いずれアヤメかカキツバタ!

七沢楓

0 『アヤメとカキツバタとの出会い』

 親父譲りの正義感で苦労したことは、結構多かった。


 小学校の頃は、女子をいじめているクラスメイト三人に突っかかっていき、逆にボコボコにされたりしたこともあった。ちなみに、いじめられていた子も「かっこ悪い……」と吐き捨ててきたが、それはまあ、俺もそう思う。


 中学生の頃は、精一杯告白した男子をあざ笑うように教室でラブレターを読み上げている女子がいたので、その手紙を奪い取って「人の真剣な気持ちを笑うんじゃねえ!」と言ったらめちゃくちゃに泣かれてしまい、なぜか俺が悪者みたいになって、女子達と先生にしこたま怒られた。


 クラスの男子達にかばってもらえたので先生から謝ってもらえたが、泣きたいのは俺と、告白した男だと思うんだよな……。


 と、いうわけで。


 俺こと貫井八鶴つらぬいやつるは、正義感で物事に首を突っ込んでは、それがきっかけで追い詰められることが、結構あった。


 要するにおせっかいなのだが、どうにも性分であり、まあ痛い目に合うのが俺ならいいかな、という半ば自暴自棄みたいな気持ちで毎回こんなことになっている。


 運がいい、悪いの話ではなく、俺はこういう人間なのだ。


 そして、高校に入学した年、まーたトラブルを見つけてしまった。

 眠い目をこすりながら電車で通学していると、朝の満員電車で、顔が真っ青な子がいたのだ。


 近所の有名進学校のブレザーを着ているから、頭いいんだなー、と思ったのをよく覚えている。


 しかし、それよりも顔色が気になったのでよく見ると、ちらちら後ろを気にしていて、彼女の視線を追ってみると、ぴったりとくっつくような位置に中年のサラリーマンがいた。


 俺は嫌な予感がし、こっそり、周囲の迷惑にならないよう、少しずつその二人に近づいてみた。


 ――案の定、痴漢である。


 おっさんが女の子の尻を撫で回していた。


 一瞬、電車内で朝からお盛んなのかとも思ったが、女の子は顔が青いし、少なくとも望んでやっているわけではなさそうだ。


 俺はおっさんの隣に立つと、尻を撫で回している手首を力いっぱい掴み、耳元で「なにしてんですか?」と小さく言ってみた。


 まずは触られないようにしてやり、その上で「大事おおごとにするかどうか」を女の子の判断に委ねようとしたのだ。


 今度はおっさんが顔を青くする番。


 突然の出来事に、女の子はぼんやりと俺の顔を、安心したように涙目で見る。

 安心していいよ、という意味を込めてにっこり微笑むと、その隙に電車がブレーキをかけ、よろめいたせいで手を離してしまった。

 そして、人の雪崩に身を任せ、そのまま出ていってしまったのだ。


「待てコラァ!」


 俺はその背に向かって叫ぶ。そうすると、なんだなんだと眼の前の人たちがどんどんどいてくれて、すぐおっさんに追いつくことができ、肩に手を乗せた。


「逃げてんじゃねえ! あの子に謝れ! 知らねーやつからベタベタ触られるのがどれだけ怖いかわかんねーのか!」


 怒鳴ると、おっさんは「うるせぇ!」とツバが飛ぶんじゃねえかって勢いで怒鳴り、逆ギレしてきた。


 俺の首を掴み、骨を折ろうとするかのように、腕に力を込める。さすがに、一般的な成人男性の力で首を締められるとまずい。


 今だから言えるが、この時は正直半端じゃなく怖かった。おっさんは人生がぶっ壊れるかもしれない瀬戸際であり、俺を殺してもおかしくないと思ったからだ。


 しかし、死を覚悟した時、俺は親父から譲り受けた、もう一つの物を思い出した。


 俺の首を締めている手首を右手で掴んで、引き剥がそうとするように引っ張り、左の掌底を顎に叩き込む!


「ふぐっ……!?」


 そして、離れた手を極め返し、股間を蹴り上げると、前かがみになるので、その後頭部に思い切り肘を叩き落とす。


 親父は正義感の塊だ。悪いやつが許せない、という純朴な理由で警察官になった程度には。


 そんな親父から習っていた護身術が、この場でついに役立った。

 小学校の頃、ボコボコにされたのが悔しくて覚えたのだが、それ以来の快挙である。


 覚えた力を使える機会があったことに喜んでいると、俺はやりすぎたと思い、倒れたおっさんに手を伸ばそうとした。誤解しないでもらいたいが「大丈夫ですか」と声をかけるためだ。


