37話 落日/闇夜の車中
致命的に運が悪いのか。
逆に、これはこれで幸運なのか。
俺が、去ったその日。
いや、去っているその最中。
俺の目の前ではない場所で、滅びが始まっていた………。
*
「………クソッ、」
闇夜の最中。苛立ちに塗れた毒を吐いた扇奈は、その月光の最中、流麗な剣閃を眼前に流す―――。
キン、と硬質な音を鳴らし、扇奈の目の前で、“杭”が弾き飛ばされ、すぐ横の、溶けかけの雪でぬかるんだ地面へと突き刺さった。
――そんな、たった今振り払った脅威に対して、もう一切目を触れずに、扇奈は強く泥を踏みしめ、速く鋭く、駆けて行く。
苛立ちに歪んだ扇奈の目が捕えるのは、正面、距離を取った位置にいる敵。
夜闇に溶けるような色合いの、異形の竜。
刃と杭―――どこぞのクソガキをまねたような武器を背にするその黒い竜を叩き切ってやろうと、扇奈は疾走し――。
「……チッ、」
――大きな舌打ちと共に、その足が止まった。……足を止めながら、身を捻り刃を回し、扇奈は自身の真横を真一門に両断する。
牙が、爪が切り裂かれる。
扇奈が切ったのは、それだ。
強い個体であれ、ただの雑魚であれ、迫られれば対応するしかない。
そして、そちらに対応している間に、黒い竜はまた扇奈から距離を取り、その背の“杭”が、
「一々、中距離を………」
苛立ちの声を上げながら、扇奈は自身へと飛来する“杭”を、弾き飛ばした。
焼き増しのように、日が暮れ夜になってから幾度も幾度も、この状況が続いている。
夕暮れの中に見た、竜の小集団。
その中にまぎれていた黒い竜。
叩き切ろうと、扇奈はその黒い竜へと突き進み、だがその度に、雑魚が邪魔をし、黒い竜は扇奈の間合いの外――黒い竜からすれば一方的に“杭”で攻撃できるそんな距離へと逃げていく。
竜のその行動は、まぎれも無い戦術だった。
ただ一匹、強力な個体が紛れた、というシンプルな話ではない。
その強力な個体が、こちらの
鋼也が相打ち近くまで持ち込まれたのも頷ける。この黒い竜は、明らかかに賢い。
その上、今回は黒い竜のほかに、雑魚とはいえ通常の竜もいる。
黒い竜が通常の竜を使役している、と言うより、利用しているのだろう。
通常の竜の行動は変わっていない。手近な獲物にただ突っ込んでくるだけ。
ただ、黒い竜は一々、距離を取る際に雑魚の中へと紛れ、その雑魚の習性を利用して、扇奈の接近を阻んでいる。
千日手の様相だ。扇奈の体力が尽きるか、この集団にいる竜が尽きるか―――。
雑魚まで含めて全部殺せば良いだけ。いつもと何も変わらない。そう考えて、扇奈は千日手を承知で、この追いかけっこに乗ったのだ。
扇奈の部下もいる。そちらが雑魚を殲滅してから、集団でこの黒い竜を潰せば良い。
そう考えて、そう行動してからどのくらい経ったか……。
杭を弾き雑魚を叩き切り、合間に視野の端の部下を見る。
そちらも、まだ交戦している。竜の死体が積み重なるその最中、部下もまた刃を、銃を戦場に躍らせている―――。
………死体の数が多すぎる?
錆が落ちて始めていたのだろう。局面、目の前の脅威に対して対応を続けながらも、扇奈には更に、周囲に目を走らせるだけの余裕があった。
最初に、この戦闘を始めた時にいた竜の集団はどの程度だった?
落ちている死体は何匹だ?
………明らかに、計算が合わない。死体が、余りに多すぎる。
まるで、戦闘の途中で、減った分だけ正確に、新たな竜が補充されているかの様に。
配置されていた、黒い竜。
戦術を理解しているとしか思えない、その行動。
今日、普段よりも配置されていた竜の小集団の数が多かった。
………捨て駒を使いまくって、こちらの
あるいは、そんな戦略じみたものまでも、竜は理解しているのだろうか。
「………あたしを潰しに来てる?いや、………」
もっと別の可能性もある。
大駒を封じる目的は、究極的に言えば………。
「……チ、」
杭を弾き、竜を切る。部下は援護できる状況じゃない。
どの程度見抜いたとしても、もう、この状態に陥った時点で、扇奈は、目の前の脅威を排除する為に、その労力を裂かざるを得ない―――。
*
同じ夜。同じ時。似た状況が、別の戦場でも広がっていた。
エルフの部隊だ。その部隊が夕暮れに対面した竜の小集団にも、黒い竜が混じっていた。
そして、その黒い竜は――。
―――刃を翻す。
「………、」
独りでに宙を舞った杭が、黒い竜の刃を受け止め、その先にいたエルフの女――アイリスの身を守った。
アイリスの表情は険しい――傷こそ負っていないが、その衣服は泥まみれだ。
泥に塗れている理由そのもの―――肉薄している黒い竜、その背の杭が、アイリスの顔を狙っている――。
「……最悪」
呟きのまま、もはや服が汚れる事もいとわず、すれすれでアイリスは転がり、放たれた杭から身を逃がした。
そしてすぐさま立ち上がる――立ち上がっている間も、気を抜くわけには行かなかった。
刃が迫る。間断なく2撃3撃……アイリスは防戦一方だった。
黒い竜は、アイリスに対して、執拗に距離をつめてくるのだ。
アイリスに制圧力はある。だが、接近されると、その目の前の相手に細かく対応しきる事に集中せねばならず、その制圧力を発揮できない。
本来、味方に直縁を任せる事が戦術として最効率なアイリスだったが、その直縁を側面から突破された上に、今こうして黒い竜と一騎打ちをする羽目になっている。
銃声は響いている。部下はまだ無事だが、そちらはそちらで雑魚の対処でアイリスを助けに入る事ができていない。アイリスもまた、いつものように部下を助けられない。
また、泥に塗れかわす。
立ち上がる時、僅か、泥に足を取られ、体勢を戻すのが遅れる。
そんなアイリスの頭上から、真一門に、黒い刃は振り下ろされ――。
――けれど、その刃は、十字に飛来した杭に阻まれ、アイリスの目の前で止まった。
対処は出来る。だが、逆に言えば、目の前の状況に対処する以外に、行動が出来ない。苦々しげな顔で、アイリスは黒い竜と踊りながら、ここにはいない人間と会話を交わした。
「……ええ。兄さん、手間取るわ。出来れば、どっかから増援を…………そう」
兄から良くない報せが届いたのだ……アイリスは、更に表情を険しくする。
どうやら、こんな苦境……というより、足止めにさらされているのは、アイリス一人ではなかったらしい。
今更…………もう、足止めされてから、アイリスは、敵の戦略を理解した。
「…………分断して、各個撃破」
*
「油断を誘うためだけに、連日、捨て駒か………」
将羅は憎憎しげに呟いた。
場所はいつもの執務室……では無い。
天主閣、城郭、その頂上の畳張りのその部屋。
来客を出迎え、あるいは威圧するための部屋。
同時に、有事、前線拠点を構えられないほど火急のその時に、司令本部として機能する、いわばこの多種族防衛連合軍基地の、頭脳となるべき位置だ。
リチャードと輪洞、参謀つきの二人もこの場所にいて、それぞれ別個に、通信設備を用いて各所から情報を得、指示を飛ばしている――。
有事、だ。いや、気付いたら有事になっていた。
今日と言う日、出来事と言う出来事は、駿河鋼也がこの場所を後にする、その位のはずだった。
他は、全て日常の延長線上だ。
日常と何も変わらず、雑務やこの先の作戦準備に追われ。
日常と何も変わらず、参謀達と軍略を話し。
日常と何も変わらず、……遊撃兵力に、近隣に現れる竜の小集団の殲滅を命じる。
これは、戦争だ。戦争が続いている。この日常の始めは、将羅もそんな緊張感を持っていた。いや、ついさっき、それこそこの天主に移ろうと決断するまで、緊張感を持っていた、つもりだった。
慣れとは恐ろしいものだ。
雨が続けば傘を持つ事に疑問を持たなくなる。
連日連日、竜の小集団が……それも、こちらは殆ど損害を受けずに対処できる程度の竜の小集団が現れ続ければ、どうしても、初動の対処は日常の延長線上になってしまう。
将羅は、いつも通りに、遊撃戦力を対処に向かわせた。扇奈とアイリス、他にもいくつかの部隊………割り振る部隊数が普段より多くとも、差して疑問を持たず、日常の延長線上で、碌に考えもせず。
むしろ、こうして捨て駒を続けてくれれば、<ゲート>攻略に際して都合が良いとも思いながら。
