たとえ記憶がなくてもあなたと
雪野 ゆずり
第1話
「詩音!!」
叫び声が聞こえる。目の前には、車のヘッドライトがいっぱいに見える。逃げなきゃいけない。なのに身体が動かない。
そんな時に横から押される。その方向を見ると、しゅうくんが腕をいっぱいに伸ばしてる。身体が倒れると同時に、しゅうくんが車に飛ばされて‥‥。
ピリリリリ…
ケータイのアラームが鳴る。あ、もうこんな時間。今日は撫子ちゃんと約束があるんだっけ。起きなきゃ。
「う〜ん…。」
なのに、身体が重い。寝不足で、頭が痛い。この一ヶ月、まともに寝てない。
「こんなんじゃ、だめなのに…。」
そう言ってまた、枕に突っ伏してしまう。
ピーンポーン
不意にインターフォンの音がする。
「しおーん、はいるよー!」
そう言ってドアが開けられる。スペアキーを持ってる人だから、問題ない。
「詩音、起きてる?」
顔を上げてちゃんと相手を見る。
「撫子ちゃん…。」
「大丈夫?もしかして、昨日寝れなかった?」
撫子ちゃんはそう言って、顔を覗き込んでくる。週に二回はこうして様子を見てくれる。今日は、約束があるっていうのもあったけど。それでも、ありがたい。
「最近、全然眠れないの。あの日の、事故の夢、見ちゃって…。」
そう言うと、撫子ちゃんはため息を吐いた。
「…ご飯、まだでしょ?なんか簡単に作るよ。」
「ありがとう…。」
そう言ってキッチンに入ってく。あれ?冷蔵庫の中、何か入ってたっけ?
「あ、詩音着替えときなよ!」
「うん。」
なんか、撫子ちゃんがお母さんみたいで、ちょっと嬉しい。元気、出てきたな…。
「できたよー。お、そのワンピース可愛いじゃん。」
「そうでしょ?…しゅうくんが前に選んでくれたの。今日は、目を覚ましてくれるかなって…。」
「そっか、いいね。」
そう言って笑ってくれる。バカなこと言ってるよね。ごめんね、撫子ちゃん。
私の彼氏のしゅうくん、夕凪秋真くんは、1か月前のあの日、交通事故に合って意識不明になった。そして、今も目を覚まさない。
私のせいで、しゅうくんは…。
「さて、ご飯にしよう!!」
「うん。」
そう言った時、ケータイが鳴った。アラームじゃなくて、着信。見ると、病院からだった。
「び、病院からだ…。」
一気に緊張が走る。
「で、出てみな、詩音。」
「うん。」
すごい緊張する。あの日以来、病院からの連絡なんて、一度もない。それが、何で今…。
「も、もしもし、紫芝です…。」
『もしもし、桜庭総合病院です!』
電話をしてくれた人も戸惑ってるみたいだった。
『朝早くにすみません。実は…。』
その後の言葉に、私は耳を疑った。信じられなかった。
『夕凪秋真さんが、目を覚ましました。』
電話を切って、撫子ちゃんに話して、撫子ちゃんの彼氏の夏海くんに連絡して車を出してもらって、その車に乗り込んでからの記憶がない。結構あるようにも思えるけど、実は全部断片的で、本当はどうやって話したかも覚えてない。気付いたら病室の外で荒い息を繰り返しいてた。
『あんた、誰?』
病室でしゅうくんが言った第一声が、それだった。
困ってるような、戸惑っているような、そんな声。その声で、全部現実だって分かった。しゅうくんの演技力じゃ、あんな演技できない。どういう事?
「詩音、大丈夫?」
撫子ちゃんが出てきて、聞いてくれる。
「うん、ごめんね。お医者さん、なんだって?」
「う~ん、頭部を強く打ったせいで記憶喪失になったみたい。日常生活には支障はないらしい…。」
「そっか…。」
『記憶喪失』なんか、物語みたいな展開だな。本当にこんなこと起こるんだ…。現実味が、ないよ。
「秋真が、詩音と話したいって。」
「私と?」
聞き返すと撫子ちゃんは静かに頷く。それに促されて中に入った。
「どう、したの?」
「いや、その…。」
私が聞くと、しゅうくんは少し口ごもる。やっぱり冗談でした!なんて結末は、期待していいのかな?
