけに、あの場では聞き逃した情報だったのだ。

「でも考えてみたら、私たちが知るアリカム隊長は、騎士団の中でのアリカム隊長だけですからね。詰所で会って話しをするだけでは、わからないことも多いのでしょう」

「ああ、そうだな」

 ラヴィの言葉に同意を示しながら、ピペタは、ふと考えてしまう。

 アリカム隊長どころか、直属の隊長であるピペタのことすら、彼女は完全には知らないのだ、と。

 ラヴィが見ているピペタは、あくまでも、都市警備騎士団の小隊長としてのピペタだけだ。当然のことながら、ピペタの裏稼業のことなど、彼女は知る由もない。

 もちろんピペタは、誰にも――特に都市警備騎士という警吏の人間には――復讐屋について知られないように、気を配っている。もしも知られてしまった場合には、相手を始末しなければならない、という裏の掟もあるくらいだ。ピペタとしては「それでは無関係な人間を――恨まれてもいない人間を――あやめることになる」という気持ちから、この『裏の掟』には納得できない部分もあるのだが……。


「今夜の晩餐の中で、話を聞いていて感じたのですが……。アリカム隊長って、もしかすると、庶民を見下みくだしている部分があるのかもしれませんね」

 ラヴィの言葉で、ピペタは、裏稼業について思考するのをストップ。頭を切り替えて、元に戻す。

「ああ、ラヴィも、そう感じたのか」

「その言い方では、ピペタ隊長も……?」

「うむ」

 ピペタの出自を耳にした時のアリカムの態度だけではなく、騎士学院に怒鳴り込んだ話を語る中でも、それは感じられた。あの時ピペタは、自分の気のせいかもしれないとも思ったのだが、ラヴィも同じ印象をいだいたのであれば、気のせいではなく本当なのだろう。

 レグの息子ファバを「しょせん庶民の息子」と軽んじていたり「騎士でもない者が怪我したくらいで、うちの息子を非難するな」と逆に被害者側を責めたり……。アリカムの言葉の端々には「騎士は偉い存在なのだ」という雰囲気が見られたのだった。

 騎士が庶民を蔑視するのは、何もアリカムに限った話ではない。騎士団の中にも同様の価値観を持つ者が結構存在することは、ピペタも薄々、感じ取っている。ただし、少なくともピペタの部下の中には、そんな差別主義者はいない。彼は、そう信じていた。

「もしも、アリカム隊長の態度が、そういう意味ならば……。あまり褒められた話ではありませんね。確かに『騎士』という階級は存在しますが、それは別に、庶民より偉いという意味ではなく……」

 ラヴィが、騎士に関しての持論を述べ始める。

「……庶民を守り、導き、助けるからこそ、騎士は騎士なのです。身分の高さには、それなりの義務が伴うのです。ピペタ隊長も、そう思いませんか?」


「ああ、その通りだ」

 適当に言葉を返しながら、ピペタは「今夜のラヴィは少し酔っているのかもしれない」と感じてしまう。発言内容はしっかりしているように聞こえるが、いくらか口調が怪しいようにも思えるのだ。

 今夜の食事の席では、料理だけではなく、飲み物としてアルコールも出されており、ピペタも適度に口にしていた。ただし、あくまでも、喉を潤す程度だ。別に酒場ではないのだし、飲み会に呼ばれたわけでもない、と理解していたからだ。

 一方、ラヴィは、どうだっただろうか。会話の主導権をアリカムとピペタに任せていた彼女は、口数を控えていた分だけ、ついついグラスを口に運ぶ回数が多くなったのかもしれない……。

