第39話 3人の夜
金曜日の夜。俺は帰ってすぐにご飯を食べ、お風呂に入った。
「ふぁーあ。ちょっとヤバいかも。」
大きな欠伸をかまし、部活の疲れが溜まっているのを実感する。まだ時間的には早いけどすごく眠い。
ふぅ、そろそろ寝ようかな………なんて思いながら、リビングで横になってくつろいでいると、お母さんが隣にすっと座ってきた。
お母さんは丁度、風呂上がりのようで体中から湯気が放たれ、フローラルな香りが俺の鼻を刺激する。
やっぱり改めて見ると俺のお母さんって美人なんだよなぁ。綺麗に整った顔立ち、美しく光る黒色の髪、スラッとスタイリッシュな体付き……文句の付けようもない程の美人である。まぁ、性格の部分が大きな欠点だけど。
「そう言えば、優くん?」
流れるような動きで俺の頭を持ち上げて、膝に乗せたお母さん。俺の頭を高速なでなでしながら声を掛けてくる。
「んー?」
全く抵抗しない俺、逆にお母さんの膝枕が気持ち良くて眠気が更に増幅した俺は適当な返事を送る。
「時計ってさ、あれからどうなったの?GPSの写真を前に送ったけど結局見つかったのかな?」
「──時計……?あ……………っ!」
か、か、か、完全に忘れていた!
そう言われればそうだ、俺の時計ってあれからどうなったんだっ!?
俺は勢い良く起き上がりお母さんの前で土下座のスタイルを素早くとる。
あの時計は短い間しか身に付けられなかった物だけど案外思い入れの強い物で、お母さんからの入学祝いだった。まぁ、雨の日に簡単に水没して壊れてしまった物だけど、時計のGPS機能が偶然にも生きていて、雫が誘拐されていると気付いたきっかけになった貴重な物でもある。
頭の中で推理していくと、確か雫が今も持ってるんじゃないかな。多分。雫がずっと身に付けてたし。
「あーっと、時計ね、うん。えっと、すごーく言いにくいんだけど言うよ。
……無くしちゃった。ごめんなさい。」
でも、また雫が持っているとは確証が持てないので、俺が無くしたていで話す事にした。
親の気持ちが沢山詰まった物を壊して無くしたんだ。怒られる覚悟は出来ていた。
だけど、
「──別にいいよ。」
だけど、お母さんは簡単に許してくれた。
予想外の反応に俺は驚く。
「えっと……ど、どうして?」
「何が?」
「俺のこと、怒らないの?」
昔からすごく優しかったお母さん。でもこれは怒ってもいい事だと紛失者の俺でも思う。むしろ怒ってくれた方が俺の心持ちもいい。
でも次のお母さんの発言で、俺は心底呆れることになる。
「──だって元から壊れやすく作って貰った特注品だったからね。そんなの想定済みだよ!」
「は?はぁぁぁぁぁぁ!?」
な、なぜそんな無意味な事をしたのか俺には意味が分からなかった。お母さんはやっぱり優しいんだなぁなんて嬉しく思ってたのに、その一言でお母さんに対しての感情が怒りにへと変化した。
「はぁー、何でそんなことをしたの?」
頭を抱えながら俺は聞く。
「もー、分かってるくせにー」
「いや、全く分からんけど……」
「もぉー教えてあげる!
時計が壊れやすかったら、優くんが困るでしょ。
新しい時計が欲しくなるでしょ?
そこでお母さんが時計を買って来てあげるでしょう!そしたら優君は、お母さんの事をいっぱいいっぱい褒めてくれるでしょ!」
言い方も何もかもイラッときた。やっぱりお母さんって……どこか抜けてるんだよなぁ。頭のネジが1本ぶっ飛んでるんだろうな。長い付き合いだから慣れたけど。
「はぁーぁ。」
「もう、ため息しないでよ。すぐに新しい時計を用意するからぁー。早く機嫌を直して、またお母さんのこと褒めてね。」
「分かった分かった。褒めるから。いっぱい褒めてあげるから……次はちゃんとした頑丈な時計を頼むよ。」
俺は反論されないようにお母さんに迫ると、「もう少し褒められたかったのになぁ。」と愚痴を言いながらも了承してくれた。
──その後、2週間後ぐらいかな。俺が時計の事を忘れた辺りに、新品でピカピカの時計をお母さんから貰ったのであった。
ふぅ……っ!
