群青の匣庭

秋吉 竜

第1節 星の生まれた日

第1話

「××××××××」


自分は、揺らぐ意識の中で、声を聞いた。優しく穏やかな、言い聞かせるような声。誰が話しているのだろう。誰が、自分に語りかけているのだろう。思考しているうちに自分は眩しい光にさらされた。自分を守っていた何かが消えていく感覚、冷たい何かに晒される感覚。ゴポゴポという、初めて聞く音。

自分は、パチリ、と瞼を開く。


「や、おはよう。気分はどうだい?あぁ、無理に動こうとしないでね」


ピチャリ、という水の滴る音が、真白の空間に響いた。

目の前の青年を視認する。あらかじめ埋め込まれている情報と一致させようとして、情報がない、初めて認識するものだと確定する。細身の、腰まである長い灰色の髪を横に切りそろえた青年。前髪も同じく——否、彼なりのファッションなのかはわからないが、ガタガタに切りそろえられている。横髪は編まれた先を金環でゆるくまとめられており、青年が動くたびにユラユラと光を反射していた。


誰だろう。先ほど、自分に語りかけていたのは、彼なのだろうか。思考を続けていると、なにやら端末を弄っていた青年は顔を上げ、にこりと微笑んだ。


「うんうん、思考しているね。僕も生まれた時はそうだったものだ……と、TSADI-2000くん、君に僕は名乗らねばなるまいね。なにせ、君はそれでそんなにも『ぽかん』としているのだろう?君のデータベースには、まだハカセのことしか刻まれていないはずだからね。これももう二度目か、月日が経つのは早いものだ」と、青年は一息置いて、「僕はMEM-1981、もといスティだ、よろしく、新たな『星の子』」


差し出される右手に、『握手』だろうか、とあたりをつける。あらかじめインストールされたデータから、それに対する最適な行動をとろうと、自分は自らの右腕、右手を動かそうとした。


結果として、動きはした。が、それとともに自分は体のバランスを崩し、青年、もといスティの方へ倒れこんでしまった。予想外だ。神経の信号のミスだろうか。こんなことは、あってはならないはずなのに。いくつかの原因候補を考えていると、自分を支えてくれたスティはくすくすと笑い声を漏らす。


「みんな、最初はそんなものさ。大丈夫、これから思う通りに動けるようになっていく」


できなかったことを叱咤するのではなく、大丈夫だと励ます。自分は、スティの言動がよくわからなかった。自分は、『完璧な人間』として生み出された、そのはずだ。少なくとも、体を成長させるとともに受け取っていた情報では、そのはずだった。最初からまともに動けもしない、これでは求められたスペックを反映できていないのと同じだ。自分の存在意義と違う。おかしい、おかしい。こんなはずではない————混乱の中、ふわりと自分は宙に浮いた。

否、宙に浮いたのではない。突然、スティは自分を抱き上げたのだった。赤子を抱えるかのような、丁寧な抱き方だった。自分は現在、十五歳ほどの体躯のはずだが、そのくらいのものに対して行うやり方ではない。


「とりあえず、ベッドに運ばせてくれよ。暴れないでね、悪いようにはしないから。あぁそうだ、ハカセだけど、あの人は今ちょっと……ね」


ハカセが、どうかしたのですか。自分は、そう問おうとした。問おうと、したのだ。

しかし、青年はどうしたの?と微笑みながら首をかしげる。自分の耳にも、青年の耳にも、今はなったはずの言葉は正常に届いていないことを、優秀であるはずの脳は理解した。なるほど、僕はまだ、筋肉がまともに扱えない状態なのかもしれない。だが、よく考えてみれば当然だ。先ほどまで、自分が立っていた——否、培養されていた場所を見る。


直立したカプセル型のケースの中に、今は何も入っていない。だがついさきほどまで、自分と、そして自分を構成し、育て、守っていた液体……謂わば羊水のようなものが入っていた、はずである。今となっては視認することはできないが、自分はそのようにしてつくられた人造人間であることは情報としてあらかじめ得ていた。そんなわけで、このカプセルの中でゆらゆらと育てられた自分は、これまで筋肉というものを使ってこなかった。生まれたばかりの赤子が歩けないのと同じように、自分もまた、歩くことができないのだろう。どのような経緯によるものなのかは、まだ情報としては与えられていないが、人間の赤子は成長するにつれ自ら動き、筋肉の使い方を学んでいく。その点は、自分も避けては通れない、ということなのだろう。


