きょうのたびびと

藤和工場

第1話 きょうのたびびと

 きょうの旅人


 見上げれば、白。

見渡せば、また一面の白。

 白い世界に映し出される、その白い道に、薄暗い影が落ちている。

 それは僕の影だ。

 なぜ、そうわかったのか……白いスクリーンに映ったヒトガタには御丁寧に「影」と書いてあったからだ。

 そうか、これが影か。

そう思いながら、踏みつけて道なりに足を運んでいると、もう一つ影が現れた。色は溶けず、ただ重なりあった部分がより暗くなる。

「じゃあ……君は道をどうして道と知ったんだい?」

 あいさつがなぞなぞとは粋なものだと、僕は君の顔を見た。

「……さぁ、どうしてだろう」

 残念ながら、その答えはない。

「もう一度、まわりをよく見てごらんよ」君は言う。

 見上げ、見回し、彼方に視線を飛ばしてみると、なるほど、白い道には、「道」と、空には「空」と、雲は「雲」と、連なる山の陰影と木々さえ文字で示されていた。だから、僕はわかったのだ。この世界は、白と文字できっぱりと曖昧さなく構成されているようだ。

「なぜって君は思うだろう……ここは、そういう順序なんだ。世界をあらわすそのものたちを既によく知る君に、たくさんの力を注いで、大いなる、尊い大自然……空や雲や道や山……そういうものをあったまま、感動的に知らせなくていい。だって、君は知っているんだから。それはとても省力なものじゃないかい。おっと……ここでは、ただの風景を、なんで大げさに自然だなんて呼ぶのか、そのほうが不自然だ、なんて問答は置いておいて、そのかわり、僕を見ておくれよ」

 君に従って、僕は君の顔を見た。

 なるほど……白い世界に比べれば、色を持って、きちんとした顔かたちをしている。体もそうだ。この世界では、白から浮き上がって、君だけが際立っている。

「そういう事さ」

 君は肩をすくめて見せる。

「世界を知るより、君を知れっていう事が、ここでは一番ってわけなんだね」

「そうそう、物わかりがよくて、助かるよ」

 君は、知ったような顔で、僕に微笑む。

「世界を知るよりも……君を知ることに、意味がある……むしろ、それをしなきゃいけないってことか」

 飲み込みがいいねと、君は頷いた。

「けど、特別、何かをしなきゃいけないってことじゃないんだ。ただ、僕を見ればいい……君は、そうして、僕を覚える。それだけでいいんだ」

 簡単な事だろうと、片目を閉じる仕草は、確かに、自信のない過去とかいう、そのどこかで見た――覚えている気がした。

「まぁ、立ち話もなんだから、座ったらいいよ」

 君がすすめてくれる場所には、いつの間にか、椅子があった。椅子の形をした白い枠に「椅子」という文字があるだけだが、触れれば、それは確かに椅子だった。僕と君は、向かい合った二脚の椅子に腰掛ける。見た目に反して、なかなかふっくらとした座り心地をしている。職人が心血注いで作った高級な猫足つきの椅子のようだ。

「こんなにゆっくりしていて、いいのかい?」

 なぜか、はやった気持ちになった僕は問う。

「かまわないさ……ここでの時間なんか、瞬きにも足りやしない……そういうものだから。ただ、そうだね……飲み物がないのが口寂しいかな」

 君は、ぱちりと片目を伏せて、左の口角をあげて見せた。

 どこか、鏡を見ているようだ――そんな僕の思慮を君が遮る。

「そうだ、君は……きょうと明日の違いってわかるかい……いや、どう考える?」

 また、なぞなぞのようだ。

 しかし、そういう問いについて、僕は嫌いじゃないという自分の嗜好も知っている。肘を前へついてじっくり考えるのに、小さなテーブルが欲しくなったが、僕の都合良くはいかないらしい。

「そうだね……眠らない限り、きょうと明日は続いてるけど、眠ってしまったら、明日はやってこないんじゃないかな」

 きっと、眠るということは、一度、僕をとめてしまう……やめてしまう事なんだ。だから、眠りからさめた僕は、もう違う僕だ。その僕が、きょうを過ごす。きょうだけが連続している。

「じゃあ、昨日ときょう、明日の君は、全部ちがう人なのかい?」

 君の問いに、僕は、しばし考える。

 ちがうって何だろう。

――人と人の違い……僕と僕の違い……君と僕の違い――

疑問の中で、さっき見た、交わり色濃く重なるだけの影が思い出される。

「きっとね……」「きっと?」

 オウム返しに添えて君は、柔らかい笑顔を見せてくれる。それは、はじめて見る顔だ。印象深く、白の世界の夜明けのような、忘れたくない表情といえる。

「きょうの僕……それだけで、僕ができあがってるわけじゃないんだ。連続してなくても、明日を行く違う僕でも……きょうを重ねていくことで、僕は、僕になっていく」

「それは、君が君の存在の全てじゃないってこと?」

「そうだね……きっと、僕は何かの一部。大きな大きな何か……海の波がどこからくるか、最初の小波は誰かが流した笹舟が海についた知らせかもしれない。山を渡る風の元はどこなのか、最初のそよ風は生まれたての小鳥がうまく鳴けないため息かもしれない。そういう何か、かもね。そのいつかたどり着く、大きなモデルのような何かが、本当の僕であるなら、幸せだね」

