翌日。今回作戦の指揮をとっていた村正は、鷹条宮美たかじょうみやびを白金機関に奪われた責任を問われ、国家保安委員会本部の地下にある懲罰房で一カ月を過ごすことになってしまった。

「あまり気にするな。今回は敵が一枚上手だった。それだけのこと」クローディアが鉄格子の向こう側から村正を慰めた。

「はー。全部俺のせいかよお」村正は完全にふてくされていた。

「私も懲罰房に入れるように高神たかがみ隊長に言ってみたんだが、拒否された。何故だと思う」クローディアが意味ありげに訊ねた。

「何だそりゃ。ドMかよ」ぷ、と村正は噴き出し笑いした。「知らねえよ。俺がもともと他所者だからじゃねえのか」

「まあそう腐るな。村正。隊長はお前の能力を買ってる。白金機関が台頭してきた今、お前の力はヘリオスにとって必要だ。そのうち臨時の仕事が入って、いやでもここから出られるようになるよ。たぶん」

「だといいがな」

 数瞬の沈黙の後、クローディアは思いついたように口を開いた。

「そういえば村正。前々からお前に訊いてみたいことがあったんだ」

「何だ。言ってみろよ」

「どうして白金機関に入ったんだ?」いつもはロボットのように無表情なクローディアの口もとが、悪戯っぽく吊りあがった。

「あー。その話か」村正は頭をぼりぼりと搔いた。

「話したくないか?」

「いや。別に隠すようなもんでもねえ。白金機関に誘われたのは、大学にいた頃だった。当時学園随一の優等生だった俺様の活躍が、学園内に潜んでいたスカウトの眼に止まったんだろう」

「ぷ。あはは」クローディアが唐突に噴き出した。

「何がおかしい」

「ああ、すまんすまん。お前が優等生だなんて言うもんだから、ちょっと冗談にも程があると思ってな」

「嘘じゃねえ。白金機関に入るまでは絵に描いたような優等生だった。人間は変わるもんさ。特に裏社会に身を置くとな」

「で。その優等生が、何をどうすればこうなるんだ。続きを聞かせてくれよ」クローディアは心底興味津々、といった様子で笑いながら村正に訊ねた。いつもクールな彼女の、無邪気な一面を垣間見た気がした村正であった。

「俺は白金ヒヅルの理想に感化され、ヤツの敵を片っ端から〈破落戸スクラップ〉と称してぶち殺していった。そうすれば、この薄汚れた世界を浄化して、理想の新世界が作れると信じてた」

「ぶはっ」笑いのツボを突かれたのか、クローディアがふたたび噴き出した。

「本当だぜ。だが俺はある日、あのババアの本性に気づいた」

「あの〈悪魔の太陽〉に、本性なんてものがあるのか」

「まあ聞け。実際あのババアは人身掌握術に長けている。当時の俺も、すっかりあのババアに洗脳されてたんだ。ヤツはよく〈完全世界〉を創りあげると口癖のように言っていた」

「〈完全世界〉、ね。さぞ息苦しい世界なんだろうな」クローディアが眼を細めた。

「その〈完全世界〉――すべての人間が平和で豊かで健やかに暮らせる世界といえば聞こえはいいが、それをヤツはどうやって実現しようとしてるか、わかるか」

 村正の唐突な質問に、クローディアは眼を軽く見開き、顎に指を当ててしばらく考えこんでいた。いつもの無愛想な彼女とのギャップが、何だか村正には新鮮だった。

「徹底的な監視システムの構築と、世界規模の強大な警察組織を作り出すこと、かな」

「いい線いってるぜ、クロちゃん。まず、あのババアがどうやって組織を掌握しているかについてだが、ヤツがいくら超人でもたったひとりで二十四時間三百六十五日、組織内の全人間を監視するなんて芸当は不可能だ。そこであのクソババアは組織内の監視の自動化を考えた。お前も知ってのとおり、白金機関には優秀なドローン開発者がいるんだが、あのババアはそいつに虫型の監視用ドローンを作らせて、白金グループ傘下の企業のほぼすべてに潜ませた。送られてきた映像や音声を人工知能IRISイリスに解析させて、反乱分子を自動的にあぶり出そうってわけだ。そして見つかっちまったやつは、白金ヒヅル自らの手で、あるいはヤツの信頼する親衛隊の手によって、排除される。〈完全〉に固執するばかりに、全人類を真綿で締めあげようとしてやがるのさ。あのババアが世界の覇権を握ったら、あっという間に世界中に監視システムを創りあげるだろう。断言してもいい」

