あの店員、絶対にピクルス抜きません!
関根パン
A
あの店員、絶対にピクルス抜きません!(ピクルス嫌い)
小さい頃はヒーローに憧れていた。
ひょんなことから謎の力に目覚めた俺が、派手な色のぴっちりした質感の体に変身して、格好良い技で悪と戦うのだ。
でも、ヒーローになるための修行と称し、駐輪場の屋根から道路にジャンプした俺は、そのあと病院で目を覚まして以来、そういう愚かな考えを捨てた。
無難に生きるのが一番。
過度な期待や、こだわりはいらない。服は肌が隠せて寒さが凌げればいい。家は戸締りが出来て寝られる広さがあればいい。
食べることにも興味がない。そこそこの味と量と栄養があればいい。わざわざ食に高い金をかけるのはバカだと思っている。食事なんてただのルーティーンだ。
だから昼食はいつも、職場から歩いていける距離にある安価なハンバーガー店で済ませている。ほぼ毎日、そこでテイクアウトしたチーズバーガーのセットを食べている。
自分で弁当でも作った方が節約になるし体にもいいのだろうが、食にこだわりのない人間に弁当を作る意志も技術もありはしない。
体の方については、今のところ健康だ。昔、ハンバーガーばかり毎日食べ続けて、精神まで病んでいくドキュメンタリー映画があったが、あんなものはきっと初めからそういう結末に誘導するため、都合よく演出されている。
自炊の面倒が省け、かつ安く済み、健康面も問題なし。俺は合理的な食生活を送っているだけ。
ただ無難に生きるだけなら、それで充分だ。
その日も、俺はハンバーガー店のカウンターに並んでいた。
「いらっしゃいませ。こちらでお召し上がりですか」
応対した店員は目鼻立ちのはっきりした色の白い女だった。毎日のように来ているから、だいたいの店員の顔は把握しているが、彼女は初めて見る顔だ。
「テイクアウトで」
「かしこまりました。ご注文をどうぞ」
「チーズバーガーのセット。ポテトと、お茶で。それから――」
俺は何度も言いすぎてもはや呪文のようになった台詞を吐き、それから、一番大事な呪文の続きを唱えた。
「――ピクルスを抜いてもらえますか」
食にこだわりはないが、嫌いな食べ物はある。
それはピクルスだ。
あのぐにゃりとした食感の気持ち悪いことと言ったらない。腐ったような色に、何で味付けたかわからない妙な酸味。まるで未知の、エイリアンの肉でも食べさせられているみたいじゃないか。
子供の頃に一度食べて吐いて戻してから、俺は二度とあんなものを体に取り込まないと決めた。俺にとってピクルスは、無難な日常の敵だ。
「はい。ピクルス抜きですね。かしこまりました」
女は「これが汎用の笑顔です」みたいな顔で言う。ファストフードの接客なんて、ただのシステム。愛想だってその一部だから、どんな笑顔をされても暖かみは薄い。
俺は会計を済ませてしばらくレジの脇で待つと、受け渡し用のカウンターから注文した品の入った袋を受け取り、店を後にした。
会社の事務机でチーズバーガーにかじりついていると、嫌な感触が歯に伝わった。
「ウッ!」
俺はあわてて、その感触の犯人を紙ナプキンの上に吐き出した。それはまぎれもなく、腐ったような色のエイリアンの肉だった。
あの女店員め。
新人だからなのか、それとも、やる気がないのか。キッチンの人間に「ピクルス抜き」を伝え忘れたらしい。
いや、決めつけるのは早い。指示を受けた人間が入れ忘れた可能性だってある。今までそんなことはなかったが、裏方にも新人が入ったのかもしれない。
なんにせよ、平穏な日常を崩されてしまった。
とはいえ自分で抜いてしまえば済むことではある。面倒だが、今日はそれで我慢しておこう。わざわざクレームをつけるのにエネルギーを使うのも癪だ。
俺は一度、バンズをはがしてピクルスをすべて抜き取り、それらを紙ナプキンに包んで職場のゴミ箱に捨て去ると、やや過剰な栄養素の塊を胃に収めていった。
数日後の昼。
また、あの女店員が俺を接客した。
「いらっしゃいませ。こちらでお召しあがりですか?」
女のマニュアル接客に、俺はマニュアル注文を返した。
「テイクアウトで」
「かしこまりました。ご注文をどうぞ」
