第2話 もう一人の異世界人



オレは、ニートではない。

学校にも行っている。

自分の部屋が好きなだけで、出席日数は確保しているのだ。イジメられてもいないし、担任にも問題はない。

その話は、置いておいて……。

今日も、今日とてゲームをしているそのとき――

『はっ……!』

第六感とも言うべきものが、そのモニター向こうの存在に声をださせていた。

『監視が来ました。一旦、離れます……』

それは、これから起きる災いへの予兆か、凶報か。

ポチのそれでも控えめな声には、抑えきれない焦りの色がにじみでるようであった。

それを知ってか、知らずか……。

モニター前でポチと会話をしていた気配がスルスルと、まるで不安を埋めるようにオレの隣へと移動してきたのだ。

すると、次の瞬間――

「はっ……!」

やはり、こちらも第六感とも言うべきものが、オレの隣にいるその透明な存在にも声をださせていた。

「……焼き芋たべたい」

まあ、わかるよ……。

オレのやっているゲーム画面には、焼き芋のやけにリアルなグラフィックが映し出されているところだった。

オレとメイに共通する感覚は、ある意味、そのデザイナーへの賛美にもなっているものの、ゲームと無関係であることへの嘲笑ともなっているものでもあった。

そして、さらに――

はっ……!

もはや第六感とも言えない絶対的な確信が、オレの全身をその一点へキュッと縮こませるのだった。

……ヤベ。屁ぇ出そう。

「今だしたら、引火爆発させる」

他愛もない会話である。

そこへ。

『メイさま、メイさま』

モニターから、ポチの声がする。

焼き芋に、屁。

ポチのいなくなっていた間に、それらのワードが公開され、こちらの空気は陰りをみせていた。

「空気の陰りって……あんた、まさか」

……いや、まだ出てないけども。

メイもピリピリしているようだ。

それらの不穏さと相まって、ポチの焦りを抑えるような声が、これから起こるであろう波乱を占うかのようであった……。

『そちらに転校生がやってくるようです』

「へ?」

へ?

……。

声が、ハモった……?

……というか、ギャグのようになった。

……。

屁。

訂正したら負け。そういう空気だった。

だれもがつまらない奴にはなりたくないものだ。それでも言わなければならないこともあるのだろうが、すでにタイミング逸しているここでそれをするのは、自殺行為にも等しい愚行と言えるのかもしれなかった。

『それでは、通話を終えます』

「……」

……。

ポチがいなくなったわけがだが……。

もはや、これでツッコミという要素は、不要になったかに思われる。ボケは、オレとメイの双方によって、偶発的に重なり合ったのだ。ノリツッコミという技もあるにはあるが、それをするにもやはりタイミングがあるし、なによりテクニックが足りていない。

しかし……。

どうにも居心地が悪い。ツッコミは要らないにしろ、なにかきっかけが欲しいっところだ。

……ん?

そういえば、ポチがなにか言っていたような……?

さっき、なんの話をしていたんだっけ……?

「引火爆発」

いや、そっちじゃなくて。

「そういや、我慢していたの、どうなったのよ?」

……引っ込んだ。

「なら、いいわ」

なら……おなら。

「……」

……。

「もう、いいから。行ってきなさいよ」

うん……。

オレの負けだった。



次の日。

オレは、学校に来ていた。

とくに変わり映えのない風景だった。

それが――

一変した。

オレのクラスへ、転校生がきたのだ。

それとおぼしき女子生徒が、黒板のまえに立っている。

「はじめまして。甘利由梨(あまりゆり)と申します」

おぉ~。

教室の生徒たちが、ざわつく。

転校生というイベントなど、滅多に起こることでもないため、この非日常感にはだれもが興奮せざるを得ないようであった。

そんな中――

オレだけは、昨日ポチに言われたことをこのタイミングで思い出す羽目になり、それに対する脳内の対応に追われていた。

そう。異常事態なのである。

落ち着け……。

まず、ポチの持ってきた情報という意味を考えねばならない。

転校生は、異世界関連の人物ということになるはずなのだ。

ポチからはそれ以上のことは聞かされていないが、この甘利由梨とやらも、むこうから召喚された人物の可能性があるわけだ。

メイと同じ世界の住人である。

魔法がつかえるのかもしれないし、こちらの常識とのズレがあるのかもしれないし、メイのような厄介な性格なのかもしれないし……。

それに、わざわざオレと同じクラスに来ることだ。

明らかに狙ったものであるのだろうが、ポチの口ぶりからして、メイの敵対者の息がかかった人物と見るべきだろう。

それに対して、オレはどうすべきなのだろうか……?

なんにせよ、ここでのオレのリアクションは一つしかない。

前の席のやつの背中に隠れるように身を縮めることだ。

関わるのか……? それとも、近づくのか……?

与えられた情報が少ない以上、とりあえずは、面倒事は避けるべきだろう。

しかし、余計な心配なのかもしれなかった。

なにせ、美人だ。

クラスメイトたちも、一瞬で虜になってしまっているようだった。

彼女に対して目立とうとする男子が多ければ、その分、オレの存在も誤魔化せるというものである。

で。肝心の甘利由梨は、というと……。

「あまり……見ないでください」

赤面して、くねらすように身を縮めていた。

そんなことをされては、磁石に吸い寄せられるようにクラス中の視線が向いてしまうのは明らかである。

案の定、そうなった。

その魅力は、同性にも効果があるようで、女子たちが我慢できずに椅子を蹴って立ち上がりはじめた。

さらに、男子も負けじと突撃していく。

あっという間に、甘利由梨のまわりに人だかりができてしまった。

……というか、オレ以外の全員が行ってしまったぞ。

オレだけ座っているわけにもいかず、目立たないようにするために、人だかりの最後尾に身を寄せる。

これが魔法なのかはわからないが、もしもこのような魔法があるとするなら、メイとは反属性のような関係であるのかもしれないと、普段の言動から推察してみたりもするオレであった。

それにしても……オレには効かないのな?

もしかしたら、すでにメイの魔法にでもガードされているのかもしれないが、それにしても、オレだけ美人に見惚れないというのも貴重な経験ではあった。

……と、まあ、そのことは置いておいて。

しかし、すげぇのが来たな……。

美人すぎれば近づきづらくなるものだろうが、甘利由梨の場合は、その物腰の柔らかさでうまく中和されているようなのだ。

特筆すべきは、魅了する相手を選ばないところだろう。

なにせ、そこに集っている面子である。

陽キャはわかるが、普段、はしゃがない男子までもが、吸引されてしまっているのだ。

オレも、思わず叫びたくなる……。

……井上! おまえは違うだろ! ヒエラルキーの底辺に位置するおまえは、そこに行っちゃいけないやつだろ!

……猪瀬! おまえがなんで前列にいる!? 陽キャみたいに振る舞いやがって。陰キャの鑑たるおまえには合ってねぇよ!

……伊能! おまえもか! 笑顔なんてはじめて見たぞ! 痙攣しはじめる前にその笑顔筋をゆるめろ!

まさか、陰属性で名高い――イノ三兄弟までもが吸引されてしまうとは……! おそるべし魔性の女といったところか……!

