青薔薇庭園 -あおばらていえん-

 私は、薔薇に囲まれていた。

 はじめは、ただ花畑の中にいる、と思ったのだけれど、ふうわりと白いワンピースを着た女性が、すべて薔薇なのだと教えてくれた。


 これも? とげが…ないように見えますが。


 ええ。


 にっこりと、笑う女性。白い日傘を、くるくると子どものように回す。

 そこでふと気付いて、私は、広々とした薔薇たちを見渡した。薄曇の空の下で、それらは、何処までも続くかのようだ。


 ここは――


 あの人が、つくってくださったの。わたしのために。


 嬉しげな微笑が口元に浮かび、あの人、というものが、どれだけ大切かを知らしめる。そんなに好きなら幸せだろうと、他人事なのに、何故か、私の頬も緩んだ。


 ねえ、きれいでしょう?


 ええ。


 ありきたりな返答をして、もう一度、ぐるりと見回す。

 あざやかな色に、あわい色。ちいさな花に、おおきな花。牡丹のように、チューリップのように、他の花を思わせるもの。寄り添うように集ったり、孤独な女王のように一輪だけだったり。つぼみに、ちていくもの。

 世界中の薔薇を集めれば、こんな景色にもなるのかもしれない。


 足りない色があることに、気付きまして?


 寒色が少ないですね。青い薔薇は――紫がかったものは見かけますが、咲かせられない、ときいています。


 言った後に、知らないふりをした方が良かっただろうかと思ったのだけれど、女性は、またもや穏やかに、口元に笑みを浮かべる。


 青い薔薇を比喩して、ありえないことだと、表現することもあるそうです。でも、それを夢見るのがひと、なのですって。


 くすくすと、薔薇たちに囲まれ、女性は、楽しそうに笑った。

 私は、それ、とは、ありえないことなのか青い薔薇なのかと、無粋なことを訊こうとして、ふうっと、世界が立ち消えるのを感じた。


 目を開けると、見慣れた薄汚れた天井。

 ソファーに座ったまま、仰向あおむけにうたた寝していたことよりも、のどが痛いほどに乾いていることに、先に気付いた。

 あら、と、頭の上で声がした。そのまま目線を向けると、母の顔があった。


 起きちゃったのね。折角、頭にでも飾ってやろうと思ったのに。


 残念残念と、子どものように繰り返す母の手には、ちいさな薔薇のつぼみが、いくつも転がっていた。

 私のいぶかしげな様子に気付いたのか、母は、にこりと微笑んだ。


 剪定せんていして、捨てるからってもらってきたの。このまま乾燥させたら、何かに使えるかしらと思って。


 見事な少数を咲かせるために、それ以外のものを取り除いてしまうという作業がどうにも好きになれず、植物そのものをいじる園芸にはあまり興味がないと言う、母は、しかし、その行為自体を否定はしない。

 再利用できないかと、わざわざもらってくるところが、母らしい。

 冷蔵庫の麦茶を一口飲むと、それにしてもと、つぼみたちを机の上に置いて夕食の支度したくに取り掛かる母を、見遣みやる。


 そろそろ四十にもなろうと云う息子に、そんな物を飾って、楽しいですか?


 楽しいわよ、と云う返答は予想通りで、年齢よりも若く見える母は、微笑んだ。

 父の葬儀以来、何とはなしに居ついてしまった、ろくでもない息子を小言ひとつなく受けていれてくれているところには感謝するべきなのだろうが、やはり母は、どこかずれている。

 そしてふと、その微笑に見覚えのあるような気がした。

 どこかで――


 青薔薇。


 唐突にこぼれ出た言葉に、母は、振り返って首を傾げた。


 青い薔薇が、どうかしたの?


 いや…。


 そういえばわたし、お父さんからもらったことがあるわよ。


 え、と絶句すると、ふふ、と笑う。父のことを語る母は、いつも幸せそうだ。だから私は、夫婦とはそういうものなのだと、思い込んでいた時期があった。


 あのね、簡単よ。切った薔薇を、青く色をつけた水にさしておくの。


 いたずらをげるような母の言葉に、なんだと気落ちした。しかし、そこで終わりではなかった。


 その薔薇をくれてね、お父さん、いつか僕が、本物の青薔薇をつくったら、君に一番にあげる、ですって。


 そう言って、若々しい母は、嬉しそうに微笑んだ。  

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