「ハンバーガーのセット。ポテトと、お茶で、それから――」
俺はそこまで言ってから、例の言葉を少し強調して告げた。
「――ピクルスを、抜いてもらえますか? 苦手なので」
聞かれてもいない理由を付け加える。こうやって無理にでも印象づければ、ピクルスを抜くという使命を嫌でも頭に叩き込むはずだ。
「はい。ピクルス抜きですね。かしこまりました」
女は機械的に告げると、たんたんとそのあとの工程をこなした。
俺は会社には戻らずに、店から程近い公園のベンチに腰かけた。あまり行儀は良くないが、青空の下でハンバーガーの包みを開く。
バンズを剥がして中を確かめると、またもピクルスは入っていた。
この数日、他の店員に接客を受けた時にも同じようにピクルス抜きを注文したが、きちんと注文通りピクルスは抜かれていた。いい加減そうなギャル風の女も、図体がでかい間の抜けてそうな男も、ピクルスは抜いてくれた。ということは……。
あの色白女が犯人だ。
職場に戻らずに、公園で確かめて正解だった。すぐにクレームをつけにいこう。このような悪行が横行していることは、俺にとっても店にとっても不利益なはず。
ところが店に戻ってみると、レジ前にはまだ蛇の群れのように列ができていた。あの中に飛び込んで、その場の全ての人間の顰蹙を買う覚悟でクレームをつけられるほど、俺は生粋のクレーマー気質じゃない。
命拾いしたな。女。
俺は、近くの茂みにいた野良猫にピクルスを放り捨て、冷めきったチーズバーガーを一人ほおばった。
それから俺は、カウンターであの女にぶち当たるたびに、毎回自分でピクルスを抜く羽目にあった。
あきらめて申告をやめたわけじゃない。「ピクルスを抜いてもらえますか」という文言は、毎回はっきりと告げているし、女は「ピクルス抜きですね」といつも返してくる。
でも、女の接客を通して出てくるハンバーガーには、なぜか必ずピクルスが入っているのだった。
試しに一度、ピクルス抜きに加えて、タマネギも抜くように言ってみたところ、タマネギはしっかり抜かれていたのに、やはりピクルスは入っていた。
こうなるともう、ミスで抜き忘れたとは考えにくい。女は何らかの意図があって、ピクルスを抜かないようにしている。
なぜだ。なんのためにそんなことを。
実家が経営の傾いたピクルス屋で強い思い入れがあり、どうしてもピクルスを食べてほしいのだろうか。それとも、病床の祖母の好物がピクルスで、祖母が食べたくても食べられないピクルスを、あえて食べない選択をする人間が許せないのだろうか。
あるいは「ハンバーガーからピクルスを抜いてはいけない」という宗教上の理由でもあるのか。いったいそれは何教の何派だ。
いずれにしても正気の沙汰ではない。女が無茶苦茶なのはもちろん、あんなピクルス押し売りサイコパス女をアルバイトに採用したあの店の人事だって、出鱈目もいいところだ。
待てよ。
ひょっとしたら、実はピクルスを抜くこと自体には意味がなく、異常な行動で俺の気をひくことが目的なんじゃないのか。つまり、俺に自分の存在を印象付けるために、あえて困らせるようなことをしている。
いや、それは発想が飛躍しすぎだ。
知り合いでもなんでもない女が、ただの客の一人である俺に、特別な関心を持つはずがない。同僚の、知り合いの女だって俺に興味がないのに。
職場ではほぼしゃべらず、毎日黙々とハンバーガーを食べているような男だ。少し変な人間とは思っても、それ以上、俺に注目する女なんていない。少なくとも、俺が今まで接してきた女はそうだ。だからきっと、あの女もそうだ。
あの、目鼻立ちのはっきりした、肌の白い、眉の太い、サラサラした髪の、指の細い、少しハスキーな声の、あの女も、きっと、たぶん、おそらく、そうだ。
俺は、いつか店が空いている時間に注文し、すぐさま文句を言ってやろうと思いながら、結局ずるずるとセルフでピクルスを抜く日々を過ごした。
あの女は、平穏と無難を愛する俺の日常における、唯一の異常なのだ。
今日も女はピクルスを抜かなかった。通算何度目かはわからないが、最初にあの女が現れてから一ヶ月は経つ。
言ってやる。
今日こそ、女に言ってやる。