「僕でも幸せ?」

 君はまた、笑顔で、僕に問いかける。

「そうだね」

 僕はこたえた。君が見せる暁の笑顔は、僕がなりたいものだと思えたからだ。

「君を見て、僕は僕になっていく事を、なりたい僕を確認してるみたいだ」

「僕を見る度に、君は新しい君になれるのかい? それじゃあ、夜寝て、スイッチをいったん切るのと同じだね。不連続の連続だ」

 君に言われて僕は、ついっと顎をあげて、空をみた。何もない真っ白な空。真っ白なのに空。そこに這う雲たち。それは全部文字だ。瞬きのように、次々と視線を移していけば、そこに文字が現れて、僕に世界を教えてくれる。

「またたきって、夜寝ることと同じかもしれない。一瞬の世界との別れ……その時々に、僕は違う僕になっているのかも」

「新しい情報を入れるように、何かを覚えるように、それを知るごとに……君は、新しい君になるんだ」

「そういうものかな……」

 ティータイム午後三時のクセで、テーブルもない空間へ手を差し伸べてカップをとるようにすると、次の瞬間には、針金細工に文字つきのテーブルと、手にはカップが現れた。さっきは出来なかったことが、今はできる。新しい僕の誕生ってわけだ。お祝いに魅惑的な琥珀色の液体が、お気に入りの花柄カップの中で揺れていたら完璧だろうけど、ここではお茶の二文字でおしまいだ。

「これは素敵なブレイクタイム。僕もご相伴にあずかろう」

 君もカップを手に取って、それを口元へ運んだ。一口含んだ君は、乾杯の合図よろしく、カップを掲げて見せてくれる。レンガ作りの歴史が染みたカウンターの老紳士のような嗜みと、石畳に華奢な白テーブルが並ぶオープンテラスの淑女のような愛嬌とを、同時に住まわせる。

「一瞬前の君は、シャッタを切った写真みたいに、大切なものを切り取って……目を閉じた君は、ただ違う君になるというよりは、コレクションを手に入れた君になる……その程度のこと」

「不連続の連続も恐れることはない……ってことか」

 お茶の二文字は、口をつけて含むと、喉を抜けるとき、コーヒーの芳香が咲いた。

 いつものこの味、この香り、この温度だ。

「お茶だったはずの物も、君がコーヒーだと思えば、またそうなるのさ。君が欲しいもの、君が正しいと思う事、君がいいなと思う事……それが君になるカード」

 目を伏せて、顔をあげた刹那には、君が持つカップはカードに姿を変えていて、僕へと扇に開いて見せる。

「さぁ、きょうのカードはどれにする?」

 君が差し出すカードの中に、僕がゲームで負けになる札は、きっとない。

 これは、どれを引いても、どんなにか価値があるオールマイティのジョーカ。そして、いつか全てを引ききるものなんだ。なくなることに価値があるカード。

「これにするよ」

 逡巡、僕の手にしたカードに、君は満足だと、月光の微笑をくれる。

「きょうのカードはそれだね……それもいいさ」

 君が手を閉じると、そのままカードは掌の中で、溶けて消えた。

 こたえを知っているはずなのに、僕は聞きたくなった。ふとした不安ができたからだ。

「そのカード、なくなったらどうするんだい?」

「おかしなことを聞くんだね。ほら、もう今は僕の手の中にないだろう、そういうものさ」

「それでもいいさ……聞きたいんだ」

「カードは……引いてしまって、全部消えるかもしれない。けど、ずっと消えずに増えていくかもしれない。不安定なものなんだ。そう、今晩眠るベッドのシーツは、すべすべしてるかな、枕の程度はどうだろう、変に沈み込んだりはしないかな……それぐらいの不安さ」

「すべてなくなったら……君はどうするんだい?」

 僕が本当に聞きたかったことは、きっとこちらだ。

 その不安を君は笑う。

「そうなったら、僕がきょうを旅するかもしれないし、君がここに立って、僕を迎えているかもしれない。どちらにしても、同じことさ」

「おなじ……同じか」

 この上なく不思議なのに、僕はその言葉に安心した。僕は、君で、ひとりではない。

 僕は君からもらったカードをひととき見たはずなのに、もう手から辺りの白に溶けてなくなったその中身を忘れてしまった。

「じゃあ、もう、行くことにするよ」

「それがいい……君のきょうが終わらぬうちに」

 腰を上げれば椅子もテーブルも消えて、僕は彼方が霞む、白い道に立つ。君はそこから外れて立っている。もう一度、置き去りにする君の顔を確かめる。覚える、忘れない。そうして、贈る言葉を選んだ。

「じゃあ……また、明日」

「うん、君がくれるあいさつとしては、ぴったりだ」

 君は手も振らず、送る。

 僕は踏み出す。一歩、二歩……そして振り返る。

「君のきょうは、いつ終わるんだい?」

 僕が僕になった時かい――その言葉を君は拒んだ。

「もう、終わるかもしれない、終わっているかもしれない……けれど、明日も続くかもしれない。君がきょうを生きる限り、繰り返される。けれど大丈夫……いくら過ぎようと、わずかな時間さ。そう、人のまたたきにも足らぬ、出会いと別れ、きょうと明日。君が君に、僕が僕になるための時間。道ばたで、挨拶も半ば、すれ違うように、悲しむにはちょっと足りない時だから、心配無用」

 行くがいいさと、君はやっと手を振った。

 僕はそれに頷いて、君がくれた僕のきょうを抱いて、この先へ進もう。

 また明日、君に出会うために、何も恐れず、夜を迎えよう。

 僕に近づく、きょうを持って。

 出会いの挨拶は何がいい?

 ――そうかい、わかった。

(了)

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