月の憧れ、大地の抱擁(ほうよう)  ~テレビアニメ ∀(ターンエー)ガンダム~ 

藤和工場

第1話 月の憧れ、大地の抱擁(ほうよう)

∀ガンダムは1999年から一年間(全50話)放映された作品だ。主人公ロラン・セアックは月に住む民、ムーンレィスの心優しき少年。彼は友人キース・レジェ、フラン・ドールらと共に月の民が幾千年離れていた地球に帰還するための環境適応テストにより、先兵的に地球へと降りる。二年の後、月の民の地球帰還作戦のため、その文明、技術の格差(劇中、地球は1900年初頭のレトロアメリカンを彷彿(ほうふつ)とさせ、双翼のレシプロ機が電気駆動で空を翔る程度の技術)から戦争になる。ロランはその最中、雇われたハイム鉱山のある田舎町ビシニティの成人式の神像、ホワイトドールから現れた∀と呼ばれる機械人形(モビルスーツ)に乗り、望ます戦争へと身を投じていく……この作品の特徴は時代、背景、設定の異なる過去全てのガンダム作品を肯定し、その上で「黒歴史」という∀の超兵器「月光蝶」で消し去られた人間の戦争という遺産であると位置付けている点であろう。

 さらに登場するモビルスーツのデザインを世界的デザイナーシド・ミード氏が手がけるなど、その奇抜なデザイン、世界観へと自然に誘ってくれるストーリー感ある菅野よう子サウンド、活き活きと動く安田朗氏のキャラクターと、話題は尽きない。

 それらは作品を楽しむ上で、重要かつセールスポイントだが、私の考え、受け取った作品自体が伝えてくる本質ではない。それは戦争の中にある人々と愛するという事だ。

 戦争に乗じて産業革命を起こそうとする領主の御曹司グエン。キース、フランはそれぞれパン屋、新聞記者になるなど、戦争の中でそれぞれの戦いをする人々は劇中、全編にわたり描かれており、私たちの注目すべき点である。その中でも「ローラの牛」「墓参り」というエピソードは特に見逃すわけには行かない。「ローラの牛」では(ローラはロランのあだ名)ロランがそれまで隠していた正体を明かし、月の民でありながら月側と戦うこと、そして地球とも、命を尊くしない全ての人と戦うと宣言する。彼は自らにとっても父のような地球のハイム鉱山主ディラン・ハイムを月の攻撃で失う。その娘ソシエは仇を討つべくロランと共に自警軍ミリシャに参加している。それにも拘らず、月で暮らし、地球でも暮らし、双方の優しさを知るロランは同じ人間である互いが迫害し合い、帰還民の夫婦に投げかけられる人を忘れた罵倒に耐えられなかったのだ。安易に敵、味方と判断しない勇気は人として最も大切な事に違いない。劇中、叫ぶロランは人間としてあるべき姿なのだと、私たちは目に焼き付けなければならない。他者を手放しで受け入れる困難さは人間の愚かさであると如実にしながらも、袂を同じとする人間同士の争う事の空しさと、それが生むのは一様に悲しみであると強烈に訴えかけられる事は、心に響き、私たちの涙を誘う。

 人々の戦いが続く中、月の女王ディアナ・ソレルの戦いも「墓参り」の中で始まる。それはディアナとソシエの姉であり、ディアナと瓜二つのキエルの小さな悪戯から生まれた真実だ。彼女らは立場を入れ替わったままハイム家へと帰郷する。その道中、ディアナを待っていたのは自分が帰還の中、仕掛けてしまった戦争の傷だった。父を殺した月の女王に憤りを送るソシエ、夫の死を覆うため、自らの心を害してしまった彼女らの母の優しい言葉はディアナの心のみならず、私たちの心にも突き刺さる。自らが望もうと、望まざると人が殺し合えば悲しみが生まれ、愛する人を失う事は胸を締め付ける。亡きディランの墓前にすがり、訴えるディアナのキエルとしての陳謝はディアナとして立ち会っていたキエルを涙させ、自らが犯してしまった罪の後悔を私たちにぶつけてくる。それは、それでも後には引けないという人間の愚かしくも愛しい姿を体現し、伝えてくれるはずだ。

