天使の湯♨︎
あるみす
第1話 天使の湯
ある朝、伊吹楓という青年は新天地での生活のために故郷である京都を旅立とうとしていた。
歳は十八、高校を卒業してすぐの旅立ちとなる。
楓はけたたましく鳴り止まない目覚ましを痺れが残る左手で止めると鉛の様に重いその体を無理やり起こす。
「うう…動きたくない…痛いし」
「そんなこと言ってても行くことには変わりないんですからさっさと起きてください!」
「…いじわる」
朝は特に言うことを聞かない体を持つ楓は自身の顔の上をふよふよと飛んでいる〝妖精〟のルウを恨めしそうな目で見つめる。ルウは煌めくような金髪を腰まで伸ばし、白いワンピースを着た身長20センチ余りの正真正銘の妖精である。
「うっ…そんな目で見ないで下さいよ私が悪者みたいになるでしょうが」
「……わかったよう、準備しないと本気で間に合わないもんな」
楓は水道の水で決まった量の薬を飲み終えると速やかに旅立ちの準備を終えた。
そして、玄関で靴を履いている時に母親から声を掛けられる。
「…かえで?」
「母さん…行ってきます」
笑顔で挨拶を返す楓はスーツケースを引きながら家を出た。これが彼にとって初めての旅の始まりだった。
それから数時間の電車とバスを乗り継ぎ、楓とルウはお目当ての場所へとたどり着いた。
「すげえ、そこらかしこから温泉の匂いがするな!」
「ここがあの有名な湯源郷ですかー、いかにも効きそうって感じで楽しみですね!!」
「だな!もう他に頼れるものもないから、ここにすがるしかないしな」
二人がたどり着いたのは『天使湯』と呼ばれる活気のある温泉街だった。
そして、この温泉には沢山の逸話があり、その中に「湯に浸かるとたちまちどんな病気でも治ってしまう」というものがある。それこそ楓の求める希望だった。
楓は生まれつき病弱な体質だった。脳の位置が悪く、その治療のために過去に二度も手術を重ねてきた。結果進行を止めることには成功したが、圧迫され、一度傷ついた神経は元には戻らず、左腕の筋肉は削げ落ちた上に痺れが慢性的に残っている。そして極めつけは首の痛みだ。痛み出したら薬も効かず、ただ耐える事しかできないし気圧にも作用されるため楓の精神は極限にまですり減っていた。
「あ、あれじゃないですか?」
駅から歩くこと数分、川のそばにひっそりと建つ『天使の湯』という身も蓋もない名前の旅館が二人の前に姿を現した。
扉を開けるとそこには木の良い香りの漂う上品な旅館の佇まいがそこには広がっていた。
「こ、こんにちは!」
楓が元気よく挨拶すると奥から一人の若い女性が慌てて姿を現した。
「お待ちしておりましたよ!伊吹楓さんですよね?えっと、そちらの妖精さんは…はい、ルウさんですね!」
「ちょ、え、えーっと何でこの子の名前が分かるんですか!?」
ルウの事を名前まで見破ったこの女性に楓は心底驚いた。かくいうルウは少し気まずそうな顔をしているが…
(楓!この方恐らく人間じゃないですよ…)
(えっ!?どういうこ…)
ひそひそと耳打ちしてきたルウに楓が聞き返そうとする前に女性が口を開いた。
「私は元天使ですからね!妖精さんの事を見破るなんて造作もないですよ!」
嬉しそうにドヤ顔を向けて笑う女性はさらっとそんなカミングアウトをやってのけたのだった。
「え、て、天使…様?」
「……やっぱり」
「ささっ、立ち話もなんですからとりあえず上がってください!」
そう言って元天使様は楓達を自身が主に使っている少々手狭な、されど窓からの眺めが良かったりなど、趣の深い居間へと招きいれた。
楓はがちがちになりながらちゃぶ台を挟んで向かい側に正座をして、ルウも机にちょこんと降り立った。
「さてと、改めまして。私この旅館の女将をしてますリリーって言います!200年前まで慈愛の天使やってました!よろしくお願いしますね?」