今後、オレも関わらざるを得ないのか、どうか……。

オレの進むべき未来にも、この人だかりのように、立ちはだかるものがあるように思えてならなかった。



オレが家に帰ると――

モニターに、ポチのぬいぐるみ姿が映っていた。

メイもそこにいるらしい。

「ちょっと優遇しすぎじゃないの? どんだけ綺麗なのよ……」

『散らかしていないだけですよ。引っ越してすぐですから』

「あたしがこの部屋に同居で、むこうが新居って……納得がいかないわ!」

『女の一人暮らしですから、すぐにボロが出るはずですって』

二人の会話から、転校生の家に不法侵入したことがうかがえた。

それを横目に、オレは鞄を置く。

触れないでおこう……。

そして、関わらないでおこう。

それが平和への近道というものだ。

そう決意し、オレは寝た。

――次の日。

「……校内を案内してください!」

甘利由梨の声が、廊下にまで響きわたった。

オレは、まわりをゆっくりと見回してから……。

眉間の皴を……天井にむけた。

甘利由梨が、確かにオレに対して言ったことのようだ。

当然ながら、注目の的である。

「あの見目麗しい彼女が、どうしてあんな冴えない男子に……?」

そういう目もあれば――

「あんなに真っ赤になってまで言ったのだから、応援してあげたい……!」

そういう目もあるだろう。

そして、後者こそが、彼女の狙いであるのだろう。

しぼりだすような声で、うつむきながら、目をギュッと瞑って、全身を震わせて……。

勇気をふりしぼったのであろう、その様子をみせられては、この衆目のなかでは断るわけにもいかなくなる。

やはり、異世界関係者ということか……。

ポチの事前情報がなければ、オレもコロッと騙されていたのかもしれない。それと、モテない男ほど女のセールスに引っかかりやすいというネット情報も、今のオレの支えになっていた。

ただ、表面上は、自然に振舞わねばならないだろう……。

オレが了承すると、甘利由梨の友達であろう女子たちがワッとわく。それもまた、むこうの戦略といったところか。

すると――

「……チッ」

クラスを代表するかのような舌打ちが、なぜか斜め上のほうから聞こえてきたのだった。

おまえ……そこに居るな?

これを、どう見るべきなのだろうか……。

異世界関係という観点から言えば、透明なそいつは、オレの味方であるはずなのである。

しかし、そのリアクションからいって、素直に味方になるとはおもえなかった。

なにより、この状況である。

おそらく、女子たちは甘利由梨の後援のような立場であるのだろうが、オレがそれに乗ってしまうと、彼女を好いている男子たちへの配慮がなくなってしまうことになりかねない。

そこに、舌打ち魔女の登場とくれば……。

もはや、なにに気を使えばいいのかわからなくなってくる。

とにかく、行くしかなかった。

オレを先頭に、トラブルの種を引き連れながら、校内を歩く。

甘利由梨は、恥ずかしさを俯けるようにしてオレに寄り添っていた。

……近い、近い。

ただでさえ、すれ違う生徒たちからの眼力に晒されているというのに、これ以上、どんな仕打ちをオレに与えれば気が済むというのか。

もはや、ストレスである。

この事態を乗り切るには、現実から目をそむけるしかないのかもしれないとまで思えてきた。

つまりは、妄想である。

……仮に。

甘利由梨が異世界人でなく、ただの可愛い転校生であるとすれば、校内案内しているこの状況も、嬉しいものとして受け入れられるだろう。

……いや、待て。

異世界人でなければ、転校してきた理由もほかにあるわけで……そうなると察せられるものも限られてくるわけだ。

無難なところでは「親の仕事の都合」になるが、もしもそれ以外となると、とんでもない地雷が出てくるのではなかろうか?

つまり……男たちによる甘利由梨の取り合いである。

今もほら、すれ違う人からの殺意が、オレの後頭部を焦がすようではないか。

そんな側面を知ってか知らずか、甘利由梨は、

「私のために喧嘩はやめて」

……的な感じで、これまでにもより多くの流血をそそのかしてきたのかもしれない。

となれば……。

……オレは生贄なのか?

転校までした身で、天然なわけがない。裏事情を知っての、この校内案内なのだ。

表立ってはオレを矢面に立たせ、裏では本命に接近していくという戦略か。

やがて、オレは数多くの嫌がらせから不登校になり、甘利由梨がどうなったか知らないまま卒業を迎えることになるのだ。

そして、甘利由梨はすべての責任をオレに押しつけたまま、本命と仲良く卒業していき……。

あ。目眩が……。

現実逃避のはずが、より深みにハマってしまっていたようだ。

「……バッカじゃないの?」

廊下をわたる喧噪のなか、やけにハッキリした罵倒の声が、オレを夢から覚ますようだった。



依然、オレを先頭にした校内案内の途中であった。

オレの左側に、甘利由梨がいる。

ほんのりと赤い顔をうつむけて、いかにも初々しく、守ってあげたくなるような姿であった。

その逆の右側からは……。

「チッチ……! チッチ……!」

舌打ちが聞こえてくる。

……嫌な心霊現象だ。

生前になにがあったか知らないが、こっちまで不快にさせるとは、迷惑な幽霊もいたものである。せめて恐がらせるなりすれば、幽霊としての体裁も整うものを、これではただの嫌われ者に成り下がる。

そんな両極端のオレの左右であるのだが、その内情はまったくの逆であるのだから、世の中わからないものであった。

そんな地獄の道案内だが、いよいよ佳境に入ってきた。

ここが過ぎれば、オレは解放される――

しかし、そう簡単には離してくれないのが、このツアーの肝要なところなのだろう。

そう……この校内案内の誘いは、甘利由梨からだったのだ。女子同士でやればいいところを、男子のオレを誘っている時点で、良からぬ裏側が垣間見えるようであった。

これで終わるはずがない……。

今に、きっと、とんでもない爆弾を放り込んでくるはずである。

女が、男を惑わす――

人類において、有史以前からつづけられてきたであろうその技能が、今まさに、遺伝子の内から解き放たれようとしているのだ。

すると、校内の端である壁が見えてきたところで、甘利由梨がこんなことを言い出した。

「もう、終わっちゃうんですね……」

なんと、おぞましい執着心か……!

この、奈落の底へと引きずり込むかのような声が、これまでどれだけ多くの男の歩みを踏み外させてきたのだろう。まるで、そこに酒池肉林があるかのように見せかけて、落ちてしまえば法律の鎖でがんじがらめに縛りあげる罠が仕掛けられているのだ。

こんなの聞いてねぇよ――

その後の男の涙声が、闇の底に響いているかのようではないか……!

さらに、追撃とばかりに、甘利由梨がなにかを言いはじめた。

「放課後って、なんだか寂しいですよね……」

共感性まで刺激してきやがるとは……!

この、つなぎ合うかのように差しだされた手が、これまでどれほどの男を傀儡にしてきたことだろう。わずかでも隙をみせたところから糸を侵入させ、体内を這いずり回る虫のように寄生させて操っていくのだ。

自分の意思だったはずなのに――

その後の男の悲哀が、動かない口の奥で響いているようではないか……!

ここで、とどめとばかりに、甘利由梨が言ってくる。

「よろしければ……一緒に帰りませんか?」

ついに、罪悪感を呼び起こしやがった……!

この、相手を丸裸にするかのような澄みきった眼差しが、これまでどれほどの男の退路を断ってきたことだろう。選択肢を与えられているようで実質一択という、姦計の限りを尽くしたかのような悪行の極みである。

断ったら、悲しむとおもって――

その後の男の言い訳が、一本道の廊下に響いているようではないか……!

「もう……病気ね」

ここは、地獄。

居るはずのない医者が、どこからか、オレを診断してきやがる。

治すつもりもないのに、癒すつもりもないのに……。

まるで実験の観察のように、夕日に染まる地面にのびたオレと甘利由梨の長くなった影を、遮ることなく見ているだけである。

影も見せずに、見ているだけ……。

オレの苦悩を、見ているだけ……。



オレは、女嫌いではない。

美人は好きだし、おっぱいも揉みたい。

3D表示のゲームでは、必ずローアングルからの視点にカメラをむけるし。胸揺れのナチュラル度合いをチェックすることも忘れない。

そんなオレが、甘利由梨に対しては、無関心を貫いているわけだ。

もちろん、異世界のこともある。仕掛けられた罠があるとわかって、踏み込むバカもおるまい。

それでも、この鉄の意志がゆらぐことがなかったのには、いくつかの理由があるのだ。

今から、それを披露しようかと思う。

女に惑わされないための三ヶ条である。

まず一つ目。

顔を見ない――

これは、さほど難しいことではないだろう。

常に、視界をそらすことによって、美人であることを意識しないで済むという、至極簡単な理屈である。

さらに、男は、その本能から女の胸を見てしまうというが、あえてそれを推奨していくこともする。

体だけなら、美女も不細工も、同じ肉である。

それを意識するため、あえて胸を見るのだ。

胸を凝視するからといって、べつに恥ずかしがることもない。なぜなら、顔を見ないため、という大義名分があるからだ。エロい目線をしているわけではない。あくまで視線の避難的意味合いで、胸を選んでいるだけなのである。

つぎに二つ目。

息を止める――

これも、特に難しいことでもないだろう。

男にとって、女という生き物はそれだけで甘い匂いのしてくるものであり、とくに美女ともなれば格別のものを漂わせているものだ。

どんなに精巧につくられた機械も、水没すればぶっ壊れるように、どんなに凝り固まった理性も、女の甘い匂い一発で吹っ飛ぶことになる。

それを遮断するのである。

匂いがなければ、女なんざ、ただの肉である。

そのために、匂いを断つのだ。

コツとしては、普段から息止めの訓練をするというより、どのタイミングからでも息止めできるように、つねに余裕のある体力でいることだ。無理をせず、なにに対しても余力のある状態を維持し、なにも頑張らないことが成功への鍵となる。

最後に三つ目。

会話をしない――

これには、少々テクニックが必要になるかもしれない。

女との会話は、楽しいものだ。

女の声を聞いているだけでも、大抵の男はうれしくなってしまうし、それが対話ともなれば、相手の反応を知りたくもなってくる。

ましてや、女の声に褒められでもしたら、男はそれだけで天にまでのぼりつめてしまうことだろう。

だからこその、無言である。

これを簡単だと思った男がいるのなら、おそらく、そこには足りない要素があるように思われる。

無視ではいけないのだ。

最低限のコミュニケーションを成立させてこそ、このミッションは成功したと言えるのである。

オレを例にとってみよう。

先ほどのオレは、学校案内という謂わばマニュアルがあったからこそそれを読み上げるように喋っていたが、それ以外を見ていればわかるとおり、日常会話の一切をせずにその時間を乗りきっているのだ。

例え、むこうから話しかけられても、すべて無言を貫き、機嫌の悪さでもってむこうを納得させる。無視ではないのだ。

どうしても返事をしなければならない場合は、首を縦か横にうごかせばいいだけのことだ。このとき、女の顔が視界に入ることになるが、寄り目をして視界をボヤかせる工夫もしておくことだ。もちろん、息を止めることも忘れない。

これら一連の行動により、オレという男子は、いつも女の胸をみていて、動きが少なく、ずっと不機嫌である、という印象を与えることになる。

じっと胸をみて、じっと動かず、じっと黙っている……。

つまり……。

むっつりスケベである。

……それでいいのだ。

目的は、女を遠ざけることであり、それを後押しするように、女のほうから遠ざかるのであれば、なにも問題ないではないか。

クールな男子を気どったところで、どうせスケベであるのだから、かえって潔いではないか。

ここまでが、オレによる女への対応策である。

……お分かりいただけたであろうか?

オレは、この徹底した自己管理あってこそ、甘利由梨のアプローチをかわしつづける結果に至れたわけなのだ。

「それじゃ……また明日ね」

そして、最後も手を振らない。

じっと見ているだけだ。

……お分かりいただけたであろうか?

「……キッパリ断らないから、ついてきちゃってたんだけど?」

メイがなにか言ってきているが……。

誤差の範囲だ。

オレは、普通に帰ってきていただけであって、斜め後ろにいる甘利由梨などに一瞥もくれていない。

こうして、オレの華麗なる一日は、幕を閉じたのであった。



「静粛に!」

オレの部屋に、空のペットボトルが浮いている。

そのペットボトルが、ポコン、とモニターを指し示した。

「まず、これを見るように!」

喋り方から言って、軍隊を連想させるのだが……。

映し出されたのは、ゲーム画面であった。

どこかの動画サイトらしく、いわゆる実況プレイをしているようだ。

配信者は……女だな。

ただ、声に馴染みがあるような気がするのは、オレの気のせいなのだろうか……?

聞き覚えがあるということは、オレの知っている有名人かなにかなのだろう。

メイのゲーム実況は、未だにつづいている。

金にはならないし、定期的に停止させられるが、それでもつづけている。

そのメイが、この動画を見ろ、と言っているわけだ。

つまりは……アレだ。

メイは、他人の動画をチェックしていたということらしい。

モニターのこの動画の再生数も、オレたちとは桁がちがっているし、勉強しているとは感心なことである。

『あの……みなさん! ちゃんとゲームをみてください! 一生懸命やっているんですから! そっちのコメントをしてください~!』

実況者の声だ。

生放送だったらしく、視聴者からのコメントに、ゲーム以外のことばかり書き込まれていたのだろう。

可愛らしい声だし、視聴者の気持ちもわからなくもない。

新任の学校の先生が、生徒から恋人の有無を訊かれるようなもので、真面目にしようとすればするほど、からかいたくもなってくるものなのだ。

この実況者もまた、ゲームに対して一所懸命だからこそ、視聴者も野次を飛ばしてみて、その反応を楽しみたいのだろう。

もちろん、からかいを止める者などいないから、一対多数のボッコボコである。

そして、実況者の声が、ついに沸点を越えたようだった。

『見てくれないのなら、もう終わりにしちゃいます! お風呂入らなきゃいけないし!』

すると、画面にアイテムが乱れ飛びはじめた。

どうやら海外のサイトらしく、視聴者から配信者へ、直接課金できるシステムらしい。

突如として、課金の雨霰になったことで、実況者は慌てるしかない。

なにせ、金が乱れ飛んでいる状況である。視聴者が身銭を切っているのに、実況者が反応しないわけにもいかず、謝罪やらお礼やらで、てんやわんやにならざるを得ない。

つまりは、直前までの怒りが高まっていれば高まっているほど、課金直後との落差が大きくなり、さらにその課金の金額が高ければ高くなるほど、課金直前との差もまた大きくなることになる。

おそらく、視聴者が一丸となって、この流れをつくりあげたのだろう。しかも、視聴者同士でコミュニケーションもとらず、合図も送らず、アイコンタクトすらなく、この結果を導いたとすれば、これほど痛快な娯楽もないのかもしれない。

未だに乱れ飛ぶ課金アイテムは、自分たちへの称賛という意味なのかもしれない。そこに実況者のリアクションも追加されるのなら、惜しむものもないのだろう。

『待ってください! ちがうんです! お金がほしかったわけじゃないんですって~!』

それにしても、いいリアクションをするものだ。

あざと……いや、天然か……?

少なくとも、声の感じからは、演技のニオイはしてこない。

金の量からいって、視聴者はオヤジだらけのようだ。年上に受けいれられるキャラクターというものは、こういうところで得をするという典型例だな。

……で。これがなんだって?

オレは、メイに訊いた。

宙に浮いたペットボトルが、ペコッ、とモニターを叩く。

「いい? これが……敵よ!」

……いや、無理だろ。

ライバルどころか、足元にも及ばない……踏んですらもらえないほどの開きがあるぞ。

再生数でいえば、二桁、三桁……いや、四桁の差があるのではないか?

同じ配信者として見ることすらおこがましい。

スッポンはスッポンらしく、お月さまを見上げるだけで満足しなければならない。

……あれ?

今、一瞬だけ、実況者が映った……?

