第3話 交渉

 ロイとエルルゥの二人と別れたあと、指環を〈森羅万象〉で鑑定してみた。

 金の指環に大粒の翠玉エメラルドが嵌めこまれており、水蛇を模した紋章が刻印してある。

 製作当時の販売価格は金貨百枚を超える価値があったようだが、結構な年代モノのうえ、河の中で細かな傷もついてしまっているので、どのくらいで売れるのか正確には判断できない。

 だが金貨数十枚の価値はあるはずだ。

 そうでなきゃ困る。

 これほど高価なものは、そうそう落ちてはいないし、この先もずっと拾い屋を続けるつもりは当然ない。

 それにせっかくロイたちも頑張ってくれたわけだし、彼らの協力を無駄にしないためにも心して交渉に挑む必要がある。


 問題はどうやって換金するか?


 まずは〈森羅万象〉で宝石や金細工などの高価な品物を扱う店や取引の仕方などを検索する。

 魔力が少なくなってきているが、無事成功。

 ただ集まった情報によると、面倒なことが判明した。

 ウルクスでは盗品の取引をすると罪に問われる可能性があるので、まともな商人ならば身元確認や品物の出所をしっかりと確認するらしい。

 僕は市民権もない身元不詳の異邦人という立場で、この指環は盗品でこそないが、元は拾い物だしどういう扱いになるかわからない。

 貧民街のほうには身元確認が必要ない、闇市や盗品を扱うまっとうでない商人もいるみたいだが、騙し取られたり、買い叩かれる恐れがある。

 市民権には裁判権や控訴権も含まれるのだが、逆に言えば市民権がない者が訴えても、まともに取り合ってもらえるか定かではないので慎重に行動しなければならない。


 なんとか身元確認なしでも安全に取引できる所はないものか、再び検索する。

 今度は宝石商の店以外も調査範囲に含めると、気になるところを発見した。

 いわゆる質屋だ。

 普通は質に入れた物を担保にお金を借り、、期限内に利息分を加算して返済するのだが、担保品が返ってこなくてもいいのなら、返済しないという選択をすることもできる。

 つまり実質的に売買と同じ取引が可能になる。

 それでいて宝石商の店と違い、ひとりひとり丁寧に身元確認などをしない店もあるようだ。

 いってみる価値はあるか。



 中央広場から離れれば離れるほど、街並みは混沌とした様相を呈していた。

 建物は隣家と接触させて建築されているところが多く、そのうえに無計画な増改築を繰り返しているため五、六回建ての高さと数十軒分の横幅持った巨大な集合住宅となっている。

 その間を縫うように細く入り組んだ道が通っているが、見通しは悪い。

 またところによっては通路部屋と呼ばれる通行可能な室内があったり、二階以上の高さに道を挟んで結ばれる渡り廊下が存在している。

 まるで立体迷路みたいな街だな。

〈森羅万象〉の知識によると、地上の迷宮と称されおり、地下迷宮と合わせて帝都は迷宮都市の異名も持っているらしい。

 これらは各地から流入する人々が、城壁内の限られた土地に居住するために、形成していったことが大きな理由のようだ。

 なかには遭難する人もいるらしく、僕も〈森羅万象〉がなければ迷っていた可能性がある。


 しかしそんな一画に目的の質屋はあった。

 日当たりが悪く昼間でも薄暗い路地の先に、漆喰が剥げかかった外壁と天秤の意匠を凝らした看板が見える。

 ウルクスでは天秤の意匠は質屋や両替商などを意味しているので、あれで間違いはないはずだ。

 あまり治安が良くなさそうな場所だが、覚悟を決めて店に向う。

 扉を開けると蝶番が軋み、薄暗い店舗から埃っぽい空気が漂ってくる。

 受付台の向こうには、こういってはなんだが胡散臭そうな雰囲気を纏った男がひとり椅子に腰掛けていた。


「あん? 客か?」


 やる気のなさそうな接客態度だ。

 大丈夫なんだろうか?

 まあ、せっかく来たんだから見積もりくらいはしてもらいたいが。


「そうだけど、営業中だよね?」

「ああ、マール神の鐘が鳴るまでな。で、ブツはなんだ?」


 マール神の鐘?