ここでとうとう楓の頭はパンク寸前に追い込まれた。自身も妖精という稀有な存在と一緒に生活してるが天使となれば話はべつだ。それに、そのリリーさん。とてつもなく若いのだ。人間であれば20やそこらでまかり通るくらいに容姿が若いし言動もどこか元気さを感じられる。長く空色に輝くその髪は太陽の光をふんだんに吸収しているように輝いていて、その無垢な笑顔はとても温かみを感じられた。
楓は不意に我に返ると自己紹介を始める。
「こ、こちらこそよろしくお願いいたします!改めまして僕は伊吹楓でこっちが妖精のルウです。この度は雇ってくださって本当にありがとうございます!」
「楓さんはぜひともうちの旅館で働いてほしいと名前を見たときにビビッときましてね、それにここの温泉は私の加護もありますので首の痛みにもよく効くと思いますよ?」
「!?なんで病気のことを」
「曲がりなりにも慈愛の天使の名前をしょっていたのでそれ位はわかりますよぅ!ふふふ、私に隠し事はできませんよ?……まぁそれはさておきちょっと聞きたいことがあるんですが」
さっきまでとは大違いの真面目なトーンで話すので楓の背筋は更にぴんと張りつめる。
「なんでしょうか…」
楓が唾を飲み込むとリリーはゆっくりと口を開く。
「その歳の人間で思想魔法が使えるなんて凄いですね!!」
「……はい?」
ズイッと身を乗り出して目を輝かせるリリーに楓とルウは呆気に取られる。
「思想魔法ですよぅ〜、ここまで自我を保ってる妖精さんを作り出せるなんて凄いことなんですよ?」
身長が20センチ程度しかないルウの小さい頭を優しくなでながらリリーは嬉々としながら説明する。
だが、等の楓と言うと頭の上に大量のクエスチョンを浮かべていた。
「思想…魔法?ですか?あの、魔法なんて存在するんですか?」
「へ?」
両者の間に流れる沈黙。
それをぶち破ったのはリリーの方だった。
「えええええええええ!!??魔法を理解せずに思想魔法使ってるんですか!?」
「は、はい…というか、思想魔法?自体自分でもやってる自覚なんて無いんですが」
リリーが目を丸くして何故楓の様な状態に至ってるのか考えていると不意に下から声が上がった。
「あの、それについては私が説明します」
「ルウさんはなんでこうなってるか分かるんですか?」
「はい。きっかけはですね、楓が2回目の手術を受けた後になるんですが、日々の痛みに耐える中で孤独に寂しくなって『私』という人格を作り上げたんです」
尚もルウは説明を続ける。
「でもそれだけじゃ魔法は完成してないですよね?」
「そうですね、私という存在が現実世界に干渉出来るようになったのは1年ほど前に白魔術を使う占い師さんに占ってもらった時からなんです」
「じゃあその占い師さんに思想魔法を掛けてもらったってことなのね」
リリーの問いにルウはふるふると首を横に振る。
「違います、占い師さんにはやり方を教えて貰っただけです。実際に魔法を行使してるのは私の方です」
「そうだったんだな〜」
楓も頬を緩ませて指でルウの頬をつつくとルウはこそばそうに身を攀じる。
話を聞いて愕然としているのはリリーさんのみだった。
「なかなか、イレギュラーな存在なのね…想像対象の方が魔法を使って姿を保ってるなんて」
「僕そもそも魔法があるとか今の今まで知りませんでしたから。むしろ今少しワクワクしてます」
「そういう性格だから成せた奇跡なのかも知れないわね」
リリーは茶を一口飲むと深呼吸をした。
リリーが元天使という事実の方がいくらか衝撃は大きいはずなんだが、楓は元々楽観的な性格だった事もあり直ぐにそれを受け入れていた。
「あの、それでお仕事のお話なんですけど…僕はどうしたらいいですか?」
「あぁ、そうねお仕事よね!えっと、今日は定休日だから明日からお願いって事でいいかしら。仕事の内容とかはその都度指示するから今日はゆっくり休んでね。後で居るものまとめてお部屋に持って行ってあげるから」