おそらく、ミスタッチでゲーム画面から自撮りカメラに切り替わってしまったのだろう。

顔は見えず、立ち上がった胸元だけだったが……そのふくらみに見憶えがあった。

オレのおっぱいフォルダの「テレビ」でも「ネット」でもなく、「リアル」に収められているような気がするのだが……?

なんだったっけ……?

「甘利由梨よ」

メイが、言った。

……マジか。

どうりで聞いたことがあると思った……。

乱れ飛ぶ課金アイテムのなか、顔も見せずに集客するその底力に、オレは肌寒いものを感じずにはいられなかった。



『甘利由梨もまた、ゴローさまのお部屋にある「異世界帰還への鍵」を欲しているようです』

ポチが、モニターにぬいぐるみの姿をさらしながら言った。

ゆるい姿ではあるが、声は緊迫したものである。

そこに、メイの声が加わった。

「奴のこれは、謂わば布石よ。問題は、どうやってそれを使い、アピールしてくる……か!」

宙に浮いたペットボトルが、ベコッ、と凹む。

メイも、焦っているようだ。

そんな二人に対し……。

オレのリアクションは、冷めたものだった。

オレの部屋にその鍵があったとして、それを欲している両者のどちらに肩入れするかなど、だれに決められるというのか。

オレは、メイにも甘利由梨にも、どちらに対しても義理や情を感じていない。

そんなオレを味方につけたいというのなら……。

……聞かせてもらおうか。オレにメリットは?

『甘利由梨に先を越されると、メイさまが帰還できなくなる恐れがあります』

メリットではないが……由々しき事態のようだ。

メイが帰還できない……。

……よし、やろう。

キミたちに協力しようではないか。

「あんたらね……」

とにかく!

甘利由梨は、この部屋に来たいらしい。そのために、オレと知り合おうというわけだ……。

……ケッ! 笑わせてくれる!

だったら、オレに近づいてきたことも、すべて策略あってのことというわけだ。

微塵も、心なんか無かったわけだ!

あの笑顔も……! あの言葉も……! あの、あの……!

「……我慢していたわけね」

『涙、拭いてください』

……やかましい!

いや、こっちなんかに構っていられるか!

あの、甘利由梨の野郎……!

童貞の心をもてあそびやがって! だれが、童貞の部屋に入れてやるもんか!

いくらゲームをやっているって言ってもなぁ、オレの部屋でいっしょにゲームなんて、そんな……あのカワイイ子が部屋着でなんて、そんな……あの、あの……!

「動画みて、トキメイちゃったわけね……」

『ゴローさまも、現代っ子なのですねぇ』

……もう、いい!

ここまで知っている以上、どんな方法でアプローチしてこようが、オレの心が動くことなどない!

なにより、驚きがない!

ゲームは、発売前が一番おもしろい――

こういうことだ。

期待があればこそ、人は興味を持つものであって、すでに知れたものなどに、人は食指を動かさないものだ。

男女のきっかけもまた然り。パターン化されたものに、惹かれることなどあろうはずがない。

来るなら来てみやがれ! 相手のペースになど、絶対に乗ってやるもんか!

「哀れね」

『味方なんですから、そこは慰めてくださいよ』

うがぁぁぁぁ!

やってやるぜぇぇぇぇ!

きぇぇぇぇえええぇえぇええぇええ!

次の日――

「こ、これ、みてください……!」

動画を、スマホごと渡された。

まるで古のバレンタインデーの一場面のようである。

しかも、これは彼女のスマホではないのか?

それごと渡すなんて……自分の家の鍵を渡すくらい思い切ったものではないのか?

オレが受けとると、真っ赤になった彼女は走り去ってしまい……。

その場に取り残されたオレは、胸のトキメキをどうすることもできずにいた。



「小手先なしとは、自信満々のようで、え~?」

ネチっこい声が、オレを見下ろす位置から聞こえてくる。

……まあ、メイなのだが。

なんで、オレが肩身の狭いおもいをせねばならないのか……。

甘利由梨から、スマホを渡された。

これを手放すことは、相当な覚悟で臨んでいることの表れであるのだろう。

そのことを想えば、無下にすることなどできようはずもないではないか。

中身の動画も見ないわけにもいかないし、スマホも返さないといけない。今、どれだけ不便な想いをしているのかを想像することもしなければならない。

重い……。

バレンタインの本命チョコよりも、手編みのセーターよりも、重い……。

家の合鍵よりも、連絡先の交換よりも、卒業アルバムよりも、預かった飼い猫よりも……。

まあ、見るしかないか……。

感想を求められたとき、気まずくなっても困るし……。

『まんまと策略にハマっているように見えますが』

モニターのぬいぐるみが、知った口をきいているが、オレの知ったことではない。

視聴中――

……まあ、見たけど。

改めて、再認識したというか、なんというか……。

ただ、メイに見せられた動画で知っていたし、その予習のおかげか、それほどセンセーショナルな風は吹かなかったというか……。

そもそも、動画サイトにいけば見れるわけだし、稀少性がないというか、それほどプレゼント感がないというか……。

まあ、ぜんぶ見たけどね……。

動画は、ゲーム実況のほかにも、自撮りしたものもあった。

おそらく、これは、ネットのどこを探してもない動画であるようなのだ。

なにやら「フレー、フレー」やら、「がんばれ、がんばれ」やら、「イェイ」やら、そんなのだ。

励ましてくれているというか、応援してくれているというか……。

なんというか、まあ……。

だからどうした、というか……。

そうなんですか、というか……。

「……あんた、その動画、何回リピートすれば気が済むのよ?」

……はっ!

ち、ちがう……! これは、その……なんだ……むこうの策略で!

まさか、すでに毒物を仕込み、オレを内側から操っていたとは……!

『中毒ということですか?』

これ以上、あの娘に関わるとヤバい。なにがどうなるのかわからないが、とにかくヤバい!

動画の感想を求められて、こっちがちょっと褒めただけで、ものすごく喜んでくれたりするかもしれないし!

下手したら恋人になって、休日にデートしていたら、「甘利由梨さんですよね?」とかファンに話しかけられて、オレの後ろに隠れて恥ずかしがったりするかもしれないし!

将来の子供の人数とか、動画で話しちゃって、ファンに謝ったりするかも――

「……具体的に期待しちゃってるわよ、こいつ」

『なんだか手に負えませんね』

……。

……どうしよう?

もう学校、休んじゃおうか?

だって、こんな状態で会ったら、もう、色々とやらかしそうだし。

『それだと、お見舞いにくるのではないですか?』

「来るわね。この部屋が目的なんだから、確実に――」

ピンポーン……。

……。

『……』

「……」

その瞬間、だれも話さなくなった。

だれが来たのか……それはわからない。

しかし、それを確認する勇気などなく……。

物音一つさせることにも臆病になっていた。

そして、巣穴に潜む雛たちは、外に漏れているであろう電気メータの回転速度に気をつかうのであった。

電源OFF。OFF。OFF……。

あとは、暗闇で息を殺した……。



……行ってまいります!