 どうやら時刻を知らせるものらしいが、詳しいことはあとで調べるとして、さっそく交渉を開始する。


「この指環なんだけど」

「ほう!」


 すこし大きかったので親指に嵌めていた指輪を店主に渡すと、これまでの雰囲気を一変させ鋭い眼差しで鑑定しはじめた。


「身元確認できるものはあるか?」


 僕の様子を窺うようにして、店主が訊ねてきた。

 あれ?

 なんか疑われてる?


「この店は余計な詮索はしないんじゃないの?」

「なるほど、そっちの客か……まあいい。それなら十レオルってとこだ。利子は十日で一割」


 店主はあっさり引き下がったが金額が問題だ。

 十レオル、つまり金貨十枚。

 安いな。

 それに利子が高すぎる。

 闇金かよ。

 いや、この世界では貸した相手が夜逃げすれば、回収が難しいのかもしれない。

 だから高利貸しをしているのか。

 でも担保があるなら、もうすこし低金利でもいいのに。

 まあ、僕は返済のために戻ってくるつもりはないので金利については置いておこう。

 だが金額についてはもうすこし引き上げてもらわないと困る。


「安すぎるよ。元は金貨百枚以上の価値があったのに――」


 査定金額を見直してもらうべく説明していると、店主は値踏みするように僕を観察していた。

 やっぱりなにか疑われてる?

 こんな指輪を持つにしては若いし、身元確認を拒否する時点でたしかに怪しくはあるんだけど……。

 いや――待てよ。

 たしかに身元確認はされなかったが、交渉を通じて客の事情や身分、品物の出所をさりげなく探ろうって魂胆か?

 返済の意志と手段がある客ならば、高額を貸して利息分の儲けに期待したほうがいいが、最初から売却目的の客ならば安値で買い叩き、担保の品をあとで高額転売するほうが利益になる。


 つまり最初に提示した金額は相手の反応を探り、どういう客か見定めるための試金石だったのでは?

 盗品や拾い物なら、正確な値打ちが分からないだろうし、他の店では換金が難しいので、はじめにいった店主の言い値に従うしかない。

 わけありの品じゃなくて、値打ちも分かってるが売却目的なら、すこしでも高く換金するために値段交渉に移るが、あまりにも露骨に査定金額の吊り上げを狙うと目的を見抜かれてしまう。

 そうなると結局は店主の提示した額以上に値段が上がることはない。

 なかなか難しい。


 だけどなかには返済の意志と手段があったうえで、なおかつ大金を必要としている客だって存在するだろう。

 そういう客はよほどのことがない限り、こんな怪しげな店は使わないのかもしれないが……僕としてはそういう客だと勘違いしてもらえると都合がいい。

 さてどうしよう?


「しかたない」


 押して駄目なら引いてみるか――


「他で借りることにするよ」


 僕がしかたないといった瞬間、店主がにやりととして口を開きかけた――がそれを遮るように他へ持って行くことを告げると、店主の表情は驚きに変化した。

 おそらく言い値に従うと思っていたのだろう。


「おい! 他へ持っていくって、あてはあるのか!?」

「まあいくつかね」

「身元確認はどうするつもりだ?」

「あーそれね」


 すこし悩むそぶりを見せると、店主の顔に余裕が戻った。

 ここ以外じゃ換金できないと思っているんだろう。


「質屋を利用したっていうのをあまり知られたくないから、内密に取引できるこの店に来たんだけど、たったの十レオルじゃ、まとまった収入を得るまでに足りなくなる。それなら身元を明かしてでも他で借りるほうがいい」


 嘘はついていないが、あえて勘違いしてもらえそうな言い方をした。

 ついでに一枚だけ手元に残していた金貨を、さり気なく見せ付けるようにして、手の中でもてあそぶ。

 お金を借りに来ているが全くの貧乏人ではなく、なんらかの理由で大金を必要としているだけ、と思ってもらえればいいのだが――


「十レオルで足りないなら、いくら必要なんだ?」


 ふむ、どうやらうまくいったかな。

 利息による儲けを計算し始めたのか、店主は査定額をあげる方向に傾きだしたみたいだ。


「もちろん多ければ多いほどって言いたいところだけど、まあ金貨五、六十枚あれば十分かな?」


 さすがに金貨八十枚くらいだと、返済されなかったときに損する可能性があるので断られるだろうが、金貨五十枚くらいならどうか?

