第23話 助けを求める者の声


「特になし、だ」


 その言葉に、ロザリアははっと顔を上げた。


「え……?」


 思わず、二人は間抜けな声を上げる。


「事情は大体把握している。お前の部屋にあったこれも押収済みだ」


 ロイルは石に巻かれた手紙を机においた。

 それはロザリアを訓練場におびきよせるために使われた、あの手紙だった。


「せ、先生、私の話を信じてくださるのですか?」


 アリスは事前に事情聴取を受けていたらしい。

 信じられないといったように、ロイルを見る。


「それだけではない。ほかの生徒からもあらかた事情は聞いている」


 そういえば、あの場には多くの生徒がいたのだった。


「あまりにも、グレン・バルハザードの行いは浅はかで愚かだった」


 ロイルはため息をつく。


「この学園では、権力も、何もかもが通用しない……無論、在学中は、だが」


 卒業してからは知らぬ、ということである。

 もちろん公的には、卒業後も学園内でのことを持ち出して脅迫などに使うことは禁じられている。


「私の目の届く範囲までだ」


 ロイルはぽつりと呟いた。


「私の目の届く範囲までは、生徒をできる限り守ろう」


 その憂いを帯びた視線は、何か言いたげにロザリアを捉える。


「……?」


「……お前の破壊した訓練場については、一部の修復紋を再修正すれば直ることになっている」


「!」


 ロザリアは驚いた。


「直るのですか!」


「当たり前だ。お前のような無茶をするものがこの学園には多くいるからな」


 若干嫌味の混じったその言葉にう、となりつつも、ロザリアはほっとした。

 実家に請求が行くわけでもないらしい。


「グレン・バルハザードとその他の赤寮のものについては、現在処分を検討中だ。退学もありうる」


「!」


 退学。

 ロザリアではなく、グレンたちが。


「彼らは学園で最も恥ずべき行いをした」


 根拠のない噂を信じ、正義の名の下へ私刑を下そうとした第四王子。

 そしてそれを支持した令嬢たち。

 彼らはあまりにも愚かだった。


「この学園では、身分など関係ない」


 ロイルははっきりとそう言った。


「以上だ。私は疲れた。追って連絡事項はあるだろうが、今日はここまでとする」


 ロイルはそれだけいうと、ため息を吐いた。


「ロザリア・オルガレム以外は下がれ」


(え……)


 ロザリアは固まった。

 アリスは心配そうにロザリアを見たが、ほかの教師に促されて校長室を去った。

 ロザリアはロイルと二人になる。


「ひとつだけ、言いたいことがあった」


「え?」


 ロイルは突然そう切り出した。


「助けを求めるものの声に、私は、そしてこの学園は耳を傾けるだろう」


「……」


「例えば、そう……お前の中にいるもののように」


「!」


 ロザリアは目を見開いた。


 どうして、それを。


「案外、お前の味方は近くにいるのだということは覚えておきなさい」


「私……」


「それは見えないだけでそばにいるかもしれない。これから出会うのかも。だから、諦めるな」


 ロザリアは言葉をなくしてしまった。

 ショックを受けたというよりも、この少年に全てを見透かされて、少し安心したのだ。


「私はあくまでこの学園の代表だ。だから生徒の家庭の事情に突っ込むようなことはできない。だがもしも助けを求める声があれば、そのときはその声に耳を傾けるだろう」


 ロイルはそう言って、微笑んだ。

 どうしてかロザリアは泣きそうになって、顔を歪めた。

 それからこく、と頷いて、少し目元をこする。

 最近、泣いてばかりだ。


「もう行ってよろしい」


「はい」


 ロザリアは頭をぺこりと下げると、部屋を出た。


 ◆


 部屋を出ると、廊下の壁にアレイズがもたれかかっていた。

 黒い衣装をまとったその男は、影のようだった。

 けれど確かに、顔立ちは整っていて、一部の女性徒に人気があるのも頷けると、ロザリアは場違いにも思ってしまった。

 ロザリアがびく、と肩を揺らすと、アレイズはため息を吐いて言った。


「ロザリア」


「は、はい」


「ここで魂装武具を出せるか」


「……ここで?」


「俺が許可する。やってみろ」


 ロザリアは戸惑った。

 もう一度、あの槍を出すことができるだろうか。


 ロザリアは自分の心に問いかけてみる。

 ふと、心に言いようのない自信のようなものが満ちた。


 ──できる。


 ロザリアは目を閉じて、手を前に突き出した。

 すると、そこにキラキラとした光の粒子が集まり始める。

 それは確かな質量をもって、この空間に顕現した。


「……」

 

 ロザリアが静かに目を開けると、手に、ずっしりとした重さの槍が握られていた。けれどあのとき見た槍とは違う。

 それは夜の闇よりも深い、真っ黒な槍だった。

 研ぎ済まされた美しい銀の穂先がついている。

 穂先の前あたりに、銀色の輪が浮いた、不思議な槍だった。

 あの白金の槍はどこにいってしまったのだろう?

