第38話 想い出の日々

 カオスシティのセントラルパークに位置する行政府会議場では、各経済ブロックの要人を招聘しての総合政策会議が開催されようとしていた。球形のドームを、フィボナッチ数列に基づいて設計された螺旋状の構造物が囲む建築様式の会議場に、続々と高級エアカーが乗り入れて来る。WBNの中継車も会議場の外部駐車スペースに停まって居る。


 リンダは、中継と取材の準備に忙殺されながら、同僚のロバートと訪れたバーでの会話を想い返して集中出来ずに居た。唐突過ぎる交際の申し出。即答で断る筈だった。だが、実際には態度をはぐらかしてしまった。

「僕は何時でも待って居るよ。答えは先延ばしでも、希望が持てないって訳じゃ無さそうだからね。」

誠実な印象のロバートが微笑みながら告げた言葉が心に響いた。

頑なに拒絶するべきだっただろうか・・・。爽児の事が脳裡に浮かんだが、その姿は朧気な輪郭で捉え処が無く、掴もうとしても霧の様にリンダの華奢な指の間から擦り抜けて行く。爽児の笑顔が、何故か遠くに感じられた。爽児は現在、多くの人々を救う為に苛烈な闘争の渦中に居る。心底から彼を支えたいと願う。だが、同時に想う事が在る。世界を救う為に戦うのに、何故、私一人をもっと気に掛けて守ってはくれないの?と。理解している積もりだった。爽児の理解者として、誰よりも近くで彼の使命を果たす為に助力する事で、二人が特別な関係なのだと言う共通認識を基に、絆を愛に昇華させられる。そんな淡い期待を懐いて居た自分に気が付いた。

 だが、現実は如何だろう。行政府管理官から爽児とのコンタクトを禁止され、連絡も覚束無い。どんどん爽児が遠い世界に行ってしまう気がして、寂しさと困惑から同僚の誘いを受け、同僚との交際に関して決断出来ず悩んで居る。今直ぐに私を引き留めて欲しい。逢いたい。爽児さえ自分の傍に居てくれたなら、世界が如何変わろうと構いはしない。

「本当にそうなの?私は利己的な遺伝子に支配される哀れな奴隷?自己本位で、世界の危機を看過する程拙劣なモラルの持ち主?死者の事はどうだって良い訳?こんな私をウィルならどう想う?」

 自問自答を繰り返していると、何だか自分が滑稽なピエロに思えて来た。深い溜息を吐くと、囁き声で独白する。

「・・・止めて置きましょう。私には目の前の仕事が在るわ。此の仕事を片付けてから落ち着いて考えれば良い筈よ。」

 自分を納得させる為に呟くと、中継取材の進行表を確認し始めた。


 本日の日程は、午前中に各領域の代表者に拠る記者発表、昼食会を挟んで、午後に会議が催される。リンダは人権擁護局長のハインズに拠り、広域犯罪組織等に因る麻薬汚染や、医療保護適用外であるが故の健康不安と言った問題を踏まえて、アウタータウン住民の人権を公式に認める様に行政府に働き掛ける事を主眼に策定された、人権保護対象拡大政策が提唱される予定の世界人権会議を担当する。

 麻薬汚染に対峙する政治姿勢を明確に示したハインズはザイードの標的となる事が懸念される為、SPTに依る厳重な警戒態勢が布かれている。ハインズを標的として狙うのは、広域犯罪組織ザイードだけではなく、統合軍特殊作戦部隊と言う統合行政府の軍事的中枢を担う組織までもが毒牙を剥き出して襲撃する謀略を巡らせて居るのだが、その真実を知る者は少ない。


 不意に、電子音と共にWBNスタッフ専用控室のモニターが会議場の映像から行政府管理官からのコールサインに切り替わった。

行政府管理官は、爽児との接触を禁止した人物だ。統合行政府の管理体制を堅固なものにする為に、世界の報道に関する権限の全てを掌握している。WBNは行政府直轄組織であり、世界で唯一の公的報道機関だ。故に、WBNの情報が世界を動かして居ると言える。

爽児はWBNには属さないフリーランスのジャーナリストで、これまで厳しい法の網の目を掻い潜って真実に迫る報道を続けて来た。だが、行政府が座して黙認する事等有り得ない。報道の自由に対する法規制は年々強化されて居る。其処で、爽児は裏社会のネットを利用して、統合軍とザイードの犯罪を白日の下に曝そうと決意したのだ。

リンダは数刻逡巡した後、WBN本部の管理官の執務室への回線をONにした。

「行政府会議場のリンダです。御呼びでしょうか?管理官。」

執務室の管理官の映像がモニターに映し出された。

「うむ。今回の会議における報道スタッフの配置と役割の変更を伝える。配置に関しては詳細を各スタッフの携帯端末にデータ送信するので把握する様に。次に役割に関してだが、人権擁護局のハインズ局長に対するインタビューを実施する事になった。この件は君が担当して欲しい。インタビューは昼食会の後、会議開始前に行う。直ちに準備に取り掛かり給え。」

