第19話 おかえり
日が暮れ始めたころ、私はシャーディヨン家のお屋敷を発った。
ダイアスタの屋敷に帰る途中、私は別れ際にリリアーヌ様に言われたことを思い出す。
「あぁは言いましたけれど、オーブエル殿下の御心は私にはわかりません。気になるならば、ご本人に確かめられるのが一番ですよ」
リリアーヌ様は何てことないように言ったけれど、それを殿下に聞くのは正直、怖いと思った。
もし私が殿下を傷つけていたら? 嫌われていたりしたら? 優しさが、嫌々与えられたものだったら?
胸の中に不安が溢れて、飲み込まれてしまいそうだった。
その日の夜のうちに、私は騎士寮へ帰ることにした。
明日の朝からはいつも通りにオーブエル殿下の近衛隊の仕事がある。気は重いけれど仕方がない。
「お姉様、久々にお会いできて嬉しかったですわ。どうかお元気で」
「えぇ。私もフィーラに会えて嬉しかったし、面白い話も聞けて楽しかったわ。でも無茶はしちゃだめよ? 貴女は一つの事に夢中になると周りが見えなくなるから」
「……気を付けます。お父様、まだ多少怒ってはいますが、お父様なりに私を思って色々してくださったのは感謝しています。次からはきちんとお考えをお話しくださいね?」
「フィーラ! あぁ、もちろんだとも!」
屋敷にいる間冷たくあしらったのが余程応えたのか素直に頷くお父様と、優しく微笑むお姉様に頭を下げて、私は馬車に乗り込んだ。
ゆっくりと進む馬車の中で、私は持ってきていたオーブエル殿下に渡された本を捲る。
時間があるときに何度も開いて読んだその本は、ありふれた童話を綴ったもの。
魔法に目覚めた少年が、その力で周囲の人々の困りごとを解決していき、最後には家族や周囲の人々と幸せに過ごしました、という物語。
平穏で平凡で、物語としてはつまらないくらいに凄いことは何も起こらない、けれど人の優しさだけは伝わってくる物語。
『昔、僕が好きだった本なんだけど、フィーラも好きそうだなって思って』
そう言った殿下のことを思い出して僅かに頬が緩んだ。
あぁ、本当に殿下らしい本だわ。
幼いころの殿下はこれを読んで何を思ったのかしら? 主人公と同じように、魔法の力で誰かを助けたいと思ったりしたのかしら?
好きだった、って過去のことのように言うのは、今は違うからなのかしら?
私は本当に何も知らない。
オーブエル殿下が過ごしてきた日々を、何を思って生きてきたのかを、その傷を、優しくしてくれる理由を。
殿下の気持ちを、心を、知ろうとするのはとても怖い。辛い言葉をぶつけられるのが恐ろしいから。
でも、知りたいの。
殿下の思いを、生きてきた、その日々を。そこに宿る、苦しみも、辛さも、幸福も、喜びも。
私は、近づきたいの。
――扉の向こうにいる、あなたに。
***
「あっ、フィーラ! おはよ!」
「おはようフィーラ。お父さん大丈夫だった?」
「おはよう、エドガー、ジャン。えぇ、ピンピンしてたわ」
朝の食堂で会った私たちは、いつかのように連れ立って王宮図書館へ出勤する。
たった一日会っていなかっただけなのに、もうどこか懐かしい気分になるのは何でかしら。
「そういえばアジリオさんは?」
「さぁ。今朝は見てないな。先行ってるんだろ」
……フラグだった。
王宮図書館へついた私達は、バルドさんの小隊と軽い挨拶をして、案の定アジリオさんが先になど来ていないことを知った。
「どうする? 呼びに戻る?」
ジャンが困った顔でエドガーに聞くと、バルドさんが「必要ない」と声をかけてきた。
「交代時間までまだ少しある。前回遅刻したとき団長にも報告して徹底的に絞って貰ったからな。これでまだ遅刻するようなら小隊長を下ろすだけだ」
「そしたら誰が小隊長に?」
「ジャン辺りだろう。エドガーはまだ感情が先走りやすいからな」
「うわ、手厳しいですね!」
そんなことを話しながらアジリオさんを待っていると、ふいにギィ……と扉が開いた。
伺うように顔を出したオーブエル殿下に、私の体は少し緊張して強張る。
けれどそうしてもいられないと、自分に言い聞かせて前を向いた。
「おはようございます、オーブエル殿下」
「おはよう。あと、おかえり、フィーラ」
おかえり……。
さらりと、当たり前のように言われた。
まさかの言葉に私は少し呆然として、それからむず痒い気持ちのままはにかんだ。
「ただいま、帰りました」
オーブエル殿下、私は、ここに居てもいいんでしょうか。ここに帰ってくることを、貴方は望んでくれているんでしょうか。
……貴方の側に、居てもいいんでしょうか。
「お父様は大丈夫だった?」
「はい。ご心配をおかけしてすみませんでした」
それにしても困ったわ。殿下に色々聞こうと決めはしたけれど、どう切り出せばいいのかしら。
ここでいきなり「私のことどう思ってますか!?」なんて聞いたら変だし。
まずは差し障りない話題から振ったほうがいいわよね。
「そういえば殿下、先日は本をありがとうございました。とっても素敵なお話でした」
「気に入って貰えたなら良かった。あれはフィーラにあげるから持っていて良いよ」
「え、でも
王族特権? と不思議に思っていると、殿下は斜め下を向いて少し寂しそうに目を細めた。
「あれは母様にいただいたものなんだ。でも、いつまでも読まれずにいるより、気に入ってくれた人のもとにある方がいいだろうから」
「……っ!?」
それは、どうなの!? お母様からいただいたものって、殿下からしたら形見のようなものじゃない! 間違っても私みたいな出会ってから日も浅い人間に渡すべきじゃないわ!
「やはりお返しします! そんな大事なもの……っ」
「フィーラ。僕はもうずっと、あれを開くことが出来ないんだ。でも手放すことも出来なかった。きっと今回のことは良いきっかけだと思うんだ。君になら……ううん。君に持っていて欲しいんだ」
「……どうして私なのですか?」
偶然、私が側にいたから? 本を好きだから? 殿下の考えがわからない。
「殿下は、私をどう思っているのですか?」
「僕は――」
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