アニメを歩いていこう

藤和工場

第1話 アニメを歩いていこう

アニメを歩いていこう


 アニメ作品(主にテレビ、ビデオ、劇場用などの)には大きく分けて二種類ある。一つは監督らが一から手がけて作られるオリジナル。そしてもう一つは既に他媒体(マンガ、ゲーム、小説などが主)にて原作が存在する、いわゆる「原作モノ」という作品だ。

 もちろんこの二つ、含まれているメッセージの質であるとかに優劣はない。それぞれにいい所がある。しかし、視聴者の門戸は原作モノのほうがやや広いであろうと私は思う。原作が好きだから見る。導入はそれでもいいのだ。それに限らず、監督が好き、声優が好き、キャラクターに惹かれる……など、私はそのどれから入っても間違いではないと思う。むしろ、どんな動機であろうと見ないことには、何も始まらない。見た者の中に芽生えるであろう、感動も考えもあったものではない。

 ここではその「原作モノ」の持つ可能性や楽しみ方の私なりの一助を述べたいと思う。

 さて、原作モノで誰しもが気付くポイントは「原作とアニメの相違」だ。もちろんセリフが違う、動きが違うなど当たり前でありながら、気付くと嬉しいもの。元々文章や絵で表現されているものをアニメーション(連続した動き)にするのだから、見せ方が違うのは当然だ。だが、そこまでで楽しみをしまってしまうのは少々もったいない。そこからもう一歩踏み込むと、もう一味が脳内に押し寄せてくる。例えばストーリーが原作と違う場合、これは原作がまだ完結していない場合や、原作とするゲームに複数のエンディングが用意されている場合などに多く見られる。しかし、原作を違った角度から表現したり、原作にないストーリーを用意するというのは製作者の腕の見せ所でもある。どういう解釈でそういうエンディングを選んだのか分かるかい? と語りかけ、私たちに作品を読み込むという楽しみを示してくれているのだ。私たちもそのエンディングに納得できないと考えるのも楽しみなのだ。どうしてそうしたのか? 自分なら別の道をとると想像し、別の形で頭に創造する事は、私たちの財産になる。

 もう一つ、キャラクターの動きについてだが、これは原作と違う部分より例えばキャラの足運びでさえ、同じだ! と思える部分に注意して見るべきだ。前述したが、アニメ、ゲーム、小説、マンガと最も根本的な部分では同じであっても、それぞれにしか出来ない表現方法やニュアンスがある。しかし、それを超越して私たちに同じだ、想像通りだ、と個々がイメージしていたキャラクターとのシンクロという驚嘆を与えてくれるのは、偏(ひとえ)に製作者の力なのだ。その仕掛け人は監督であり、演出であり声優であり、作品に携わった全ての人の力が集約された結果なのだ。魂のこもった作品に触れる事は確実に次なるステップ(連鎖)を生んでくれる。そういう感動を与えてくれた作品の次、また新たな作品で自分を魅了した人たちに出会えるという喜びの時「あの監督は今度、どんなものを見せてくれるんだ?」「あの原作シーンをあんな風に料理したんだ、今度はどう味付けするんだ?」「あの演技を聞かせてくれた人は今度はどんな声でキャラクターの心を届けてくれるのだ?」と、自分の趣向と多少ずれがあったとしても、「なら見てみようか」というつながりを育んでくれる。そしてそれは、また別の楽しみを生む。ひとりの監督を追い、彼が全ての作品を通して根底的にとらえているテーマに着目するのもいいだろう。そういう楽しみ方を束縛する術はない。それこそ卵が先か鶏が先かと原作を先に読み終えてもよし、アニメを見終わってから原作に触れるのもいい。アニメの楽しみ方は人の数だけあり、絶対の法則はないのだから。

 ただ、せっかく作品を見るのだから、それに眠る盾と剣をしっかりと掴むとしよう。それは憧れという盾と、想像力という剣だ。

 例えば、泥にまみれ、血を流しても自らの運命に抗う主人公がいる。あなたはその姿に人の強さを見出す事が出来た。そして、自分もあんな風に生きて夢を追っていこうと思う。確かにキャラクター自体になることは困難な場合が多いかもしれない。しかし、そこで得た憧れは現実に降りかかる嘲笑や蔑(さげす)みからあなたを守る大いなる盾になり、志という夢への道を守ってくれるだろう。

 また、戦争の只中にあり、その手を血で染める主人公がいる。あなたはその姿に戦争の愚かしさとそれでも戦わねばならぬ人の業を知る。そして、現実に憎しみで拳を握り、言葉まで侵されそうになる時、培った想像力という剣は哀しげな主人公の顔を浮かばせ、拳と言葉の先にある未来を見せ、歩むべき本当の未来を切り開いてくれるだろう。この盾と剣はあなた自身のリアルな心に宿る。それを多くの作品に触れる事で大切に育てて欲しい。そして、その想いをあなたの大切な人にも教え、伝えて欲しい。

 もちろん、私の言うような事を考えず、頭を空っぽにして楽しむべきものもある。そんな作品に出会えたときは意図を汲み、大いに笑おう。笑ってもらうことを本望とするものの前で、大らかに高らかに笑う事は涙を流す事と等しく、罪のないことなのだから。(了)


(アーカイブ的に、十数年前にかいたものをそのまま投稿しております。細部ご容赦を)

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