第15話 狂宴

 壮麗な大広間に、脳波をトリップ状態に誘導する頽廃的な音楽が流れ、複数の男女が入り乱れている。露出度の高い美女達を侍らせて愉悦に浸っているのは、各経済ブロックの要人達だ。誰もが、違法ドラッグ、禁止アルコール等、行政府禁制の高級品に酔い痴れ、女達と戯れている。

広間の中二階には、ロッザムが立ち、大広間の様子を眺めている。傍らには、グレゴリオが控えている。

「ロッザム様。饗宴は大盛況ですな。」

「うむ。表の政財界とのコネクションは、我々の活動にとって不可欠だからな。連中を手なずけて置く為の格好の餌だ。見ろ、誰もが悦楽に身を委ねている。腑抜けた連中だが、我々には格好の資金源だ。」

葉巻を燻らせて、ロッザムは満悦した様に口の端を歪めて薄笑いした。

爬虫類の様だ、とグレゴリオは思った。

「グレゴリオ。後は、お前に任せる。私は、これから会談に向かう。連中を適当に楽しませてやれ。」

「解りました。御任せ下さい。・・連中は既にトランス状態です。容易いものですね。」

「人間の欲望は底が深い。一旦、快楽の深淵に堕ちた連中は、簡単に理性を失う。我々はそれを統制するだけだ。・・・では、出掛けるぞ。」

「ロッザム様、お気を付けて。」

グレゴリオは、一礼してロッザムを見送った。


 深い闇に包まれたロッザムの別荘から、静かに高級エアカーが滑り出し、闇に溶け込む様に消えた。同時に、周囲の森林に動く影が現れた。一群の影は、ナイトビジョンゴーグルを装備して、別荘の様子を窺っている。指揮官らしき影が合図すると、一斉に散開した。

別荘を包囲する様に隊形を整える。


 大広間では、グレゴリオが来賓達に混ざって快楽を貪っていた。

「あっ、ああーん。」

氷を大腿部に擦り付けられて、膝の上の半裸の女が身悶えする。

「へっへっ。堪らねえ役得だぜ。」

舐める様に氷を口に含んで、ドラッグと組み合わせると相乗効果を発揮する様に分子改変されたハイパー・ウォッカを飲み下した。

幻覚がグレゴリオを更なる快楽へと誘う。

邸内の監視室では、異変が起こっていた。数十台のモニター画面の映像が、一斉に途絶えた。監視員は、大広間から失敬してきた高級素材のサンドイッチを頬張って、寛いでいた。モニターの異常に気付いて、警報スイッチを押すが、何の反応も無い。

 武装した警備係の手下達が様子を伺いに出る。

邸内に突入してきた影と鉢合わせして、交戦状態になった。銃声と怒号が邸内に響く。

グレゴリオが慌てて立ち上がろうとするが、足元が覚束無い。転んで、顔面を女の胸に突っ込んだ。


 「全員動くな!我々はSPTだ!抵抗する者は射殺する!」

 覇気に満ちた声が大広間に響いた。指揮官が中央に歩み出て、メットを外した。

凛とした表情のローラが、快楽に溺れていた一同を睨み据える。

 一人の官僚が開き直り、ローラに食って掛かった。

「貴様!下級士官の分際で無礼だぞ!私を誰だと思っている!何の権限が有って此処へ入ってきた?是は不法侵入だ!貴様の上官に厳重に抗議するぞ!場合によっては、上官諸共懲戒免職処分だ!」

顔を真っ赤にして、居丈高に怒鳴る。

 ローラは、冷静に最後迄罵声を聞くと、薄く不敵に微笑んだ。

「・・・言いたい事はそれだけ?ロッザムに飼われる哀れな犬め!貴様等とザイードの癒着関係は明白だ。現場は映像記録した。法廷で言い逃れは出来ないわ!ロッザムには、尾行を付けて有る。行政府内の叛逆者の黒幕も、間も無く判明する筈よ。」

 高官は顔面蒼白に成り、わなわなと震え始めた。

「落ち着いて下さい、皆さん。・・・捜査官さんよ、そう上手く事が運ぶかな?先日の一件を忘れた訳では無いだろう。我々には、切札が有る。貴様等を一掃するのは、容易い事だ。」

グレゴリオは、女の胸から顔を上げると、懐から携帯通信機を取り出し、非常用ボタンを押した。

「先日の襲撃者を呼んだのか。面白い。私の強化ボディで今回は必ず捕り押さえてみせる。・・・リチャードの供養にもなるしな。」


 やがて、数刻の間を置いて、夜の空気を切り裂く轟音が彼方の空から聞こえてきた。

凄まじい衝撃と共に、大広間の天井を突き破り、ロケット型のカプセルが大理石の床に突き立った。側面がスライドして開き、中から薄型軽量アーマーに身を包んだ女が降り立った。視界の端に、ローラを捉えた。ローラは、毅然とした眼光を向けている。