 そんなことを考えたピペタは、ラヴィが迂闊に口を滑らせることのないように――翌朝になって後悔するような失言をすることのないように――、話題を元に戻すことにした。

「アリカム隊長の態度云々はともかくとして……。そもそもの発端が『魔女の遺跡』で遊んだことだったのは、私たちの想像通りだったな」

「ああ、そうでしたね。全ては『魔女』の呪いなのですね」

 まだファバが怪我をしただけであり、ラヴィが何をもって『全て』と考えているのか、ピペタにはわからないが……。

 再びピペタは、アリカムから聞いた話について考えてみる。

 アリカムの話によると、彼が呪い云々を知ったのは、今朝が初めてだったらしい。

 身分の違いを重視するアリカムにとって、秋キャンプでの転落事故に関する怒りの矛先は、加害者扱いされたフィリウスよりも、むしろ被害者であるファバの方に向いていた。だからフィリウスとしては、話をそのままにしておけばよかったのだ。

 だがフィリウスは、自分が『加害者』として見られるのが嫌だったために、今朝になって正直に「あれは事故ではなく呪いだ」と話してしまった。『魔女の遺跡』で肝試しなんておこなったことを、アリカムに告白してしまった。

 これが「そんな馬鹿な遊びを! 騎士らしくない真似を!」ということで、父親の怒りに火をつけてしまったのだから、フィリウスとしても戸惑ったに違いない。普通ならば「友人を怪我させた」という話の方が、大きな問題になりそうに思えるはずだ。

 それだけ、アリカムの中で「庶民など人ではない」という意識が強かった、ということなのだろうか。


「ところで、ピペタ隊長。今夜の晩餐で出された料理……。ピペタ隊長としては、食べ慣れた、懐かしい味だったのですよね?」

 ラヴィが、突然、話題を変えた。

 ピペタは、若い頃の経験から「そもそも女性というものは、男性よりも頻繁に、話の流れを切り替えるものだ」と理解している。それに、もしも本当にラヴィが少し酔っているのだとしたら、酔っ払いの傾向として、それはますます強くなっているのだろう。

「ああ、そうだな。全部が全部というわけではないが……。川魚を使った料理や、穀物粥グリッツは、確かに『懐かしい味』だったかな」

「まあ、それは素敵。私には物珍しい味でしたが、ああいうのも悪くないですね。そういえば、アリカム隊長の話では、サウザの街でも北側ならば、ああした料理を提供する店があるそうですが……」

 そう、その話は、ピペタにとって思わぬ収穫だった。

 かつてメレタが勤めていたような安食堂では、今でも、今夜のテーブルに並んだような庶民向けの料理が食べられるのだという。そうした食堂のほとんどは、店自体が庶民向けではあるが、中には、騎士が出向いてもおかしくないような『格』を整えている店もあるらしい。

「うむ。大げさな言い方になるかもしれないが、そういう店の所在を聞くことが出来たのは、まさに僥倖だった。今度、一人で足を運んでみようかと思ったくらいだ」

「あら、まあ! ピペタ隊長、一人で行くくらいならば、こっそり私にも声をかけてくれませんか? 今夜で私も『たまにだったら、また食べてみたい』と思いましたが、わざわざ一人で行こうというほどでもないので……」

 一緒に食事に行こう、という提案だが……。

 ラヴィのような若い女性と二人で行くのであれば、それこそ、まるでデートではないか。いったい何を考えてラヴィは、わざわざ上司と二人で食事に出かけよう、などと言い出したのか……。


 もしかすると彼女は、酔っているせいで、思ってもいない言葉が口から飛び出してしまったのではないだろうか?

 そう考えた上でラヴィを見つめ直すと、ピペタには、彼女が少し驚いたような顔をしているようにも見えた。自分の発言にびっくりした、といった感じだ。

 これは、見ようによっては「乙女が秘めた恋心を、つい口にしてしまった驚き」と考えることも出来るかもしれない。若い頃のピペタが同じ状況に直面していたら、願望込みで、そう解釈していたことだろう。実はラヴィは自分に惚れていて、彼女は今、酒の力を借りて、普段は言い出せないデートの誘いを口に出したのだ……。そう誤解してしまったに違いない。

