悪役令嬢、実は、聖女
七沢ゆきの@11月新刊発売
第1話 私は悪役令嬢なんかじゃない
「いやね。お金に不自由したことのある方って」
涼やかな声とともにドレスの裾が優雅にひるがえり、応接間の床に飛び散る札束をつややかに尖った靴の先が踏みにじる。
すでに日は落ちかけ、燭台の明かりが豪奢な応接間を照らしていた。
そこはかなりの広さがあったが、要所要所に惜しみなく燭台を置くことで、部屋の中は昼のような明るさに保たれていた。
「なんでもお金で解決しようとなさるの。
でもわたくし、お金に困ったことなんかなくってよ」
そう告げる赤く形のいい唇に、華やかな装飾の施された爪がそっと添えられる。
そこにいたのはとても美しい少女だった。
透き通る大きな青い目、くっきりとした鼻梁、すべらかな白い肌。
そして、結い上げた髪はその美貌にふさわしい鮮やかな金色。
「ですからこんなものでわたしに口添えを頼んでも無駄ですわ。
諦めて下賤な商人は処刑されなさいな。それがいやなら奥様をイ・サ伯にお渡しすることね」
少女よりはずっと年上の男は、まき散らされた紙幣の中で応接間の床にひざまずき、切々と「妻に慈悲を」とかき口説いてたが、それを見ても少女はその傲岸な表情を石のように崩さない。
そして「うるさいわ」と一言つぶやき、楚々と残酷に微笑んだ。
目の前でうなだれる男を屋敷から追い出すように衛兵に命じながら。
※※※
「あれでよかったのかしら、エルリック」
廊下を歩く少女は先ほどまでの驕慢さが嘘のようにうなだれている。
「はい。大変よくお演じになれたかと。ショウエル様はお嫌でしょうが、また一つ、鬼姫さまの名が上がったと存知ます」
「鬼姫……」
少女___ショウエル___がため息をついた。
ショウエルはまだ15、6歳くらいの少女ながら、典型的な貴族の悪女だと言われていた。
ハイレッジ公家という王家にもつながる名門の家名と美貌と財産を鼻にかけ、すべてを思い通りにする心のない娘。
今ではそれを通り越して鬼姫と呼ばれることもあった。
確かに、光をはじく金髪を波打たせ、青い瞳をすがめながら、すんなりとした指で残酷なことを命じる美貌のショウエルは、ただの鬼ではなく『鬼姫』に見えた。
しかし、いまのショウエルはどう見てもそのような悪女には見えなかった。
優しげで感傷的な、年相応の少女に見えた。
「エルリック、わたしはそこまでしてカームラ陛下の妃にならねばならないの……?」
「ショウエル様……」
ショウエルの、凪いだ海のような色の瞳が従僕のエルリックを見つめる。
エルリックもまた、白い肌と金の髪を持ち、ショウエルの横に立つのが似合う青年だった。
不思議なことに、その面差しはどこかショウエルに似ていた。
「少なくとも、お母上のフレンジーヌ様はそうお望みです。
カームラ陛下は有能ですが残忍。しかもそれに異を唱えるものを許さないお方。ですから、ショウエル様も同じような御気性でなければ妃には選ばれません。ショウエル様の努力のおかげで、今ではその美しさと驕慢さは陛下の耳にも届いておりますよ。次の舞踏会にはショウエル様だけの席があるとか」
「嬉しくないわ……。わたしの望みはお父様のような優しい方と恋に落ちて結ばれて、幸せな家庭を作ることだけよ……。
……商人殿と奥様を国境まで逃がして差し上げて。伯には商人殿の奥様によく似た踊り子をご紹介すればいいわ。イ・サ伯はどうせどんな方にもすぐに飽きてしまわれるんですもの。正式な妻も持たずに次々と他の方の思い人を奪って、生活にご不自由もないのにたくさんの方を陥れて……。それを有能と言うならば、わたしは有能な方など……」
し、とエルリックが唇に指を当てる。
「お母上のフレンジーヌ様のお耳がどこにあるかわかりません。そのようなお話はご自身の部屋で」
「エルリック」
「私ももともとは悪党です。あなたを私以上の悪党に育てるために拾われた従僕です。けれど……あなたを知れば知るほどそれができなくなった。これもお母上の耳に入れば処刑物です」
「お母様はどうして私をそんなにカームラ王陛下の妃にしたいのかしら。いくら能力の優れた方でも残虐な方など……」
私は嫌いよ。
声にならない声でショウエルはつぶやいた。
「私も詳しくは存じませんが、すべては亡くなられたお嬢様のお父様のハイレッジ公のお望みだと」
「お父様が……!?嘘よ!お父様はそんな方ではなかったわ。それに……お父様がおられたころはお母様もあんなふうではなかったわ……」
ショウエルの瞳に涙が浮かぶ。
本当に、優しかった父親のハイレッジ公が逝去してからショウエルの廻りはすべてが変わってしまった。
彼女は鬼姫の名を冠せられ、カームラ王とエルリック、それに母親のフレンジーヌ以外のすべての人間に憎まれる人間へと変えられてしまった。
「お母様は何を考えておられるのかしら……」
ショウエルはふう、とため息をついた。
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