この1月以上続いた日常の中、今日と言う日が唐突な終焉になるとは、露とも思わず。
……錆びている。
そう、扇奈に指摘しながらも、あるいは将羅自身も僅か錆びていたのか。
状況が変わってきている。そう気付いたのは、もう、多すぎる戦力を、個別に、竜の小集団へと割いてしまった、その後だった。
対面が人間だったならば。
前回の防衛戦で、敵の知性体がもっとずるさを見せていれば、あるいは将羅も、初動を謝らなかったかもしれない。
………嵌められてから気付いたのだ。
これは、
日常的に捨て駒を放ち、楽な勝利を対面する相手に植え付ける。
捨て駒を続けながら、こちらの戦力、対応の状況を精査する。
強い駒と強くない駒、それが動く状況動かない状況、それらを、分析する。
その上で、慣れ切った頃に、日常の延長線上として、小集団を僅かに増やし。
対処に動いた強い駒には、勝てずとも抑えられる、そんな強い駒をぶつけ、足止めし。
その他の分散した戦力に対しても、捨て駒を続けて足止めし続ける。
そうして、今日この日、将羅が竜に対してさらした無様が、連携を欠いたまま前線で竜に囲まれる小部隊の数々と、方々に戦力を散らして手薄となったこの本陣。
各個撃破だ。竜の戦略にまんまと嵌り、日常の延長線上から、気付けば、各個撃破の様相に…………。
「頭領」
不意に、将羅は耳元でそう呼びかけられた。
視線を向けた先に居たのは、黒装束の、顔を隠したオニ―――将羅の子飼いの、直属の部下の一人。
偵察に出していたうちの一人だ――そう、将羅が思い起こすと同時に、黒装束のオニは端的に報告する。
「来ました。当拠点北東。確認できただけで数は千ほど。……ですが、進軍ごとに数が増えています」
北東部に竜が千、以上。この多種族連合軍基地に進軍してきているらしい。
遊撃戦力、機動力のある大駒を拠点から離れた場所で足止めした上で、本隊とも言うべき大軍で、敵の拠点へと強襲を欠ける。
……あらかじめ気付いておくべきだった。そう、将羅は内心後悔を始めたが、しかしそれに囚われていられる状況でも無い。
現状を分析しなければならない。
何を残し、何を捨てるべきか。
竜の大群、千以上……それに対応できるだけの戦力は今この拠点に残っているのか。
算段を始め、即座に決断を下していきながら、将羅は輪洞とリチャードへと声を投げる。
「非戦闘員の退避。及び、戦闘出来る者は全員得物を……」
言いかけて、将羅はけれど、言葉を切らざるを得なかった。
悲鳴が聞こえたのだ。この天主閣の外―――だが、確かにこの基地内から突如轟いた、悲鳴。
……竜は、真っ当に戦略を使う気になっている。
機動力のある駒を前線で孤立させ、本陣と切り離す。
その上で、確実に本陣を落とすために必要な戦略は、残った本陣自体の機能を混乱させる事。
瞬間移動。
前回の大規模戦闘でも、竜は似たようなことをしていた。
こちらの本陣内部への、竜の集団での、奇襲。
今もまた、この基地の内部に突然、竜が現れたのだろう。
……何もかも後手になっている。
悲鳴、銃声、雄たけび……混乱と狂騒が聞こえ始めている。
もはや、一刻の猶予も無い。
「リチャード。拠点内に侵入した竜の掃討。戦闘可能なものには武器を取らせ。非戦闘員は退避させろ。輪洞。迫る竜本隊へ対処だ。兵員をかき集め、陣を敷け。……急げ!」
将羅が飛ばした檄に、二人は即座に、この天主閣を後にしていく。
参謀を首脳部から切り離し個別に動かせるのは、愚策である。そう、わかっていても、将羅には他に切る手札が無かった。
即時に状況把握と適切な判断、及び現れた竜を殲滅できるだけの能力を持った人員を、現場に裂く必要がある。出なければ、碌に抵抗できないままに、この拠点は今宵落ちかねない。
余りにも性急に事が進んでいるかのようで、けれどその実、竜は着実に準備をした上でこの状況を作ったのだろう。
………あらかじめ、気付いておくべきだった。
そう考えても、もはや遅い。
将羅は立ち上がり、天主閣頂上、その窓から、この馴染み深い拠点を見下ろした。
枯れ木と長屋と、節操の無い利便的な建造物。
本来なら静かであろうその夜の景色に、何匹もの竜が蠢き、オニを襲い、あるいはオニに襲われ………。
老兵は衝動に駆られた。
今すぐ、自身もこの場所から下の乱戦へと下りて、今見える先で竜に襲われている者を助けに行きたい、と。
だが………そうして一人助ける間に、もっと多くの命が失われるのだ。
一時の感情で、目の前だけに囚われるには、将羅には責任が多すぎる。
リチャードと輪洞に任せるほかに手は無い。こうしている間にも、千匹以上の竜が、この拠点を落とそうと進軍しているのだ。そちらへの対応策も同時に練る必要がある。
同時に、前線で孤立している各部隊に対しても、何か手を打たなければならない……。
いや、それでどうにかできる状況なのか?