会社を夕方に早退した俺は、ハンバーガーショップの裏口の前に立って、女が出てくるのを待った。人気は少ないから、誰かがが通ると目立つ。明らかに不審な人物と思われているだろうが、ARゲームのアプリを遊んでいる振りをして誤魔化した。
おかしな手段を取っているのはわかっている。だが、異常な女には異常な行動で対抗しなければ太刀打ちできないと思った。
日が暮れ始める頃になって、ようやく、女が出て来た。いつもの店員のユニフォームではなく、こじゃれたワンピースなんて着ているから印象は違うが、間違いない。俺はほとんど毎日、顔を見ているのだ。
言ってやるぞ。
俺は、歩いてくる女に声をかけた。
「あの」
俺の声に気づいた女は、立ち止まってこちらを振り返った。前髪の隙間から覗く太い眉が、怪訝そうに傾く。
「はい?」
「私は、この店に通っている者ですが」
俺がかしこまって言うと女は「ああ」という顔をして言った。
「ピクルスのお客さんですよね」
違う。
俺はピクルスを抜きたいお客さんであって、ピクルスのお客さんではない。
が、そんなことはどうでもいい。むしろ、女の中に俺の存在が「ピクルスのお客さん」というある種の固有の名前でインプットされていることは都合が良かった。
「あなたに、お話があります」
俺の言葉にただならぬ空気を察したのか、女は太い眉を再びひそめた。
「なんでしょうか?」
なんでしょうかと聞かれたからには、なんなのか答えなければならない。俺は、かねてより言おうと決めていたことを、言った。
「あの、実は――」
「――あなたが好きです。よろしかったら、お付きあいしてもらえませんか?」
無茶苦茶だった。
女と俺は、ただの店員と客の関係でしかない。急にこんな台詞を言われたら、うろたえるしかないだろう。
それでも言うしかなかった。
女が異常な行動で俺の気をひこうとしているのかもしれない、などと考えだしてから、俺はいつのまにか、女が抜かなかったピクルスを見るたびに、怒りや疑念とは別の感情を覚えるようになっていた。
そしてそのたびに「ひょっとしたら」と湧き上がる妄想を、ピクルスと一緒にゴミ箱へ捨てていた。
気をひきたかったのは、女ではなく俺の方だったのだ。
しかし、それも今日までのこと。
決めたのだ。
無難で平穏な日常を壊してでも、俺は異常な女と特別な関係になるのだ。
この、目鼻立ちのはっきりした、眉の太い、肌の白い、サラサラした髪の、指の細い、少しハスキーな声の、右頬にほくろのある、薄めの赤い口紅をひいた女と、
特別になるのだ。
「……」
長い沈黙が場を襲う。
「……」
きっとだめだ。終わった。やはり無難に生きることを最優先にすべきだった。異常な女に異常な好意など抱くべきではなかった。間違いだった。
俺がその場を去るのに適切な台詞を考えていると、女は口を開いた。
「お客さん。一度でもピクルスは食べてくれましたか?」
ピクルス? 何の話だ?
いや、そもそもそういう話だった。俺がピクルス抜きを注文したのに、女がピクルスを抜かない。そういう入り口だった。
「……いえ。何度も言っているように、嫌いなので」
「そうですか」
女は少しうつむいた。
「知らずにでもいいので、一人でも多くの方に食べてもらいたかったんですが」
やはり、奇跡的にうっかりミスが連続していたわけではなく、女は意図的にピクルスを抜かなかったようだ。
女は考え込むようなしぐさをすると、
「ちょっと待っていてください」
と言って、店に引き返していった。
なんだ?
結局、返事はどっちなんだ?
呆気にとられているうちに、彼女は再び店から出て来た。
手には小さな丸い包みを持っている。サイズと包装紙の色からして、俺がいつも注文しているチーズバーガーだ。
見慣れたそれを、女は俺に差しだしてきた。
「……はい?」
「これを、このまま――ピクルスが入ったまま、食べてもらえますか?」
女は薄い赤の唇を少し歪めて笑みを浮かべる。いつもの汎用とは違う、含みを持った笑顔だった。
「食べてくれたら、あなたのさっきの質問にOKします」
あなたのさっきの質問。
つまり――
――お付き合いしてもらえませんか?
