第12話 ヴァレリーズ・BAR

 シティを夕闇が包む頃、爽児は修理が終ったばかりのジェットバイクで走っていた。

品良く適度なライトアップの施された建物の前で停車すると、メットを外して建物のドアを開けた。心地良い旋律が流れて、来客を知らせる。

「いらっしゃいませ。あら、爽児さん。久しぶりね。さあ、奥へどうぞ。」

「やあ、ヴァレリー。相変わらず綺麗だね。」

「まあ。爽児さんこそ、相変わらずお上手ね。今日は、お客さんも少なくて暇だったの。ゆっくりして行ってね。」


 店内は、落ち着いた調度品と柔らかい間接照明で、居心地の良い空間演出が為されている。

バーチャルサラウンドシステムを使用していない、アナログ音源でジャズが流れる。

椅子に腰を下ろすと、爽児はマティーニを注文した。

爽児はこの店の雰囲気を気に入って、何年も通っている。

「はい、お待たせ。マティーニよ。」

 ヴァレリーの微笑みも、この店に通う理由の一つだ。

「爽児さんがこの店に来てくれる様になってから、もう何年目かしらね。初めての時はびっくりしたわ。メタルボウルのスタープレイヤーが来てくれたんですもの。」

丁度、事故で再起が絶望的となった頃からだ。ヴァレリーの明るさが、どれ程救いになった事だろう。この娘の笑顔が無ければ、自分もあのグランドファイトの選手の様にアルコールに溺れていたかも知れない。

「ヴァレリー。君には、感謝している。」

「何?急に改まって。なんだか照れるわ。それより、爽児さん。最近変な噂が有るの知ってる?アウター・タウンで蒸発事件が続発しているって。居なくなったのは、皆シムラベリングの未登録者達だから、警察でも確認の仕様が無いって話よ。爽児さん、今のお仕事はジャーナリストでしょう?何かの役に立つかしら。」

「アウター・タウンの蒸発事件か。ああ、確かに役に立つ情報だと思うよ。有難う。」

 以前から、アウター・タウンの住民が、失踪や不審死を遂げた事件は幾度か聞いていた。

社会的にシステムから弾き出された弱者を標的とする許し難い犯罪。

 爽児は、広域犯罪組織ザイードの関与を疑っていた。だが、確証を得られるだけの証拠は揃っては居ない。

 僅かな希望さえ踏み躙られて、闇の底へ消えていくしかなかった生命。

 絶対に、事件の全容を明らかにしたい。

 ウィルが惨殺された事件だけではなく、世界の全ての人々の幸福の為に、あらゆる汚い事件の真実を白日の下に曝す事が、爽児の現在の目標だった。

 爽児は、固い決意を秘めた表情でグラスを傾けた。

 社会の表と裏。人間の心にも、また表と裏が存在する。

 親友の死の真実を追ううちに知った、社会の闇に潜む禍々しい悪意の渦。

 爽児は、精神的にも溜まった疲労をこのヴァレリーズ・バーに癒しに来るのだ。


「そうだ、爽児さん。今日、貴方に渡して欲しいって預かっていた物が有るの。」

「何だい?」

「ちょっと待っていてね。」

ヴァレリーは店の奥に消えて行くと、暫くして何かを手に持って戻って来た。

「これよ。」

差し出されたのは、ホログラフィックディスクだった。記録された映像を、立体的に再生する機能が有る。主に、プライベート・メッセージ等に使用される物だ。

「誰からこれを?」

「それが、ちょっと変なの。その人も、誰かの代理人らしくて、詳しい事は教えてくれなかったの。兎に角、貴方に渡す様に頼まれたのよ。見れば解るそうよ。」

「何だろう?・・後で、内容を確認するか。有難う、ヴァレリー。」

メタルポーチにディスクを収納すると、爽児は暫くの間時の経つのを忘れ、店内の穏やかな雰囲気に包まれてゆっくりとくつろいだ。

辺りが深い闇に包まれる頃、爽児は漸く席を立った。

「爽児さん。また来てね。いつでも待っているわ。」

「ああ、また来るよ。お休み、ヴァレリー。」

店を出て、ジェットバイクのエンジンを掛ける。

強力なヘッドライトが眩しく輝き、闇を切り裂く様に前方を明るく照らし出す。

「おっと、こいつを忘れるところだった。」

爽児はメタルポーチからカプセルを取り出すと、それを口に入れて飲み込んだ。

体内のアルコール成分を分解して、神経系統への影響を解消する即効性の有る薬品だ。

体の火照りが消え失せ、頭脳が冴えを取り戻した。

ヴァレリーから渡されたディスクの内容が気になる。

情報提供者からのメッセージだろうか?

