頭隠して
ピクリン酸
1
校内新聞が、人目のつかないような廊下の奥に貼ってある。と言っても、ここは校舎の廊下ではなく、寮の廊下だ。何も寮の廊下にまで貼る必要はないだろう。どうせ誰も読まないのだから。
秋の初め、夏の終わりである。校内新聞には、運動部の夏の成果が所狭しと並ぶ。
『野球部は惜しくも甲子園ならず』とか、『柔道部全国大会出場、関東及ばず二回戦敗退』とか、彼ら、彼女らの青春の熱気が紙面から私を圧倒する。別に熱に当てられているわけではない。私は運動部に所属していなし、武芸に身を捧げるような人間でもない。しかし、何かが内側からこみ上げて、喉を掻き毟りたくなる。感情とは往々にして説明のつかないもので、この感情も理屈を拒むのだろう。説明のつかないエネルギーに侵された私は、自分が何をしてきたかを振り返る。
つまりは、いつもの夏休み明けである。
私は、この寮から学校に通っている。実家から離れた学校を選んだからだ。なぜわざわざこの学校まで来たのか、とよく聞かれるが、決まって返答に困る。なんとなく実家から離れることで、何か新しい事が起こるんじゃないかと思っただけだ。今までいた小さな世界から、それに相応しいスケールに小さくまとまった自分から、脱却できると思っていた。こっちに来てから一年と数ヶ月過ぎたが、なんのことはない、自分は小さいままだ。小さい世界に合わせて、自分が小さくまとまっていたわけではなかった。自分が小さいから、世界が小さいのだ。
私はまた、自分の周りに小さい世界を作り出した。寮ではおせっかいなまとめ役になりきって、自分の周りにいる人たちの問題へ土足でズカズカと入り込んで、引っ掻き回した。今年入ってきた後輩の部屋にも上がり込んだっけ。今年寮に入った後輩は一人だけで、いい先輩を演じたくて、結局迷惑をかけてしまったのは悪かったなと反省している。
廊下に貼られた新聞の前でずいぶん考え込んでしまったらしい。辺りを見回して現実に自分を馴染ませる。向こうから歩いてくる二人組が目に入った。今年入ってきた後輩と、もう一人、おそらく友人であろう。向こうも私に気づき、近寄ってきて律儀に挨拶をしてくれた。廊下で後輩に挨拶されたことなんかなくて、言葉が詰まる。そうだ、彼女に用があったんだった。寮内で小さな事件が発生したのだ。寮生間で情報共有をする必要があると思い、呼べるだけの人を呼んで相談するつもりだった。
「後輩ちゃん、久しぶりだねぇ。ところでさ、これから少し時間あるかな。ちょっと寮生を集めて相談したい事があるんだ」
相手の都合は考えず、矢継ぎばなに言葉を浴びせる。卑怯な手だ。
「今から、ですか」
後輩はしどろもどろしている。すると、友人であろう人物が、
「すいません、私も行っていいですか? 私に気を使ってくれているんだろう? 刈谷」
後輩の名前は刈谷というらしい。おせっかいを焼いておきながら名前も知らなかったとは。いや、覚えてなかったのか。ともあれ、
「君は後輩ちゃんの友達? 秘密の会合ってわけでもないし、別に構わないよ。じゃあ、十五時に食堂ね」
私はこれでも寮生仲間には好かれているようだ。声をかけた人はほとんど集まってくれた。
私は芝居掛かった口調で始める。
「寮生諸君! 君たちを招集したのは他でもない、この寮内で事件が発生したからである! 正義の名において、不埒な犯人を捕らえなけ……」
「それぐらいでいいです座ってください」
調子に乗りすぎた。同級生にたしなめられるとは情けない。わたの演説を中断したのは、事件の目撃者である白川という人物だ。
「ごほん、こちらは事件を目撃した白川さんだ。では白川君、目撃したことを事細かに説明し給え」
「その調子で進める気? まあいいや、えっと、二年の白川です。事件、事件と騒いでいますが、実は事件と言えるのか怪しいことでして。というのも、私は事件そのものを目撃したわけではないんです。
昨日のことです。昨日は十六時ぐらいに学校が終わって、帰宅しようとしたところで大雨が降ってきました。私は傘を持っていなかったのですが、学校からこの寮までの距離ならば大した距離ではないかと思い、走って寮まで帰ってきたんです。寮の玄関に走りこんだところで、おかしな人を見かけたんです。
そのおかしな人は玄関から傘をさして出てきました。しかし、傘を上に向けてさしていませんでした。私に向けて盾のようにさしていたんです。まるで何かを隠しているようでした。そのまま全身を見せないようにして私とすれ違いました。すれ違うとき、少しその人の顔が見えたのですが、男性でした。加えて、傘で隠しきれていない袖などから推測するに、学生服を着ているようでした。私と目があった瞬間に目を逸らして行ってしまったので、それ以上のことはわかりません」
真面目な白川らしい説明だった。臆病な私はここまで真面目になることができない。
「うむ、報告ご苦労。みんなを集めたのは、この事件を知らせておいたほうがいいと思ったからなのよ。怪しい人を目撃した、ってだけなんだけど、寮内に侵入していたみたいだし、何か盗られていないか確認してみてほしいんだ。ついでに、あわよくば犯人を捕まえようと思っているの」
「そんな、捕まえるだなんて、もし何か被害があったとしてもそれは警察の領分よ」
「もし何か被害が、じゃなくて、寮内に侵入者がいた時点でこれは立派な事件よ。私たちが被った事件を私たちで解決するのはなんらおかしくないわ。そう気負わず、少し余興として推理してみようってはなしよ」
白川は納得していないようだったが、それ以上何も言わなかった。すると、今まで私の話を聞いていた中から一人が立ち上がって言った。
「あなたが伝えなきゃいけないと思ったことはこれだけよね。私は推理とか事件とか興味ないからかえっていいかしら」
「ああ、うん。集まってくれてありがとう」
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