 けれどそれに対して、ロザリアはおかしいとは思わなかった。

 むしろやっと、自分自身の武具を手に入れたのだと、嬉しく思った。


「……これが私の魂装武具です」


 ロザリアはアレイズを見上げてそう言った。

 アレイズはその槍をじっと見つめたあと、ため息を吐いた。


「……合格だ」


「!」


 ロザリアは目を輝かせた。


「そ、それじゃあ私、退学じゃないんですね?」


「……もとより俺にお前を退学にする権利なんかない」


「へ?」


 じゃ、じゃあなんであんなことを?


 ロザリアはびっくりして、槍をもったまま硬直してしまった。


「お前はこの学園にいるべきじゃない」


「……せ、先生は、どうしてそう思うのですか」


 ロザリアは勇気を出して聞いてみた。

 アレイズは目を伏せる。


「この学園で魔導士になって、お前はどうするつもりなんだ」


「ど、どうするって……」


 もしも魔導士になったのなら、ゆくゆくは公爵位を継がなけれいけないのかもしれない。

 いや、多分、そうなるのだろう。魔術の才がある限り、ロザリアはその運命から逃れることはできない。


「私は……」


 答えを詰まらせるロザリアに、アレイズは言った。


「ここで退学になったのなら、お前は魔術の才がなかったということになるだろう」


「え……」


「そうすれば、お前は……」


 アレイズは最後までは言わなかった。

 けれどロザリアには、なんとなくその続きがわかった。


(まさか、公爵位を継ぐだけの才能がないって、認められるようなものだってこと?)


 そうすれば、ロザリアはあの父親から逃げられるのかもしれない。

 魔術の才さえなければ。

 魔導士にさえならなければ。


 ロザリアはアレイズを見上げた。

 アレイズは眉を寄せて、ロザリアを見ていた。


「せ、先生は、まさか……」


 私を助けようとしていたってこと?


「……」


 アレイズは何も言わなかった。

 ため息を吐いて、くるりとロザリアに背を向ける。


「あ……」


「もう面倒ごとを起こすなよ」


「せんせ……」


 アレイズはロザリアの制止も聞かず、歩き出した。

 一体、どうして、アレイズはロザリアにそのような行動をとったのだろう?


 ロザリアは夢の中のことを覚えていない。

 母ローズが愛した男の名を。

 アレイズ、と呼んだその声を。


 もしも才能がなくて退学になったら、ロザリアはあの父親から逃げられるのだろうか。

 それだったら、本当はここで退学になってしまえば……。


 けれどロザリアの心に、強く訴えかけるものがあった。

 初めてできた友達のこと。

 自分自身の武器のこと。

 そして変わりたいという想い。


 今までのロザリアだったなら、何もせず、全てを搾取されるがままだっただろう。けれど今は違う。ほんの少しの勇気が、ロザリアの中には芽吹いているのだ。


 ──変わりたい。


 だから、まだこの学園にいたい。


「先生!」


 ロザリアはアレイズの背に呼びかけた。


「私は、この学園で勉強したいです」


「……」


「私は、挑戦してみたいです」


 アレイズは振り返ってちら、とロザリアを見た。


「自分自身を、変えたい、から」


 やっとの想いでそう吐き出すと、アレイズは再び前を見据えた。

 それからぽつりと言う。


「……だったら、俺も手伝おう」


「え?」


「お前がそう思うのなら、仕方がない」


 ため息を吐くと、アレイズはそのまま歩き去ってしまった。

 ロザリアはぽかんとその背中を見送った。

 けれど心のどこかで、アレイズとの確執が、薄れて消えてゆくのを感じていた。


(先生は、何者なんだろう……)


 今はわからない。

 けれどロザリアがその答えに気づくのには、そう時間を要しないだろう。




 



 

 

 










 

 






 









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