「・・・また遭えたわね。今度は、以前の様にはいかないわ。SPTの名誉に掛けて、貴女を拘束する!私を殺さなかった事を後悔しなさい。」

 瞬時に両者が距離を縮めた。肉眼では捉える事が難しい程の速さで激しい攻防が繰り返される。両者の力量は拮抗して見える。

「今のうちだ。皆さん、さあ、邸内のガレージに送迎車が格納されています。脱出して下さい。」

「全員逃がすな!速やかに拘束しろ!」

 ローラが叫ぶと、SPT隊員達が一斉に官僚達を取り押さえた。

「おい、何とかしろ!このままでは全員逮捕されちまうぞ!」

グレゴリオが慌てて叫ぶ。ベータは、ローラの一瞬の隙を突いて、腰に装着していたカプセル弾を大広間の床に投げ付けた。瞬時に、激しい光の波濤が部屋中に溢れる。

「ぐっ。閃光手榴弾か!視界を防がれた!気を付けろ!」

眩い光の洪水の中で、低い呻き声が幾度も聴こえてくる。ローラが視界を取り戻した時、既に隊員の大半が制圧されていた。瞬時に状況を把握して、ローラは戦闘行動に移った。

ベータも反応する。激しい攻防で、豪華な調度品が悉く無残に破壊されて飛散していく。

高官達は競って大理石製の大テーブルの陰に隠れる。グレゴリオも慌てて飛び込んだ。

「糞っ!何てこった。ロッザム様のコレクションがあんなに!殺されちまう!!」

蒼ざめて叫ぶが、戦闘中の両者は全く意に介せず破壊を続ける。

ローラは、前回のベータとの遭遇時より遥かにパワーアップしている。SPT研究開発部の最先端技術が詰め込まれたボディは、ベータの攻撃を殆ど受付けない。自律型超高速論理演算素子の内蔵された電子制御補助頭脳は、攻撃を正確に予測して神経パルスを出力し、ボディを制御する。

だが、ベータはローラの挙動に正確に追随してくる。ローラに隙が有れば、一瞬で形勢を有利にするだろう。

「負けないわ!リチャードは貴様等に殺されたんだ!もうすぐ子供の誕生日だと楽しみにしていたのに!絶対に許さない!」

ベータが、一瞬攻撃を躊躇した。その間隙を、ローラは見逃さなかった。出力を上げた攻撃をベータに見舞う。ベータの息が詰まった。攻防の流れが変わり、ローラが優勢に転じる。激しい攻撃に、ベータが後退を余儀無くされる。

大テーブルの陰では、グレゴリオが蒼褪めて居た。

「何て事だ!こんな筈じゃあ無かったのに!このままだと、SPTの連中に逮捕されちまう!」

「何だと!おい、何の為にロッザムに犯罪幇助をしてきたと思っているんだ?貴様、何とかしろ!」

「そうだ!ザイードには切り札がある筈だろう。早くそれを使え!」

「ぐっ。・・だから、今それを使っているところで。」

「SPTに押されているではないか!こんな事が発覚すれば、私の政治生命は完全に絶たれてしまうんだぞ!絶対に私を此処から逃がすんだ!」

「そ、そう仰られても・・。緊急信号は既に発信して、あの女が救援に来た訳で・・。そうだ!確か、連中はあの女以外にも複数人員を用意して居た筈だ。もう一度救援要請を・・よし。」

グレゴリオは、懐から取り出した発信機を操作して、救援要請を送信した。

ローラとベータは、激しい戦闘を繰り広げている。又、幾つかの高級調度品が微塵に砕け散った。

「!!・・頼むから、早く救援をよこしてくれ。寿命が百年は縮むぜ。」

グレゴリオの表情は、殆ど血の気が見られない程蒼白になっている。

気を失っていた機動警察隊員達が、残りの仲間が携行していた緊急医療セットで応急処置を施され、意識を回復した。ナノ医療マシンが、毛細血管を駆け巡って患部を修復する。

大テーブルの陰に身を潜めているグレゴリオと高官達を包囲して、距離を詰めて行く。

雷鳴が轟き、恐怖に引き攣ったグレゴリオと高官達の表情が閃光に照らし出される。表では、激しい豪雨が地面を穿つ。


 上空では雷雲が渦巻いていて、その中から巨大な影が現れた。

闇に溶け込む様な光子吸収塗膜で覆われた機体の下部が開口して、砲身が迫り出す。射出された。

グレゴリオ達が、テーブルの陰から引きずり出されようとした時、轟音と共に上空から射出されたステルス仕様の有人砲弾が着弾した。直撃を受けて、外壁と大理石のテーブルは粉々に砕け散った。