「すみません、何から何までありがとうございます」
「これくらいどうって事ないよー、これからはもっと頼ってくれて良いんだよ?あ、そうそう、身体がしんどかったら遠慮なく言ってね?親御さんともちゃんとお話してるから安心していいよ♪」
「ありがとうございます!」
楓はリリーから部屋の鍵を受け取り、まずは宿泊部屋へと向かうことにした。
お客さん用の宿泊塔とは別に平屋が設けられており、いわゆる『リリーの家』なのだが従業員はみなシェアハウスの様にそこに住まわせてもらうのがルールらしい。
楓がこの旅館に来た理由。それは湯治もあるが主な理由は住み込みで働く事だった。元々旅館で働きたいと言う夢があった楓は高校卒業を期に色んな旅館に応募してみた所、病気を理由に尽く断られてしまい、唯一受け入れてくれたのがこの「天使の湯」だったという訳だ。しかも、ここの温泉にはリリーの慈愛の天使としての加護もあるので楓にとって美味しい話でしかなかった。
「おおー、もっと狭いかと思ってたけどなかなかいい部屋だな!」
「ですねー、川と山の緑が見える景色も最高ですし」
「さて、さっそく荷解きしちゃうか」
「了解です!」
事前に送っておいたダンボールとスーツケースの荷解きをする為にルウはまず『身体を大きくした』。
身体を大きくしたと言っても人間の子供位の大きさに姿を変えている為に妖精の綺麗な羽はなくなっているのでこの状態の姿はさながらただの金髪色白小学生でしかない。
小学生と呼ぶにはいささか賢すぎるのだが…
部屋の間取りは七畳程で中央にちゃぶ台が置いてある以外は小さな水場が設けられているくらいだった。
「楓ー衣服は纏めて押し入れしまっちゃっていいですかー?」
「いいよー、あ、これも一緒に入れといて」
「了解ですよーっと」
楓は段ボールからひとつの布を取り出すとそれをルウに渡す。昔楓がもらった物でそれ以来お守り代わりに大切にしているものだった。
そんなに持ってきたものの量が多くなかったので一時間足らずでケリはついた。
「つかれたぁぁ、私はくっきーと温かいお茶を所望します!」
「はいはいわかったよ、人間の姿だとやけに甘えんぼになるよなーお前」
慣れた感じでお湯を沸かすと持参の急須でお茶を注ぐ。ルウは胡坐をかく楓の膝の上にポスッと腰をおろすと美味しそうにお茶を啜った。
「当り前じゃないですかー、只でさえ妖精だと誤解されますしーなんたってお菓子もちゃんと味わえませんからね!」
「ほんと理由が理由だな」
楓は上機嫌でクッキーを頬張るルウの長い髪の毛をポニーテールに結わえる。
ルウという存在はあくまでも『想像』の域を出ることはない。つまり、想像さえできれば何にでも姿を変えられるということである。しかし、楓の中では『ルウ』という存在は確立されているために人間に姿を変えても容姿の特徴に大きな差は出ないのである。
「んねぇ、大丈夫ですか?明日からお仕事大変ですよ?もちろん、私も全力で手伝いはしますけど…」
「まぁ…倒れない程度にがんばるよ…」
ルウが上を向いて楓の顔を覗き込むので楓は微笑みながらぷにぷになほっぺをむにむに触る。
「むぇむぇ…」
ルウが気持ちよさそうな声で鳴くので楓もむにむにする手を止めないでいると急に後ろのドアが開いてリリーが入ってきた。
「わっ、リリーさん!?」
「は、はい!リリーです!諸々の道具を持ってきたんですが…あ、ルウさん可愛らしいですね!」
リリーは持ってきた制服や仕事に使う道具、生活用品などが沢山入った箱を置くとルウの姿をみて思わず顔が綻ぶ。
「ありがとうございます、リリーさん。助かります」
「いいよー、余り物も多いからね。気にしなくて大丈夫だよ」
「あと、ご飯は皆で食べるから7時に食堂においで?お風呂はいつ入って貰ってもいいから。当番シフトはおいおいね」