 そのようにディアナは戦争解決への決意を新たにするが、キエルと入れ替わったまま時は過ぎていく。ディアナとなったキエルもまた、月とディアナの百以上の年月を生きなければならなかった冷凍睡眠と覚醒の真実を知る。策謀により下級市民からの脱却を目指す暗殺者テテスに命を狙われ(後に冷凍睡眠から覚醒したテテスの母が既に亡き彼女の姿を探す様は感涙)つつも、軍からの進言たる独立宣言を撤回し、和平の道をとる。月の民も地球人も、この目もこの耳もこの唇も同じだと言う彼女の演説は劇中のみに響くものではない。私たちの世界にもこだまするべきものなのだ。だが、事態は彼女の望まぬ方へと転がる。黒歴史が語る絶対のタブーたる核兵器の発見だ。しかも抑止力として扱われるはずだった核は(劇中モビルスーツの動力も主として核であるため、エンジンへの直撃はタブーとされている)奪い合う人間たちの憎悪に反応し、嘲笑うかのように発動、「夜中の夜明け」を引き起こしてしまう。それは最も簡単な表現でありながら、最も重いメッセージを伝える。核兵器の使用を直接的に表現し、我々に示してくれる事は素直に受け入れ、自らの戒めとして心に打ち付けるべきである。

 そうした劇中で語られる強烈な戦争観と共に、注目すべきなのはキャラクターが織り成す愛憎。特にロラン、ソシエ、ディアナが示す人を愛するという姿勢だ。それを終結させてくれるのはやはり最終回「黄金の秋」である。ロランは終始、ディアナへの敬愛を貫くが、その優しさゆえにキエルもソシエも大切に想う。一方、ソシエはただの好奇心だったものがロランへの想いとして募っていく。その中で彼女はミリシャのパイロットから求婚されて戸惑う。しかし、その彼はソシエの答えを聞く事無く、核で死んでいく。ディアナもまた、百年前に訪れた地球で愛した男の子孫ウィルに出会い、その面影を追うが、彼の命も戦争にとりつかれ、爆風に刈り取られてしまう。女たちの愛憎の間も常にディアナを守っていくロランの姿はまさに「ナイト」である。ディアナも月の女王の役目をキエルへと預け、そんなロランと健やかに老いる事を選ぶ。劇中、彼女の左手の薬指にはリングが光っているのだが、ロランについてはその表現がない。それはナイトであり続けるというロランの高潔な愛し方であり、私たちに愛の尊さを訴える。それと共に線を引いたような愛はロランの優しさなのではないかと考えられる。それはソシエとの別れ方に見られる。雪の降りしきる中、涙を滴らせるソシエをロランは振り切る。だがその刹那(せつな)、彼は口付けを送る。それこそ世界で一番優しくて最も残酷な口付けを、だ。ロランはソシエの想いを受け止めた上で、ディアナとの道を選んだ。それは彼なりの愛への償いなのかもしれない。確かに現実的ではないし、考えも及ばない。だからこそ、ここには愛というものがしっかりと描かれているのだ。愛とは誰しもの中にあり、最も手に入れ易いものでありながら、愛するという行為は一様でも容易くもなく、悲しみを多く孕んでも尊ぶべきだと教えてくれる。

 さて、ここまで述べてきたのは私がこの作品から学んだ事の一片だ。これを読んだあなたが、本当にこんな事があるのか? と疑って頂ければ幸いだ。ならば見て欲しい。そして賛同できる所、反論すべき所を見出して欲しい。所詮アニメは作り物か? いいえ、それを見て、あなたが感じ、考えた事はあなたのいる現実で、あなたのリアルになるのだから。(了)

(アーカイブ的に十数年前のものをそのまま投稿しております)

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