自宅に有るディスク再生用の小型機材で内容を確認する事にした。

爽児は、アクセルを吹かして走り出した。

シティの夜景は、美しい無数のライティングが施されている。

尤も、爽児は夜空の星の輝きが気に入っている為、それらを打ち消す過度なライティングに因る光害に関して問題提起する記事を書いた事も有る。


 程無く、爽児はシティの一角に在るマンションの駐車場にジェットバイクを停めた。

旧式の認証システムの組み込まれたゲートを通って、エレベーターで上層階に昇り、カードキーでロックを解除して部屋に入った。

「キイイッ。」

不意に小さな影が飛んできた。

「ただいま。ロッキー。寂しくなかったか?」

 爽児の頭上のライトにとまったのは、フルーツバットと呼ばれる大蝙蝠だ。

蝙蝠の中でもこの種類は外見が最も哺乳類的だ。黒い翼の生えた猫か小型犬の様でもある。

頭を撫でると、嬉しそうに擦り寄ってくる。

 違法遺伝子操作動物の事件を追っている時に出会い、以来ずっと一緒に生活している。知能と性質は猫に近く設定されているため、人懐こい。

冷蔵庫からフルーツを取り出して与えると、早速噛り付いて食べ始めた。

「おいおい、あまり散らかすなよ。」


爽児は仕事部屋に入ると、ホログラフィックディスクの再生用機材を取り出してセッティングし、メタルポーチから取り出したディスクを挿入した。

 どこかで見覚えの有る顔が、眼前の空間に立体表示された。

「御願い。私を助けて。私は、ザイードに追われているのよ。このディスクは、安全を考えて代理人に運ばせたの。女優の御仕事をしているから、多分私の事は知っていると思うけれど・・・ミレーヌよ。ミレーヌ・ロッケンマイヤー。貴方の事は、過去の記事で知っているわ。メタルボウルを引退してから、フリーのジャーナリストとして政治的腐敗や陰惨な犯罪を告発する記事を発表して、随分活躍しているわね。・・・その貴方にしか私を救う事は出来ないわ。実は、連中の非合法活動に関する重要な証拠を持っているの。手に入れた経緯は・・詳しくは話せないわ。こんな仕事をしていると、色々有るものよ。兎に角、私の持っている情報を発表すれば、連中の活動は大打撃を受ける事になるわ。引受けてくれるなら、直接会って話したいの。警察の一部も絡んでいるらしいから、通報する事は危険なのよ。貴方が頼りなの。御願い。引受けて。カオスシティのパレスホテルで待っているわ。」

映像はそこで途切れた。

「ミレーヌ・ロッケンマイヤーか。スクリーンの中だけじゃなく、スキャンダルでも世間を賑わす大女優じゃないか。かなり、切羽詰った様子だな。・・ザイードと警察の癒着か。確かに、彼女の掴んだ証拠をそのまま警察に提出するのは危険だ。真実は握り潰されて、彼女も消される可能性が高い。カオスシティのパレスホテルと言うと、行政府高官も利用する最高級ホテルだな。厳重なチェックで不審者は入り込めなくなっている筈だ。会見には、安全な場所と言えるな。早速、明日にでも出向くか。」

 連日、ウィルの死の真相を究明する為、シティやアウター・タウンを駆け回って情報収集を続けている。ヴァレリーズ・バーでの息抜きでも、完全に疲労は癒えない。

新たな情報に基づく取材に備えて、今夜はゆっくりと休む事にした。

 旧式の耐圧自動調節ベッドに横たわり、爽児は深い眠りに着いた。

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