そう言い残すとリリーさんはそそくさと部屋を出ていってしまった。
「……………」
「……………」
気を抜いた所を見られた二人は驚きと恥じらいで心臓が鳴り止まず、しばらく無言で固まっていた。
「……とりあえずお風呂入るか」
「ですね」
二人は汗を流す為に旅館にある大浴場へと足を向ける。人間の姿のままではルウは男湯に入れないので一度妖精の姿へと変身する。
「楽しみですね〜♪おっふろ〜おっふろ〜」
「この温泉の為に来たからな〜、効果あればいいけど」
「天使さんの御加護もあるんですしきっと効きますよー」
「そういう所は楽観的だよな、ルウって」
「楽観的なのはお互い様じゃないですか。そもそも私は楓のもう一つの人格みたいな物ですし」
「それもそうか」
ルウは楓のいわば写し鏡なので性格が似るのは必然的である。一つ違うとすればルウの方が楓よりも真面目である所かもしれないが、楓も元々それなりに真面目なのでやはり劇的な差は生まれない。
大浴場にたどり着いた二人はさっそく服を脱いで温泉に浸かってみる。
山が望める露天風呂は川の流れの音が聞こえてきたりと無条件で癒される。
また、リリーの加護はやはり本物なのか楓は毒気を抜かれたように強張っていた全身の力を抜いていく。まさに天に昇るような気持ちよさがその温泉には存在した。
「これは…抗えない」
「噂には聞いてましたけどここまでとは思いませんでした」
楓とルウはお互い感嘆の声を漏らす。
「今は人もいないし人間の姿になっても大丈夫じゃないか?」
「なんです?妖精ぼでぃーだと魅力が足りないって言うんですか?ほんとどーしようもないロリコンですね」
「あほなことぬかすなよ、今更何の感情も生まれんわ!」
「それはそれで困ります!」
「なんでだよ!」
そんな言い合いの末、結局人間の姿に変わったルウは長い髪を結わえて楓の横に腰を下ろした。
しばらく、お互い無言でお湯を全身で感じる。
「こんな所見られたれ社会的に終わりますね。」
「まぁ、大丈夫だろ」
「ほら、やっぱり楓も楽観的じゃないですか」
「俺はお前だからな」
他愛もない会話を交わしながら二人は天使の湯を堪能する。
しかし、この瞬間がフラグになるなんて今のこの二人には知るよしも無かった。
「な、なななんで!男湯から女の子が出てきてるの!?」
楓とルウが一緒にお風呂に入った事がバレたのは二人が帰りしなに暖簾をくぐった時だった。
運悪くルウは人間の姿で第三者に見られてしまったのだ。
「あ、これは…違うんです」
楓が顔を真っ青に染めながら声がした方向に顔を向けると、ドン引きした楓と同い年くらいの風呂上がりの少女が立っていた。
少女は綺麗な黒髪に丹精な顔立ちと、絵に描いたような大和撫子と言えるだろう。
「何がちがうのよ!こんな可愛らしい女の子連れ込んで!と言うか貴方誰なの!?」
「え、えっと僕は今日からここに引っ越してきた伊吹楓という者でこ、この子はルウっていうんです……が」
「そ、そっかぁ…新しい人…ね」
「そうなんですよ!この子は……そう!妹!妹なんです!」
「それは聞き捨てなりませんねぇ。私の方が姉でしょ?」
「急に割り込んできてややこしくするの辞めてもらえないかな!!」
身振り手振りで事情を説明しようとする楓の言葉をルウがあらぬ方向からツッコミを入れる。
「とりあえず、怖いから近づかないで下さい。妹だとか姉だとか、全く理解できないので」
そう言い捨てるとその少女は踵を返してスタスタと姿を消してしまった。
「………………終わった」
「これはー、やっちゃいましたね♪」
「いやいや、今の完全にルウのせいじゃん!もう少しで納得して貰えたかもしれないじゃん!」
楓が涙目になりながら抗議するがどこか少しニヤついた様子のルウは軽くあしらった。
「大丈夫ですよ。あの状況を見て引かない女子は居ないですから」
「………だからってぇ」