「あのさ、さっきは、悪かった。」
「え?」
そう言って頭を下げられた。なんで、謝られてるの?
「その、いきなり、『あんた誰?』なんて、傷つくよな…。こうして、一番に駆けつけてくれたのに…。」
ああ、そうか。気にしてくれたんだ。記憶がなくても、こういうところは変わんないんだ。そう思うと、少しホッとした。
「ううん、平気だよ。」
「平気じゃねーだろ!-部屋出てく前、泣いてたじゃん…。」
ああ、よく見てるな…。やっぱ、しゅうくんには隠し事できないや…。
「気にしないで。記憶ないなんだって?」
「…っ!ああ、そうらしい…。」
だいぶ困ってるんだろうな。
「それじゃ仕方ないよ。これから思い出してくれたらいいから。ね?」
「…ああ、分かった。」
そう言って頷く。でも、私はきっと、自分から私たちの関係を言うことはないと思う。そんなことしたら、しゅうくんを縛ってしまうから。
「なあ、俺達って、どういう関係だったんだ?」
だから、今みたいに聞かれたら絶対-
「ん?ただの、仲のいい友達だよ。」
そう、笑って答えるんだ。
しゅうくんの病室を出て、撫子ちゃんと夏海くんにメールを送った。内容は、話を合わせてほしいという事。
『しゅうくんとは、仲のいい友達で、同じ境遇からルームシェアをしていると言う事にしました。よろしくお願いします。』
「何が、お願いします。なんだろう…」
ルームシェアなんかじゃない。私達は、同棲をしていた。‥‥婚約までしていた。なのに、こんな嘘を、私は‥‥。
ケータイが鳴る。見ると撫子ちゃんからの返信。
『詩音は、それでいいの?あの医者の言った事、いつまで続けるの?』
いつまで、それは分からない。お医者さんは、しゅうくんが記憶喪失だって分かったときに、私に言った事。
『彼の記憶喪失がある程度回復するまで、もしくはある程度落ち着くまでは、恋人同士だった事を、伏せておいた方がいい。』
しゅうくんを混乱させない為に、しゅうくんを、困らせないように‥‥。お医者さんは言ってしまってもいいと言ってくれたけど、私は伏せる事にした。
『いいの。いつまでかは分からないけど、待つって決めたから。』
そう返信してケータイを閉じた。
そして、思い出す。しゅうくんと昔話した事。
『詩音ってさ、漢字で書くとそうは思えないけど、カタカナだと、花の名前だよな。あ、あと、漢字も、詩音じゃなくて、紫苑なら花か‥‥。』
『うん、そうだよ。』
その時話題になったのは、花言葉。しゅうくん、何かしようとしてて、一緒に花言葉を探してた。その時に、この公園にきて、見つけてくれた、私の花言葉。
『シオンって【君を忘れない】って意味なんだな。』
『そうだよ。でも、私人の名前、すぐ忘れちゃうんだよね‥‥。』
『あはは、たしかにな。でもさ、ここでの君って、大切な人の事じゃね?』
そう言って笑ってくれた。それまで私は、この花言葉がすごく重たかったのに、一気に軽くしてくれた。
『そっか‥‥。じゃあ、私、何があってもしゅうくんの事は絶対に忘れないね!』
『なんだよそれ!なんもないよ!』
『もしもって話!もし、しゅうくんが私の事忘れても、私は忘れないよ!って事!』
『俺だってお前の事、忘れねーし!』
『じゃあ、約束ね!』
そう言って、約束した。ここで、約束したんだ。なのに、どうして‥‥。
ううん、これは全部、私が悪い。あんな事故が起こらなければ、しゅうくんが、私を庇わなければ、しゅうくんは記憶喪失になんてならなかったんだ。
久しぶりに、ここにきた。あの日以来かな?この公園には、たくさんの紫苑の花が咲いてる。だから、紫苑公園って呼ばれてる。この紫苑を見て、しゅうくんは花言葉を思い出したんだ。
「・・・っ!」
その事を思い出して、紫苑の花に涙の露を落とす。そのまま、私はしゃがみこんだ。
このまま、しゅうくんと一緒に、明日から、暮らせるの?いっそ、言ってしまったほうが、楽なんじゃないの?家にいるしゅうくんを見たら、泣いてしまうんじゃないの?そんな不安がよぎる。
でも、それより私は‥‥。
「大丈夫ですか?」
そう聞かれて振り返ると、女性が一人、私の肩に手を置いていた。
「何か、あったんですか?」
「あ、あの‥‥、すみません‥‥。」
とっさにそう言ってしまった。何言ってんだろ?普通は、ありがとうございますじゃないの?
「いえ、大丈夫ですよ。‥‥少し、私に話してみませんか?もしかしたら、楽になるかもしれないですよ?」
「‥‥」
もしかしてこの人、何か知ってるの?でも、しゅうくんの事知ってるのなんて、私と撫子ちゃんたちだけのはず‥‥。あとは、病院の人とか‥‥。
「あ!」
思い出した!この人‥‥。
「あの、もしかして、あの日に、あそこにいました?」
「‥‥はい。あの日、通報を受けて駆けつけた、警官です。」
そうだった。あの日、あの事故の対応をしてくれたのは、女性の警察官だった。
「あ、あの、あの時は、ありがとうございました!」
そう言って頭を下げる。撫子ちゃん達がすぐに救急車と警察を呼んでくれて、この人が先に来て、パニックになってしまった私を落ち着かせてくれたんだ。
「いえ。実はあの後、あなたの事が気になってしまって、お見かけしたのでつい、声をかけてしまったんです。よければ、あの後どうなったか、話していただけますか?」
「もちろんです。沢山お世話になりましたし。」
「ありがとうございます。近くに行き付けの店があるのでそこに行きましょう。」
そう言って、私を立たせてくれた。
本当に近くに、そのお店はあった。病院からもそこまで離れてるわけじゃない。でも、一本路地を入るから、お店の中はお客さんがほとんどいない。私も、こんなところがあるなんで知らなかった。知ってたら、通ってたな‥‥。
「そう、彼は記憶喪失に‥‥。」
一通り事情を話し終えると、警官さんはそう言ってため息を吐いた。
「はい。事故の事も、私の事も、彼自身の事も、何も覚えていないんです。」
「じゃあ、もしかして、今かなり辛いんじゃないですか、あなた?」
そう言われて、曖昧に頷く。私きっと、彼の方が辛いから。
「でも、彼と私の事は、あまり話さない方がいいって言われて‥‥。彼も、混乱するでしょうし。」
「そんな、それって、あんまりじゃないですか。」
警官さんは、そう言ってくれる。そんな事、色んな人に、言われてる。
「でも、きっと彼も辛いでしょうね。」
「え?」
「だって、それなら何故、あなたがそんなに悲しむのか、分からないじゃないですか。それって、彼も、罪悪感でいっぱいなんじゃ‥‥。」
「‥‥」
「それに、私聞いたことあるんです。恋人のことを忘れても、心のどこかでは憶えていて、その人を探そうとするって。」
「そんな、おとぎ話みたいな事‥‥。」
そう言いながら、期待してしまう。そんな、おとぎ話があるなら、それが、本当なら‥‥。
「うん、私もそう思います。でも、頭の片隅にでも置いておいて。少しは、辛さが和らぐかもしれないですから。」
「…はい。ありがとうございます。」
そんなの聞かされたら、余計につらくなる。期待して、裏切られる。そんなの、辛いよ…。
「では、またお会い出来たら…。」
「はい。またいつか。」
そう言って警官さんと別れた。部屋の片づけしなきゃいけないし、準備もあるから…。
「心のどこかで憶えてる、か…。」
その言葉は、私にとっては残酷だけど、しゅうくんにとっては救いになるといいな…。
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