ピクルス入りのチーズバーガーを食べさえすれば、女は俺と付き合ってくれる。
なんだそれは。
なんだこの女は。そうまでしてピクルスを食べさせたいのか。もう異常を通り越して狂気じゃないか。どうかしている。
でも……。
俺は、女からチーズバーガーを受け取って包み紙を開いた。食欲を掻き立てる鮮やかな色彩が現れる。バンズの明るい茶色、肉の力強く濃い茶色、チーズのまぶしい黄色、ケチャップの目を引く赤色。
そしてただ一つ余計な、腐った気色の悪い色――ピクルスの緑。
まだ目で見ただけだというのに、俺は軽い吐き気を覚えた。つい一ヶ月ほど前に歯の表面にだけ伝わった感触、そして、もう何年前かも覚えていないが、あの不味さだけは忘れない幼少期の記憶が呼び起こされる。
そのピクルスは、俺が日頃から嫌いに嫌っている異常が、今まで避けて通ってきた冒険が、具現化して立ちはだかっているかのようだった。
でも、これで……あの小さく歪んだ薄い赤に触れるための切符を手にできる。
それは、
無難で平穏な日常よりも、今は手に入れたいものだった。
俺は意を決して、一気にかじりついた。
ぐにゃり。
歯がバンズを貫いてようやく現れる不快な質感は、全体から見ればわずかな量なのに、他のすべての旨味を台無しにした。寒気のするような、おぞましい酸味が溢れて、口の中を支配していく。
「ウッ」
ぐにゃり。こりっ。
「オエッ」
吐き気をこらえながら、大食いの選手のようにむさぼり食った。早く食べてしまえば、苦痛は早く終わる。
そして、
俺はなんとか、すべてを喉の奥に押し込んだ。もはや、何を食べているのかもよくわからなかった。
「……オエゥ。……これで、いいですか?」
情けない醜態をさらしてはいるが、間違いなく約束は果たした。
「さて、どうなるかしら?」
どうなるかしら……?
なぜ他人事みたいな言い方をする。どうするか決めるのは自分だろう。それとも、俺をからかっていただけだとでも――
「ううっ!」
その時、猛烈な違和感が俺の体を襲った。全身が内面から焼け付いているかのように熱い。血液が煮えたぎっているかのような感覚だ。
「な……」
おかしなのは感覚だけではなかった。
指先が腐っている。
いや、腐ったような色に変わっていくのが見える。指だけではない、手のひらも腕も、さっき食べたピクルスのような色合いに変色し、さらには膨張している。
同じ変化は脚や胸や腹など至るところに起きているらしく、着ていたシャツもスーツも破け、ボタンもベルトも弾け飛ぶ。ビジネスバッグは肩掛けが千切れて落ちた。
「うわああああああ!!!!!」
変化が起きているのは顔も例外ではなく、俺は思わず両手で顔を覆った。しかし、そんなことでは、この得体のわからない現象は止まりそうもない。
何が起きているんだ。
混乱してうろたえるしかない俺に、女の声が聴こえた。
「成功ね。ようやく適合者に出会えたわ!」
女は興奮している様子だった。
「……いったい、どういう……?」
「おめでとう。あなたはピクルセイドに選ばれたのよ」
「……ピクルセイド? 選ばれた?」
体の変化がようやく落ち着いた俺は、顔を覆っていた両手を外して自分の身体を見た。
腕も足もどこもかしこも鎧のように固い筋肉へと変貌を遂げ、黄色がかった淡い緑色でコーティングされている。
周囲を見渡すと、定休日で誰もいない理容室の窓ガラスに反射して、珍妙な人物が映っていた。筋骨隆々とした身体にヘビの顔のような丸い形の頭が乗っていて、目元にはサングラスを張り付けたかのような意匠が施されている。
この、どこぞの超人めいた身体のやつが――俺らしい。
「あらためて自己紹介するわね。私はピクルセイドをアシストする機関『FARM』の主任研究員、Mよ」
知らない単語ばかり次々と出てくる。
「超存在変異化誘発細胞・ピクルセイド因子――」
女はさっきまでが嘘のように、ぺらぺらと語りだした。
「私の研究調査によれば、その所有者の反応がこの町に出ていた。しかし、いったいそれが誰なのかまでは特定できなかったの。そこで、我々はゲリラ的にテストを行うことにしたわ」
