第10話 平和?

 小隊の交代も済み、本格的な警護任務が始まった……はずだった。

「なんというか、平和ね」

 扉の前で青々とした空を眺めながら、ついそんなことが口をついて出る。


 朝、あの後再び部屋の中に籠ってしまわれた殿下の近衛として、部屋の扉の前で立つこと数時間。

 ……まったく何もない。

 いや、部屋から滅多に出ないとは聞いていましたけれども! 侍女が食事を運んできたときくらいしか扉を開けないとも聞きましたけども!

 ほんっとうに何の変化もない! むしろ生きているのかと心配になるくらい物音一つしない!

「これがここの普通だ、慣れろ。いいじゃんか、平和。楽な職場。最高だろ?」

 欠伸を噛み殺しながらアジリオさんがそう答える。

 真面目に仕事する気ゼロね……。


 この数時間、ずっと集中しているというのも無理だった私は、ちょこちょこ口を開いては小隊の人達と話していた。

 その中でわかったことが一つある。

 それはこの第三王子近衛隊は王宮一暇な隊と呼ばれていること。

 他の王族の近衛隊のように動くこともなく、門兵のように誰かの相手をするということもない。ただただ、オーブエル殿下が籠る研究室を警備するだけ。殿下が出てくることもなければ、誰かが訪ねてくることもない。

 まさに暇そのものだわ。

 出歩かない、誰も来ない、ということで限りなく危険の低いここは、自然と人数が他の近衛隊より少なくなり、王宮騎士団の中でも訳ありか実力者が所属することになるらしい。

 だからお父様は私にピッタリなんて言ったのね。訳あり枠。

 因みにエドガーとジャンは実力者枠だった。この数時間に聞いた話によると、二人は王宮騎士団に入る前の騎士学校でそれぞれ優秀な成績を収めたらしい。


 騎士学校とは、王宮騎士団だけでなく、王国各地の騎士団に所属することを目指す若者向けの学校。剣術学科と魔法学科に分かれていて、エドガーとジャンは学科こそ別れていたけれど同期だったそう。

 大半の騎士は、騎士学校を卒業した後に騎士団の試験を受けて騎士になっている。騎士学校を卒業していなくても、騎士団の試験自体に合格すれば騎士になれるから、もちろん騎士学校に行っていなかった人もいるけれど。

 流れで「フィーラもどこかの騎士学校にいたの?」と聞かれた私はつい素直に違うと答えてしまった。

 貴族は学校に通うことがほとんどない。小さい頃から家庭教師を屋敷に招いて様々なことを学ぶのが普通。男爵家などでは偶に市政の学校に通わせることもあると聞くけれど、少なくとも我が家は違った。

 「学校には行っていないわ」と、これまた素直に言ってしまった私は、エドガーとジャンから可哀想なものを見る目で見られてしまった。

 これは絶対に学校にも通えないような家の子だと誤解されているわね。否定しようにも本当のことを話すわけにもいかないし、もう放置しておくことにした。


 最後に喋ってからさらに数時間。

 お腹の虫がはしたなく鳴き始めたころ、王宮図書館に二人組の侍女がやってきた。

「殿下のお食事をお持ちしました」

 そう言った侍女二人は両手に大きなバスケットを抱えている。

 勤務中いまの私にふわっと漂ってくる食欲をそそる香りは凶器だわ。お腹の音、誰にも聞こえてないわよね?

「殿下、お食事の時間です。扉を開けてもよろしいですか?」

 アジリオさんが扉をノックして聞くと、扉の向こう側から「どうぞ」と小さく声がした。

 あ、生きてた、と思ったのは内緒。

 許可を得たアジリオさんが扉を開け、そこで私は初めてオーブエル殿下が過ごす研究室の内装をしっかりと見ることができた。


 部屋の中は一面の本棚で、大きな窓が一つだけあった。その前には本や書類の山ができているテーブルと椅子があって、殿下はそこに座って本を読んでいた。向かって右奥にはまた別の部屋があるのか扉がひとつある。私室としても使っているわけだから、そちらの部屋はもっとプライベートな部屋なのかもしれない。

「フィーラ、ちょっと手伝え」

「はい」

 臆することもなく中へと足を踏み入れたアジリオさんに言われて、私も恐るおそる中へ入る。

 その後から侍女二人がついて来て、エドガーとジャンは外で待機するみたい。

「殿下、この辺の紙束やら一旦どかしちゃいますよ」

「散らかしちゃってごめん。適当にお願い」

「はいはい。フィーラ、お前はそっちの山を別の所に持って行ってくれ」

「わかりましたっ」

 指示されるままテーブルの上に出来上がっていた本と紙束の山を片づけていく。

 意外と重いのよね、本の山って。私も読書が趣味だから、読んだ本をついつい積み上げてしまった後の片づけの大変さは身に染みている。

「さ、殿下はその手に持ってる本を寄こしてください。おいフィーラ、この本もついでに持って行ってくれ」

 慣れた様子で殿下から本を没収したアジリオさんがその本をひょいっと投げたので、何てことするの!? と思いながらそれをキャッチする。

「危ないじゃないですか」

「あー悪かったなぁ」

「反省する気は無いんですね。まったく……ってこれ原初の魔法に関する本だわ」

 見たことのある表紙に思わずそう呟くと「へぇ」と殿下が私の方を見た。

「フィーラはその本読んだことあるの?」

「は、はい。私読書が趣味でして。これは神話における女神が一番最初に人々に与えた魔法、原初の魔法について研究した方の著書ですよね」

 昔、女神の神話に興味があったころに関連がありそうな本を片端から取り寄せて読んでいたことがあって、その時この本も読んでいた。

 ぼんやりとしか覚えていない内容を思い出そうとしていると、いつの間にか殿下が立ち上がって私の目の前に立っていた。

「ねぇっ、時々で良いからここにある本の感想や考察を聞かせてくれない? ずっと意見交換ができる相手が欲しかったんだ。君とは話が合いそうだな」

 心なしか、オーブエル殿下の瞳がきらきらと輝いて見える。

 そんな期待に満ちた表情で見つめられましても……。

 どうしたら、とアジリオさんに視線を移すと、いいんじゃね? 的な感じに頷かれた。

 え、なにそれ? いいの? 日中って私勤務中ですよ? すごく暇だったけど勤務中なんですよ?

「あ、えと、時々でしたら……」

「ありがとう!」

 結局、私は折れることになり、オーブエル殿下の読書仲間的立ち位置を頂いてしまった。

 しょうがないわよね、なんかもう断る道断たれてたんだもの。

 暇つぶしができた、くらいに思っていようかしら。どうせここは王宮一暇な隊なんだし。


 ……ここに来てから時々自分が何をしている人間なのかわからなくなるわね。

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