どれだけ天才的な、どれだけ完璧な人間とは言え、生まれた時は誰も彼も等しく無力な赤子である。それ故に、スティは「大丈夫だ」と言ったのだろうか。きっと、そうだろう。


スティは軽々と抱き上げただけあり、自分に比べ筋肉はついているのだろう。製造番号で名乗ったあたり、自分と同じくハカセに生み出されたものであることは確かだと思われるが、何年前に造られたのだろう。自分もいずれ、スティのように、動けるようになるのだろうか。

もしも、このまま動くことができなかったら……浮かんだ不安を無理やり消そうとするが、一度浮かんだ不安は消えないどころか拡散し始める。自分の価値は「完璧」であること、この一点のはずだ。身体が動かないなんて、それがまず第一の欠点となり、そしてこうして不安に苛まれるのも、完璧とは言い難い。果てにどうして自分は造られたのだろうか、という考えまで浮かぶ。


そうだ。なぜ、自分は生まれている?スティがいるじゃないか。自分を抱いて、美しい髪をたなびかせ歩く、どこか儚げな印象を抱かせる整った顔立ちの、少なくとも見た目の上では完璧な人形が。身体も動くし、決して軽くはない自分を軽々と運べるだけの力もある。

思考の渦に巻き込まれているうちに、どうやら目的地、ベッドルームについたらしく、スティはそっとまだいくらか濡れている自分をベッドに横たえた。


そっと辺りを見渡す。ベッドルーム、というよりは誰かしらの個室のようだった。机もあるし、今はまだ空っぽだが本棚もある。ベッド脇には一人用の椅子が置かれ、サイドテーブルにはステンドグラスのランプがぼんやりと辺りをとりどりに照らしている。チカリ、と黄色いガラスが自己主張するように一瞬光った。

椅子に深々と腰掛け、「さて」とスティは話し出す。


「これからのことを説明しなきゃね。まず、君は生まれたばかりだから、三ヶ月ほどをかけて身体を動かせるように、それから喋れるようになってもらう。あぁ、普通の人間じゃあそうはいかないのは重々承知してるさ。人間とは何度か関わったこともあるし、実際の赤ん坊を見たこともあるからね。こんな異常な速さで成長できるのは、偏に僕たちが造られた存在だから、この一点に尽きる。あらかじめそういう風に造られているのさ」


だから、心配しなくていい。言外に、そう言われているような気がした。


「それに加えて、その間、勉学にも励んでもらう。君にあらかじめ植えつけられている知識は、これから新たなものを見聞きしていく中で次第に消えていってしまうからね。記憶とは、何度も繰り返すことで定着していくものだから。ま、君にも向き不向きはある。それを調べる意味合いもあるんだ。そうそう、教官役は僕だ。ハカセは他のことでも忙しいし……それに、安心してくれ、なんと僕は教官役は二回目だ。普通、ありえないはずなのだけれどね。まぁ、一度経験しているから安心して頼ってほしい、ということだよ」


向き、不向き。そう言われて、再び不安が頭をよぎる。完璧とは。完璧な人間に、向きも不向きもないはずだ。なぜなら、完璧だから。全てができる。全てが均等に、上手くできる。それでこそ完璧、というものではないのだろうか。

あまり表情に出しているつもりはなかった(というよりは、表情の作り方がわからない)がスティはこちらの顔を見て、不安?となんでもないことのように聞いた。不安も何も、最初から全てが矛盾している。自分の生まれた意味が、わからない。あらかじめ知っていたものと違う。

とはいえ、スティにそれをぶつけてもしょうがない。彼もまた、造られた側なのだから。せめて、ぶつけるのならばハカセに対してだろう。そもそもまだ話すことができないし、話したとしても理解のできないうめき声のようになるだけだ。

だが、スティはまるで自分の思考を読んだかのように、あぁ、と目を細める。


「もしかして、さっきの起動コード、聞こえてなかった?」


じゃあ、もう一回言ってあげよう。スティは謳う。


「僕たちは失敗作だ」

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