 しかし、今のピペタは、もうそれほど若くもない。だから「勘違いしてはならない」と、厳しく自分を戒める。

 日頃の彼女を見ていれば、一目瞭然だろう。ラヴィは、上司としての自分を慕っているだけであり、恋愛感情をいだいているわけではないのだ。

 ピペタの『願望』や『誤解』は、恋愛小説の中だけの夢物語に過ぎない。それを現実に当てはめたりしたら、それこそ騎士寮で――ピペタより若い騎士ばかりの寮内で――笑い者になってしまう。

「どうせ、酔っ払いのたわごとだ」

 隣のラヴィにも聞こえないほどの小声で呟いた後、ピペタは、彼女に笑顔を向ける。

「そうだな。都合があえば、一緒に食べに行こうか」

 たとえラヴィが本気でなかったとしても、はっきりとピペタの方から拒絶したら、失礼にあたるだろう。そう考えたピペタは、一応は「一緒に行こう」という話にしておく。

「はい、ピペタ隊長。声がかかるのを、心待ちにしておきます」

 笑顔で返すラヴィを見て、ピペタは思う。

 本当に彼女が酔っているのだとしたら……。明日の朝になって酒が抜けた時、こんな会話があったことすら、ラヴィは覚えていないかもしれない。


――――――――――――


 同じ頃。

 騎士学院の秋キャンプで怪我をしたファバ・ミナは、自室で一人、布団にくるまって、ガタガタと体を震わせていた。

「父さんにも話してしまった……」

 ファバは今朝、父親のレグに、全て正直に告白している。『魔女の遺跡』を荒らしたことを、きちんと語ったのだ。

 その場でレグは、ファバを叱るというより、むしろ失望の色を顔に浮かべていた。ファバが父の期待を裏切る度に、何度も見てきた表情だ。ファバは、そんな父の顔を見るのが何よりも嫌だったが、同時に「正直に話して少しスッキリした」という気持ちもあった。

 しかし。

 一人になって改めて考えてみると、本当に話して良かったのか、と後悔し始めたのだ。怪談話の中には「呪いが感染する」というエピソードも数多くあることを、ファバは思い出したからだ。

 もちろん、そうした怪談の多くはフィクションなのだろう。しかし今回『魔女』の呪いという、まるでフィクションのような話が、現実にファバの身に降りかかってきたことは間違いない。ならば、そうした怪談で語られる「伝染する呪い」のルールが、現実にも適用されるのではないか。話を聞いただけの父レグにも、何か悪影響が及ぶのではないか。

 今さらになって、ファバは心配になるのだった。


『喋ったな……。呪いが広がるぞ……』

 突然。

 ファバ以外に誰もいないはずの部屋で、くぐもった声が聞こえてきた。

「……!」

 反射的に耳を塞ぐファバだが、そんなことをしても無駄なことくらい、自分でもわかっていた。今の声は、耳で聞くというより、頭の中に直接、届く感じだったからだ。

『お前と、お前の友人だけはない。もはや、お前の父親にも、災いは及ぶ……』

 不気味な声が告げる内容は、ファバには、死刑宣告のように感じられた。

 彼は、両手でガバッと布団をはねのけて、その場に立ち上がる。勇気を出して、見えない存在に向かって叫んだ。

「父さんは関係ない!」

 今の仕草で、折れた右腕がズキッと痛む。しかし気にせずに、ファバは両腕を振るった。まるで、その声の主が近くに漂っているかのように。それを必死に、追い払おうとするかのように。

 転落事故でいためた右腕には今、添え木が包帯で固定されている。命にかかわるほどの大怪我でもないため、そのような処置で済まされていた。この程度の骨折ならば、回復魔法を得意とする魔法使いに治療してもらったら一発で完治するはずだが、魔法治療は高額なため、簡単に受けることは出来なかった。