「了解致しました。以上で宜しいでしょうか?」

「否、もう一点在る。取材を申請した民間ジャーナリストの中に、ソージ・ミドリノの名前が在った。くれぐれも接触は控える様に。」

「!・・・判って居ます。彼とは接触致しません。」

「うむ。私は君を信頼して居る。会見の成功を祈ろう。以上だ。」


 通信が終了すると、リンダの脳裡を爽児の笑顔が過った。

「・・・爽児。」

逢いたい。だが、逢えばリンダは厳罰を甘受せねばならない。

場合に因れば、市民権を剥奪されてアウタータウンに追放されかねない。

此の侭逢えないのなら、いっそ自分も非登録民になっても構わない。そんな想いさえ浮かんで来る。

だが、それは爽児が望まない事だ。爽児は誰よりもリンダの幸せを望んで居る。ウィルの葬儀の場で、爽児はリンダに告げた。

「・・・俺は君の傍には居られない。ウィルの死の背後には、何か巨大な力が蠢いて居る。俺はその真相を究明する事に人生を捧げる積もりだ。俺が約束の時間に遅れなければ、ウィルは死なずに済んだかも知れない。ラルに哀しい運命を背負わせる事にも成らなかっただろう。君には、幸せな女性としての人生を歩んで行って欲しい。俺の傍に居れば、必ず危険に巻き込まれる。そんな事態になれば、天国のウィルに怨まれるからな。」

その言葉は、リンダの心底で何度も彼女を苛んで来た。

暖かく、そして突き放す様な爽児の態度が、リンダの胸を締め付ける。

爽児は、過酷な運命に抗い、必死に活路を切り拓こうとして居る。

自身やウィルの為だけではない、人々の希望をも取り戻そうとするかの様な真摯な行動。

誰もが享楽を謳歌し、繁栄を極めた超高度管理都市社会。

だが、人々は世界の真実に気付く事を畏れ、言い知れぬ喪失感を埋め合せる為に、自らが創造したあらゆる享楽の世界に埋没して生活して居るのではないか。

爽児は違う。

何事も決して畏れず、只管に愚直な迄に真直ぐに真実と向き合い、独り世界の闇と闘って居るのだ。

親友の仇を討つ為。確かにそれは、拭い去れない事実として爽児の心に深く影を落とし、先の見えない闘争へと爽児を駆り立てて居る。

しかし、爽児はラインハルトとは違い、復讐の昏き怨念に執り憑かれては居ない。


 リンダの脳裡に、爽児とウィルと三人で過ごした日の情景が蘇る。


 春爛漫の快晴の空の下、穏やかな木洩れ陽と爽やかな風をその身に浴びながら、三人は笑い合って居た。

 話題は専らラルの事だった。ウィルだけではなく、三人にとっての共通の弟の様な存在だったので、ラルの今度の誕生日に何をプレゼントするかで話は盛り上った。

 爽児は、メタルボウルのバックヤードに連れて行き、チームの一員としての体験をさせてやろうと提案した。

 リンダは、美味しい手作りのお菓子を贈れば喜ぶのではないかと考え、母親直伝のハニー・ナッツ・クリームのシフォンケーキを作る事を約束した。

 最後にウィルが、ラルがサイバー遊園地に行きたがって居る事を話すと、爽児が一緒に行こうと言い出した。

 誕生日当日は、先ず爽児とウィルがラルをサイバー遊園地に連れて行き、その後自主練習中のフェニックスのナイト・ゲームのバックヤードで選手体験をさせてから、ウィルの自宅で、リンダの焼いたシフォンケーキを食べる予定に成った。

ラルが喜ぶ顔を想像すると、自然と皆が笑顔に成る。

特にウィルは、弟の為に親友と愛する女性が心から誕生日を祝ってくれる事を感謝して、顔を輝かせて何度も二人に礼を言った。

「礼なんて要らないぜ。ラルは俺達三人の弟みたいな存在なんだからな。他人行儀は無しにしようぜ。」

爽児がそう告げると、リンダも続けた。

「そうよ。私は一人っ子でしょ。ラルが本当の弟みたいで可愛いの。だから気にしないで、ウィル。」

「本当の弟か。案外そうなるかもな。」

真剣な表情に成ったウィルがそう言うと、爽児が割り込んだ。

「おいウィル、抜け駆けは無しだぜ?」

「・・・そうだな。チームが優勝して、俺達のどちらかがMVPを獲るまではこの事はお預けだな。」

「そう言う事だ。ウィル。解ればいいんだ、解れば。」

二人の遣り取りを聴いていたリンダが、頬を赤く染めて抗議の声を上げる。

「もう。二人とも。私は景品じゃないのよ。」


 二度とは戻らない掛け替えの無い時間。


 リンダの胸中に甦った、その輝かしい日々の記憶。


 一筋の涙が、リンダの頬を伝い落ちた。

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