 返済されずとも、転売でそこそこ利益は出るだろうし、返済された場合でも、十日で一割――つまり金貨五枚の利息になる。

 どちらでも利益が確定しているのなら、この取引を受けないはずがない。

 店主はしばらく悩んでいたが、しぶしぶといった顔で口を開いた。


「しかたねーな……六十レオルでどうだ」

「わかった。それで決まりだね」

「よし、じゃあ契約書に署名してくれ」


 僕の気が変わらないうちに取引を成立させたいのか、店主は急いで準備を始めた。

 念のため、用意された契約書を〈森羅万象〉で調べてみると、どうやらまともなもののようだ。

 返済期日や利子など細々と書かれているが、返済するつもりはないので流し読む。

 むしろ内容よりも材質が羊皮紙ということに驚いた。

 これが本物の羊皮紙か。

 はじめて見た。


「なにか気になる点でもあるか? それとも代読が必要か?」


 店主が気がかりそうな声でいった。

 この国では識字率があまり高くないようだが、都市内に限定すれば多くの人が簡単な読み書きくらいはできる。

 それなのに契約書をまるではじめて見るように観察していたので、文字が読めないと思われたのだろうか。


「いや、内容に問題はない。ただ名字は省略してもいいかな?」

「ああ、返済時に本人確認できればそれでいい」


 普通の店ならこんな簡単にはいかないので、ここで取引できてよかった。

 署名はウルクスの文字で、ソラと記入する。

 本名は東雲空だが、日本と違ってウルクスでは名前の表記順が反対になるので、もし名字も必要だった場合はソラ・シノノメとしたほうがいいのだろうか?

 はっきりとはわからないし店主の了承も得たので省略しておいた。

 それよりも用意された筆記具が羽ペンだったので、上手く書けるかが心配だったが、ウルクス文字は主に直線で構成されていたおかげか、慣れない道具でも綺麗に書けた。


「これで契約は成立だ」


 そういって店主は金貨の入った小袋を渡してきた。


「いい取引だったよ、ありがとう」


 礼を言って店舗から外に出る。

 ふう、無事に終わってよかった。

 結果としては上々の出来だろう。

 これで一安心といいたいところだが、路地は相変わらずの薄暗さで、大金を所持しているせいか若干不安になってきた。

 とりあえず大通りへ行こう。

〈森羅万象〉を使い、掏りや破落戸ごろつきと出くわさないように気をつけて、明るい場所まで辿り着くとようやく一息つく余裕ができた。


 すこし日が傾きはじめているが、そういえばいま何時なんだろう?


 質屋の店主は鐘がどうとか言ってたな。

 時間の経過で魔力もある程度回復しているようだし、〈森羅万象〉で調べてみるか。

 魔法の行使とそれに伴う頭痛にも慣れてきた。

 いや大した情報量じゃなかっただけかもしれない。


 ともかく分かったことを簡潔にまとめると、一日に八回、神殿は鐘を鳴らすらしい。


  零時  月の女神 クロト  

  三時  英知の神 メラソフィラ

  六時  竈の神  ミーナ 

  九時  商業神  メルク 

 十二時  太陽神  シャプト

 十五時  戦いの神 マール

 十八時  酒神   ストル

 二十一時 愛の女神 リム 


 ちなみに一日の長さや、年月も元の世界とほぼ同じと考えていいようだ。

 まあ太陽と月の存在、自転公転、その他もろもろが全く異なっていれば、生命が誕生しているかすら定かではないからな。

 その点この世界は人が存在し、文明を築いているのだから、ある程度は似通った環境なのだと推測できる。

 詳しくはまた時間のあるときでいいとして――


 現在は太陽神シャプトの刻、三燭時しょくじ目。


 神殿では蝋燭を使って時間を測っており、一つの刻は三燭時と決まっているらしい。

 つまりいまはだいたい十四時すぎってところか。

 あの質屋はあと一時間ほどで閉店するみたいだが、この都市ではそのほかの大半の店もマール神の鐘までが営業時間らしい。


 せっかくお金があっても買い物ができなければ、意味がないので必要そうなものはすぐに揃えないといけないな。

 基本の衣食住のうち、食事と住居は宿をとればいい。

 宿は商店とは異なり結構遅くまで営業しているようなので後回しで問題はないだろう。

 となると必要なのは着替えか。

 帝都ではさまざまな格好をした人が存在しているので、僕の姿が特別に目立っているわけじゃないけど、若干浮いているというか、一目で異邦人と分かってしまうのはいろいろと都合が悪い。