 ちなみに、勇者伝説の時代には、庶民が気軽に魔法で治療されていたらしい。だが、今や魔法使いの数自体が減ったために、魔法医療の実情も大きく変わっているのだった。

『関係はある……。呪いは、連帯責任なのだ……』

 頭に響く声は、まるでファバの思考を読むかのように、彼が心配した通りのことを言う。だから、続いての言葉は……。

『それが嫌ならば……。お前一人で、引き受けるつもりならば……。その命をもって、責任を取ることだ……』

 もしも、この場に第三者がいたとしたら「そんな声など、気のせいだ」と忠告したかもしれない。「ファバ自身の心の声だ、だから考えた通りの内容を言われているのだ」と指摘したかもしれない。

 しかし残念ながら、この場に、そんな『第三者』など存在しなかった。だからファバは、全ての言葉を『魔女』の悪霊から告げられたものとして、受け取ってしまうのだった。

「僕が……。僕が、責任を取ればいいのだな!」

 ファバは、声を震わせながら、それでも一番大きな声で叫んだ。


 寝ているはずのファバが、布団から出て暴れた上に、大声を上げたのだ。当然、それは部屋の外まで聞こえてしまった。

 心配になった父親――レグ・ミナ――が、ファバの部屋に駆けつけてくる。

「ファバ! 何があった?」

 緊急事態だと察して、勝手に扉を開けて、息子の部屋に入るレグ。

 彼が目撃したのは、何やら叫びながら虚空に向かって手を振りかざす、半狂乱の息子の姿だった。

 しかも。

「ひっ!」

 父親の姿を見た途端、ファバは、怯えた態度を示したのだ。

 もうレグは、わけがわからない。とりあえず、息子を落ち着かせる意味で、なるべく優しい声をかける。

「私だよ、ファバ。どうしたのだ?」


 疑心暗鬼に陥った人間には、ただの『枯れ尾花』が『幽霊』に見えることがあるという。それと同じで、精神的な問題だったのだろうか。

 あるいは。

 ファバは本当に呪われてしまったのだろうか。視覚的な認識が異常になるのも、呪いの一部なのだろうか。

 どちらにせよ。

 今のファバには、父親のレグが『父親』としては見えていなかった。ぼうっとした、白っぽい人型の存在……。つまり『魔女』の悪霊として、ファバの目には映っていた。

 だからレグの言葉も、

『私だよ、ファバ……』

 悪霊が「直接、来てやったぞ」と言っているように聞こえる。

「つ、ついに来たな……。この悪霊め!」

 勇気を振り絞って、ファバは立ち向かう意思を示した。『魔女』の呪いが広がったら、父親にも迷惑がかかる。その呪いの元凶たる『魔女』の悪霊が現れたのだから、こいつさえ何とかしてしまえばいい……。

 そう考えたファバは、ぶんぶんと腕を振りながら『悪霊』に突進する。

『おい、ファバ……』

 いきなり息子の突撃を受けたレグは、受け止めるのではなく、それを避けたのだが……。これもファバには「自分の突進が悪霊の体をすり抜けた」と思えてしまった。

「やっぱりダメか……。相手が悪霊では……」

 実体のない幽霊に、体当たりのような物理攻撃は通用しない。今さらのように悟ったファバは、戦う以外の手段で『悪霊』に対処しようと決心した。

「ならば……!」

 先ほどまでは『悪霊』が部屋の出入り口を塞ぐ形になっていたが、今の突進で位置関係も変わり、ファバの方が扉に近くなっている。

「僕は、ここだぞ!」

 叫びながら、ファバは部屋から飛び出した。

 家に現れてしまった『悪霊』を、このままにしたら、それこそファバの家自体が呪われそうだ。父レグも住んでいるこの家に、手出しをさせるわけにはいかない。この『悪霊』は、自分が引き付けることで、この家から追い出してやる……!

 そう強く決意して。

 部屋を出たファバは、自分の家からも飛び出し、夜の街を疾走するのだった。

   

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