女は俺の理解を置いてきぼりにしながら続けた。
「因子を覚醒させるピク・ウイルス。触媒『ピク』の中に含まれるこのウイルスは、因子の所有者――適合者以外の体に入り込んでも増殖はしない。これを利用して、無差別にウイルスをばらまいたってわけ」
言っている内容の半分もわからないが「無差別にウイルスをばらまく」という言葉の不穏さだけが伝わった。
「触媒『ピク』は、ピクルスにそっくりな質感をしているから――というよりそこから名前をとったのだけれど――ハンバーガーの具材として、ピクルスとすり替えて拡散するのが最も賢明だったの。きっと口にした誰もが、普通のピクルスと思い込んでいたはず」
女は、欧米人のように肩をすくめて両手を上に開く。
「でもまさか、肝心の適合者が生粋のピクルス嫌いだったとはね。おかげで発見に時間がかかってしまったわ。万が一の可能性を考えて、強引にピクルスを提供し続けた判断を自分で褒めたいところよ」
女がピクルスを抜かなかった理由は明らかになったものの、事態は解決どころか混迷を極めている。
「あの……。さっきから言っている適合者というのは……?」
「もちろん、あなたのことよ。ピクルセイド・カーキ」
女が謎の名前で俺を呼ぶ。
「今日からあなたは、クリムゾン・デス・アーミーの手で生み出されたバイオクリーチャーと戦う、ピクルセイド戦士になったの。宇宙の命運はあなたにかかっているわ」
「……宇宙のために、戦う? 俺がですか?」
「大丈夫よ、カーキ。あなたの他にも、エメラルド、モス、ビリジアンという仲間がいるわ」
なんだその緑ばっかりのメンツは。
というか、これって……。
「……要するに、俺がヒーローになるってことですか?」
バカみたいな質問に、女はあっさり答えた。
「まあ、そんなところね」
なんてことだ。
平穏で無難な日常を壊してでも手に入れたい「特別」があったから、俺は会社を早退してまでここへ来た。
でも、俺が望んでいた「特別」は、
こういう感じのじゃなかった。
こんなファンタジーな展開を求めていたわけじゃない。なんというか、もっと普通の特別で充分だ。
急に、今更ヒーローになれだなんて……。それも微妙な色合いの、憎むべきピクルスと同じような色のヒーローだなんて……。
ああ……。あの、不味い酸味が、ピクルスの味が再び口に蘇ってくる。
いや、
さっきの話からすると……。
「……あの、ピクルスじゃないとしたら、俺が今、口に入れたのはなんだったんですか? その、触媒『ピク』とかいうのは……?」
女の薄い赤の唇が開く。
「極限環境に適応した生物の肉よ」
「……生物の、肉?」
「ええ。イソギンチャクに似た形態をしているわ。棲息地は、へびつかい座ウォルフ1061C星」
ちょっと待て。
じゃあ、本当に――エイリアンの肉じゃないか。
「おえっ」
変な気を起こすのではなかった。
変な女に、変な気を起こすべきではなかった。
こんなイカれた世界に足を踏み入れてしまうのならば、無難で平穏な、誰からも特に必要とされない日々の方が良かった。
俺はただ、女と付き合いたかっただけだったのに。女を彼女と呼びたかっただけなのに。女と恋人同士になりたかっただけなのに。
「さて、それじゃ、カーキ。最初の任務よ」
聞きたいことはまだ山ほどあるのに、なんて強引なんだろう。というか、俺に拒否権はないのだろうか。
「今から、埠頭へ向かいます」
「そこに、その……基地か何かあるんですか? それとも、いきなりクリーチャーとやらと戦えと……?」
「いいえ。一緒に散歩でもいかが」
「へ?」
空気が漏れたような間抜けな相槌を返すと、女は首を傾けて俺の瞳を覗き込んだ。
「言ったでしょう――」
「――食べてくれたら、あなたの質問にOKするって」
一応、
当初の希望についても、叶いそうではある。
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