砲弾の側面が開口して、一人の影が降り立った。ベータと同じ、白銀に輝く超薄型軽量アーマーに身を包んだアルファだった。不敵に微笑むと、一瞬で数人の機動警察隊員を機械的に斃した。

「何を手間取っている。こんな連中、数分も有れば片付けてしまえる筈だろう。」

「・・何故来たの?・・・私一人で十分なのに。」

「そうは見えん。・・・苦戦していたな。」

ローラが、アルファの顔に気付いた。リチャードの視覚中枢の映像記録として、SPT本部で何度も確認した顔だ。

「貴様!リチャードを殺した奴だな!・・・貴様だけは許さない!」

「SPT捜査官か・・・。ボディを強化改造しているな。あの時始末をつけておかないから、こういう事になる。」

ベータの隙を衝いて、ローラが動いた。最大出力の蹴りをアルファに見舞う。だが、アルファは余裕を持って攻撃をかわした。

「その程度で俺は斃せんぞ。・・仇を取りたいのなら、御前の持てる力の全てを俺にぶつけて来い。」

「嘗めるなっ!!」

ローラは、必死で捨て身の連撃を繰り出す。だが、攻撃は悉く空を切る。

「!!」

「もう終わりか?今度は、こちらから行くぞ!!」

小型の改造スタン・スティックで疾風の如く凄まじい攻撃を放つアルファ。出力を殺傷レベルに高めている為、掠っただけでもダメージは免れ得ない。バイオエレクトロニクスの粋を極めたボディが却って仇と成り、ローラは、次第に追い詰められていく。

「くっ!だが、これならどうだ!!」

ローラがボディに掛かる負荷を無視して、急激に人口筋肉の出力を限界点迄上げた。

鋭い一撃で、アルファの武器が弾き飛ばされた。続く攻撃を受けて、アルファが後退した。

「!・・・ほう。なかなかのものだ。ボディを強化改造しているだけの事は有る。だが、そう長くは持つまい。」

激しい連撃が、アルファのボディを確実に捉える。ローラの脳裏には、リチャードが愛息のチャーリーと戯れて微笑んでいる姿が浮かんでいた。全身にバイオサイバネティクス技術に依る改造を施される以前、SPT隊員としての過酷な使命を与えられる迄は、彼等は普通の人間としての生活を営んでいた。リチャードは、ローラの先輩であり、戦友だった。

ローラがまだ、任務に不慣れな新人の頃から、親身に指導してくれたのは、リチャードだ。

幾度か、窮地を救われた事も有る。銃撃から、身を挺して庇ってくれた。幾ら特殊強化されたボディでも、ダメージは免れ得ない。しかし、リチャードは笑って言った。

「心配は無用だ。どうせ、一度は死んだ身だ。それに、お前は俺の大事な後輩だ。腐った連中に殺させる訳には行かない。・・どうした、任務はまだ終わっていないぞ。」

 一筋の涙が、ローラの頬を伝い落ちた。涙を流す機能が、まだ自分に残っている事に初めて気付いた。何を前にしても決して諦めない。それが、ローラが固く決意した事だった。

怒りを一撃一撃に込めながら、ローラはアルファのボディを攻めたてる。

 アルファは、予想外に続く猛攻に、軽く舌打ちした。

迅速な事態収拾を命令されているにも拘らず、長期戦は免れ得ない状況に苛立ちを覚えた。

僅かな感情の乱れが、アルファに隙を生んだ。ローラの強打がアルファの鳩尾を捉えた。

アルファが初めて苦悶に表情を歪める。瞬時に、素早く身を反転させて飛び退いた。

距離を置いてアルファとローラが対峙する。

「・・・何をしている。残りの連中を片付けろ。」

アルファが、ベータに命じた。刹那に、ローラが距離を詰めた。

「今度は、やらせないわ。」

激しい攻防が再開される。両者は互角に見えた。しかし、徐々にローラのボディには過負荷に因る疲労が蓄積されていく。

「援護します!」

意識の在る機動警察隊員が、ローラの援護射撃を始めた。

同時に、ベータが拾い上げた銃で応戦する。

銃弾の飛び交う戦場と化した大広間から、気配を必死に殺しながらグレゴリオと官僚達が抜け出そうとする。銃撃の下を掻い潜るが、訓練された兵士の匍匐前進の様には見えない。足下が震えて、芋虫の様に這いずりつつ移動する姿は、滑稽極まりなかった。