「で、真実に気づいたお前は、〈悪魔の太陽〉を殺そうとしたのか」クローディアは今度は真顔で訊ねた。

「いや、ちがう。俺の変化に気づいたあのババアが、直々に俺を消そうとしたから返り討ちにしたんだ。まあ腕に軽い怪我を負わせるくらいしかできなかったがな。そしたら案の定あのババアは意地でも俺を消そうと執拗に刺客を送りこんできやがった。潜伏先が見つからなくてどぶの中で寝た日もあったな。とにかくあのクソババアにはいつか眼に物を見せてやりてえ」村正の眼がぎらついていた。

「存外早くその機会はやってくると思うがな」クローディアはどこか確信に満ちた笑みを浮かべて言った。「鷹条宮美を奪われて、総理は日本の権力掌握に躍起になっている。ヘリオスはやる気に満ちあふれたエージェントを歓迎するだろう」


 クローディアの予告通り、村正の懲罰房生活は一カ月を待たずして終わりを迎えた。白金機関の手に渡った鷹条宮美が、父である鷹条総理の罪を動画で洗いざらいインターネット上で暴露するという暴挙に出たためである。

『まず初めに、私は先日の白金タワーテロ事件の犠牲者と遺族に、心の底から、深くお詫びしなければなりません。どんな罰を受けたところで、鷹条家の罪が償い切れるとは思っていません。本当に、ごめんなさい』

 三週間懲罰房で暮らしていた村正は、国家保安委員会情報総局の一室にて〈鷹条宮美のビデオレター〉を見ながら、高神より事の成り行きの説明を受けていた。

 鷹条総理がヤクザとつながっていること、彼らを利用して政敵を排除してきたこと、そして極めつけは正義の戦場カメラマンこと渡辺陽二が撮影したという、鷹条総理と国際テロ組織エルカイダの司令官ウサム・ビンラディンとの密会映像である。

「十中八九白金機関のスパイによるものだろう。あの場にはヘリオスの精鋭が何人もいた。民間人による盗撮を許すとは考えにくい」

 高神が眉間にしわを寄せてそう言った。無理もなかった。この決定的証拠映像は速やかに世界各国の言語に翻訳され、インターネットやメディアによって全世界に瞬く間に拡散されてしまったのだ。これによって鷹条政権は国民の信を失い、愛国党政権の支持率は三パーセントを割りこみ、次回の選挙で最大野党労働党への政権交代は確実視されていた。この労働党に所属する議員のほとんどは白金ヒヅルに忠誠を誓う兵隊であり、労働党が政権与党となれば、それは白金ヒヅルによる独裁体制の完成を意味する。言うなれば今、ヘリオスは白金機関との情報戦において、王手の一歩手前まで追いつめられているのだ。

 高神は鋭い眼つきで村正に命じた。「こうなれば、もう手段は選べん。日本を白金ヒヅルの手に渡すわけにはいかん。村正。お前にはこれから寝る間も惜しんで働いてもらうぞ。汚名返上のチャンスだ」

 高神はA4大の茶封筒の中から、三枚の写真を取り出した。そこには労働党をはじめとする野党の議員と、その家族が写し出されていた。

「こいつらを事故に見せかけて消せばいいのか」村正が訊ねた。

「察しがいいな。こいつらは鷹条総理の〈全権委任法〉に反対している。見せしめに始末すれば、他の反対派の連中も黙るしかなくなるだろう。それから」

 高神はさらに茶封筒の中から顔写真入りの履歴書……というよりは手配書のようなものを取り出し、村正の前に提示した。そこには味方であるはずの、愛国党議員の顔が印刷されていた。

「こいつらは密かに労働党や友愛党への寝返りを画策している裏切り者だ。殺せ」高神は冷たく村正に命令した。

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