部屋を出たところで、オレの覚悟が敬礼になっていた。

返礼はない。

もしかしたら、透明のメイがしてくれているかもしれないが、部屋を出る直前までコントローラが動きつづけていたため、その可能性はなかった。

それでも、オレの敬礼が、その精錬さを失うことはなかった。

オレが気合いを入れているのには理由がある。

昨日は、肝を冷やした。

不在票に書かれた時間から、あれは配達だったと知れたものの、甘利由梨とのリハーサルには十分すぎるほどのリアリティーだったと言える。

今すぐにでも、スマホを返さなくてはならない。

これほど便利なものは他になく、だからこそ、それを失うことへの不便さも容易に伝わるのだ。

スマホを貸しているからと言えば、家にすら上がれる口実になりうる。

その可能性に気づいた今、一刻も早く、その脅威の元を手放さなくてはならない。

オレは、学校へむかった。

目的は、甘利由梨にスマホを返すことである。もはや、勉学や学友のことはオレの頭にはなかった。

下駄箱は鍵付きのため、コッソリ返すことはできない。

教室に行くと、すでに生徒がいるため、机の中に入れることもできなかった。

やはり、直接か……。

当然、無言とはいくまい。

感想は、あくまで批評家のように……。

しかし、具体的なところを指摘してしまえば、改善されたものを再度提出されかねない。抽象的に芸術肌を出しつつ皮肉を込めて、言ってやるしかないのだ。どんなに嫌われようとも、どんなに悲しまれようとも、オレにはそれしか道がないのである。

おそらく、甘利由梨の狙いは、他人を巻き込むことにある。

例え、一方的な想いだとしても、周囲がそれを認めてしまえば、空気感というボーナス後押しが発生するのだ。

そうなれば、だれも二人の邪魔をしなくなり、どんな横恋慕も割り込めないバリアに守られることになる。

そして、くっつかずにモタモタしていると「付き合っちゃいなよ」と知らない同級生からも催促される状況におちいることになるだろう。

そして、部屋デートとかして、それらしい態度とっておきながら、いざ合体というときになったのに、そのタイミングで異世界に帰ってしまい、オレだけが童貞のまま部屋に残されることになるのだ。

最悪のオチである。

オレは、それに抗ってやるのだ……!

何人たりともオレの安寧を乱すものは許さない……。

……ゆるさなぁぁぁぁい!

「今日は……甘利由梨は休みか」

……なんだと?

出欠をとる担任の言葉だ。確かな情報だろう。

甘利由梨が、体調不良……女であるため、プライベートなこともあるだろうが、異世界召喚が原因の可能性もありうるな。

これには、甘利由梨も驚いているだろう。なにせ、作戦遂行中に、自身が倒れてしまったのだからな。

欠席ならば、どうしようもない。

せいぜい、体調がもどらないタイミングを見計らって、明日にでmおスマホ返すことにしますか。

「転校して間もないからな……家も近いところで、前島。プリント持っていってくれ。今日の日直でもあるし、丁度いいだろう」

これが……女か。

都合のいいことに、甘利由梨が休んだときに限って、まるで偶然のようにオレが日直であると……。

体調不良は……演技だな。

まさか、お見舞いをこちらからさせようとは……しかも、期限つきのプリントであるため、今日渡さなくてはならないものとは……どこまで計算しているのかわからなくなってくるな。

ただ、これはチャンスかもしれない……。

ピンチのときこそ、それが巡ってくるというが……まさに、今がそのときであるのだ。

放課後――

甘利由梨の自宅にて、オレは周囲をうかがっていた。

家のまえには……いないな。

背後にも……いない。

よし……いくぞ!

スマホをプリントにくるんで、ドアポストからストンと落とす。

そこからの……全力ダッシュ!

フハハハハッ!

……やったぞ! やってやったぞ!

これで面倒事からオサラバだ!

スマホもプリントも、本人に直接わたさなくてはならない、とか知るか!

もはや、オレには重荷などありはしない。

体が羽根のように軽い……どこまでも飛んでいける……オレは自由になったんだ……!

あぁ! こんなにも空が青いなんて! 風といっしょにあそびたい! 太陽に感謝したい! みんな! オレは生きているぞ!

あはは! あはははは! あははははははははは!

さて、とっとと部屋に入って、ゲームのつづきを――

「……あ。お邪魔してまーす」

ドサッ……。

鞄をひっぱる重力をなくすことができないように……。

甘利由梨がオレの部屋にいることもまた、消すことのできない事実であるようだった。



オレの部屋に――

甘利由梨がいる。

女座りして……。床にお尻をつけて……。膝がちょっと赤くなっていて……。

……いかん。クラクラしてきた。

すると、甘利由梨が言うではないか。

「えへへ。サボっちゃった」

てへペロ……。薄い普段着……。照れた笑顔……。

……どうしろと!?

いわゆる「来ちゃった」的なアレである。

まさか、オレの眼球にこんな光景が飛び込んでくるなんて……!

信じられない……これはモニターを通した映像ではない。リアルにオレの部屋で起こっている出来事なのだ。

しかし――

……だれが家に上げた?

いくらなんでも不法侵入なんてことをすれば、オレに拒絶されることは目に見えているだろうに……。

そんなオレのリアクションが伝わったのか、甘利由梨はその理由であるところを口にした。

「じつは、お母様と知り合いで」

……。耳を疑った……というか。

心臓が止まったかと思った……。

……いつからだ?

転校して間もないのに……というか、異世界から召喚されたばかりではないのか? それが……どういう経路でうちの母親と知り合いになったんだ?

女同士のほうが、ハードルは低い――

それを実践したということなのだろうが、実際にそれを実行してしまえるところに、サイコパス的な片鱗が垣間見えてくるようでもあった。

「……っていうか、五郎くんも、動画配信するんだね」

名前呼び……。

母親と区別するためとはいえ、すでに定着しているかのような自然な入り方だったな……。

……っていうか、五郎くんも。……っていうか、五郎くんも。……っていうか、五郎くんも。

これは……手に負えない。

なにせ、甘利由梨にとっては準備万端で臨んでいることなのだ。対して、オレはドッキリを仕掛けられているような立場でしかない。

こんなの勝てるわけがなかった。

さっきからオレ、一言も喋っていないし。

……メイ。……メイ。

なにか指示はないのか? 甘利由梨の行動を見ていたよな? なんでもいいからアドバイスをくれ。

すると、耳元に……。

「……勘違いするんじゃないわよ? 親から小遣いもらっているヒモの分際で、ここで間違いでも起こせば、色んな意味で収入激減するんだからね……?」

……孤立無援か。

甘利由梨がいる以上、ポチも呼び出すことはできないし、オレ独りでなんとかするしかないようだ。

甘利由梨による話題は、動画のことへと移っていった。

「なんか、あんまり露出しないほうがいいって、メールがきたんだけど……脱げっていうコメントのほうが多くて、どっちが正しいのかわからないの。アドバイスしてくれないかな?」

舌打ちだか、歯ぎしりだかが、虚空から聞こえてくる。

……おまえの動画には、罵倒コメか、悪ふざけコメか、罵りの懇願コメしか来ないからな。

その前に、今はメイではなく、甘利由梨のことなわけだが……。

……というか、これってアドバイスする必要なくね?

確かに、彼女の配信は、視聴者に振り回されることが多く、ハラハラさせられる場面も見受けられる。オレも何度か、コメントしようとしたかわからない。

しかし、現状の甘利由梨においては、すべてが狙い通りに事を進めているように思えてくるのだ。

ここまで用意周到に事を運ぶことができる人間が、生配信のコメントにふりまわされることなどあるだろうか?

まさか……。

今日この時のために、知った上で、動画を暴走させていたのか……?