狙って生み出された混乱だ。仮に一時掃討しようとも、竜は瞬間移動して幾らでも奇襲がかけられる。切りなく、それこそ、この拠点に固執する限り………。
眼下で声が上がっている。リチャードがとりわけ派手に、侵入した竜への対処を始めている。
輪洞の直属の配下のオニもまた、そこら中を駆け回り始める――。
あの二人は優秀だ。この状況であっても、最低限の陣容は整えて見せるだろう。
扇奈かアイリスのどちらかを手元に残しておけば、まだ余裕はあったはずだが……今更、言っても仕方のない事だ。
「………頭領。我々は?」
窓の外、眼下の狂乱に思うところがあったのだろう。黒装束はどこか催促の様に、将羅へと問いかけてきた。
悠長に構えていられる状況ではない。だが、闇雲に焦る権利は、頭領、この基地を預かった身である以上、将羅にはない。
直近。即座に、この状況で、将羅がすべき事は……今、目の前にはいない部下への指示だ。
「通信を、前線に出ている全兵に繋げ。……それから、」
躊躇ったのか、あるいは昂ぶりすぎたのか。
洞穴のような目の奥に、やはり黒い、だが確かな炎を垣間見せながら、将羅は言った。
「……オレの太刀を寄越せ」
*
『……前線の各兵へ。聞く余裕のある者は聞け。周囲に伝えよ。これ以後の通信は無い』
突如流れ出した老兵の声に、ノイズが多く混じっている――。
『そこは、前線である。これは、戦争だ。防衛戦である。そして、この防陣は窮地に瀕している』
老兵は常と変わらぬ淡々とした声で、けれど、普段とは僅かに違う言葉を発している。
『各個の置かれた状況に置いて、自身の生存を最優先に考えろ。可能なら現戦域を速やかに離脱せよ。拠点にこだわり命を捨てるな』
死ねと、かつてそう演説をぶった人間とは思えない言葉だ。
………あの時とは状況が違うのだろう。あの時は、死ねと言おうと生かせる、勝たせる事ができるだけの裏づけが、老兵の中にあった。
だが、今回、今、この状況に、その裏づけは存在しない。
盤上にいる人間が、個々が判断し続ける必要がある――。
『各個に最善を判断せよ。生き延びる上での最善を尽くせ』
混じるノイズが大きくなっていく。本拠点、通信設備そのものに何かしらの被害が出始めているのか――。
ノイズに塗れながらも、確かに、老兵は言葉を結びきった。
『必ず、生き延びろ。涅槃で会おう、などと言う気は無い。この老兵の失策だ。生き延び、逃げ延び、そして文句を言いに来い。俺は、死なない。貴様らも、死ぬな。……以上だ』
事実上の指揮の放棄。
具体性が何も提示できない、ただの檄。
……あの老兵でも、他に何も出来ないような状況が、この地域を、あの拠点を襲っているらしい。
通信が途切れた後、ノイズのような音だけが、響いている―――。
暗い、車内。
進んでいないトレーラーの最中。
駿河鋼也は、その声を聞き届け―――悩むように、うなだれる様に、ハンドルに寄りかかり、見るともないような視線を、手に持つ写真に向けていた……。
→ 裏演謳歌Ⅲ 狂騒曲―ラプソディー―
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