第27話

 目の前のふたりの話題は、最初は海外に行きたいという話だったのだけれど、いつのまにか国内の温泉に行く話になっていて、休みの日数や季節的な希望も重なって、ふたりの温泉の話は現実味を増して行き、スーツが手帳を取り出して休みの取れそうな日付を確認すると、ジーンズは「その週は駄目」だとか言葉を返し、何かを考えているような間を置いてから「最後の週末なら予定キャンセルできるし」などと言い、僕の目の前でふたりの女の人が温泉に行くことを決めた。

 僕は一度だけ海外旅行に行ったことがあって、これは嘘みたいな本当の話なのだけれど、ジャンボジェット機に乗客四人だけで乗ったことがある。何年か前に市川さんとその姉妹とが旅行に行く計画を立てていて、ある事情でひとり行けなくなり、その代わりに僕が参加した。姉妹というからもちろん周りは女の人で、女(姉妹)三人、男一人の不思議な組み合わせで出掛けたのだけれど、名古屋空港からタイに行く中継地点である香港の空港で事故が発生し、朝に発つはずだったのが、夕方にずれ込んだ。夕方に名古屋空港を出て、香港へは夜に着いた。空港の事故だったので旅行会社がホテルを確保し、僕らは香港で一泊することになったのだけれど、空港からホテルまでは随分と距離があって、シャトルバスに乗り込むとバスの窓が極端に大きく、椅子に座っても太腿の辺りまでが硝子面で、どうしてこんなにも窓が大きいのだろうという疑問は空港の敷地を出るとすぐにわかり、窓から見える夜景は『一〇〇万ドルの夜景』などという言葉から想像する以上の夜景だった。道路の両側に並ぶ明りも、ビルの明りも、(青に近い)白色と橙色の明りの二色だけで、宝石を散りばめただとか、満天の星だとか、例えを出せば出すほど実際の景色から遠く離れるような気がして、それは『香港の夜景』でしかない景色だった。空港の事故で何人の足に支障があったのかは知らないけれど、事故のおかげであの夜景が見られたと思うと、事故にも感謝してしまいたくなる。香港で一泊したあと朝一番の飛行機でタイに行ったのだけれど、名古屋空港で足止めされて、香港で一泊した人のためだけの臨時便だったらしく、他の乗客は別のルートでタイに向かったのか、それを利用する乗客は僕ら四人だけだった。周りには誰もいなくて、飛行機に乗り込んだときに「こんなことってあるんですか?」とCAに訊いたのだけれど、「私どもも初めての経験です」と返ってきた。たった四人のために巨大なジャンボジェット機を飛び立たせるなんて、しょっちゅうあっては空港も赤字だろうし、乗客よりもCAの数のほうが多くて、ジャンボジェット機を一回飛び立たせるために必要な経費(ガソリン代だったり、操縦士やCAの人件費だったり、管制塔や滑走路で働く人たちの人件費や消費電力など)がどれだけになるのかは知らないけれど、僕ら四人がとても贅沢なことをしているのは一目瞭然で、CAのひとりが「どうぞファーストクラスへ」と案内してくれたときは、本当に夢じゃないかと思った。

 その後無事にタイに着き、一週間以上の旅行を満喫し帰って来たのだけれど、旅の思い出で印象に残っているのは『ジャンボジェット貸し切り』が一番、『タイを縦断した、一〇時間以上の電車での移動』が二番、『香港の夜景』が三番で、その他の細々とした記憶は順を辿れば思い出すのだけれど、それら三つは単体の思い出として記憶していて、『現実は小説よりも奇なり』というけれど、事件や事故ではなくて、こういった「奇」もあるのだと実感した。

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