短冊に願いを
ゆお
プロローグ
緩やかな上り坂は街路灯に照らされ、道行く多くの人たちの影を四方八方に散らばせた。
そのほとんどが上って行く人たちで、中にはもう用が済んだのか下ってくる人の姿も見られる。何人もの人たちがそれぞれに言葉を交わし、誰が何を言っているのか、日本の言葉なのかさえ混ざり合いすぎてわたしにはわからなかった。
ふと視線を上げると、ずっと奥に見える木々は黒く、闇に堕ちてしまったかのように静かにわたしたちを見下ろし、背景の星空を見る余裕すらなかった。
「ほら、もう着くわよ」
不意に頭上から母の声がして、わたしは母の視線を目で追った。
煌々と赤や橙の光が左手前方の密集した樹木の隙間から漏れ出し、その場所だけが異なる世界のように眩しくて、わたしは目を眇めた。
「すごい……」
「ほら、見て綾咲」
わたしが感嘆の声を漏らすと、母は続いてその木々の少し手前を指差した。見るからに大きな影が現れ、歩くたびにその大きさを増していく。近くまで来てようやくその大きな影が赤色に塗られていることがわかった。
「七夕さんの鳥居。夜見るとちょっと怖いわね」
フフフと笑う母の言葉に、わたしは無言でうなずいた。
昼間に見るのとは印象がまったく違う。いつもはわたしたちを見守ってくれているように静かに佇む鳥居も、夜に見ると黒い木々のように恐ろしく感じてしまう。
鳥居の下は参拝客でごった返し、先ほどとは比べ物にならないくらいに、人々の声でいっぱいになった。
鳥居から続く何段もの石段を登り、神社の境内に入る。参道を挟むように屋台が軒を連ね、提灯の赤い光や、炊き出しの火が辺りを仄赤くして、不特定多数の人の声も相まって、わたしは軽い高揚感を抱いた。名前も顔も見たことない、まったく知らない人たちなのに、そこにいるだけでその人たちが友達みたいに思え、そう思えば思うほど、わたしの心は跳ねた。
「こんばんは」
頭上から声がして見上げてみると、母が知らない女の人と挨拶を交わしていた。視線を落とすとその人の足元にピッタリと身を寄せている、わたしと同じくらいの年の子がこちらを見つめていた。
会話の内容を聞いていると、わたしのことや、名前を聞いたこともない子の話をしていたようだった。ころころと変わる母たちの話に、次第にわたしは興味がなくなって、賑わう屋台の看板を順に目で追った。
「ねえねえ」
気がつくと、その女の人と一緒にいた子がわたしのすぐ近くに来ていて、小さな声で、
「向こうに行ってみない?」
と言って、わたしの手を取った。
わたしはその子の手に引かれるまま人込みに潜り、参道から逸れ、広場に出た。
周りは松明に照らされ、それらに崇められるように中央には笹、というよりも、当時のわたしには竹と呼ぶ方があっていると思うほど巨大な竹が、たくさんの五色の短冊に飾られ、存在感をありありと示しつけていた。
「あそこ」
わたしの手を握る逆側の手で、その子は竹の下あたりを指差した。
そこには無料で配られてる短冊が束になって机に置かれ、傍らにはフェルトペンがペン立てに入っていた。
「何か書こうよ」
「う、うん」
わたしは言われるがままその子に手を引かれて竹の真下までやってきた。
短冊を一枚取りペンを持ってしばし考える。しかし特に願い事は浮かんでくることもなく、わたしが黙考しているところにその子が横から短冊を渡してきた。
「まだ何も書いてないからいらないよ」私が言うと、
「違う違う」とその子は言って笑った。「交換こしよう」
わたしは合点がいって、その子からもらった短冊に何が書かれているのか見てみた。そこには幸せな言葉が書いてあった。
わたしはその子が書いた短冊にならって、その子と同じことを書いて渡した。
母の呼ぶ声に気がついて、わたしとその子は手を振る母たちの元まで駆けていく。
「またどこかで会えるといいね」
その子の言葉に、わたしも、
「うん。会えるといいね」と返した。
「何してたの?」
母の柔らかい声にわたしは微笑んだ。
「ナイショ」
わたしとその子は向き合い、二人で人差し指を口許につけて、シーと言って笑いあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます