言の葉の魔法使い

飛木ロオク

第一話 【召喚】



自室を出ると、そこは異世界だった



時刻が深夜二時を回る頃、高校三年で受験生である俺は机に置かれている小さな明かりで手元だけを照らし、黙々と勉学に励んでいた。


「んー、流石に疲れてきたな…トイレ行って水でも飲んでくるか…」


伸びをしながらぶつぶつと独り言を語り、椅子から腰を上げると数時間座り続けていたせいか、ヨロけて壁に手をついた。

そして、手をついた壁に違和感を感じた。

見た目は変わらない、いつも見ている自室の壁紙。これといった汚れや画鋲を刺した跡なんかもない、白い壁紙。

だが触れるとわかる、とても温かかった。

壁に暖房機能のようなものがあるわけでもないし、今は夏で部屋はクーラーをつけているのだし、逆にヒンヤリとしているはずだ。

自身の体温が特別高いとも感じられない、違和感だけが思考を埋めつくした。


徐ろに他の場所の壁を触ってみるが、考察していた通りヒンヤリとしていた。

その後も、ベットの周りや窓枠付近など、全方面の壁を触って確かめたが、自室と廊下をつなぐ扉の周りだけが、やけに温かいことがわかった。


「これ…開けちゃマズイか…?」


そんなことを口にはしたが、調べている時も今も止まらぬ尿意には逆らえず覚悟を決め、恐る恐るドアノブを握った。

そして、ゆっくりと扉を開けるとそこには…


「え……」


平原が広がっていた。視界で見える範囲は全てが平原。照りつける太陽に、浅い芝と遠くに見える一本の木。

人が居る様子はなく、他の生き物も見当たらない。何もない平原だった。


「…うん」


パタリと扉を閉め、部屋の外へ出ていた片足を引っ込めて平原から自室へと戻る。そして扉の前で腕を組み唸る。


いや、おかしい。おかしすぎる。

俺、別に何もしてないよな。でも、これって多分異世界でしょ、ラノベとかアニメとかによくあるあれでしょ。たしなんでいる程度の俺でもわかるベタな…あれでしょ。

最近の科学の進歩はものすごくて、とうとうどこでも行けちゃうドアが開発されたとか言うわけでもないだろうし。……どうしたものか。


目を閉じて考え込んでいると、後方から「バキッ」という何かが壊れるような音がした。

それに気づき後ろへ振り向くと部屋の三分の一、程度消失し先ほどの平原の浅い芝が顔をのぞかせていた。

まるでゲームのように部屋の一部一部がブロックの様に細かく刻まれ、次々と消えてゆく。


「おいおいおい、嘘だろ、まじかよ!?」


消失していく物質の一部にされないよう、慌ててまた扉を開き今度は身を乗り出して芝へと飛び込んだ。

少し前方に転がり、自分が先ほどまでいた場所を見るとそこには、何もなかった。

跡形もなく、自室が消え寝間着姿のままロクな準備もなく、見知らぬ場所へとやってきてしまった。


「帰りたい…」

「それはなりませぬぞ」


応えるようにして後ろから声をかけてきたのは、中腰で杖をつきながら自分の長い顎鬚を触る老人だった。


「勇者様、よくぞ召喚に応じて下さいました。感謝いたしますぞ」

「え、勇者?召喚…?ええっと…応じてないです。感謝とかいいので、とりあえず帰らせて下さい」


そう言うと老人は頰を掻き、困った、と言わんばかりの表情を見せる。


「と、とりあえずお名前を聞いても良いですかな、ワシは王都の教会に住むウェルと申します」


王都…?ああ…色々とツッコミどころが多すぎる…と、とりあえずは、いつも読んでいる異世界系のラノベを想像して、落ち着いていこう。情報収集をして、焦らず現状を確認しよう。お約束のやつだ。うん。慌てるな。鼓動よ収まれ……ふぅ。


「高宮…雪也です…」

「…ユキヤ様ですな、ではご足労かけるようですが王都までお越し頂いても良いですかな?

王に報告と、今後についてお伝えせねばいけないので」


老人、ウェルは持っていた杖を空に掲げ何やら詠唱のようなものを始めた。

杖は徐々に青く光り、杖を起点とした光はウェルとユキヤの周りを円形に覆った。


「あの、まだ行くなんて…」

「おや?そうでしたかの、この歳になりますと少々焼きが回ってしまい困りますなハッハッハ」


このジジイ…初めから連れてく気満々だったのか。クソ…まだ全然状況把握できてないのにこの先どうなっちまうんだよおお!!


ユキヤは、先の分からぬ未知の環境に落ち着くことを忘れ、ただただ頭を抱えて光の円形の内部で転がり回る。


そして数秒が経つと、ガヤガヤと人の声がそこら中から聞こえてきた。

顔を上げれば、視界いっぱいに広がる建物と数えきれぬ人がいた。


「え?」

「どうかなさいましたかの?」

「いや、ついさっきまで平原に…」

「ここは王都の中心部にある、冒険者の憩いの場で、アイール平原からテレポートしてきたのですが…」


ウェルは、疑問を顔に浮かべたまま座り込んでいるユキヤに不思議そうな顔を向けた。


何を言ってるんだコイツ、みたいな顔で見てくんな!テレポートは常識か!俺が悪いのか!てかなんで王都の中心に憩いの場作っちゃったの?経済的に、商店街とかの方がよくない?


そんなツッコミを心の中で言ったところで、あることに気づく。


「あ、あのウェル…さん?」

「どうかなさいましたかの?」

「そ、その…御手洗いってあったりしますかね…?」


途端に思い出したかのように膀胱が悲鳴を上げ始めた。

必死に体をクネクネと捻り、寸前をキープする。


「はて、オテアライとはなんでございましょうか?」

「あーもう、トイレですトイレ!」

「あー、なるほどユキヤ様の世界ではオテアライと言うのですな」

「あの、感心してないであるなら…ひゅいっ!」


だ、ダメだ…ツッコもうとすると漏れる…!!


「それでしたら、あちらの…」


指を刺された方を見て、公園などにある公衆トイレのような物を視認し、漏れないように全力で駆け込んだ。


そして、全てを解放し終えた後でウェルの元へ戻る。


「お、お待たせしました」

「いえいえ、それでは王の元へ行きますぞ」


そして言われるがまま歩き始め、ユキヤはキョロキョロと街並みや、すれ違う人を見ては一驚していた。


実際に行ったことは無いけど、街並みは中世ヨーロッパ風って感じだな…。

人も明らかに日本人ではない顔立ちの人や、白人っぽい人もいる…おお!尻尾が生えてる人もいるぞ…!


「何か、珍しいものでもございましたかな」

「ああ、いえ、その…まだ実感はあんまりないんですけど、元いた所とは全く違う風景を見ていると、やっぱりここは違う世界なんだろうな、ってちょっと考えてしまって」

「そう言えばユキヤ様はあまり驚いた様子がなかった様ですが、召喚などに慣れておられるのですかな?」

「召喚に慣れるってなんですか…初体験です。僕の初めての召喚はこの世界です。」

「ああ、いえ冗談だったのですが…」


わっかりにくいジョークですな!


「ま、まあその辺はともかくとして…。そうですね…僕自身が以前居た世界と言いますか、過ごしていた日常に退屈を感じていて変化を欲していたんですよ。

でも自分からは何もしようとはしなくて、それに変わったら変わったで、きっと不満やら後悔やらが生まれるんだろうなって、心のどこかで諦めていて…でもこうやって実際に見ていた景色が変わって、これから過ごす日常が想像もできないことかもしれないって考えると、その…思っていた以上に楽しみで、嬉しくて。

……それでもやっぱり、本音を言ってしまえば怖いです。動じていないように見えるのならそれは多分、僕の虚勢だと思いますよ…」

「…ふむ、そうでしたか…」

「でも、来てしまったのならもう仕方ないですし、まだ数分しか経っていなくて何も分かっていない状態ですけど、やっぱり興味はありますし頑張ってみようかなとは思いますよ。

例えるならあれです!子供が初めて遊園地に行った時、道も物の場所も全然わからないのに早く色々なアトラクションを体験したくて体がウズウズするあの感じです!

まあ…正直、前いた世界にはそんなに未練がないですしね」


冗談交じりに笑ってみせるが、ウェルは深刻そうな顔をして空を見上げていた。


「ユウエンチ?というのはわからないのですが…ユキヤ様には、申し訳ないと、思っておるのですよ」

「え…?」

「実はこの国は、いま危機に瀕しておるのです……

突如として現れた多くの魔物に、それらを引き連れては村や町を壊滅させていく魔王軍。

討伐に向かった衛兵は大半が壊滅し、その強大すぎる力に立ち向かおうとする冒険者は現れず、そして大きな町なら安全だ。と、この王都に集まる人々で備蓄は底が見え始め…今この世界は不景気そのものなのですよ」


ウェルは歩きながらユキヤにぎこちない笑みを向ける


「そうだったんですね…」

「ええ、ですから我々協会の者は別世界に住む強大な魔力の持ち主を召喚し、国を…世界を救っていただこうと…

ですので、こちらの勝手な都合で巻き込んでしまい、更には強力な魔物と戦わせる道具のような扱いをしてしまう事となる召喚者の方々には、本当に申し訳なく…」

「……まあ、確かに事情はあれど最後に言ったことはその通りだと思います。」


ユキヤがそう切り返すと、申し訳なさそうにウェルは俯く。


「ですが」

「?」

「もし、元の世界に帰る方法がある、もしくはその手段を探してくれるのであれば僕は協力しますよ」

「ユキヤ様…」

「やっぱり、どこの国、どこの世界でも平和であることが一番でしょうし」

「ええ…その通りでございますな」

「それに、せっかく異世界に来れたのなら普通じゃできないようなこともやってみたいですしね!」

「ありがとうございます…帰還については善処致しますぞ」

「あ、でも、元いた世界では僕はただの学生、成人もしていないしこれと言った特技なんかもなかったんですけど、そんな僕に魔力?があるとは思えないんですけど…」


ウェルはそう問われ、自身の顎鬚を触りながら考え込む。


「我々の召喚魔法は、こちらが指定した魔力値に該当する別世界の勇者様を数人から数十人の規模の詠唱魔法で召喚するものなので、ユキヤ様ご自身が感じられずとも、その体には恐らく膨大な魔力があると思われますぞ。

なに、王と面会してもらった後はこちらで付き人を探しておきますので、街の案内も兼ねてギルドでその魔力値を測ってみると良いでしょう」

「ギ、ギルド…やっぱりあるんですね…!」

「そりゃもちろんですとも、この世界の人間は日常の中で何かと魔力を使用しますし自身の魔力値を把握しておかないと、魔力超過で動けなくなってしまいますからな。その為にも、ギルドで定期的に測定するのです」

「なるほど…魔法に、魔力超過…なんだかこの世界だと先に覚えておかないといけないことが多そうですね。」

「まあ、それは何事に対してもそうでしょうな。…っと、付きましたぞ。」


中心部から約十分程度歩き、ユキヤが顔を上げると、街に並んでいた建物よりも二回り近く大きな建物があった。

ユキヤが呆気に取られていると、ウェルが門番の衛兵らしき人に話しかけていた。


「すげー、鎧着てる…重くないのかな。てかこんなに大きな建物なのに歩いてる時は全然気づかなかったな…」


衛兵を見て感想を漏らし、ふと建物の上層にある窓を見ると、こちらを怪訝そうな顔で眺める女性と目があった。


「ん、誰だろう…綺麗な人だな…」


窓越しに見えた赤い髪は日本人とはかけ離れた美しさがあり、とても惹かれるものがあった。


「お待たせしましたなユキヤ様」

「あ、もうお話は…」

「ええ、今通してきました、ささ王の元へ向かいましょう」


そして二メートル近くある大きな門が開かれ、中庭を過ぎウェルと共に王宮へと足を踏み入れる。

メイドらしき人に出迎えられ、王宮内を歩いているとふと違和感を感じた。


なんかすごく見られてっ…あ……俺寝間着姿のままじゃん


すれ違う他のメイド達の視線で格好に気づいたが、もう戻れぬ現状にユキヤは王を前にするには、みすぼらしすぎると、焦りを感じた

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