……これが、女の戦略か。

性や、法律ですら、手段の一つにすぎないのが、女という生き物か。

……勝てるわけがない。

今もほら、チラ見せしつつも、体をくねらせて、局部を隠すしぐさをしている。

「ダメだよ~。そんなに見つめたら~」

オレの背後で、唾が路上に吐かれる音がする。……オレの部屋だ。

そんなメイの存在が、かろうじてオレの理性となっているが、それでも甘利由梨のペースが崩れることはない。

もう、抗うことにも疲れてきた……。

甘利由梨に促されるまま、オレの指がパスワードを刻む……そして、保存してあった動画を再生する……。

オレは、ガックリと首を項垂れた。まるで詐欺師に言われるがままATMから金を引きださされている老人のような老けこみ方だった。

しかし、そんなボケ老人の耳に――

「だれ、それ……?」

強張った女の声が聞こえてくる。

その短い言葉には、まるで枯れ枝から生えてくる瑞々しい新緑のような希望にも思えて、種の保存の競争にさらされなくてはならない棘でもあるかのような緊迫感をも含んでいた。

見れば、さっきまでの上気するような表情から一転、甘利由梨の顔からは血の気が失せているではないか。

その小刻みに揺れる視線の先には、ゲームの実況動画があり、そこには――

『ザマー見なさい! あたしに勝てると思ってんの?』

だれとも知らない女の声がのっていたのだ。

甘利由梨は、動画を見つめたまま動かない。

そんなモニターの前に立ちすくむ甘利由梨に、

『バーカ、バーカ! やってやったわよ! 二度と来るんじゃないわよ、このヘタレバイタが!』

煽るようなメイの声が浴びせられつづけていた。



あれから、数日後。

『み、み、見ててあげるから、その、あの……オ、オ……しちゃいなさいよね!』

甘利由梨の動画に、へんな色気が加わった。

明らかに、メイを意識したものであることがうかがえる内容であった。

メイの動画が、「見ててあげるからオナニーしなさい」とか言っているから、それを真似してこんなことになってしまっていると思われる。

そんな甘利由梨の動画に、

「所詮は、二番煎じ。アイデアなんか、ちっとも出てないじゃない! あっはっは!」

メイの罵倒があびせられる。

まるでテレビに独り言をいう老人のようであるが、ほんの数日前には実況者と視聴者という立場をかえた形で、これとソックリの場面がまさにこの場所でくりひろげられていたのだ。

その事件こそが甘利由梨の動画の方向性を変えるきっかけとなったわけだが、そんな経緯にもメイの嘲りが向けられているのだから笑いが止まりそうもない。

しかし、案の定というか、なんというか……。

涼し気だった肌から汗がふきだしてくるように、徐々に徐々に、メイの声から焦りの色が濃くなっていった。

甘利由梨の動画の再生数が伸びているのである。

「なんでよ! なんでよ! あたしのほうが先じゃない! こっちも注目しなさいよ!」

やはり、こうなったか……。

地力の差というか、なんというか……。

そもそもの認知度が桁違いなのだから、こうなることくらい予測がつくだろうに……。

おなじギャグでも無名芸人より有名芸人がやった方がおもしろい――

悲しいことだが、それが現実であるのだ。

その後に批判もあるだろうから、長い目でみれば損になるのかもしれないが、初見のインパクトでいえば圧倒的な差になる。

メイと甘利由梨のこれは、過去の昔話のアリとキリギリスの結末のように、これまでの稼ぎが顕著に表れたもので、暖かい家で幸せに暮らす甘利由梨と、雪に埋もれて空腹で野たれ死ぬメイという、残酷なまでの現実を示したものであるのだ。

「まあ、いいわ。この部屋にいる時点で、あたしの方が勝っているし!」

……勝手に入り浸っているだけだけどな。

甘利由梨には、メイの声の主のことを「田舎の友達」と説明しておいた。この部屋で共同作業しているのではなく、データのやりとりだけの仲で、動画を共同制作していることにしたのだ。

メイのアドバイスである。

「その田舎の娘をこの部屋に連れ込んでいることにしていたら、あのまま襲われていたでしょうね」

心を読むだけに、信憑性が半端ないな……。

しかし、あのまま、か……。

いかん……。

「……へぇ?」

……言うな。

「出ていってほしい?」

やめろ。

「立ってないわね」

……おまえのいる緊張感だよ。

「だったら……これは?」

……はぅあ!

後頭部が……ムニュムニュしている!?

ま、ま、まさか……!

こ、こ、こんなイイものをお持ちで!?

はぉ……! ひゃぁぁ……!

「……なんだと思う?」

なにって……! は、はひ……! む、む、む!?

「クッションよ」

……へ?

「……ほら! ガッチガチじゃない! 本物の胸だと思った? あっはっは!」

折れた……なにもかも。

……もういい。甘利由梨の動画に、称賛コメしちゃる。

「あーっ! 敵に塩を送るつもり!?」

考えてみたら、それほど敵でもないし。

甘利由梨を褒めるというより、おまえを困らせたくなった。

いくらでも打ち込んでいくよ~。

「やめろ! ……っつってんでしょうがぁぁぁぁ!」

この首の絞まり……スリーパーホールド!?

……ということは、背中に当たっているのは?

足つぼマット!?

「だれの肋骨がツボ押しじゃい!」

ガッガッ!

本物の感触は、どこが乳首なのかよくわからなかった。



ある日のこと――

……? なんか、ミルクの匂いがする……。

「あんたの目の前に、裸になったあたしの胸がありまーす」

……! なんでだよ!

オレが童貞だからか! 童貞だからか!

バカにしやがって……。

そして、別の日のこと――

……なんか、花の匂いがする……。

「あんたの目の前に、裸になったあたしの股がありまーす」

……! なにしてんじゃぁぁぁぁ!

こんなことがあったせいだろう……。

後日、オレは似た匂いを嗅いだだけで、いちいちモジモジする体質になってしまったわけだ。

……と、ここまでが前提として。

甘利由梨のアプローチは、未だにつづいている。

学校では普通に接しているものの、なにかにつけてオレの家にあがろうとし、オレの部屋に来たら来たで、密着してくるわ、シャワー浴びるわ、昼寝もするわ……。

そのたびに、オレの後頭部にゲシゲシ足裏のようなものが当たってくる羽目になるわけだ……。

そんな折、甘利由梨とゲームをすることになった。

電子機器のゲームではなく、現物のボードゲームである。

オレと甘利由梨が、床においたボードゲームを挟んで、対面に座っている。

正座のオレと、胡坐の甘利由梨。

もう一度、言う。

正座のオレと、胡坐の甘利由梨が、対面にいるのだ。

……もう、チラ見しないわけにいかないわけだ。

キャミソールだし、短パンだし……真剣に熟考して隙だらけだし。

そんな甘利由梨に対して、オレはといえば、真剣にボードゲームに向き合っている振りをしながら、眼球の上下運動を瞬間的にくりかえして、ズレていく服が粘膜の位置にどれだけ迫れるのか、を確認しつづけることになるのだ。

当然ながら、オレはボードゲームの方には身が入らず、加えて、自分の下半身の血の巡りにも気を使わねばならず……。

終わってみれば、オレは大敗してしまっていた。

負けたという恥もあれば、その原因に対する恥もあり。

それでも尚、チラ見したい欲求もありで、オレの頭はグチャグチャになっていた。

そして、そのまま立ち上がろうとしたオレだが、足を踏み外すようにして前のめりに倒れてしまったのだ。

足がしびれていた。

……というか、感覚が一切ないことに、倒れてから気がついたくらい訳がわからなくなっていた。

気づけば――

甘利由梨の胸が、オレの目の前にあった。

寸でのところで耐えたらしく、接触は免れたが、匂いまでは遮断できなかった。

ミルクの匂いがした……。

「コラコラぁ~。負けたのに、ご褒美はなしだぞぉ~?」

こんなことを言われては慌てないわけにもいかず、オレは早急に甘利由梨から離れるべく腕に力を込めたのだ。

その手が、床で滑った。

手汗に気づいたのは、崩れ落ちていく最中であり……。

目の前が、真っ暗になった。

オレの顔を挟みこむような肉の感触と、オレの鼻先にある温かいくぼみから、目の前にあるものの正体が知れた。

オレは、心の焦りのせいで起き上がるのにもたつき……息を止めることができなくなってしまった。

脳裏によぎるのは、メイのからかいのこと……。

胸の匂いは、ミルクだった。

だとすれば、そこは花の――

花……。……え?