「逃がすな!押さえろ!」

醜態を晒す連中を視界に捉えたローラが、短く命令を発する。

機動警察隊員達が、散開してグレゴリオ達を取り囲んだ。

グレゴリオと官僚達は蒼褪めて喚き散らす。

「おい!何とかしろ!このままじゃ、全員逮捕される!」

「・・・こんな連中の為に・・。」

ベータが逡巡する。しかし、任務は全ての感情に優先する。ラボで、そう教え込まれた。

諦念して、ベータは恐らくは世界で最高に無様な連中を脱出させる事を選択した。

至近に居た機動警察隊員を、肩口への射撃と蹴りで薙ぎ倒した。

仲間の窮地に、他の隊員達が反応する。

一斉射撃が、ベータの四方から飛来する。ベータは、空中に身を翻して、一人の隊員の後方に降り立った。背後から羽交い絞めにして、銃口をこめかみに突き付けて盾にする。

「・・・早く行け。」

グレゴリオ達に逃走を促す。

「お、おお。助かったぜ。今度、この礼に一晩付き合ってやってもいいぞ。」

「早く消えろ!」

ベータの双眸が、激しい憤怒に燃えた。

「ひっ!わ・・解った。直ぐに退散する。さあ、旦那方、退路が開きました。駐車場へどうぞ、お急ぎ下さい。」

不遜な態度を取り戻した官僚達が、尤もらしく頷いて歩き出す。

「逃さん!」

ローラが、素早く反応した。フェイクの攻撃でアルファの気を逸らして、床を転がりながら銃を拾い、逃げ出そうとしていた連中の足元を撃った。

グレゴリオと官僚達は、慌てて立ち止まり、下手なタップ・ダンスの様に飛び跳ねた。

「ひいいっ!!」

舌打ちすると、ベータは捕らえた隊員を両者の間に突き飛ばして、ローラの射撃を防いだ。グレゴリオと官僚達は先を争って出口に殺到する。

「追え!」

ローラの命令に反応して、機動警察隊員達が後を追う。ベータも邸外へと続く通路に駆け込んだ。

後に続こうとするローラを、アルファが阻んだ。

「貴様の始末は、俺が付けてやる。もう少し俺と踊っていかないか?」

「ふざけるな!」

ローラの鋭い蹴撃がアルファを襲う。しかし、アルファはその蹴りを受け止めた。

「俺には通用しない。ダンスは始まったばかりだぞ!」

アルファが、不敵に微笑んだ。次の瞬間、ローラの視界からアルファが消えた。

ローラは背後から凄まじい攻撃を受け、壁際に吹き飛んだ。

アルファが詰め寄る。ローラは壁にめり込んだボディを引き剥がして、反撃に転じた。

一進一退の攻防が再開される。しかし、ローラのボディに蓄積されたダメージは、全身の制御を鈍らせていた。徐々に追い詰められていくローラ。

「くっ!負けて堪るか!!」

渾身の攻撃をアルファに放った。だが、攻撃は見切られ、受け止められた。

「・・・そろそろ退屈なゲームを終わりにしよう。」

アルファは、改造スタン・スティックをローラの肩口に突き立てた。

ローラの体内に強烈な電流が迸る。人工神経回路が著しいダメージを被った。

「諦めろ。もう終わりだ。」

「・・・それはどうかしら。」

ローラは不敵に微笑むと、体内の全制御機構をオーバーランさせた。エナジーが暴走する。

「何をした?」

「貴方は、私とここで爆砕するのよ。」

離脱しようとするアルファを、ローラが背後から羽交い絞めにして動きを封じた。

「離せ!」

「無駄よ。私に残った全ての力を使って、貴方を捕らえているのよ。逃がさないわ。」

「心中するつもりか?理解不能な行動だな。貴様が得るものは何も無いぞ。」

「・・・貴方が殺したリチャードは、私を指導してくれた大事な先輩だった。テロリストとの戦闘で傷付いた全身を、バイオサイバネティクスで強化改造してからも、家族を思い遣る温かい人間の心を大切にしていた。そして、私にも決して失ってはいけない事を教えてくれた。誰かを愛する心。・・・貴方には、解らないでしょうね。」

「・・愛だと?戦闘には無用なものだ。貴様が殉職しても、誰も感謝等しない。静かに、世界は腐っていく。大衆は愚かだ。生命を賭して守る価値など無い。」

「愚かなのは、貴方だわ。・・・最期よ。」

ローラの言葉が終わる瞬間、凄まじい爆音と高熱が大広間を包んだ。

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