「ほら、元気出していきましょ!そろそろご飯の時間ですよね?お腹空きました〜」
「目の前まっくらだよ…」
しょげる楓とは対照的に元気溢れるルウは楓の手を引っ張って行くのだった。
楓が来るようにと指定されていたふすまを開けると六畳余りの部屋の中央に置かれたちゃぶ台を囲むようにリリーの他に三人が座っていた。
一人は先ほど風呂場前で遭遇した少女でほかの二人は楓より一回り程年上に見える青年と楓と同年代だと思われる小柄な少年だった。
「あっ!来た来た~待ってたんだよ~」
「すみません、待たせてしまったようで」
「大丈夫大丈夫♪ほぼ時間通りだからね」
リリーさんが明るく迎えてくれたが普段そこまで人と関わる事の少ない楓は内心びくびくしていた。それを裏付ける様にルウも楓の横を動こうとはせずにギュッと楓の服の裾を掴んで離さない。
「おお!君が新入りかぁ!待ってたぜ。俺は鈴谷若草、歳は28!よろしくな!」
「よろしくお願いします鈴谷さん。僕は伊吹楓です、18歳です。んでこの子が…」
「ルウって言います!何を隠そう私は妖精なのです!」
楓が緊張しているのを察して若草が明るく声を掛けてくれたので楓の緊張も少し解れて来たようだ。ルウに至ってはポンッと自身の体を妖精に変化させて見せたりしている。
若草は生まれつきの茶髪だったり少しチャラ目な言動から誤解されがちだがとても空気の読める大人であった。
「へえ~妖精かぁ~、ほんとに存在してたんだな」
「リリーさんが元天使である以上そこまで驚きはしませんけどね」
少し小柄な少年が苦笑しながらツッコミを入れ、楓にまっすぐ向き直った。
「僕は坂城悠って言います!楓さんの二つ下の16歳です。ぜひよろしくお願いしますね!」
悠は小柄なため女子に間違われてもおかしくないくらい顔立ちが中性的で、その屈託のない笑顔は楓の緊張をほぐしていく。
「そういえば18歳と言ったら時雨ちゃんも今年18だったよね?」
リリーさんの投げかけに時雨と呼ばれた少女は少し考えた後口を開く。
「ですね、今17でもうすぐ誕生日なので」
(き、きつい…この子絶対疑ってるよ…さっきから軽蔑の眼差し向けられてるし)
楓がそう感じるのも無理はなく、時雨は先ほどから楓に冷え切った目を向けていたのだから…
「あ、あの…さっきのは誤解で…」
楓が弁解しようとすると時雨がそれを遮った。
「…はぁ、わかりました。もういいです、そういう事にしといてあげます。納得はできませんけど」
「ありがとう。…えっと」
「時雨です、深山時雨」
「えと、ありがとう深山さん」
何やら固い雰囲気の中、リリーさんが料理を取りに時雨とルウを連れて部屋から一時退室したので、楓は不意に緊張が解けるのを感じた。
「そう落ち込むことないぞ、時雨は初対面の相手には壁を作るタイプだからな。むしろ口を開かせたことに自信持ってけ!」
「壁作られてるの若草さんだけじゃないですか」
「……………」
悠の言葉が若草にクリーンヒット!若草は思わず言葉を失ってしまう。
「でも、若草さんの言う通りです。時雨さん優しい人ですから」
「それは…ちゃんとわかってます。ありがとうございます、お二人とも」
若草と悠の気遣いが楓にとってものすごく温かかった。
「はーい!持ってきましたよ〜今日はお好み焼きです♪」
「おっ!まってました!」
リリーと時雨が食材を抱え、ルウが自身の身長より少し小さいホットプレートを抱えている。楓は慌ててルウに駆け寄るとホットプレートを受け取りちゃぶ台にそっと設置する。
「ありがとうね、二人とも。じゃっ早速食べよっか!」
リリーが笑顔で呼びかけ、初めてのお好み焼きパーティがスタートした。
お好み焼きは若草が率先して焼きまくる。若草は見かけによらずリリーに次ぐ料理スキルの持ち主なのだ。
「おいひいでふ〜♪」
楓の隣にちょこんと座って笑顔でお好み焼きをおいしそうに頬張るルウは周りの人を笑顔にさせる。