オレは、足のしびれも忘れ、ガバッと立ち上がり、なにか言おうとする甘利由梨も無視し、部屋を出ていった。

足のしびれから何度も転びながら、移動しつづけ、オレは自問自答をくりかえす。

……そんなわけがない。

……床のにおいだ。そうに決まっている。

……掃除をしていなかったから、あんなニオイがしたのだ。

……だって、女だぞ?

……そこは、男の夢がつまっているはずだろ?

……ありえないじゃないか! ハッハッハ!

荒い息をしながら立ち止まったオレの背後に、透明な気配がしている。

メイ……おまえは嘘を言っていない。オレをからかっているわけがない。あれは本物だったんだ……。

そうだろ……?

「えっと……」

……言えよ。

言え……。

「……そうよ」

あぁ……。

なら、いいんだ……。



「召喚の手段が知れたわ」

メイが言った。

きっかけは、甘利由梨である。

甘利由梨がオレの部屋に来るようになってからというもの、彼女はオレの離席している間にいろいろと部屋を物色していた模様で、その様子を手掛かりにすることで発覚したというのだ。

「詳細は省くけど……ゲームのデータに乗せるみたいね」

ほぉ……?

データに乗せて、移動するのか。

「生身では超えられない空間も、データでなら超えられる。ゲームであることの意味がそれね。自分の分身のように育てたデータだからこそ、プレイヤー自身も乗り移らせやすくなる」

……なるほどね。

なんとなくだが、わかる気がするよ。

「この方法にはさらにゲームの能力を付与できる可能性がある」

ほほぉ……!

それは面白いな。筋力が上がるとかか?

「そうね。あとは、魔法も使えるようになるかもしれないわ」

それは……凄いことにならないか?

ゲームによっては、どんでもない表現のものもあるぞ?

「実践してみないとわからないけど……あたしの世界にはそもそも魔法があるわけだから、似たようなものなら使えるでしょうね。さすがに世界を滅ぼすようなものは不可能でしょうけど」

まあ、それもそうか……。

だったら、とりあえず最強まで育てきったデータのほうが、お得というわけか。

「あたしが召喚されたとき、ここに引き寄せられたのも、それが原因だったのかもしれないわね」

つまり……オレがカンストしたタイミングか。

メイをこっちの世界に飛ばした奴が、オレをなにかに利用するつもりだったということかな?

「そうかもしれないけど……なんにせよ、あたしに利用されるってことになるのよ。むこうの目論見は大外れってわけね」

まあ、そうなるな。

敵に奪われていたら世話ないわな。

とにかく、これで謎は解けたってことだ。

今までの苦労も、報われるってものだ。

よかった。よかった。

「それで……どのデータにするの? 好きなものを選べるわよ?」

……え? なにが?

「なにがって、異世界召喚よ。好きなキャラになれるから」

……なれるから、って?

だから、なんだ? オレなら、しないが?

「……え? なにが?」

いや、召喚。

「……は? え?」

え?

「いや、え……?」

え? なに?

「なにって、え? 行かないと……」

だから、オレは異世界なんか行かない。

「……………………え」

…………。

「……え」

しない。異世界、行かない。

「……」

……。

「えっと……」

うん。

「ウソ……」

いや、マジで。

「……」

……。

「……異世界は、危機に瀕している! これを救うのは……そう! キミしかいないんだ!」

……なんか始まったな。

「頼む! 勇者よ! そなたの心があれば、どれだけの民が救われることか!」

いやいや、面倒くさいって。

「あぁ! なんということでしょう! 異世界を救えるのが、あなたしかいないだなんて!」

鬱陶しい鬱陶しい。

「キミこそ選ばれた英雄だ! さあ! 共に開こう! 異世界の扉を!」

もう、無視してもいいですかぁ?



メイの声が、オレの部屋に響きわたっている。

「なんでよぉぉぉぉ!? 好きなゲームの能力で、異世界に行けるのよ!? 行かなきゃ損じゃない!?」

うるさいな~……。

「意味わかんない! なんで!? なんにでもなれるのよ!?」

なんにでもなれる、って言われてもなぁ……。

学校から帰ってきたら、部屋から出たくないしなぁ……。

なんていうか、その~……。

部屋の一部に……オレはなる! ……みたいな?

「偉そうに、くだらないこと言ってんじゃないわよ!」

だって、異世界って、外だろ? ゲームもないし……能力付与も一種類のゲームじゃ途中で飽きるって。

「悟ってんじゃないわよ! まだ若いのに、どこの賢人よあんた!」

大体、わかるだろ。キャンプだって、不便を味わうことで、日頃の便利を思い知るって、ネットで言っていたぞ? それと似たようなものだって。オレにとっては、この部屋が宝なんだよ。

「あたしはどうなるのよ! 帰れないじゃない! どうすんのよこれ!?」

あ。そうなの?

「あ。あーあー……言い忘れてたわ~。そういうことだったのね~。はいはい、わかりました~。あたしのうっかり屋さん! てへ! ……ってことで~」

じゃあ……他の方法を探すわけね?

「……時間ないっつってんでしょ!?」

いや、言ってないが。時間ねーのか。

「あ。あーあーあー……またまた言い忘れてたわ~。そうそう、そうだったわよね~。アッハッハ~。も~、あたしのドジっこさん! たは! ……って言ってみたり~」

……天丼って知っているか? 同じことをくりかえすやつ。あれのフラグ立ちまくりだな。

「頼むからぁぁぁぁ! むこうでサービスするからぁぁぁぁ!」

そんなことを言われてもなぁ……。

……オレじゃなきゃ、ダメなのか?

「あんた……マジで嫌がっているわね」

うん。

「なんで? ゲームの世界よ? バーチャルをリアルにできるのよ? 男なら飛びつくものじゃないの?」

マジのトーンになってきたな。

……いい加減、しつこいし、聞かせてやる。

いいか?

ここ数日、オレが部屋替えしているのを知っているな?

家の物置だった部屋に、必要なものを移動させて、ゲームする環境を整えて……。

その中央に輝くものが、なんだかわかるか?

高いほうのゲーミングチェアだ。悩みに悩んで「一生ものだから」と買うと決めて、昨日届いたばっかりの、新品のアホみたいに高いやつだ。

それを、なんだ? 異世界にいく?

この至宝の空間を置き去りにして、どことも知らない異世界に行く?

……ハッ!

バカも休み休み言えよ?

巣作りを整えたタイミングで、飛び立つ鳥がどこにいる?

新作のゲームを買ってきたタイミングで、遊園地に誘っているようなものだぞ?

いつの時代だ? どこの国だ?

オレは、部屋でゲームをする。

これがオレの一番の願いである以上、オレを異世界に連れて行くというのなら、この部屋ごとでなければならない。

もちろん、ゲームをするための電気を通して、それも24時間の安定供給を実現させてのことだ。

異世界人のこの部屋への訪問なども言語道断だ。オレは異世界文明の紹介などしたいわけではない。だれも近づけさせない結界を張ってもらうしかない。

異世界に行っておきながら、変わったのは窓の景色だけ――そういう環境がおまえにつくれるのか? え?

「……できない」

やってみやがれ! できるものなら、やってみやがれ!

「……わかったわよ」

なにがわかったって? ……さん・はい!

「もう、誘わないから……」

ようやく理解したか……。

このタイミングでの、オレへの説得が、いかに無駄かということに。

メイも、メイだが……。

甘利由梨も、甘利由梨だ。

彼女もこの部屋ばかりに来やがるし……オレが新しいほうの部屋にいるのに、オレに会わずに、この部屋に入り浸ってから帰りやがる。

小学校のときの友達か! 別部屋で夏休みの宿題をしているオレをおいてオレのゲームをやりはじめて、オレの母親から「多分、あの子寝ちゃうから、あとで起こして遊んでね」って言われていたのに、オレを起こさずにゲームをしつづけて、オレが起きたときにはすでに夕方で友達は帰っている、……ていう友達もどきか!