俺が安心したのと同時に、急に眠気が頂点に達してしまいそうだった。なのでお母さんと別れて自分の部屋に行き、ベットにダイブしてすぐに寝たのであった。
明日は春香との約束のデートの予定も入っている。
俺は案外デートという行為は初めてなので全力で楽しもうと決めていた。
☆☆☆
──同時刻、雫の家。
チャプン……
湯船に雫はゆっくりと浸かる。熱が身に染みて気持ちがいい。雫はお湯に身を任せ、足を伸び伸びと伸ばした。雫の家は豪邸という訳では無いが母が元々風呂好きということもあり、浴槽はかなり大きく十分にくつろげる。
「……はーふぅぅぅ。」
心の底から出た声なので、まるでおばあさんのような声だったが、気にせずに雫は1人の空間を存分に楽しむ。雫にとってお風呂とは優馬と一緒に居る事の次に雫がリラックスできる場所なのだ。存分に気持ちをリセットする。
それにしても疲れた。体をマッサージしながら体をほぐす。
雫が入部したサッカー部(マネージャー)は思ったよりも大変で、中学のテニス部にいた時とは全く異なった意味で忙しい。でも優馬と同じ部活だというだけで嬉しいし、やりがいを感じて頑張れる。
雫の中学のテニス部の先輩や同級生、親友の由香子までもが雫のサッカー部マネージャーの入部には衝撃的だった事らしく、
「──まだ間に合うから雫はテニス部に来てよ。」なんて言葉はしょっちゅう言われる。だけど雫は優馬がいる限りサッカー部を辞めるつもりはさらさら無いし、最近はサッカーというスポーツも面白くなってきたのだ。それにもうテニスは……いい。
嫌な事を思い出してしまったので、顔に手を当てて気持ちを切り替える。
今の所、“雫と優馬は恋人関係にある”という事は誰にも口外していない。もちろん家族にも誰にも言っていない程の徹底ぶりである。誰も疑いたくは無いが……どこから情報が漏れて噂が広がるかは分からないからだ。
そして大々的に公表する時は、もっとちゃんと2人の覚悟が出来てから……改めて告白してからにすると決めている。
という事なので優馬と学校ではそこまで喋っている訳では無い。最近では意志を抑制するために優馬を意図的に避けている事もある。
少し……いや、かなり寂しいけど優馬とのイチャイチャは我慢だ。(2人きりの時はかなりイチャイチャしています。)
「……あ!」
そう言えばその事で優馬に相談したい事があった。
前は男の先輩に邪魔されてしまってほとんど話す事は出来なかったけど、また話す機会があったら話したいと思っている。
話す内容は、そろそろデートに行きたい!……だ。やっと恋人関係になれたのに、まだ1度もその関係で出掛けたことが無いのだ。優馬は男だから色々と大変かもしれないけど、一緒に行きたいと考えていた。
優馬の事は学校中の女子がターゲットにしている。くずぐすしていたら、あっという間に優馬が取られて立場が逆転してしまうかもしれない。
雫は若干焦っていたのだ。
早々に恋人からそれ以上の存在にランクアップしてみせる。そしていつか優馬と……
「……っ。」
優馬との未来を想像し……ちょっぴり頬を赤く染めた雫は徐々にお湯に沈んでいくのであった。誰もいないと分かっているのに恥ずかしくなったのだ。
☆☆☆
──またまた同時刻、茉優の部屋。
茉優は机に向かって、何かの画面を見ながら何かのノートを書いている。
「はぁはぁ……」
息を少しだけ荒くしながらも、ペンを動かす事はやめない。
茉優の書く、何かのノートの1番上の行には“今日のお兄ちゃん日記”と大きな字で書かれている。その下にはズラズラと優馬の1日の行動や言動が丁寧に書き込まれていた。