 しかし、周囲からは「トドメを刺すつもりか」と思われたらしく、俺は後ろから駅員さんに取り押さえられた。


 あまりにもいきなりなのでとてもびっくりしたが「いやっ、痴漢を捕まえるために!」と、いろいろ言った。まぁ、まったく信じてもらえず駅員室に連れて行かれたけれど。


 初めて見る駅員室は、なんだか書類やらが多い汚い交番という感じ。

 俺は事務机に座らされ、駅員さんに延々説教を食らっていた。


「なんであんなことしたの」

「キミね、暴力は駄目だよ」


 と、二人の大人からステレオの説教である。

 いやいや、先に暴力振るってきたの、あんたらの後ろで痛そうにしてる痴漢だからね。


 そう何度も言っていたのだが、なんだか全然信じてもらえず、なぜか俺が痴漢したみたいになっていた。


 ちくしょう。俺が金髪で、おっさんがエリートサラリーマンっぽいからか?高校デビュー張り切らなきゃよかった。


 そんな後悔をしている時、なんと俺に、救いの手が差し伸ばされた。


 駅員室がノックされ、中に入ってきた人が、真実を語ってくれたのだ。


「あの……悪いの、そのおじさんです」


 その少女は、星峰アヤメ。

 俺と同じクラスの、いわゆるマドンナ的な存在である(マドンナってもう死語かな?)。

 肩にかかるくらいのつややかな黒髪と、赤縁メガネ。


 小柄で豊かなトランジスタグラマーという、欲張りなスタイルに、覇気のない眠たげな目をしている。


 しかしその顔は、神様が張り切りすぎたんじゃないのかというくらい可愛い。すべてのパーツを一流の人形職人がオーダーメイドで作ったと言っても信じる。


 そんな彼女はぶかぶかな制服を着ていて、萌え袖気味になっているが、彼女はとにかく「あのおっさんが痴漢だ」とそう言って、後ろで俺に打たれた部位を冷やしている痴漢を指さしたのだ。


 一気に話が根幹からぶっ壊れるような新事実を聞いた、みたいになり、慌てて駅員達が事実確認に乗り出し、まるで星峰さんにいいところを見せようとするみたいに頑張りだしたのは正直とても気に入らなかったが、俺はなんとか開放されたのだった。



 その後、すったもんだあって、俺は許された。頭を下げる駅員さん達に見送られ、やっと学校に行けることに。


 ちなみに痴漢だが、被害者の女の子が消えている為、被害届が出せないので、二度としないという誓約書や上申書というものを書かされ、指紋や名前、住所などを控えてから開放されるとのことだった。


 一応、俺に対する傷害もあったそうだが、俺だって殴ってしまったし、面倒はごめんだったので、断った。


 学校には遅刻の理由を駅員さんから伝えてくれるとのことなので、それだけあればそれでよしだ。


 そして俺は、今から学校行ってもどうせ遅刻だし、ゆっくり行こうぜと星峰さんを誘い、駅構内にある自販機で互いに飲み物を買って、改札前の壁際に立ち、ぼんやりと行き交う人々を眺めながら互いに話をしていた。


「いや、さっきはマジで助かった。ありがとう、星峰さん」

「全然。むしろ遅くなってごめんなさい。開放されるのが遅いから、様子を見に行って正解だった」


 そう言って、星峰さんは俺がおごったアイスミルクティーをちびりと飲んだ。


「……どこから見てたの?」

「痴漢の手を掴んだところから。私が止めようと思ったんだけど……」


 その後は、言い淀んだ。

 気持ちはわかる。危険だろうし、正直俺みたいなことはあんまやるべきじゃないと思う。しかも今回のはヤケ気味とはいえ、首を締めるようなやつだったからな……。

 女の子相手だったら、何をするかわかったもんじゃない。


「それで、様子がおかしいから駅員室に見に来てくれたんだ?」

「うん。……えと、同じクラスだし、気になっちゃって。貫井くん、だよね」

「うぉ、俺のこと知ってるんだ」

「そりゃ、クラスメイトだもん」


 そうなの? クラスメイトって、それだけで名前覚えとくもん?

 星峰さんは特別目立つから俺でも知ってたけど、俺は名前知らない人、何人もいるよ?


「でも、今回は災難だったね、貫井くん。いいことしたのに」

「ん? いや、全然。今回はむしろ、マシな方だったよ」

「へ……?」


 ぽかんとした表情で俺を見つめる星峰さん。ちょっと恥ずかしいのだが、俺は先程の小学校から中学校にかけてのポカを少し話した。

 途中は「うんうん」とうなずいているだけだったのだが、星峰さんは聞くのが楽しくなってきたようで、段々と


「ふふっ。それでも懲りずに、こうしていいことしてるんだ」

「誰かが悲しんでるなら、悲しんでる方に味方するだけだよ。そうじゃないと、フェアじゃないかなと思って」

「ふうん。そっか、優しいんだね、貫井くんは」

「照れる」


 俺はニヒルに笑い、飲んでいたオレンジジュースの空きペットボトルをゴミ箱に捨てた。


「んで? 星峰さんはどうするの。学校、行くの?」

「え、それは行くけど。……貫井くんは?」

「俺はパス。ダルくなっちゃった。教師も痴漢に首掴まれたっつったら、休むくらい許してくれるでしょ」

「あれ、貫井くんって、そういう人だったんだ」

「サボれる理由がある時は、サボるに限る。この髪見りゃわかるっしょ」


 と、俺は自慢の金髪を指差した。

 高校の校則がゆるいと知ってから、モテるためにと気合入れたのに、ヤンキーの風潮を広めるだけになってしまった悲しい産物である。


「あはは。なんか、独特だね」


 俺たちはそう言って、手を振って別れた。

 痴漢から女子を助け、クラスでも一押し女子である星峰さんと話せたのだ。これ以上一日のイベントが起こるのであれば、俺はお腹いっぱいで胸焼けしてしまう。


 ちなみに、この時の俺は、俺が痴漢を殴った場面だけ目撃していた同学年のやつが噂をバラ撒いたせいで「無実のサラリーマンを駅のホームで殴り飛ばした男」として学校で浮いてしまうことになるとは、想像していないのだった。


 いや、想像できねえだろそんなん……!

 噂バラ撒くんなら真実もセットにしろや!!


 でも、もう一つ。もっと想像していなかったことが起こることになる。


 それは俺が


 人生って、何が起きるかわかんないよね。


 俺の受難は、この痴漢事件から一年後。

 高校二年生に上がってすぐから始まるのである。

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