オレでなく、ゲームほうに用事があることなど、バレバレだっつーの!

それでも、オレの方はその後も友達をつづけたよ! 小学生だし! 友達をやめるなんて考えられなかったし! ただな……。

オレは、同窓会には出ない! 絶対に出てやるもんか!

ゲームの借りパクもどれだけだよ! オレは信じていたよ! 友達がそんなことなんかしないって! 小学生だったし!

そういえば……方位磁石もどっかいったなぁ! だれにも貸してないのに、友達に自慢した日に無くなっていたなぁ!

パクられてんじゃねーか! だれだかわからねーけど、それしかねーじゃねーか!

小学生のオレ、他人を信じすぎじゃねーか!

だからだよ!

オレが人間不信になったのは! 昔を思い出したら、人間の悪い部分しか見えてこねーんだよ!

オレは悪くねーからな! 文句ならオレにタカりまくっていた友達もどきどもに言えや!

くそが!

まったく、人をバカにしている!

……もう十分だ!

友達も、女も、十分だ!

オレには、ゲームだけで十分だ!



思えば、この時に気づくべきだった……。

やけに静かだった。なんというか、全体の空気が……。

「あはは。この景色、素敵ねー」

メイは、妙によそよそしいし。

「いやー、朗らかな天気で良かったですねー」

ポチも、なんだか他人行儀だし。

「じゃあ、またね」

甘利由梨も、オレの部屋に来ない。

おかしい……。

そもそも、オレが怪しんでいるのに、その心を読んでいるメイからツッコミがないのが、またおかしい。

オレ以外のすべてが、べつのなにかに入れ替わってしまったかのような雰囲気だった。

……かといって、オレにできることなど、なにもない。

ゲームをして、飯食って、寝るだけ。

これまでと変わらない日々を送るだけである。

……それが、狙いか?

まるで戦争の下準備のようだな……。

平和を装い、水面下では戦力を蓄え、一気に解放する。

これを未然に防ぐには、裏の顔を暴くしかないが……メイは透明だし、ポチは異世界だし、甘利由梨は来ないし。

一体、どうすれば……?

メイ……?

……異世界、行こうか?

「香り立つようなグラフィックねー」

ほら、カンストしたやつでいいから。あれなら、すぐ行って、帰ってくるだけでしょ?

「ミュージックが、跳ねるようですわ。ラララー」

メイを送って、それで任務完了で。みんなハッピーで。

「絶妙のバランスに、感服いたしましたわー」

……ブチ切れてらっしゃる?

「洗練されたゲームは、至高の極みですわねー」

いよいよ、まずいな……。

いや、待てよ……?

メイは、時間がないとか言っていなかったか?

もしかしたら、タイマーのようなものが作動しはじめてしまって、メイの存在自体が危うくなっているせいで、心を読むこともできなくなっているのかもしれないな。

メイは、ゲームをやっているし、目だけは確かなようだが……。

……よし。

だったら、メイが離席している間に、ゲーム内にメッセージを残しておこう。

まずは、『メイ。もしかして、心が読めなくなっていない? 返事ください』だ。これは、どうだ?

「うふふ。さっきのつづきですわね」

……読んでいるよな? なのに、無回答ということは……。

つぎは、『メイさんへ。怒らせてごめんなさい。異世界の件、前向きに検討したいと思います。ご検討くだされば幸いです。お返事待っております』だ。これなら、いけるだろ。

「ふんふ~ん。歯ごたえのあるダンジョンですわ」

……ダメか。

だったら、『無視すると、チンコこすりつけるぞ』だ。これで、わかるか?

「このキャラ、バカですわねー」

……って言いながら、コントローラが天井まで上がっていく。

チンコをこすりつけられない高さまで……。

あ。これ、完全に無視しているやつだわ。

しかし、なぜだ……?

女の理不尽さが原因で怒っているのなら、まだわかる。

オレは異世界に行くとまで言っているのに、どうして無視する必要があるのだ?

それほど、怒らせたのだろうか……?

しかし、時間がないのだから、とりあえず、異世界に帰還してしまえばいいはずである。

それが、なぜ……?

どちらにせよ、メイの答えは期待できないことがわかった。

もはや、どういう備えをすればいいのかもわからないまま、今日も白を切りっぱなしの一人芝居を聞きながら、オレは眠りにつくしかなかったのだった。



その日。

朝から、メイの声がなかった。

ゲームも稼働しておらず、不気味な静けさだけがまるで靄のように、部屋にただようようだった。

……異世界に帰ったか?

だったら、そのほうがいい。メイ自身も望まない異世界召喚だと言っていたし、元の鞘に収まったのならばなによりの結末ではないか。

では、ここ数日のあの態度は、一体なんだったのだろうか?

……さすがに、感傷的になったかな?

昨日までの違和感も、別れの挨拶がなかったことも……メイが女である故のことだったとすれば、なにか納得のいくものがあるような気がしてくる。

可愛いところがあったんだな……。

だとすれば、これまでの彼女の性格だと思っていたものも、本心を隠すための演技だった可能性があるわけだ。

……少し、冷たくしすぎただろうか?

騒がしさのない部屋に、ポツンとタメ息がおちた。

もう、会うこともないだろう……。

丸まった背中が、なんだか息苦しく……空気を変えるべく、天井を見上げた。

なにもない天井を……。

ダメだ……。しかし、なにをすればいい?

ゲームをする気も起きない……なにをしても、思い出してしまいそうだ。

オレって、こんなに弱かったっけ……?

女のほうが先に逝くと、男も早く逝くというが……あれは夫婦のことだろう。いくら一緒に過ごしていたからって、オレとメイはそこまで親密なわけではない。

だったら、なんだというのだ……この喪失感は?

姿が見えなかったからこそなのかもしれない。今もほら、そこにいるかのような錯覚に襲われてしまう。期待してしまうのだ。黙っているだけかもしれないと。騙そうとしているだけかもしれないと。

……部屋から出よう。

ここでは、しばらく無理だ。

すると――

家の廊下に、甘利由梨がいた。

裸で。

「異世界に来てください。通報します」

……ちょっとぉぉぉぉぉ!?

声震わせて、なに言ってんのこの人ぉぉぉぉ!?

オレは、自分の部屋に逃げ込み、鍵をかけた。

その鍵が、ひとりでに開いた――

甘利由梨が、部屋に入ってくる。

「抱いてください……通報します」

支離滅裂にも程がある!

これは、なんだ!?

ホラーでもないし……美人局でもなければ……オレはなにをされている!?

「……大人しくしなさいよ? どうせ、助けは来ないんだから」

……やはり、おまえの差し金か!

確認をとるべきだった……部屋の隅々までぶん殴り、存在の有無を確かめるべきだったのだ。

昨日までの緊張感だ。そこから解放されれば、気が抜けるのは必然というものだ。

つまり……。

……そこまで計算していたということか!

「好きにしてください……通報します」

「いい気味ね、アッハッハ!」

もうわけがわからない!

敵同士のはずだろ!?

オレの体が部屋の隅に押しやられ、女二人の体重がのってくる。

こんな状況なのに、オレの負けなのか……? 甘利由梨の胸も股も、ガッツリ触っちゃっているのに……?

『それでは、転送を開始いたします』

……ポチ! おまえもか!?

チクショウ、チクショウ……どこにも行きたくねぇよぉ……。

こんな惨めな気持ちで、なにをさせようっていうんだよぉ……。

「通報します。通報します」

「アッハッハ! アッハッハ!」

『3、2、1……発動!』

あ~……ゆわんゆわんしてきた~……。

あ~……あ~…………。

わ~~…………。

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