空き缶人間アンドロイドを殺す

まじりモコ

人生終了前のプロローグ


 俺はたぶん、生きることに向いていない。


 人間ってのは健康的に生活して、文化的に生きていく。将来の夢を掲げて邁進し、結果の可否に限らず成長できたと偽りの満足感で自らを癒すものだ。そしていつか誰かと恋をして、愛を交わして子孫を残していく。


 そうやって連綿と続く、人間として当たり前の『生きる』というレールに俺はきっと乗り損ねた。


 どこで脱線してしまったのか。それとも、最初からレールに手も届きやしなかったのか。


 そもそも俺なんて、たいした密度もない人生を送ってきたのだ。


 たまに周りの熱に浮かされてみれば恥をかき、挑戦はいつも後悔ばかりだった。


 小学生の頃、全校集会で作文を読まされた。先生やクラスメイトに上手く書けているからと誉められ、ついその役を引き受けてしまったのだ。


 しかし自分でも壇上に上がって初めて知ったが、俺は衆目に晒されることに恐怖を覚える性格だったらしい。震える声でどもりながら原稿用紙二枚分を音読して、最後はマイクに頭をぶつけて壇上から逃げるように降りた。恥ずかしかった。泣くかと思った。


 高校生の時は、生徒会役員に立候補させられた。クラスから必ず一名選出しなくちゃいけなかったのを、押し付けられたのだ。皆からお前ならできるとか、もう君にしか頼めないんだとか言われて、変な責任感を抱いてしまった俺の負けだった。


 なぜか当選した俺は、その後の高校生活を無意味に浪費することになった。つまらない、やりがいも無い、誰に感謝されるでもない放課後の無償労働。頑張れば頑張るだけ、心が空虚になる気がした。


 失敗から学べと人は言うが、失敗なんて、思い出すだけで死にたくなるものだろう。後には何も残らない。


 そうやって、充足感を得られないまま挫折だけ繰り返して大人になった俺の内側には何もなかった。空っぽだ。


 そんなくだらない回想をしながら、今日も出勤前に缶コーヒーを買う。話しかけてくる自販機にまで反射的に愛想笑いを返して、屈んでジュースを取り出した。そんなルーチンワークの合間に、ふと思う。


 俺って、この缶コーヒーより中身がないな。


 まるで、自販機横のゴミ箱に入りきらず路上に放置された空き缶みたいだ。


 趣味がない、打ち込めるものがない。

 信念がない、信じられる軸がない。

 友情がない、その場の愛想笑いがコミュニケーションの全てだ。


 ましてや愛情なんて、夢なんて、俺は持ってない。


 自分の心を満たす何かを、俺は持たない。


 本当に、空き缶みたいな存在。そのうちゴミとして潰される死ぬのを待っているだけの人生だ。


 なんでそれだけ自覚してて自殺しないのかって、それは死というものが痛みを伴うからだ。人間は綺麗に死ねない。死体は芸術品になれても、死体から垂れ流される、俺が人として生きてた証は、俺の残りカスで汚物でしかない。


 死ぬまでの時間をなんとなく生きている。それが俺の人生。十人十色の価値観が許される現代でも、この生き方は許容されないだろう。だって、あまりに人間らしくないから。


 だから俺は自分を、空き缶人間と呼ぶことにした。


 一度そうやって己を定義付けてしまうと、心はすっきりしてしまう。


 それは前進することを捨てたから。社会と違う自分を許して、諦めてしまったから。この世が俺にとって針のむしろなら、立ち止まってうずくまってしまえば苦しまなくて済むのだ。


 自虐が一周回ってなんだか愉快な気持ちになって、俺は会社を目指した。


 それは一見、いつも通りの通勤ルートのはずだった。けれど、つい浮かれて早足になっていたのか、少し早くバス停に着いてしまう。


 一つ前の時間の電気バスが、バス停に向かう俺の横を音もなく通りすぎていく。


 誰もいないバス停に俺は無意味に立ち尽くした。正面のビルに設置された電子看板が、同じ企業の広告を流し続けている。


 そういえば、俺の後ろのビルには今時珍しい鉄板のアナログ看板がついてたな。


 なんの企業の広告だったかと暇つぶしに記憶を探っていると、ちょうどその看板があるくらいの高さからだろう、錆び鉄の軋むような音が聴こえた。


 ぎぃ、と。


 重たい物体が風に揺れ、金具が悲鳴を上げるような音だ。


 俺は違和感を覚えた。


 今日は別に風が強いわけじゃない。ほら、前の広告の上部に表示されてる天気情報にも無風と出てる。


 じゃあこの音の原因はいったい……。


 脳が結論を弾き出す前に背筋に悪寒が走った。突然周囲が暗くなる。消えた太陽を求めて俺は、空を見上げた。


 そこに空はなかった。視界いっぱいに広がるのは、黒い炭酸ジュースが入った瓶を掲げて微笑む金髪女性の顔だった。


 それは健康に悪いと政府から通達を受けて、去年潰された老舗飲料メーカーの広告看板。


 瓶入りジュースとか歴史の遺物、まだ撤去してなかったのかよ。


 視界の端に赤いい影を捉えながら、迫り来る終焉を前に俺の口から出たのは、そんな下らない抗議だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る