カレイドスターを見て

藤和工場

第1話 カレイドスター


 カレイドステージ。それはサーカスでもマジックでもない本物のエンターテインメントを見せる場所。

 主人公、苗木野そら16歳は、カレイドステージのキャストになるという夢を叶えるために、単身渡米する。そのカレイドステージのトップスターであり、そらの憧れでもあるレイラ・ハミルトン。

ステージに愛された者しか見る事ができないという、ステージの精「フール」が見える二人が、紆余曲折を経てお互いを認め、パートナーとして、「幻の大技」に挑むまでを描いたのが前期「カレイドスター」。そして、パートナーを越え、二人がライバルとして「天使の技」で競い、「争いのないステージ」という夢を、そらが実現する姿を描いたのが、後期「カレイドスター新たなる翼」である。

 「カレイドスター」「カレイドスター新たなる翼」はカレイドステージを舞台とした涙と笑い、そして努力と根性の青春群像劇である。

 この程度の乱雑なストーリー解説では、カレイドスターの魅力を十分に伝える事は出来ないが、この作品がただの青春群像劇と言えないのは、描かれる現代コミュニティのあり方から、私たちの理想が見て取れる点である。


 コミュニティという言葉を辞書で引くと、「共同社会」「地域社会」「生活共同体」という単語が出てくる。要するに、自分が生活しているごく身近な場所の事である。

 過去、戦前の日本には「農村的コミュニティ」というものが存在した。それは農耕社会を基盤とし、自身の親だけが親でなく、そこで暮らす人々全てが、親や兄弟の役割を果たし、それぞれが効果的に作用し合って、人を育てていくというシステムのようなものだった。いわば地域社会そのものが、一つの大きな家族のような役割を果たしていた。

だが現代、近所付き合いなどの関係が希薄になり、そのシステムは機能しているとは言い難い。だからこそ、現代には現代のシステムが必要になるのだ。

「農村的コミュニティ」に限っていえば、人それぞれに考えるまでもなく、義務ともいえる役割が配分されていた。大人は畑仕事、子どもたちは自らより小さな子達の面倒を見る。大人たちは誰の子であろうとも、叱り、諭す。という具合だ。

しかし、生活基盤が多様な現代では、明確な役割というものが存在しない。多くの人が自分のコミュニティにおいて、何をしていいのかがわからないのだ。そこで重要になってくるのは各々の心である。わからないと投げ出してしまうのではなく、何をしたいのか、何をすべきなのか悩む事だ。

「カレイドスター」では、カレイドステージというプロフェッショナルが暮らすコミュニティにおいて、そらが何をしたいのか、何をすべきなのかと悩む姿が、その仲間たちとともに描かれている。


カレイドステージというコミュニティは生活基盤が多様なわけではない。そこで暮らすのは全てがステージに関わる人々である。ステージを創るというひとつの目標がある点では、農耕という皆が向かう目標がある「農村的コミュニティ」に似ているだろう。しかし、人々にはそれぞれに「夢」があり、目指す最終的な姿は異なる。

あるものはクラウン(ピエロ)に、あるものは演出家に、またあるものはディアボロ(中国こま)からトラピス(空中ブランコ)に転向と、多様である。

その多様さはコミュニティの様々な顔を見せてくれるものでもある。

実の両親と死別しているそら。彼女は今の両親に子どもが出来る事で、自分の居場所がなくなることに恐れていた。だが、新しい命に触れる事で、彼女は自分の存在の尊さを知る。

母と死別し、その悲しみから大好きなトランポリンを飛ばなくなった少女マリオンは、そらに母を重ねた事で、楽しさを思い出し成長を遂げる。

その他の人々も、そらの行動に感化されて、笑顔になれる自分を見つけていく。

それら、人が人に関わって作用していくことは、コミュニティにおいて、重要なシステムである。

このように、「カレイドスター」における、そらのマンパワーは、カレイドステージというコミュニティに住む人々に「夢」を与えるものなのだ。

夢というものは不定形なもので、明確なものでもない。人それぞれの心の中でいかようにもなる。それは私たちが、現実のコミュニティで、何をしたらいいのか迷う心と同じものなのかもしれない。

しかし、夢とは目標ともいえるし、人が生きるための指針のようなもので、それこそ、その人のコミュニティでの役割とも言えるものだろう。

だが、夢を追う事は容易くない。非常な困難がつきまとうものだ。

だからこそ、夢を追い続けるそらという存在は、コミュニティの象徴でもあるのだ。象徴といってもそらは、非常に人間くさい。泣いて笑って、壊れるほど努力して、傷ついて、時には逃げ出して……それでも、自分の夢を追う。それは夢を叶える事がそらの役割だからだ。

そして、そらの夢こそが、「現代コミュニティ」が目指すべき理想のひとつなのだ。


そらの夢は「争いのない笑顔があふれるステージを創ること」だ。それは笑顔の意味を知らなければ成されない事だ。

そらはカレイドステージというコミュニティの中で、多くの人と関わり、お互いが傷つきながらも、笑顔はただ楽しいからこぼれるものではなく、そこに苦しみや涙を内包しているからこそ尊いものだと知る。

その姿は私たちに、笑顔の重みや他人に自分を受け入れてもらえる事の嬉しさといった、単純でありふれた事のなかにある尊さを教えてくれる。


それらから見えてくるのは、誰もが人を人として受け入れ、臆面なく夢をうたい実現させようと全力で努力できるコミュニティの姿だ。

それは「争いなく誰もが笑顔で生活して、誰もが夢を見る事を役割に出来るコミュニティ」だと言える。それは誰もがここにいて楽しいと感じる事と同義だろう。

 労働的な繋がりだけでなく、別々の夢を見ていても、お互いを尊重しあえる心と心の絆によって結ばれるネットワーク。

これこそが、現代コミュニティのあり方であろう。

もちろんそれは愚かしい幻想のように聞こえるだろう。現実、誰もが笑っていられるわけではない。それどころか、多くの人は泣いている。

そらの様に強大なマンパワーを持った人も稀だろう。だが、そらが夢の前に立つレイラという壁を乗り越え、誰の指示がなくとも、観客もキャストも、自然に笑顔がこぼれる調和した「争いのないステージ」を実現させたように、私たちも心の中にある壁を乗り越えなければならない。

それは我々ひとりひとりが、愚かだとわかっていても、心にそういう考えを持ち続けることによって、現代コミュニティのあり方が創られていくと信じる事だ。

まずは傍にいる人に、ここにいて楽しいと思えること、それがあなたの命の匂いそのものだと伝えてあげよう。

その言葉がわからない時は、「カレイドスター」「カレイドスター新たなる翼」を見て、あなたが受け取った笑顔を投げかけて抱きしめてあげよう。

それはサーカスでもマジックでも本物のエンターテインメントでもないかもしれない。

だがその温かさは、あなたとあなたの大切な人とのリアルな絆になるだろう。

(了)

(アーカイブ的に、十数年前のものをそのまま投稿しております)

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