 さっそく〈森羅万象〉で服屋について調べてみると、なんと古着屋しか存在しないことが判明した。

 新品の服が欲しければ仕立て屋で受注生産オーダーメイドするか、自分で仕立てるしかないらしい。

 それというのも糸紡ぎから、機織り、染色、裁断等、あらゆる工程が全て手作業で行われているので、産業革命でも起こらない限り、工場で大量生産されているような既製服がそもそも存在しないのだ。

 さらに手作業ということは膨大な人件費がかかっており、原材料費、輸送時の関税や通行料などを加算すると、毛織物はまさに高級品といえる。

 そんな事情もあって高価な布で売れるかどうか分からない既製服を作ろうとは誰も思わないので、結果的に注文服を生産する仕立て屋か、さもなくば古着屋しかないということのようだ。


 不便といえば不便だが、そのおかげでこの異世界の多様性や異国情緒を楽しめているといえるのかもしれない。

 僕が幻想の世界に憧れる反面、現実の世界にどこか退屈さを感じていた理由のひとつに、文化の均質化があった。

 土地ごとに異なる様々な民族衣装、郷土料理、伝統的な家屋や街並み、そういったものがどんどん無くなり、代わりにどこへ行っても同じような既製服、飲食店、現代建築が溢れている。

 外国へ行けば異国情緒を感じられるだろうから、いつか旅行したいと思ってたんだけど、まさか外国へ行く前に異世界に来てしまうとは考えてもみなかった。

 まあ、こっちのほうが面白そうだし、それ自体は不満じゃない。


 問題は生活面での不便なことや、我慢できないものに出くわした場合だ。

 そういうときは改善するために行動を起こすこともあるかもしれないが、気をつけないと異世界に元の世界の知識や技術を広めてしまう可能性がある。

 そのせいで元の世界と同じような社会になってしまったらつまらないし、この世界にとって良い事とも限らない。

 しかも〈森羅万象〉と同じで、異質な知識などを持っていることを知られると面倒や危険な目に遭う可能性がある。

 その点はよくよく注意しなくちゃいけないな。


 考え事をしながら歩いていたので、古着屋に着いたときには、あと半燭時ほどでマールの鐘が鳴るくらいの時間になっていた。

 選ぶのにあまり時間はかけられないけど、店舗には様々な衣類が畳んで陳列されている。

 しかも古着といってもそれなりに高価なので、客が触れるには店主のおじさんに声をかけてからでないといけないようだ。

 面倒ではあるが、許可を取っていくつか手にとって見ると、肌触りがあまりよくないものが多かった。

 さらに仕立て屋の腕の差だろうか、品質の違いが目立つ。

 肌触り、仕立てのよさ、デザイン、大きさ、汚れや擦り切れのない物など、条件を絞っていくと満足のいく物はあまりない。


 そんななかから綺麗な赤の長衣と肌着、黒い脚衣ズボン、下着と靴下、あとは革紐を結ぶタイプのサンダルなどを選ぶと、合計で三十七レオルになった。

 さすがに高いな。

 でも継ぎはぎだらけの古着を買っても、安物買いの銭失いになるだけだろうし、なにより着心地が悪そうだった。

 まあ、これは必要経費と割り切って良い物を買うべきだろう。


 買った後になって、荷物をどう持ち運ぶかまでは考えてなかったことに気がついたのだが、値切り交渉もせずに気前良く支払ったことで気に入られたらしく、中古の背嚢を一つおまけしてくれた。

〈森羅万象〉で仕入れ値を正確に把握していたせいで、ぼったくりじゃない限りこんなものだと思い込んでいたのだが、ここらでは値切り交渉をするのは当たり前で値段もそれを前提に付けているそうだ。


 なるほど、たしかに値札の類いはなかったし、それがこの都市での常識なのだろう。

 面倒ではあるが、郷に入っては郷に従えという言葉もあるし、これからは気をつけるか。

 しかしそんなことまで教えてくれるこの店はなかなか良心的なようだ。

 まあ、事前に〈森羅万象〉で評判のいい古着屋を調べてきたから、言い値で購入したのだし、満足のいく買い物だった。


 所持金、残り金貨二十四枚。

 あとは宿をとって、今日はゆっくり休むとしよう。

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