「ほんと美味しいです!若草さん料理お上手なんですね!」
楓も一口大に切り分け口に運び、その美味しさに目を見開く。
若草のお好み焼きはふあふあで中に入っている刻まれたイカが食感のアクセントを表現し、その絶妙な焼き加減は庶民に愛された『お好み焼き』を高級料理へと昇華させていた。
「おっ!美味いか!美味い飯は人を笑顔にさせるからな!どんどん腹いっぱい食べてくれよ!」
「はい!」
一つの食卓を大勢で囲み、笑顔が漏れるその家族のような空間で食事をすると言う何気ない状況に楓はどこか懐かしさを覚えた。
(…あれ?何だろうこの気持ち…みんなでご飯なんていつも食べてた筈なのに)
楓はその懐かしさを感じている自分の心が少し腑に落ちなかった。
楓の戸惑いに気付いたのかルウが箸を止めて楓の顔を覗き込む。
「どうかしました?」
「あっ、ううん。何でもないよ。それより口元汚れてるぞ?」
楓はティッシュでルウのソースで汚れた口元を優しくぬぐってやり、不思議な感覚を紛らわす様にお好み焼きを頬張った。
夕食を平らげた一同は後片付けをさっさと済ませて先ほどの部屋でテレビを囲みながら談笑を続けていた。
しかし楓は疲れも溜まっていたので先に自身の部屋へと戻り、就寝の準備を始めた。
楓が戻ったのでもちろんルウも一緒で、魔法で服装をパジャマへと変えて布団を一つ綺麗に敷き、ばふっと飛び込んだ。
「ぅあ~疲れました~、やっぱりおふとんさいこーですね♡」
「結構な大移動だったからなぁ、俺も疲れたよ」
楓が何気ない様子でルウに返事するとルウは少し間を置き楓にさっきの事を改めて尋ねた。
「やっぱりさっき何かあったんですか?」
「へ?」
楓は思わず間の抜けた声を出す。
「私は楓自身でもあるんですからね?楓がどんな気持ちか位わかります」
ルウに指摘された楓はしばらく考えてから改めて口を開いた。
「そんなに大した事じゃないよ。ただ、みんなで食卓を囲むのが何故か懐かしかったから…ちょっと不思議に感じただけだよ」
「そうなんですか?最近は痛みもありましたし家族と食事の時間がずれることもあったじゃないですか、そういう事も関係してるんじゃないですか?」
「うーん、それもあるのかもなぁ。なんにせよ大したことじゃないしさっさと寝ちゃおうか」
「ですね!なら早くお布団入ってくださいよぅ」
布団に潜り込んだルウが楓を手招きするので楓もルウの隣に寝っ転がった。
ルウはいつもの様に楓の腕を腕枕にして楓もルウと向き合って温かさを確かめつつ目を閉じた。
そのころ居間ではリリー、若草、悠、時雨が談笑を続けていた。
「そういや楓とルウちゃんってどういう関係なんだ?兄妹か何か?」
「うーん、兄妹って言われてみれば間違ってないんだけど、ルウちゃんは『思想体』だから厳密には楓くん〝一人〟なのよねー」
「思想体…ですか?」
リリーは自身の見解を交えて思想魔法について説明する。
「へええ、結構珍しいタイプの人間なんっすねー」
「珍しいってレベルじゃないわよぅ、あんな例私ですら初めて見るんだもの」
「でも、楓君からはちょっと良くない気を感じます」
言葉数の少ない時雨がつぶやくとリリーは少し真面目な顔を見せた。
「良くないって…例えばどんなことですか?」
「…わからない、かな。何故かほかの人よりはっきり感じられないの。何かに邪魔されてるような感じ」
「時雨が占えないなんて相当だな」
「でも時雨ちゃんの予想は間違ってないよ」
三人の視線がリリーの方へ向き、リリーはいつに増して慎重に言葉を選ぶ。
「楓くんはうちで匿わなかったら最悪死んでいたかもしれません」
元大天使のリリーの言葉は重く、その事の重大さが明らかになるのだった。
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