茉優には最近始めたある秘密の趣味がある。
それは“お兄ちゃん観察日記”というものだ。
その名の通り、お兄ちゃんを観察してノートに書き記す事だ。だが、それにはある欠点があった。
それはお兄ちゃんが自室に篭ってしまうと情報が得られないという事だ。そもそも昼間は学校で会えないのに、また会えないなんて茉優には耐えられない事だった。
だから考え、実行した。
少ない貯金をやりくりし、極小かつ高性能なカメラとカメラの映像がリアルタイムで見られる小型のディスプレイを購入した。そしてそれをお兄ちゃんが居ないのを見計からい設置した。鈍感なお兄ちゃんは気付かないだろうと思って少し大胆な場所に設置しておいた。
──これだけはバレる訳には行かない。なぜならこんなのプライバシーとか色々とクソだからだ。
なので細心の注意を払ってはいるが、いつバレるか分からないというハラハラ感が何故か茉優の最近の楽しみにもなっていた。
小型カメラは予想以上な値段な分、画質は良いし音も結構拾ってくれる。実際に使ってみると素晴らしさを実感し納得している。いい買い物をしたと茉優は満足している。
「──私はね、お兄ちゃんのためならいくらでもお金をつぎ込めるんだ。お金=愛って訳じゃ無いけど、たまにはそういうのも良いなと思うっ!」
そんな独り言を呟きながら茉優は画面に集中する。
画面越しで見るお兄ちゃんはいつでもどこでもカッコイイ。生で見るよりかはもちろん劣るが、この画面に映るお兄ちゃんは茉優だけのものだ。1人で独占出来るのでいいのだ。
今日の分を早々に書き終え、時間を忘れて画面に見入っていると、お兄ちゃんがベットに入り眠り始めた。まだ時間的には早いと思うけど、色々と疲れ気味だったのだろう。
「つぅぅぅぅ……やっぱりお兄ちゃん、最高っ。」
カメラの位置的にお兄ちゃんの寝顔を遠くからしか見えないが、お兄ちゃんの純粋な寝顔は十分な癒しとなる。
「もぉ、可愛好きだよっ!」
お兄ちゃんへの愛が止まらず、声となって溢れ出す。
今すぐお兄ちゃんの部屋に突撃して同じベットで寝たいと思った。お兄ちゃんの部屋はいつでも開いてるし、OKだよね?とも考えてしまった。
……が、流石に我慢した。そんな事をしたらお兄ちゃんとの仲が壊れてしまうからだ。お兄ちゃんにはとことん狂う茉優でも流石に常識(笑)はあった。
茉優の今後の願いは、お兄ちゃんの事を茉優自身の手で幸せにすることだ。だから得意なスポーツと勉強の2つで大金を稼ぎ、一生遊んで暮らせるぐらいのお金が稼げたら山奥に2人っきりで暮らす。それが茉優の昔からの夢だった。
その夢を実現するため、お兄ちゃんのプライベートを全てチェックしてお兄ちゃんを研究する。それと同時にお兄ちゃんに詰め寄ろうとするバカ女共を排除する。それが今の所の茉優の目標であった。
えへへ、それで、いつかお兄ちゃんと結婚するんだ!
…………ん?血が繋がっているからダメ?そんな理不尽な事は存在しない。“愛”さえあれば、どんな困難でも乗り越えられるのだ!!!
「ふふふ、可愛い可愛い私の、私だけのお兄ちゃん。……おやすみ。また明日私だけの笑顔を見せてね。」
そう茉優はディスプレイ越しのお兄ちゃんにそっと囁くと、ディスプレイとお兄ちゃん観察日記を秘密の隠し扉にしまい、満足気に眠りにつくのであった。
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