深夜、階段途中の女
静一人
第1話
あれは都内の中堅大学にギリギリ現役ですべり込んで一年目のころ。
ぼくは西武新宿線沿いの家賃が安い学生向けアパートの2Fのちょうど真ん中あたりの部屋で一人暮らしをしていた。
駅から徒歩15分以上歩くいまいちな立地、全部で12戸ほどのいわゆる学生向け安アパート。とうぜん周りも学生や若いフリーターばかりが住んでいた。
隣の住人の控えめの咳払いがきこえるくらいに壁は極薄。当然オートロックなどの設備もなければ、郵便受けもむき出しの集合タイプなのでセキュリティのかけらもない。
ぼくが毎日上り下りする2Fにつづく薄い鉄の階段は、ちょうど建物の中央に位置している。鉄板の階段に赤いさび止めを塗っただけの簡易なものだ。
ここを駆け上がると「カュンカュンカュン」っていうゆがんだ金属音と不愉快な振動が全戸に響き渡る。幅も狭く、2Fに住んでいる全員が使うにも関わらず、人がすれ違うにはやや半身になる必要がある。
その年の3月末に引っ越してきた翌日、母親の言いつけを守り両隣にタオルをもって挨拶にいった。右隣のフリーターのアパレル販売員風のお姉さんには「いまどき律儀だねー。私のときにはこんなんしなかったけど....」とクールに言われ、左隣の就活中の大学3年生の男子学生からは、「ここの大家、たぶんヤクザだけど知ってた?」とまったくいらない情報が。それら2つの共通点は「聞いた後ではもうおそい」という点。
そして引っ越してから3ヶ月ほどたったころ。
塾講師のバイトを終えていつも通り最寄りのコンビニにより、ギリギリ夜11時前にアパートにたどり着くと、2階に続く階段の真ん中あたりに女子大生っぽい小柄で白いワンピースを着た女の子が頬杖をついて座っているのが目に入った。髪が長くて下を向いてスマホをいじっているので顔まではよく見えない。
ぼくは2Fの誰かの彼女で帰りを待っているんだろうなと思い、小さな声で「こんばんわ~」とつぶやきつつ彼女の左横を半身ですり抜け、自分の部屋のドアのカギを開けて自分の部屋の中へ入ろうとした。
そこで突然後ろから、「ちょっと待って!」という声が。
面食らったぼくは「はい?」と言いながら振り向いた拍子に、おにぎりとからあげくんが入ったコンビニ袋を落とした。目の前の階段の中程から、さっきの女子大生が真剣な表情でこっちを見上げている。
彼女は前髪ありのセミロングの重め黒髪。ちょい大きめの黒縁眼鏡をかけていて、その向こうの瞳が若干うるんでいるのが街灯の光の反射でわかる。眼にささるような赤い口紅。荷物はブラウンの小さなレザーのリュックだけ。まあ世間的に見れば今風の女の子だ。
「そこに住んでいる人ですよね?私は202に住んでいるトモキくんと同じ大学に通っているんです」とコンビニ袋を拾っている僕の背中に向けてやや切実なトーンで訴えてくる彼女。
「昨日トモキくんの部屋に遊びに来たんだけど、うっかり大事なものを忘れてしまって。でも彼いないし、LINEも既読つかないんですよね....」とその子は言う。
ここまでの展開はさすがのぼくでも多少想像はついた。ただ次の展開はちょっとだけ想像を上回ってきた。
「つーか、私あと15分で終電なの。大家さんか管理会社に連絡して、緊急ってことでトモキの部屋を開けてもらえない?」
と急にガツンと距離を詰めてきた彼女。
なぜか言葉使いがタメ口になった上、彼の呼び方も「トモキくん」から「トモキ」になってる。
ぼくは正直「知らんがな」と思ったけど、こんな時間に一人でいる女の子を見捨てるわけにもいかない。
「実はぼくも不動産屋からは大家さんの電話番号は教えてもらってないんです。管理会社も家族経営みたいな会社で、たしか固定電話しかないんですよね....一応かけてみますけど」
その場で管理会社に電話してみたが、案の定呼び出し音が続くだけで留守電にすら切り替わらない。
「ダメですね....明日以降に出直したらどうですか?」
「でも....明日の朝までにどうしてもその忘れものを取り戻したいの!」
「メッセもダメですか?」
「既読すらつかない」
「そんなこと言われても....とか言ってるうちに15分経ってるんじゃないですか?」
「もう帰れない....どうしよう」
「じゃあタクシー代貸しましょうか?」
「でもそれじゃあ色々と間に合わないの....。そうだ!あなたの部屋でアイツが帰るのを待っててもいい?寝る必要ないし、隅に居させて貰えるだけでいいから」
「え!!でもぼく明日も一限から授業で、その後バイトなんで....困りますよ」
「駅前に満喫もなかったし、でも外で過ごすのも寒いし怖いし。お願い助けて!」
「....わかりましたよ。ちょっと片付けるので10分だけ待って下さい」
「....ありがとー助かる!!」
そんなわけで、ぼくはなぜかまったく他人、しかも隣の部屋の住人の彼女かもしれない女子大生を夜中に部屋に入れるはめに。
しかもぼくは高3の時に彼女と別れて以来、女の子を自分の部屋に入れるなんてことはなかったので、じつは内心ドキドキしていた。
続く
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